前回の分(「意識とクオリアの外側」)にさらに加筆があります。
つぶやきから:
心脳科学(仮説)から、さらに大胆な仮説としての、この世界の記述もでてくる。
それは、超弦理論による、この世界の記述、と一致しそうである(超弦理論をそういうふうに構築できそうである)。
(私は、超弦理論を、私の研究に必要な程度学んだ)
そこで、超弦理論を万物の理論とするためには、それを心脳科学(仮説)に適用できるように構築すべきである、ということになるだろう(人間や心脳などのことまで記述できないのなら、万物の理論とはいえない)。
それらは、超弦理論の構築に制限をもたらす。そのことは、超弦理論がこの世界・大宇宙・森羅万象を、現実どおりに記述する担保・保証になると考えられる(超弦理論は数学に多くを頼っており、多様性が高いので、構築にあたって迷う要素sがある。そこにおいて、迷うことなく超弦理論を構築できる)。
↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでほしい)
こういうことを考え記述するのも、心脳である。そこらのところも解説・・・(以下略)・・・
↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでほしい)
こういうことを考えるのは、心脳である。心脳科学(仮説)で、そこらのところも解説できる。
↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでほしい)
以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっています。
つぶやきから:
1:昔むかし、考えたことだが(精密に注釈や対論などもつけたいところだが、ここではそれを省略):
2:「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」
3:「よって、そういう存在がいるようにこの世界・大宇宙はできているはずだ(映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある)」
4:(ここまでは哲学であり、ぼくはそれが好きだ)
5:「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るしこの先も居つづけるだろう(途切れることはあっても―一応これも記)」「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から未来まで存在」(これは事実だ)(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)
6:「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)
7:「そこでは、質の対生成、『質のもつれからまり融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)
8:「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、ぼくはそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」
9:以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。
前回の分に加筆があったので、載せます。
つぶやきより:
有加筆:この文は、少し変なんだが、こう書くと要点がわかる:推測による「脳における情報構造」からいって(言って、行って)、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。(推測による「脳における情報構造」は、心脳科学なる仮説体系の中にはいっている)
つづき:推測による「脳における情報構造」が非常に重要なので、そういう表現になった(実際は、心・意識・脳における情報構造だが)。。仮説体系の仮説は複数である・仮説たちの体系。
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Last updated
2014.10.08 10:00:23
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