以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっています。
昔むかし、考えたことだが:
「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」
「よって、そういう存在がいるようにこのこの世界・大宇宙はできているはずだ(映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある)」
(ここまでは哲学であり、ぼくはそれが好きだ)
「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るしこの先も居つづけるだろう(途切れることはあっても―一応これも記)」「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から未来まで存在」(これは事実だ)(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)
「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)
「そこでは、質の対生成、『質のもつれからまり融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)
「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、ぼくはそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」
以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。
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Last updated
2014.10.06 11:48:15
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