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クオリアと意識について#166~170*知性、論理、思考、意味、イメージ、意識、心、本質、質、味わい、価値、生物、世界、宇宙、などの研究*イメージ思考でいこう* クオリアと意識について 追記; 私は、自分が自分であるのはなぜか・何によるか、ということも追求してきたのですが、 「意識の主体(器)」の個別性は大きな謎のままです。 Aさんの意識、Bさんの意識、Cさんの意識・・・といった一人一人異なる意識はなんの違いで生まれるのか、という問題です。 考えられることは、 意識の主体の何らかの周波数・波動性の(わずかな)違い、 意識の主体を構成する素子の何らかの(わずかな)違い、 意識の主体の質量の(わずかな)違い、 などですが、 ここでは、対称性というか平等性が破れています。 そこに対称性・平等性がない、ということも不思議です。 それもまた永い時間をかけて完全に平等になっていくとしても、その在り方はいったいどうなっているのか、これからの研究課題です。 ここで、「意識の器」を想定・仮定する根拠をかんたんに挙げてみましょう。 1)意識というものは、一体性・全体性を形づくっている。 2)リベットの実験を矛盾なく説明するためには、それが必要である。 3)心・意識は物質そのものでないことは自明である。 4)「物質から心・意識は生じるはずがない」という命題も説得力がある。 5)意識は脳の一部に対応していることは、さまざまな観察・考察から明らかである。 6)夢をみていて、意識しながらみている夢というものがある。 7)身体の器官などのもつ機能、それらは図示すれば理解できるが、 意識・心だけはそうでない。 8)世界中の言語に、霊魂、霊、魂、などという単語がある。 そのほか 意識の器として考えられるのは、脳の一部、脳の全体、そのほかいまだ知られてないエネルギー的存在、いわゆる霊魂と呼ばれているもの、などが挙げられるわけです。 後者のふたつは同じ存在、といっていいでしょう。 質の科学では、それらのどれであっても、転生がありそうであるということの証明らしいのを成していますし、質時間回帰則(科学的カルマ)が存在することの証明みたいなのを行っています。 さて、 意識について考える際に重要なことのひとつは、 「意識」、と、「意識内容」、を混同しないことです。 特に、 人は、自分についての「意識内容」を自分である、とみなすことが多いのです。 ところが、 自分というのは、自分についての「意識内容」ではなくて、「意識」、なのです。 そのことも含めて、「意識内容」を意識し味わうところに自分という存在があるのです。 ここは少しむずかしいかもしれませんが大切なポイントです。 「意識」をコンピューターでたとえると、自分という「意識」は、表示装置(画面)というか、表示装置の働きというか、表示装置に起こる現象というか、それ以上は例えられませんが、そういったものなのです。 その表示装置として、ここでは、プロジェクターとスクリーン、をもちだしましょう。 基本的にはどんな表示装置でもいいんですが、プロジェクターが例えとしていちばんすっきりしそうですから。 プロジェクターというのは、投射映像装置のことで、スクリーンに映像などを映しだす機器のことです。 いちばんなじみの多そうなのは、映画館のそれですね。 レンズのついた装置からスクリーンに映像が投げ映されます。投映されます。 そのスクリーンでの現象が、「意識」を例えるたとえとして、最適でしょう。 で、 コンピューターの画面としてプロジェクターとスクリーンを使う、とするわけです。 それ以上によりよい例えの候補は今のところみつかりません(あとにだす予定の「池」の例えには、知性的なものを組み込めない)。 そこでは、 コンピューター本体の演算装置(計算装置)や記憶装置・そのほかの情報処理装置など(以下、情報処理の機能の部分と呼びます)は、脳の中の情報処理・記憶や知性的なもの・そのほかの機能(こちらも情報処理の機能の部分と呼びましょう)の例えとなります。 注)肉体的なものの例えも可能です。例えば、ウェブカメラは目、マイクは耳、など。 コンピューターの情報処理の機能の部分で処理された情報は、プロジェクターでスクリーンに投映(投影)されます。 そのときスクリーン上に、映像が生じます。 それを、スクリーンが、その映像を意識し味わった、とみなす、そういう例えです。 意識の主体をそうやってスクリーンに例えたわけです。 それ以外に、有効な例えは今のところ見いだせていません。 そのスクリーンが、自分という「意識」があるところの「意識の主体」にあたるわけです。 その例えで、意識の主体には、情報処理の機能がついていないことがおわかりだと思います。 意識の主体は、意識し味わうだけの機能・働きだけをもっていて、そのほかのものは有さない、ということです。 先ほどの、自分についての情報を、自分である、とかん違いすることが多い、というのも、その例えでわかると思います。 自分のすがた形がこれこれだから、自分の境遇がこれこれだから、自分の今までの経験・記憶がこれこれだから、自分は自分なのだ、と思う・感じる・断定する、といったようなことが普通一般になされているけれども、最も本質的なところで、それは間違いであって、意識の主体が自分なのである、ということです。 もっとも、今現在においては、そういった情報(自分という肉体についての・肉体がたどってきたことについての情報)を、自分である、とみなすのは、間違いではなく正しいことといえます。 しかし、そういった自分についての情報は、一時的なものであって、そのうちさっさと変わっていくのです。 たとえば、 自分の意識の主体を他人の意識の主体に入れ換えれば、その他人が、今までの自分についての情報を自分であると意識し味わうことになるし、 そういった三つの例にしても、それらは結局心の内容となり、それが「意識の主体」に送りこまれ「意識内容」となるわけです。 自分というのは、自分についての「意識内容」ではなくて、「意識」であるということから、演繹(普遍・法則から具体へ向かうこと)的に、ほかにもさまざまなことが導きだされてきます。 かなり前にでてきた「変換」についてもう一度考えるにあたって、 「意識」「意識の主体」を池に例えると 池に小さな小石をたくさん投げ入れると、水面にさまざまな波紋が生じ、波の芸術のようなものができます (時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません) ((再掲) (世界が恐慌に突入するのは、そう遠くない、という感じですね) (世界中の人々の精神的借金の総量が膨大になりすぎていて、多くの人々が、自由に物を買い、普通の生活をおくる資格がなくなってきていると考えられます。 よって、経済的混乱、インフレと恐慌が同時に起こるスタグフレーションなどが発生することになっていくかもしれません。同じ理由で、世界的大混乱・戦争なども起こることになっていくかもしれません) (このブログの内容は主に、「質の科学」という科学に基づいたものが多いのです。 質の科学は、人間の体験の質を扱います(体験の質は無数にある)。それは、「意識」「意識につく変化」などを中心に考える科学で、人間の体験についての法則や、転生までをも導きだします。それらが、科学的にほぼ証明されているのです(100パーセント検証されているとはいえませんが)。 さらに、そこから、個人、団体、社会、国、世界などの法則も導かれます。 詳しくお知りになりたい方は、検索窓でどうぞ。 キーワード:私の霊魂研究の道のり。質の科学。質時間。精神的借金。意識。 精神的貯金。科学的カルマ。ギブアンドテイク。哲学。 などなどです) (再掲) (政府の財政を破綻させない方法) (政府が次のことを行う 製品本位制をとる 科学・工業・生産技術を囲い込む 宇宙開発(月や惑星を開拓して、住居などをつくる)を目指し、将来のその成果を現在において債権化して売り出す 名誉を売り出す 生活に不自由のない社会にする お金を持っていても使い道がない、という社会にする(もうなんでも持っているから、と) 種々の多くの競技会を催し、人々に多くの名誉・栄誉をもってもらう お金儲け以外の素晴らしいことを行うのが最高だ、という風潮の社会にする) (詳しくは、明日以降に。前にも一部記載しました。検索窓でどうぞ) (しかし、それらを実行しても、我々日本人の、精神的借金の総和が大きすぎるので、うまくはいかないと思われますが) (再掲) (この先、世界はたいへんなことになっていきそうですね) (再掲) (<社会混乱・インフレ>対策を始めましたか?) (質の科学によれば、本来なら、今頃は、世界的戦争が起こっていてもおかしくはない、という結論が導きだされます。現実には戦争は起こっていない。よって、これからの世界の混乱は、いっそうひどくなっていくと予想されます) (*私論・試論*(覚え書き。推敲してません)(再掲) 日本の経済・金融情勢は、この先どうなっていくだろう? ハイパーインフレは起こるのだろうか? (中長期的視野で) 低金利や量的金融緩和政策にもかかわらず、インフレはおろか、デフレ脱却もできなかった(わずかに、物価が上がった程度である。デフレの脱却にも時間がかかりすぎた)(追記;その後、インフレ傾向がでてきた)。 日本人の精神的貯金(消費やいい生活、に関わる)は、大きなマイナスだろう(精神的借金が大きい)。 よって、これから先、インフレがきて、いい生活の度合いが下がるはずだ。 物価が3~4倍くらいになれば、政府の財政は破綻せずに、立ち直るだろう(ただし、国債の利率をコントロールしなくてはならない)。 しかし、インフレがこなければ、政府の財政は破綻し、その後に、インフレがくるだろう。 インフレが起こるということは、自国通貨の価値が下がるということだ。すると、インフレの度のより低い国の通貨に対して、円安になる。すると、さらに物価はあがる。すると、さらに円安にる・・・・・・ 地球環境の保全のためには、資源価格インフレが起こり、その消費が大きく下がることが必要だ。 それが起こっても、日本でインフレは起こる(不況も起こる。スタグフレーションになるかもしれない)。 それは、人類の生存のために、必須である(人類の生存のできる地球環境を守るために)。 よって、なんらかの力によって、それは起こるだろう。 (日本の産業にとっても、それは有利である。日本はその方面でも世界トップ の技術を有するからである) こう考えてくると、この先必ずインフレは起こるということになりそうです。 4~10(20)倍くらいのそれでしょうか。 加えて、不況になるかもしれません。日本人のさまざまな精神的借金が増えすぎていて、いい生活をする資格がなくなってきているからです(世界的にもそういう国が非常に多い)。同じ理由で、世界的大混乱・戦争が起こるかもしれません。 (私論・試論につき、無保証) (推敲してません) ) このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。 このブログの著作権はすべて春楽天にあります(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。 それらの無断利用を禁じます。 宇宙人がでました(?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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