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つぶやき130921ー2 (つづきです) 自由意志・意思について、前に少し記したので、もう少し詳しく述べてみよう。 この、自由意志・意思についての論は、(2)「心脳科学(仮説)」に基づいている(その原稿の中にも、それについて多くの記述がある)。 幼児やこどもの自由意志・意思は(一応そう呼ぼう)、本能(これについての考察はここでは省略)をも大きく含んでおり、ランダム性も多く、条件反射に近いといえる(それを自由イシと表現する向きや、そう定義することには、なんの反論もないが)。 まず、教育やしつけなどによって、社会的ルールや礼儀作法を守るよう、自由意志・意思は(初等のそれとはいえ)導かれる。それは、当然・必然の事態・事柄である。社会にはルールが必須であり、礼儀は相手と自分をさまざまな意味で守る(極言すれば自分を守る)のである。限度を越えた礼儀作法については、考慮の余地がある。 しかも、鍛錬された自由意志・意思(後述)が、どうしても必要だと判断したら、身につけたそれを破る事態も可能である(感情にまかせてそれを行うと、マイナスな結果になることが多いだろうが)。 (ここには、場合分けを行って、もっと精緻に記すべき内容があるのだが、省略する)。 社会的ルールや礼儀作法を身につけることによって自由意志・意思が否定される、という見解・立場も、ある意味理解できるが、それは低次元の「自由意志・意思についての論」の範疇にあり、それについては論議しない。 つぎに進もう。 自己教育・鍛錬によって、自由意志・意思は高度化していき、ついにはほんものの自由意志・意思に至る。 そう結論すると、「そこにも矛盾がある。まず、それを自己教育・鍛錬すると決断する、その決断が自由意志・意思によるものだとは思えない。ついで、自己教育・鍛錬された結果のそれは、プログラムされたそれであり、そこに、自由意志・意思はない」という反論が予想される。 それらへの回答である。 第一には、自分で、自由意志・意思を自己教育し鍛錬すると決断し行うというところに答えがある。当然ここでも、その決断は自由意志・意思によるものなのか、という設問は可能である。その決断に至る過程で、外部からさまざまな影響や圧力を受けるわけであるが、そこをどうとらえ解釈するか、という問題にそれはいきつく。 教育も受け、ある程度「心(自由意志・意思の発現するところ)」が発達した人が、そういった影響や圧力、そのほかの事実(と思うこと)、状況や条件などを勘案熟慮斟酌し判断した結果でた結論は、自由意志・意思によるものだと定義するのである(「心脳科学(仮説)」における「心(自由意志・意思の発現するところ」)は、そういう性質、能力をもつ)。 第二には、「心(自由意志・意思の発現するところ)」は、自由意志・意思をもつようにつくられているのである(「心脳科学(仮説)」による)。 しかも、それを自己教育し鍛錬すればするほど高度化していき、ついにはほんもののそれになる。そうつくられている。 さらにここでも、「つくられている」のだからそこからでてくるものは自由意志・意思ではない、という批判も可能である。しかし、つくられていても、その性質・能力がどう発現するかは、つくった存在にもわからない、それは、発達した自由意志・意思による、という次元にあるのである。 さて、そういった正攻法的レベルから離れ、あるいは、感性で決めたことも、自由意志・意思によるものと定義してよさそうである(これについては、また機会を改めて)。 いずれにせよ、自己教育・鍛錬によって、自由意志・意思は高度化していき、ついにはほんものの自由意志・意思に至るのである(特定の時点がくると、それは衰えていく可能性もあるが)。 それは、繰り返しになるが、「心脳科学(仮説)」からでてくる結論である。 ちなみに、普段の生活では、習慣的、慣性的な行為やしゃべり、が多い。思考も、学んだ多くのパターンからでてくることがほとんどである。そこでは、自由意志・意思のでる幕がないことが多いわけだ。そこには、自由意志・意思は必要ない。そもそも、そんなことまで自由意志・意思で進めていったら、身がもたない。 自由意志・意思という能力は、「それをほんとうに必要とするときだけ発揮する」、それが当然である(普段の習慣を変えたいと判断したら、それも可能である)。 自由意志・意思にかかわる以上の論が、心脳の現実を記述しているかどうかは、「心脳科学(仮説)」の検証結果が負う。 あのサイト、常識的な対応をしないからあんなことになるのだ。世間はもう見抜いている。ぼくは最大限好意的に対応している。いまからでも遅くはない。 ダイナミックな雲ぐも、 離れたつづき:ちなみに、「sky fall」を聴いたら、「魅せられて」を思い出した。 ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。 ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、 データはすべて記録してある、 「心脳科学(仮説)」は世界初: 「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。 原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。 そこで対策を立てた。 かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。 つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。 心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。 その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、 このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。 このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。 このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。 著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。 Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?) 心脳科学(仮説)が正しい(つまり現実どおりである)とすると、新しい研究分野がいくつもでてきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2013.09.21 20:09:40
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