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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

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クオリアと意識について#160~163*知性、論理、思考、意味、イメージ、意識、心、本質、質、味わい、価値、生物、世界、宇宙、などの研究*イメージ思考でいこう*


クオリアと意識について


(初めの少しあとのあたりに加筆しました。ブログの容量を越えたので、つながりなどがわかりにくい書き方になっています)



さてそこで、もう一度、問題提起です。
意識とはなんでしょうか?

意識というのは、物質そのものでないことは確かです。

では、いったいなんなんでしょうか?

今現在の人類の知識の中で、その答えをだすならば、意識とは、エネルギーに伴われる(伴う)波動の世界である、という解答しかないように思えます。

意識というのは、一体性・全体性を形づくっており、意識は無数の(数多くの)波動パターンをとることができ、時間とともにその波動パターンが変化していく、それが意識である、という答えしか探しだせません。

まず、なんらかのエネルギーによる(組織された。あるいは単独の)意識の器、というものがあって、それがさまざまな波動パターンをとる。
その波動パターンが意識内容である。
その両者をあわせて、普通、意識と呼んでいるのではないか。
そういう答えです。
今のところそれしかなさそうです。

物質もエネルギーの一形態ですが、波動性・流動性が低すぎるので、まずは、エネルギーという、より波動性・流動性の高い形態のものに着目してみるのです。

その上で、物質の組織では、物質的には一体性・全体性を形づくれますが、波動的には、一体性・全体性を形づくることはできないという事実から、意識というのは、上に述べたようなもの・存在なのだろう、という結論に至るわけです。

それ以外にはないように思われます。

そういった意識、そういった意識の器(ハードウェア)=意識の主体(意識の主体という用語はハードウェア以外の、意識、という意味に用いることもあります)、が脳になんらかの在り方で存在する、ということになるでしょう。

そして、その意識の器に、神経細胞たちの活動によって、情報が送り込まれ、その意識の器の中で、意識と意識内容(クオリアも含めて)が生じる、ということになるのでしょう。

そこにおいて、神経細胞たちの活動の局所性は非局所的なものへと統合もされるでしょう。



ただし、質の科学においては、そのほかの在りようたちも受け入れています。そのほかの可能性を排除しません。

質の科学では基本的に、可能性をすべて並べ挙げ、ひとつひとつについてどうなっているか研究・追求していくやり方を多くとっています。

先に述べた「意識の器」以外に考えられる在り方は、いくつかあります。
(それらは、物質の組織として、ということになります。唯脳論的在り方です。ただし、先に述べた意識の器については、唯心論的であるとか唯脳論的でないとか、決めつけていません)。

「脳全体が意識の器」
「脳の一部が意識の器」

「脳全体が意識の器」であったばあい、さらにふたつのケースに分けられます。

意識自体と、脳の意識以外の機能が分けられるケースと、
意識自体と、脳の意識以外の機能が分けられないケースです。

その後者のケースにおいてさらにふたつのばあい、に分けられます。
意識以外の機能はまったく変化していかないケースと、変化していくケースです(意識も変化しない)。
(その後者においては、全部が変化していくケースと、部分的にしか変化していかないケースに分けられます)。

質の科学においては、意識以外の機能はまったく変化しないケース(意識も変化しない。これはすべてに共通です)だけ特別に扱いますが、そのほかのばあい・ケースについては、まったく同じ結論が導きだされます(詳しくは別なところで記します)。

注)
意識については、「意識不変の原理」というものがあって、意識は決して変化しないけれど、意識内容は千変万化していく、という立場に立っています。




さて、
人間の外からの情報を感覚器官で脳に送り込み、さらに意識の器に送り込むにあたってのその流れの中にある変換たちの在り方にはどういったものが考えられるのでしょうか。

フーリエ変換
ホログラム(ホログラフィー)変換
走査
ツイスター変換的変換(これは、茂木健一郎さんのサイトで知ったもので、茂木さんのアイディアです)
などが参考になるかもしれません。

フーリエ変換は時間をたたみ込んでしまう。
ホログラムにおいては、全体に部分が含まれ、部分に全体が含まれてしまう。
走査は、時間のズレがあっても、それをゼロにしてしまう(ゼロにみえるようにする)。
ツイスター変換的変換は、局所的なものたちを非局所的な在り方に変換する。
ただし、それができたとしても、変換された情報の送り込み先というものはあるはずであり、そこは、一体性・全体性を形作っている何か、つまり意識の器、でしょう。

その対応、変換、は、意識の器・意識内容、が出発点になっていることはいうまでもありません。
意識の器・意識内容を参照せずに、たんに変換としてよさそうな変換をやってみたら、それがちゃんと、意識の器の機能・意識内容、に正確に対応していた、などということは考えられないからです。

ただ、脳に直接端子を設け、音や映像の装置からの信号を送り込み続けると、脳はそれに適応していく、という現象・事実を現す、ということはあるそうですが。それもなんらかに関係しているのかもしれません。



そこで、
意識のもつ特性、一体性・全体性が、脳の中において、脳の活動において、どう構成・現出されるか考えてみましょう。

脳のなかで最も波動性が高いのは電子です。
中間子は一時的にしか現れないだろうし、その波動性は電子よりはるかに小さいものです。
クォークがあるとしてもまずは現れないだろう(結合して納まっているという感じですか)。
超ひも理論の超ひもがあったとしてもそれも現れないだろう(これも結合して納まっているという感じですか)。

その電子にアプローチしてみましょう。

特殊な関係性をもったふたつの電子が、どんなに離れていても、瞬時に特殊な情報みたいなものを交換できる、という現象はあるけれども、
意識やクオリアに関わっているようにみえる数多くの電子たちが、一体性・全体性を形づくることはない(できない)
(とくに波動性において)
(物質的にですらそうであるともいえる。離ればなれである)
ということになっています。

ということは、電子たちは意識の器を構成できないということになります。
(電子一個または数個のなんらかの状態に意識が生じる、とすると、おかしなことがいくつかでてきて、その可能性は否定されるだろう)

となると、いったいどういうことになるのでしょうか。
人間には意識はないということになる、ということはないのは確かです。

『(ここからは、質の科学にははいっていない内容です)
そこで、こう考えていきましょう。
意識の器というものが、脳全体(それより大きくてもいいし、少し小さくてもよい)を覆っている。
その意識の器というものは、なんらかのエネルギーから成っている(エネルギーの組織的な存在、または単独)。
それは無限の(数多くの)波動パターンをとる。

その波動関数(量子力学にならって)

その波動行列力学(行列力学にならって)

まずは、三次元的な波動であって、時間と共に変化していくとしてみる

その意識の器の大きさから、定常波をなんらかに計算しだしてみる

基本周波数の整数倍(あるいは、実数倍、有理数倍、無理数倍、虚数倍、複素数倍なども一応考えられる)の無数の波(係数もつく)の和になっている、などと考えてみる


変換として



たとえば、ビー玉たちが一直線上にずらっと、たとえば一万個並んでいるとする。

そのビー玉ひとつひとつが、局所的に存在するニューロン(あるいは加えることとして活動)(ビー玉ひとつが複数のニューロンに対応。あるいは、ひとつに対応。ここでは時間については考えないとする)だとする。

それらを、一番端にあるビー玉のちょっと外から眺めると、一直線上にビー玉たちはならんでいるから、ビー玉は一個にみえる。

それを次のことにたとえてみよう。
なんらかな数学的変換を行ったことによって、ニューロン活動たちの局所性を、非局所性に変換・転換したということに。

そのばあい、そういう変換が数学的にできれば、変換したものすべてを、送り込む(投影。投映。射影)場所はなくてもよい、とする立場が考えられる。

それとは反対に、
送り込む場所は絶対に必要である、という立場もある。

前者のような在りようはまずはないだろう。
ただし、それらがすべて、波動的になんらかにつながっていられたら話しは別である。
(物質的にはつながっているといえるので、それは除いた)
しかし、そうなると、それは意識の器の存在となり、それは、後者と同等となる。

よって、
後者の在りようしかないのではないか。

後者の在りようというのは、先に述べた「意識の器」が存在する、ということである。




一番端のビー玉それ自体から、それらを眺めたばあい、そのビー玉が観察者つまり意識ある存在となるが、そういったことはありえないことが示されている。




一直線上ではなくて三次元の中で、任意の位置に存在するばあいでも、数学的になんらかのやり方で、ひとつにする、非局所化できるかもしれない。
先に述べた変換というのは、それを指しているわけである。



時間においての局所性についても、まったく同じビー玉のたとえで考えることができ、位置について論じてきたのと同じことが、ここに繰り返される。




こう考えてくると、「意識の器」というものは存在するはずである、ということになるだろう。


(変換については、私の今の数学の力では、これ以上はムリです)
(以上、ここまでの展開は質の科学にははいっていません)』

さて、
『』の中の展開は質の科学にははいっていないんですが、茂木さんのサイトで、局所性の非局所性への変換が重要なテーマになっていることを知って、ちょっと考えてみたところです。

質の科学では、そこのところは、
「なんらかに変換して」
で済ませています。

それで十分なんです。質の科学においては。

なぜなら、質の科学では、意識の主体(意識の器)というものの存在は、さまざまな根拠からいって、自明のことである、としているからです。

つまり、脳はさまざまな情報を局所的・並列的に処理しているけれども、それらは結局なんらかに変換され、意識の主体(器)に送り込まれ、そこで意識・意識内容(クオリアを含む)が生じる、という結論を得ているのです。

なぜそういえるのかというとこうなります。

まず、脳の中で、局所的に情報処理を行っているニューロンたちの一団、それについて多くの一団が欠けても、意識は変わらず存在します。

ということは、それらは、意識を担っているのではなく、意識に送り込む情報の処理をやっているにすぎない、ということになります。

ということは、「意識の器」はどこかに存在する、ということになるでしょう。

ほかにもいくつもの根拠があり、それらをこのブログのあちこちに挙げてあります。


脳がホログラム的な在り方をしていたとしても、結局は同じ結論に



波動関数といったような形とか、そのほか



(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)


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Last updated  2008.07.18 14:27:08
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