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クオリアについて#155*知性、論理、思考、意味、イメージ、意識、心、本質、質、味わい、価値、生物、世界、宇宙、などの研究*イメージ思考でいこう* クオリアについて 半年ぐらい前、書店で、茂木健一郎さんという方の本をぺらぺらとめくっていたら、クオリア、という単語がでてきたので、 「これは、英語ではクオリティーとなっている単語の語源のラテン語あたりの単語からきてるんだろうな。 質感とでもいう意味に定義しているのだろうか。 質の科学の質とかなり似ているんじゃないだろうか」 という感想をもったことがありました。 そこで、この七月にはいったあたりから、ネットでそういったことについていくらか読んでみました。 いやあ、そういったことについてもさまざまな情報が溢れていますね。ネットというのはほんとにありがたいもんです。 とくに、茂木健一郎さんのいくつものサイトは、そういった方面の宝の山ですね。刺激になります。ありがたいです。 で、 私は、そういった人々の研究とは没交渉で質の科学の研究をしてきていたのですが、おおいなる関連があることがわかって、嬉しくなってきました。 そういった方々は、脳とその活動を精密に分析して、そこに現れる現象をもとに仮説をたてておられます。 いわば、帰納的なやり方が多いようです。 一方、質の科学では、たいした精密さが要求されないやり方で研究がなされてきました。 鍵になる考え方・概念(心でつかむおおまかな内容)の発見によって、さらに、帰納的な方法と演繹的な方法の両建て、などによってそれが推進され 脳についての本 リベットの実験 (時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません) 質の科学の方は、科学と謳っているので、哲学的な前提は用いません(稀には一部使うこともあるかもしれませんが)。 質の科学は、科学的だと思われる手法・論理展開だけで、この世界の基本的な謎に挑戦しています。 そこにおいて、 意識というものが人にはある、ということは当然の前提としています。 さらに、 その意識が生じる器(=意識の主体)が存在する、ということもまた当り前のこととしています。 注)稀には、「意識の主体」を意識内容などと区別するために、意識という意味に近い用語として用いることがあります。 そして、その意識の主体とはなんであるのか追求し、意識の主体につく変化を研究して、結論を得てきたわけです。 さてここで、 質の科学と世界哲学の発見に至る過程を振り返ってみます。 こんな疑問、 自分とまったく同じ人が今現在存在したら、いったいどういうことになるのか、 という問題設定から出発し、意識の主体は、脳の小さな一部に対応していることがわかりました。 なぜなら、人は、脳の多くの部分をなくしても、意識はあいかわらず在り続けるからです。 (しかし、ふしぎなことに、意識は脳の一部に拠っているのではない、という面もあります。その矛盾は、霊魂の存在を予感させそうです) そこからふたつの結論がでてきます。 ひとつは、人間のもつものの中で意識の主体以外のすべては、どうにでも変わる(変わりうる)ということ。 もうひとつは、つぎのような経過で結論がでてきます。 意識の主体の総数と人間の生まれうる総数(人間の可能な総数)とを比べてみると、人間の総数の方がはるかに大きいことがわかります。 ということは、人間が生まれつづいていけば、同じ意識の主体をもった人は必ず生まれでてくることを繰り返していく、ということになります。 そのふたつから、人は転生していき、前の生とはまったく異なった人に生まれでていく、という結論がでてきます。 次に、 運動量保存則という物理法則があるけれども、ほかにも保存される量(ベクトルなども含めて)があるのではないか、と探し続けていた時期がありました。 するとある時、回帰する量(ベクトルなども含めて)を発見したのでした。 運動量時間回帰です。 前に述べた、惑星の公転による四季の発生も、運動量時間回帰で示せます。 それは順次回帰です。 それについて、 まず初めに、花粉のブラウン運動において、一次元と二次元では、花粉が原点に回帰する確率が1であることを知り、一次元で計算してみると、たしかに回帰する確率は1とでました(必要ないので、2次元では計算していませんが)。 それも運動量時間回帰となっています。 これはランダム回帰です。 そういった量が意識の主体にもあって、それは回帰するのではないか。 そういった量は、体験の質に応じて意識の主体につく変化であり、その変化が回帰するのではないか。 体験(の質)には、あるものがあれば、それとは正反対のものがあるではないか(ただし、単独質もある)。 つまり質は方向性をもっているではないか。 それは、運動量と運動量回帰則(惑星の運動量回帰の発見は、そのあとのことですが)などに似ているのではないか、対応しているのではないか。 人がなにかを体験すると、体験の質に応じて、その意識の主体に変化がつくはずだ。 なぜなら、すべての存在は、なんらかのエネルギーを受けると、それに応じた変化を受けるからである。 そして確率的に正反対の体験を同じ量体験すると、その変化は元に戻ることになる。 しかし、 それによる回帰は、確率的回帰である。それでも体験の質ごとに分類すると、それぞれ一次元で扱えるから、回帰する確率は1となって必ず回帰する。 だけれども、その場合、任意の体験についての正と反の分布がすべて1対1でなくてはならないし(その可能性は高い)、人間の意志によって、避けたりできる体験というものがでてくれば、回帰しないこともでてくるかもしれない。 しかし、結局、人間の意志によって、望む体験ができることは少ないので、やはり確率的な回帰はあるのだろう。 ふーむ、 確率的回帰か。 うーん、 その原理より優れた原理はないものだろうか。 そうだ、 意識の主体に、同じ体験によって同じ変化がつき続けていくと、そのうち限界に達して、意識の主体は壊れてしまうだろう。 すべての存在がそうなっている。 そこで、正反対の体験を同じだけ体験すると、ついていた変化は元に戻ることになる。 そうなると、意識の主体は壊れることから免れるはずだ。 意識の主体は、そういった存在だろう。 意識の主体を壊さないために、そういった仕組みがあるのではないか。 そうだ、この世界でもっとも重要な意識の主体が壊れないための仕組みがあるはずにちがいない。 という経緯で、より説得性のある理屈にたどり着いたのでした。 それだけではなかったのですが、 (時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません) (再掲) (世界が恐慌に突入するのは、そう遠くない、という感じですね) (世界中の人々の精神的借金の総量が膨大になりすぎていて、多くの人々が、自由に物を買い、普通の生活をおくる資格がなくなってきていると考えられます。 よって、経済的混乱、インフレと恐慌が同時に起こるスタグフレイションなどが発生することになっていくかもしれません。同じ理由で、世界的大混乱・戦争なども起こることになっていくかもしれません) (このブログの内容は主に、「質の科学」という科学に基づいたものが多いのです。 質の科学は、人間の体験の質を扱います(体験の質は無数にある)。それは、「意識」「意識につく変化」などを中心に考える科学で、人間の体験についての法則や、転生までをも導きだします。それらが、科学的にほぼ証明されているのです(100パーセント検証されているとはいえませんが)。 さらに、そこから、個人、団体、社会、国、世界などの法則も導かれます。 詳しくお知りになりたい方は、検索窓でどうぞ。 キーワード:私の霊魂研究の道のり。質の科学。質時間。精神的借金。意識。 精神的貯金。科学的カルマ。ギブアンドテイク。哲学。 などなどです) (再掲) (政府の財政を破綻させない方法) (政府が次のことを行う 製品本位制をとる 科学・工業・生産技術を囲い込む 宇宙開発(月や惑星を開拓して、住居などをつくる)を目指し、将来のその成果を現在において債権化して売り出す 名誉を売り出す 生活に不自由のない社会にする お金を持っていても使い道がない、という社会にする(もうなんでも持っているから、と) 種々の多くの競技会を催し、人々に多くの名誉・栄誉をもってもらう お金儲け以外の素晴らしいことを行うのが最高だ、という風潮の社会にする) (詳しくは、明日以降に。前にも一部記載しました。検索窓でどうぞ) (しかし、それらを実行しても、我々日本人の、精神的借金の総和が大きすぎるので、うまくはいかないと思われますが) (再掲) (この先、世界はたいへんなことになっていきそうですね) (再掲) (<社会混乱・インフレ>対策を始めましたか?) (質の科学によれば、本来なら、今頃は、世界的戦争が起こっていてもおかしくはない、という結論が導きだされます。現実には戦争は起こっていない。よって、これからの世界の混乱は、いっそうひどくなっていくと予想されます) (*私論・試論*(覚え書き。推敲してません)(再掲) 日本の経済・金融情勢は、この先どうなっていくだろう? ハイパーインフレは起こるのだろうか? (中長期的視野で) 低金利や量的金融緩和政策にもかかわらず、インフレはおろか、デフレ脱却もできなかった(現在、わずかに、物価が上がった程度である。デフレの脱却にも時間がかかりすぎた)。 現在は安い商品が海外からいくらでも入ってくる。 現在はインフレは起こりにくい。 日本人の精神的貯金(消費やいい生活、に関わる)は、大きなマイナスだろう(精神的借金が大きい)。 よって、これから先、インフレがきて、いい生活の度合いが下がるはずだ。 物価が3~4倍くらいになれば、政府の財政は破綻せずに、立ち直るだろう(ただし、国債の利率をコントロールしなくてはならない)。 しかし、インフレがこなければ、政府の財政は破綻し、その後に、インフレがくるだろう。 インフレが起こるということは、自国通貨の価値が下がるということだ。すると、インフレの度のより低い国の通貨に対して、円安になる。すると、さらに物価はあがる。すると、さらに円安にる・・・・・・ 地球環境の保全のためには、資源価格インフレが起こり、その消費が大きく下がることが必要だ。 それが起こっても、日本でインフレは起こる(不況も起こる。スタグフレイションになるかもしれない)。 それは、人類の生存のために、必須である(人類の生存のできる地球環境を守るために)。 よって、なんらかの力によって、それは起こるだろう。 (日本の産業にとっても、それは有利である。日本はその方面でも世界のトップ であるからである) こう考えてくると、この先必ずインフレは起こるということになりそうです。 4~10(20)倍くらいのそれでしょうか。 加えて、不況になるかもしれません。日本人のさまざまな精神的借金が増えすぎていて、いい生活をする資格がなくなってきているからです(世界的にもそういう国が多い)。同じ理由で、世界的大混乱・戦争が起こるかもしれません。 (私論・試論につき、無保証) (推敲してません) ) このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(引用的なものはそう記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。 このブログの著作権はすべて春楽天にあります(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。 それらの無断利用を禁じます。 宇宙人がでました(?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2008.07.10 12:31:30
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