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心脳科学(仮説)講義 前置き: さて、おかしなコメントに対しては敬遠というか反敬・遠します。 そういった反・敬遠の対象となるような方はこの講義は読まない方がいいでしょう。 この講義を受講したい方は、まずは、その内容を理解するように努めてください。 質問には原則としてお答えしません。 時間がないからです。 建設的なご意見のみを歓迎します。 なお、心脳科学(仮説)はまだ完成しているわけではありません。すっきりしていないところもあります。 それは、大枠的かつ概念的な仮説体系を構築し提示しているのです。 なお、心脳科学(仮説)から、新しい研究領域がいくつもでてきます(仮説が正しいとして)。 注)ここの趣旨、著作権法、国際条約、慣行、常識、倫理などからいって、 「ここの参加者の方々は、ここの趣旨に則って、このサイトに書かれたアイディアや内容の優先権を保護する立場にあります(参加者ならびに閲覧者の方々が)」 つまり、 「世界で初めてここに書かれたアイディアや内容が(心脳科学についていえば、7月7日’13以前に完成)、その引用元の表記なしに用いられているケースを見たら・確認したら、それを告発したり、その事実の確認を受けたら無断転載だと肯定する義務と責任があります(参加者ならびに閲覧者の方々が)」 これに同意できない方は読まない方がいいでしょう。 心脳科学(仮説)講義(002) さて、本理論は、次のような立場や観点などから推測によって構築され創りあげられた。 発明のやり方で、心・意識・脳を総合したモデルとシステム明細を推測する。 ことばをかえれば、表題どおり、 「心・意識・脳を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」 である。 それは、 心・意識・脳における現実・データなどから抽出した要素・要素の集積、心・意識・脳の現実に対応した概念、さらに、物理学、物理数学、(それらの結果としてでてくる自然工学)、などを活用して、心・意識・脳の現実の総体を推理し説明する、 ということでもある。 付記:単なる脳については、脳科学におけるさまざまな計測や実験データなどを当然そのまま活かし用いる。 すでにさまざまな、脳科学の、帰納的理論、データを説明する理論、などもでてきている。 そこには、心脳科学(仮説)は当然介入できない。 しかし、本仮説体系から推測・予想される、脳科学領域での仮定的内容がでてくれば、それは当然仮説として主張する。 そこでは、以上に適った、心、意識、そのほかについての定義をなす。 したがって、本理論における、心、意識、などの定義は、普通に用いられているそれらとは異なるところがある。 それら、さまざまな観点からの推測による定義たちがないと、心・意識・脳を総合したモデルとシステム明細などを推測することは不可能である。 もちろん、心、意識、など、普通の用法をできるだけ活かして、「心」、「意識」、という定義をもつ用語とした。それは当然のことである。 さて、重複する内容もあるが、その仮説体系は、次のような結果をももたらさなくてはならない。 上記以外のいくつもの、心・意識・脳における現実とそれについてのデータなど、の説明がつくこと。 リベットの実験事実などの説明がつくこと。 できれば、生物の誕生や進化または生物創造、生物学、などに貢献できること。 できうれば、そこから科学的哲学が構築できること。 できれば、心・意識・脳におけるすべての現実、人間社会のすべて、世界や自然界の多くのことごと、についての説明がそこからつくこと。 などなど。 (つづく) 心脳科学(仮説)講義(001) さて、心脳科学(仮説)講義を始めたいと思います。 心脳科学(仮説)は、このサイトの目標とする理論だと私は思っています。 もちろん、要検証ですが。 それ・心脳科学(仮説)は、正式タイトルを「心・意識・脳を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」といい、 それは、世界初で唯一無二の論であり、 その仮説体系にかかわる文献は皆無です。 「その仮説体系にかかわる文献」は皆無ですが、私がここに至るまでに学んだ書物類・人物・その他は非常に多くあり、その分野は多岐に渡っています。 ちなみに、ここに至るまでに、40年前後の研究歴があるわけです。 しかも、百年前だったら、ここに至ることはできなかった。 で、講義を始める前に、このサイトの趣旨を再確認します。 「再掲: 茂木さんのクオリア・マニフェストに「7、アジテーション」、という項目があります。 つまり、クオリアMLはストレス解消の場なんかではなくて、研究の場でありクオリア問題を研究する人たちが集うところ、ということははっきりしてますな。クオリア・マニフェストから、ぼくはここにたどり着いたわけだから。 ぼくも、クオリア・マニフェスト「7、アジテーション」、に触発され煽られて参加したわけです。 以下引用: 「7、アジテーション The Qualia Manifesto 革命が近い。単なる科学革命ではなく、人間存在の拠って立つ基盤自体が変化し、私たちと世界の関係自体が変化するような革命の足音が聞こえはじめている。 人間とは何か、人間はどこから来てどこへ行くのか? このような究極の問いに答えるための鍵となるステップが今や見えてきている。 人間とは何かという問いに答える鍵は、私たちの心の中のクオリア、及びそれを支える主観性の構造の物質的基礎を明らかにすることである。 クオリアや主観性の起源を明らかにすること以上に重要な知的チャレンジは存在しない。 私たちがクオリアや主観性の起源を理解した時、その認識が私たちの人間観、世界観をどのように変えるかはわからない。来るべき認識革命の後で私たちの迎える状況がどのようなものになるにしろ、その可能性が今や開かれていること、そして、認識革命に至る道筋は論理的な議論とち密な思考と知的な勇気によって開かれうることを再確認しておこう。 クオリアの問題の解明には、論理的厳密性、開かれた感性、そして、今までにない思考のプロセスに踏み出す、知的勇気が必要である。 クオリアの問題の解明は、一個人では不可能である。自然科学者、数学者、芸術家、宗教家、心理学者、社会学者、全ての分野の優れた知性が共同し、総合的文化運動を起こさなければ、クオリアという人間の存在にとって核心的な概念の解明は可能にならない。 今や、勇気あるステップを踏み出す時機が熟している。 知的に誠実であり勇気を持つ者達よ、「クオリア」の解明のために団結せよ! 」 :以上、引用 」 そこから、こういうことがいえると私は考えます。 さらにその前に言いますが、まあ、こういうことを書くと、嫌われることはわかっているし、ほんとは書きたくないのですが、書かないと誰も認識してくれないし (ほんとにそうだ。私がここで、強烈なことを記すことがあるのも、そういったことがあったからです。こう長く書くとまた不認識の原因になるけれども)、 あとになって法律的手段をとることになるのも避けたいので、強調するしかないでしょう。 実際、ここで、こう強調せざるをえないこと・ありえないことが起こったこともあるわけです。 前に戻って、「こういうことがいえる」「その強調」というのはこうです。 「ここの参加者の方々は、ここの趣旨に則って、このサイトに書かれたアイディアや内容の優先権を保護する立場にある(参加者ならびに閲覧者の方々が)」 つまり、 「世界で初めてここに書かれたアイディアや内容が、その引用元の表記なしに用いられているケースを見たら・確認したら、それを告発したり、その確認を受けたら無断転載だと肯定する責任と義務がある(参加者ならびに閲覧者の方々が)」 ということです。 ごちゃごちゃとした記述になったので、その要点を再掲すると、こうなります。 ここの趣旨、著作権法、国際条約、慣行、常識、などからいって、 「ここの参加者の方々は、ここの趣旨に則って、このサイトに書かれたアイディアや内容の優先権を保護する立場にあります(参加者ならびに閲覧者の方々が)」 つまり、 「世界で初めてここに書かれたアイディアや内容が(心脳科学についていえば、7月7日’13以前に完成)、その引用元の表記なしに用いられているケースを見たら・確認したら、それを告発したり、その事実の確認を受けたら無断転載だと肯定する義務と責任があります(参加者ならびに閲覧者の方々が)」 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.26 20:17:40
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