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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

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2008.07.14
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クオリアと意識について(ブログの容量の関係で分離され読みにくいので、まとめたもの、その1)


クオリアと意識について(1)


半年ぐらい前、書店で、茂木健一郎さんという方の本をぺらぺらとめくっていたら、クオリア、という単語がでてきたので、
「これは、英語ではクオリティーとなっている単語の語源のラテン語あたりの単語からきてるんだろうな。
質感とでもいう意味に定義しているのだろうか。
質の科学の質とかなり似ているんじゃないだろうか」
という感想をもったことがありました。

そこで、この七月にはいったあたりから、ネットでそういったことについていくらか読んでみました。

いやあ、そういったことについてもさまざまな情報が溢れていますね。ネットというのはほんとにありがたいもんです。

とくに、茂木健一郎さんのいくつものサイトは、そういった方面の宝の山ですね。刺激になります。ありがたいことです。

私は、そういった人々の研究とは没交渉で質の科学の研究をしてきていたのですが、おおいなる関連があることがわかって、嬉しくなってきました。

そういった方々は、主に、脳とその活動を精密に分析して、そこに現れる現象をもとに仮説をたてておられます。
いわば、帰納的なやり方が多いようです。

一方、質の科学では、たいした精密さが要求されないやり方で研究がなされてきました。
鍵になる考え方・概念(心でつかむおおまかで芯となる内容)の発見によって、さらに、帰納(具体的なものから普遍的・法則的なものへと向かうこと)的な方法と演繹(普遍的・法則的なものから具体的なものへと向かうこと)的な方法の両建て、などによってそれが推進されてきたのです。
それができるのも、イメージ思考(このシリーズは、イメージ思考でいこう、となっています)のおかげだと思っています。

クオリアというのは、まだ少しかじっただけですが、
意識が意識し味わう「心的内容・意識内容・味わい・質・質感・意識内容に伴う質感」といったふうな意味に私は今のところ解釈しています(ただし、意識内容などと質感などとでは意味合いがかなり異なりますが、今のところこう記しておきます)。

質の科学の「質」というのは、そのクオリアという概念・意味に加えて、
意識内容が意識の主体(あるいはその近辺)(あとで詳述します。あるいはすでに記しています)に変化を残す「性質・質・方向性・ベクトルのような性質性」をもっています。

あるいはこうもいえるでしょう。
クオリアという質感にも、ほとんどのばあい、方向性・ベクトルのような性質性をもっている、という性質・属性の項目を加えれば、「質」と同じ概念・意味になる、と。

で、ほとんどの「質」には、正があればその反がある、という性質をもっています。

ちょうど、運動量のようにです。

「質A」を意識し味わえば、意識の主体(あとで詳述します。あるいはすでに記しています)にそれに応じた変化がつきます。

それを質時間と名づけます。

さらに、「質A」の反である、「質反A」を意識し味わえば、その変化は元に戻ります。

ちょうど、北に十メーター歩いたあと、南に十メーター歩けば、元の位置に戻るのといっしょです。

質の科学における「質」というものは、そういった性質ももっています。



さて、茂木健一郎さんは、クオリアと心・意識は、ニューロン(神経細胞)たちの活動(発火)によって生じるのだろう、という仮説をたてています。

それはもっともな仮説で、普通、それ以外には見当たらないでしょう。

そして、ひとつのニューロンから別なニューロンに情報が伝達される間の時間経過は知覚にとってゼロであるはずだ、という結論がでるそうです。なぜなら、それらニューロンの活動が時間経過を伴わないひとつの知覚を構成しているから、と。

さらに、心・意識の発生は、脳全体(あるいは、脳全体に近い広い領域。非局所性の対象となる領域。非局所性がみられる領域)に拠っているようにみえる(あるいは、という事実がある)という観察結果があるそうです。

そういったふうに、当然ながらこの分野でも多くの研究が、脳・神経細胞の活動を観察することによって結論を得ようとしているようです。

そういった方面についてのいくつかの他の仮説があることも知りましたが、まだその内容について私はほとんど知りません(これから勉強するつもりです)が、そのポイントのひとつは、脳での情報処理の局所性をどうやって意識という非局所的な現象というか機能に変換しているのか・至らせているのかということ、ですかね?

しかし、そういった研究が進んでもなお、意識発生の根本的なところは結局示せず、これこれこれのここに意識が発生する、これこれこれのこれが意識のハードウェアである、ということぐらいしか解明できないのでしょう。

たとえば、人間はコンピューターを設計しつくり上げたけれど、さらに掘り下げて理解しようとしても、最も根本のところは理解できないように。

別な表現でたとえれば、重力とは何か、物質とは何か、電気とは何か、といったことについても、利用する知識と計算方法は手にしたけれども、もっとも根本的な実体・実質の理解はできないように。



さて、
私は、「質の科学」という科学を研究し続けてきたのですが、私がもしその研究をやってきていなかったのならば、茂木さんと同じ仮説に達していただろうと思います。
それは当然の結論です。

それに、ニューロンの活動が、クオリアと意識の発生に関わっているようにみえる、というのは事実でしょう。


さてそこで、ここからは「質の科学」にのっとって論を進めていきます。

まず、心・意識とはなにか? ということを考えてみます。

心・意識とはなんでしょうか?

と設問して、まずいことに気づきました。

人によって異なりますが、心という概念には、知性的ななにかが情報処理を行う機能の概念も含まれているからです。

認識もそうです。

知覚は、かなり意識だけの機能の概念を表していますが、それでも、知性がいくらか関わっているような機能の概念です。

そこで、問題設定をやりなおします。

意識とはなんでしょうか?

ここでいう意識というのは、意識し味わう機能だけをもったなにかとその機能のことです。

「~という意識をもった」とか、「意識傾向を調査する」などといった表現のばあい、それらの意識という単語は、心の内容、とか、心の内容の傾向、などといった知性的情報処理の意味合いを多少もっているので、そういった概念ははずします。

ここでいう意識をコンピューターでムリにたとえれば、ディスプレイのようなものです。
ディスプレイは本質的な情報処理の機能はもっていません。
映像を映し出すだけの働きをもっています。
ここでは、それをムリに意識にたとえてみることしかできません。

つまりここでいう意識というのは、意識し味わう機能だけの意識です。

そういった意識し味わうだけの意識、というものを想定できる根拠は確かにありますので、あとで挙げます。

さてそこで、もう一度、問題提起です。
意識とはなんでしょうか?

意識というのは、物質そのものでないことは確かです。

では、いったいなんなんでしょうか?

今現在の人類の知識の中で、その答えをだすならば、意識とは、エネルギーに伴われる(伴う)波動の世界である、という解答しかないように思えます。

意識というのは、一体性・全体性を形づくっており、意識は無数の(数多くの)波動パターンをとることができ、時間とともにその波動パターンが変化していく、それが意識である、という答えしか探しだせません。

まず、なんらかのエネルギーによる(組織された。あるいは単独の)意識の器、というものがあって、それがさまざまな波動パターンをとる。
その波動パターンが意識内容である。
その両者をあわせて、普通、意識と呼んでいるのではないか。
そういう答えです。
今のところそれしかなさそうです。

物質もエネルギーの一形態ですが、波動性・流動性が低すぎるので、まずは、エネルギーという、より波動性・流動性の高い形態のものに着目してみるのです。

その上で、物質の組織では、物質的には一体性・全体性を形づくれますが、波動的には、一体性・全体性を形づくることはできないという事実から、意識というのは、上に述べたようなもの・存在なのだろう、という結論に至るわけです。

それ以外にはないように思われます。

そういった意識、そういった意識の器(ハードウェア)=意識の主体(意識の主体という用語はハードウェア以外の、意識、という意味に用いることもあります)、が脳になんらかの在り方で存在する、ということになるでしょう。

そして、その意識の器に、神経細胞たちの活動によって、情報が送り込まれ、その意識の器の中で、意識と意識内容(クオリアも含めて)が生じる、ということになるのでしょう。

そこにおいて、神経細胞たちの活動の局所性は非局所的なものへと統合もされるでしょう。



ただし、質の科学においては、そのほかの在りようたちをも受け入れています。そのほかの可能性を排除しません。

質の科学では基本的に、可能性をすべて並べ挙げ、ひとつひとつについてどうなっているか研究・追求していくやり方を多くとっています。

先に述べた「意識の器」以外に考えられる在り方は、いくつかあります。
(それらは、物質の組織として、といくことになります。唯脳論的在り方です。ただし、先に述べた意識の器については、唯心論的であるとか唯脳論的でないとか、決めつけていません)。

まず、こうばあい分けします。
「脳全体が意識の器」
「脳の一部が意識の器」

「脳全体が意識の器」であったばあい、さらにふたつのケースに分けられます。

意識自体と、脳の意識以外の機能が分けられるケースと、
意識自体と、脳の意識以外の機能が分けられないケースです。

その後者のケースにおいてさらにふたつのばあい、に分けられます。
意識以外の機能はまったく変化していかないケースと、変化していくケースです(意識も変化しない)。
(その後者においては、全部が変化していくケースと、部分的にしか変化していかないケースに分けられます)。

質の科学においては、意識以外の機能はまったく変化しないケース(意識も変化しない。これはすべてに共通です)だけ特別に扱いますが、そのほかのばあい・ケースにおいては、まったく同じ結論が導きだされます(詳しくは別なところで記します)。

注)
意識については、「意識不変の原理」というものがあって、意識は決して変化しないけれど、意識内容は千変万化していく、という立場に立っています。





(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)



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Last updated  2008.07.14 22:09:08
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