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筆者がネット上に書いてゐる(載せてゐる)記事sの多くは、主要な言語sにおいては、翻訳されておるようじゃす。
その翻訳は大変そうじゃす――さらに加筆形式になると翻訳も読むことも大変じゃろうす――しかるにできるだけ早くアップロードした方がよいでせふと筆者は考へておるのじゃす――。 特定の専用ソフトを用いれば、そこらの困難は大きく減じられることは周知じゃろうす。 で、一応仕上げたら(とゐってもさらに加筆していくじゃろうすが)告知しませふ(これは過去にも書きもうした)。 (――筆者が書いている記事sは、書きなぐりのようなものであって、どれもが不完全であり、これからも加筆と訂正をつづけていきもうす ―― ――それと・・・学校で学んだ内容以外については、本スレッドの論などを研究するのに必要な程度(かそれ以上)の習得しかしていないのじゃす。なにもかも知っているなどということは全くありもうさん)。 ・・・筆者の研究とウェブへのアップロードも極めて大変じゃす。 しかるに、筆者は苦しひながら、やり甲斐・生き甲斐を感ずるのでさういふことを続けておるのじゃす(――本スレッドなどの記述量は膨大なので、読み返すことも大変であり、重複や間違い、いいかげんなところ、加筆修正すべき個所sも多いでせふが、そこらについてはご了解あれかし――)。 ・・・ともあれ、筆者が英訳せずとも済み、ありがたひことじゃす。よき時代になりもうした。 それ らをぜひ有効・有意義に活用してくだされ。 ・・・過去に、心脳科学(仮説)の概要を、英訳していたのだが、主要な言語sにおいて、翻訳されていた・いるとなれば(ありがたいことに「ブロックチェーン的になる」)、翻訳の必要がなくなったので、その英訳を途中までで打ちきっているのじゃすた・・・ 本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せておりもうす。 本スレにある設問シリーズは千差万別じゃす。 「運命のノートシリーズ」も書いてありもうす。 「チャプター加筆形式」の記事シリーズでは、これがチャプター#3じゃす。 「チャプター加筆形式」の記事 シリーズとしては、#1~#2~#3のほかにも、膨大な文章を書いている(3月25日・今加筆中の#3は、#882である) 筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので――人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて――すべての人間が、なんにおいてもそうじゃす――、メモのような書きつけをも載せておきもうそう。 ☆ 毎日あちこちに加筆しているのじゃすが・・・ さて、今回は・・・ 1月13日の分が膨大じゃったので、読んでいる・翻訳している方々が消化不良を起こさなひように、少し載せることにしませふ・・・といっても大量に載せることもありもうすが・・・ ☆ グチを一言・・・ 読み返さず新しい内容を書くことはかなり気楽にいけるんだが、本文を読み返して加筆やら推敲をなすことは、意欲と調子がでてノリノリの状態にならないときわめてむずかしいケースがかなり多い。 筆者の得意技の寝ぼけたような心脳の状態では、そういったことは大変だ。そういうばあいはうんざりすることもけっこう多い。自分で好きでやっているにもかかわらず「これを読み返して手を入れるのか。いったいなんの罰ゲームだ! 」といったところである(笑)。 ・・・つひでに・・・ 筆者は、ウェブ上に載せる文章も、だいたい一発殴り書き、がほとんどで、読み返して加筆訂正することはまずはないままに、載せている、という実態にありもうす。 加筆訂正推敲はそのうちやろう、ということなんじゃらす。 それでなければ、筆者の身体も頭も、もたない、といったところなので、ご了承あれ。 何も書かないよりはマシだと思し召しあれかし。 (・・・ここでコフィーカフェブレイクを・・・ ――「オボシメシ」とは、新種のウメボシと白ご飯を併せた、ウメボシおにぎり(おむすび・地域によっては)のことではないのじゃらすが、そうオボシメシしてウメボシおにぎりを食べるのも一興でせふ――; ・・・ついでに・・・ 「おにぎり」、というのは、手でおにぎりを作る様子からの具体的なネーミングで、 「おむすび」というのは、ご飯粒をくっつけてひとまとめにする(結ぶ)、といった感じで、ちょっと 抽象的なネーミングになっている、と思う。 「おむすび」も、手でそうやってご飯粒をくっつけて「ひとまとめにしている様子」からきている、と解すれば、「おにぎり」と似てくるが――) ☆☆☆ 加筆用(どこかに挿入《挿入マークは♂・JK・・・この記号を作った人物はたいしたもんだ・笑・採用した人物も同じく・笑》): 以下、これはもやもやとしてすっきしないんだが・・・以下、これは心脳や知性体、情報物質などとも関係があるし、そのほか「心脳科学(仮説)」の中で必然的に論じている内容とも関連がある・・・ それに、以下の内容に関する考察は既にかなり、ほかのところで書いてきているの で、以下これをそこに挿入♂するつもりなんだが、探しだして、適切なところに嵌め込む♂のがめんどうなので一応ここに記しておこう・・・(――硬い研究内容に挑戦しているときは、ときどきこうやってふざけると、ふにゃけると、内分泌も活発になり心身もリフレッシュされ効果的である――)・・・ 夥しくも著しくはなはだしい永~い長~い年月を経て、生物が生まれ、その生体のシステムや生殖体系もでき上がってきた、と仮定して・・・(この設定の中には、いくつか分岐させるべき内容がはいっているんだが、その分岐は以下の中にでてくる――こう表現しないと、長々しい上にごちゃごちゃとなりすぎる――)・・・ 人間が誕生したとき、それ以前の生殖体系を人間が引 き継ぐには・・・ 1・その引継ぎが、遺伝子の系によってなされるとすると、まずは、それ「生物と生殖の体系の形成」は進化によってなされたと推測できるだろう。 もちろん、そこになんらかの知性的な存在が関わってきていた可能性もあるが、突然変異と(自然)淘汰による進化が主体になりそうだ――と感じる――(こういう論をフニャ論という・正しいのか正しくないのか検証する決め手がない・・・頭の中にもやもやとした観念・イメージがあって、それを表現しようとしているところである)――。 2・一方、その引継ぎが遺伝子の系によってではなく、なんらかの知性によってなされたとすると(――このばあい、「引き継ぎ」とは言えないだろうが、人間は生物の歴史に おいては、今までの認識によると、「最後者(さいこうしゃ)」であるし、「遺伝子の系や生物における生体のシステム」の基本は、それ以前の生物のそれらと同じなので、「引き継ぎ」と記しておこう――)、それは、「創造」に近い範疇に入りそうだ。 もちろん、それ以前の生物のもつ、「遺伝子の系や生物における生体のシステム」を用いた中でのことであるだろうが。 ――(こういう論をフニャ論という・正しいのか正しくないのか検証する決め手がない・・・頭の中にもやもやとした観念・イメージがあって、それを表現しようとしているところである)――。 で、これは主に後者「2・」についての言及であるが・・・もちろん前者「1・」についても小さいながら言及して いることにもなるが・・・なんらかの知性が関わってきたのなら、「知性淘汰(人為淘汰もそこに属する)」が最も用いられてきただろう。もちろん、自然淘汰も生じてきていた(いる)だろうが。 大宇宙において、まったくの一番最初の最初に誕生した生物(や人間。――ここに「人間」を入れた理由を説明するのは長々しくなりすぎる・・・既に論じて記している――)についていえば、以上とは、話しが変わってくるだろう。 その、一番最初の生物の誕生、それは、偶然によってか(「突然合成の系、突然変異と淘汰による進化(or 退化)」など)、それともなんらかの知性が関与してのことか、あるいはその両者がからみあってのことか。 そのときに存在した「なんらかの知性」はい つどこで生まれたのか、あるいはどこから来たのか。 そういった謎と設問がでてくる。 ――以上、それらについても既に論じている――。 ・・・・・・注:「突然合成の系」とは・・・一番初めの最初の初めの最初の(以下、この表現が永遠につづくかもしれないが)、「生物」と「なんらかの知性」、は、それらのなんらかの素子・要素sのようななにかが「突然、合成~生成され」その「突然合成」がつづいていって、最初の「なんらかの生物」や最初の「なんらかの知性」に仕上がった、と考えるしかない、という立場に立っての、「概念実態」である。 その「なんらかの知性」には、タイプがいくつかあるのでややこしい――すでに論じて記している――。 さらに・・・ 「突然合成は偶然になされる」、と一応表現したくなる。 で、ここで、「偶然」とはなにか? という課題と設問がでてくる(すでにほかのところでいくらか論じているが)。 1・完全なランダムつまりデタラメ デタラメ・・・たぶん、サイコロを振ってその目がでる実態からきているのだろう ランダム・・・手当たり次第・無作為(by辞書) で、ランダム・デタラメの本質的実態とはなにか? 2・「完全な」ランダム・デタラメの中になんらかの秩序が存在する可能性 (既述している) (ここでの「完全な」とはどういう意味実態にあるのか? ) 3・ランダム・デタラメといえども、なんらかの知性が関与している可能性 が、 あるケース、 ないケース、 があるだろう なんらかの知性が関与しているケースにおいては・・・このチャプターの上述の内容とフィードバックというか干渉を起こす・・・つまり、さらに複雑な記述をしなくてはすまなくなる ・・・ややこしい・・・ めんどうが臭い・・・鼻がおかしくなる・・・ (研究中) (加筆) :以上、注・・・・・・ 以上、ここでも「突然合成の系、突然変異と淘汰による進化(or 退化)」となんらかの知性による「創造(論)」、それと生物の一番初めの初めはどうだったのか)、さらに、なんらかの知性の誕生、などについての論sがぶつかり合っている。 ――以上、それらについても既に多く論じているが、「人間が誕生したとき、その生殖体系を人間が引き継ぐには・・・」という着眼は初めてだったと思うので、ここにこうやって記しておこう――。 (――いやはや、読み返してみて、以下をほんとに削除したくなった・・・あまりに下品だしふにゃふにゃふにゃけすぎている――心残りだが、結局600文字超ぐらいを削除した――) ・・・・・・以上、「フニャ論」のオンパレードである・・・・・・ふにゃふにゃ・・・・・・ここで滑稽に脱線して・・・さらにふにゃふにゃでヘンテコリンな世界に突入しよう・・・・・・混沌とはフニャフニャであり、そこからなにかが生まれる・・・のかもしれない・・ ・(――くわえて・混沌にもなんらかの秩序が潜んでいるのかもしれない――)・・・そこから進んで・・・以下書いたものの、下品な幻想超短編みたいになったので、残念だが600文字超ぐらいを削除した・・・・・・ (加筆) (下略) (上略) で、空間次元についても、時間次元について述べた内容と同じようなことがそれら両者「心脳科学(仮説)と超弦理論」において言える。 ただ、そのばあい、「周波数~周期にかかわる時間的要素成分――潜在した」に対応する「空間的成分――潜在した」は、今のところ見いだせていない――時間における周波数~周期のようには――(・・・研究中)。 ・・・ただ し、「意識において空間が意識し味わわれる――それ以外に空間の存在は意識されない・わからない(既述)」のであるという立場にたてば、「空間的成分――潜在した」は存在するはずであるし、存在しなくてはならない、と言える。 それは、心脳科学においては、情報スペクトル要素の中にある。 さて、それらの問題もこれで一応解決、ということにしておこう(この先追究するつもりではあるが)。 (・・・「次元」に複数の「s」を付けるかどうかで迷ってここまできた。付けたり付けなかったりした。基本的に、超弦理論に関する「次元」にはsをつけたくなる個所があったが付けないこともあった――前後との関係で単数と複数の区別をするとおかしなことにな るケースが多い――。 しかし、付けても付けなくても意味はわかる。・・・かなりめんどうな思いをしたが、意味はわかるからいいだろう・・・ ・・・いくらか前に、単数複数問題について、より詳しく書いたことがある・・・その中のひとつとして・・・既に書いたが、複数形にするにあたって、「たち」や「ら」では、しっくりこないので、恥ずかしながら「s」を用いている・・・いいところは取り入れる・・・《それがこのくにのかたち・・・という誰かの表現の引用を載せて・・・その延長に世界の○○がある・・・人類は世界はあと・・・》・・・)・・・・・・ ・・・ということで、まだ検討の余地はあるが、それらの検討を一応終えよう・・・ こ こでの結論として・・・ ☆「心脳における「静止したひとコマ分の視聴覚情報」のもつそれら6段階の複雑な重層構造数6を、超弦理論での巻き上げられた微細な空間6次元の6に対応させていい。たぶん、それらは同じ世界・次元だろう」☆ ・・・またさらにわくわくしてきた・・・ ・・・ではここでコフィーブレイクを・・・ ・・・さらに飲み物ドリンクのみのみ気分転換ひとときを・・・ふたときを・・・ さて、次元についてもう少し考察してみよう・・・ 以上用いてきた「次元」は、「最も大きな内容・最も多くの内容を抱えることのできる次元」ということにもなるだろう・・・数学や物理学的な次元から離れて、という か、現実における次元とは何なのかという研究を先に行ったので、そのさらなる追究という意味での次元について言って・・・単なる単位や座標については既に述べたし既知である・・・ で、その下(もと)というかその中に、その次元の下位(より具体的な)レベルにあるいくつもの「任意の対象のもつ、より具体的な要素成分~要素成分sを、振り分けて入れることのできる分類範疇sといえる項目s・綱目sがあるだろう・・・ちょうど、生物の分類において、「界、門、綱、目、科、属、種」といった下位(より具体的なレベルの)分類――「界」から下に向かう分類――があるように。 (・・・ここで、言葉のクオリア研究・・・ここでの(上やら)下という言葉は優劣を示す のではなく、直前に「次元」について述べた意味における内容をもつ。上と下を逆に用いて、そう定義する、と宣言してもいいんだが、既存のやり方の方がしっくりくる。「下位=より具体的な位置づけ」、といったふうに記したとおりである・・・そこからズレて・・・質時間回帰則から言うと、普通の意味での上と下はそのうちひっくり返る・・・)。 さて少し戻って・・・心脳科学(仮説)と超弦理論において、そういう下位レベル――より具体的なレベル――の項目s・綱目sがそれぞれの次元・・・ここでは先に検討した6っつの次元sの次元・・・に、「任意の対象のもつ、より具体的な要素成分~要素成分sの情報~情報s」が納まるのだろう。 以上で、先に検討したものの、 いくらかの「検討不足」「検討不足という不満」が残存していたそれら問題を解消したことにしよう・・・一応・・・。 さて、さらなる追究結果――まだ追究の途上にあるが――を記そう・・・ 過去に何度か「心器と意識器は、超弦理論で記述できるはずである。また、記述できるように超弦理論を構築すべきである」といったようなことを筆者は書いている(・・・ここで言語のクオリア研究・・・「過去に~書いている」の構造であるが、「書いて」は過去形の連用形で、「いる」は「そういう事実を筆者は今もっている・そういう事実が今ある」という意味になるだろう。――「書いている」は現在進行形の形でもあるので(そのばあい普通、「今、書いている」と表現する)、「 書いてある」「書いたことがある」の方が誤解が少なさそうであるが――・・・ついでに・・・「いる」は基本的に動く生物において用いる。「ある」は基本的に動かない物などにおいて用いる。例外的に「車がいる」などとも使うが。車は動くし、それを動かしているのは人間だからそういった用法も生まれたのだろう。で、「いる」も「ある」も、「存在する、有する」といった意味をもつ――)。 カッコからでて・・・で、超弦理論には、「Dブレイン(・・・音のクオリア研究・・・普通にはブレーンという・・・「ブレイン」の方が原語に近い→「ブレィン」が原語により近い←これは打ち込むのがめんどうだ・・・用例登録すればいい←それもめんどくさい・・・研究以外のことに時間 を割きすぎ頭を使いすぎると、研究の方が手薄になるどころか頭が研究用ではなくなっていく・・・ただし、研究でなくてもやりたいことはやった方がいい)」という概念がある。それは繊維素が集まって織られた織物のように、弦が集合してできる物体である――それはポルチンスキー等により見いだされた。 (途中にいろいろ差し挟むから読みにくい。筆者の文章にはそういうところがけっこうある。注などとしてあとの方に書けばいいのだが、そうすると書く内容を忘れてしまったりするので、そうなる。もっとも、あとで手を入れて読みやすくすることはある) (・・・ここで脱線して音のクオリア研究・・・ポルチンスキーとは日本語で茶化して遊べる愉快な名前である・オモティ ローイ・・・で、たしかロシア語での「ti?・ローマ字表記」、はティではなく日本語のチに近いということだったと思う。 ・・・ついでに・・・ルーマニアの首都ブカレスト(英語的読み)について、小学校では、ブクレシュチと習ったが、それはルーマニア語での発音で、ローマ字表記でチはti、それをチと発音する。ブクレシュチを元気に勢いよく発音すれば原語と同じ発音になる。・・・ちなみに・・・diを日本語のようにジ、tiを日本語のようにチ、と発音するヨーロッパ語系の言語は複数あるようだ。英語でも、to、twoを、ツーと発音するケースもけっこうあるようだ(もともとは「トゥー」だったのだろうと思うが・・・。・・・日本語はそういったところでは、エネルギー節約的で楽チンな発音に なっている・・・。 ・・・さて、ポルチンスキーのように茶化して遊べる名前についてだが、世界にはそういう名前がかなりある・・・日本語以外でもそうだろう。 ・・・で、既にほかのところで述べたが、言語において音声が本質的な質・心的内容をもっているという事実が目立たないケースと目立つケースがある、という実態もあるということも以上からわかる。 目立たないケースの方が多いだろう。 本質的ではあるがもちろん、それぞれの言語において経験的・習慣的・社会的に言語における音声が修飾されるという要素もある・・・以上、言葉のクオリア研究の一端・ヒトハシ・・・)。 いくらか前に戻って・・・条件によっていくつもの種類の「Dブレイン」が存 在しうる。なので、その「Dブレイン」で、「心器」と「意識器」を構成構築できそうである・・・。・・・ここにも検討課題あり・・・。 ・・・ここでもわくわくしてくる・・・ ・・・それではここでもコーヒーブレイクタイムを・・・ごくごく・・・ ・・・もういっぱつ、感心な酵母君たちの食い散らかし飲み物をごくごく・・・ ・・・さらに、・・・これは書こうか書くまいか悩み迷うところだが、「ハイパー超絶抱腹絶倒内容、ハイハイパーパークルクル超絶不審トンデモ内容であるが」、と前書きして記しておこう・・・ それは、「Dブレイン」で、岡留徒系の内容が説明できるだろう、ということである――場の量子論ででも同じく可能 だろう――。・・・岡留徒というと聞こえがわるいので言い直そう・・・ さまざまな宗教sの経典sや伝承sにある超自然で不思議な現象sも、「Dブレイン」で説明がつくだろう、と。それに、心脳科学(仮説)を加えてのことだが。 もちろん、スピリチュアル系の内容についても同じことがいえる。 いわゆる○○とか、○○○とか、○○○○とか、・・・・・・などなど、それらが、「Dブレイン」と心脳科学(仮説)で説明がつきそうだ、ということになる。 ・・・以上、それについて詳しく書けるんだが(――前に慎重ながら異なる角度からいくらか書いている――)、それをやると、アホバカ度指数が喜劇的に高まること必定なので、人目と人耳をはばかりこれくらいでやめて おこう・・・とはいえ、こういう話題がいちばん美味しく楽しいではないか・・・かたぐるしいのだけやってはいられない・・・かたぐるしいのだけやっていくとゴチゴチに固まった干物になってしまう・・・まあ、干物も有用ではあるが干物にはなりたくない・・・いつまでも「みずみずしい状態」を維持したいものである・・・「みずみずしい」から発想してついでに・・・ここはミズホの国であるが、今や「見ずホ」ではなく「見るホ」の国に成り下がってしまった・・・ああ、ああ、ああ、ああ・・・嘆いてもどうしようもないが・・・それが人類世界全体・地球全体に広がっているわけだが・・・この先人類と世界は・・・しかしどこをどうとって見てもそれも質時間回帰なんだが・・・・・・ ・・ ・少し前に遡って・・・直近上のことではなく・・・直近上は悲惨なのでそのことから離れて前に戻って・・・ここでもわくわくしてくる・・・アホバカ度指数がもの凄く高まる・・・指数計の針が振り切れるんじゃないかw・・・ ・・・ここも、はっきり書くのが憚られるので、ぼかして書いている。そういう書き方を筆者はある程度やってきている・・・ たくさん加筆したのでまたまた遡って・・・ ・・・とはいえ、物理学の歴史においてですら、そういうケースs――トンデモだといわれたケースs――を乗り越えてきている・・・乗り越えてというよりそういうケースsをモノにして進んできている・・・たとえば、電場にしろ磁場にしろ目に見えず不思議な性質をもっており、 そこからまとめ上げられたマクスウェルの方程式からでてくるというか予言された電磁波――宇宙空間をも飛んでいく(光子・量子)というか伝播していく(場の励起が伝わっていく)というか、そういう電磁波――なども、当時は丘瑠徒オカルトのようだと思われたのではないか――初めはまじめには採り上げられなかったようだ――。 さらに、一般相対性理論も、量子力学における波動関数関係の解釈やそこに至る過程も同じようなものだったのではないか・・・。 場の量子論も、超弦理論もかなりそう感じられるところがある・・・。 しかも、場の量子論が支持されているのならなんでもありだ――不思議なさまざまなことの説明がつく――、という感想や推測まででてくる。 ・・・「 物理学」の歴史と現在においてですら、「そう」――つまり「なんでもあり」――なのである・・・。 ・・・で、現代物理学では、新しい研究対象がでてくると、それにふさわしい「場」を設定仮定する(――そういう研究対象のばあい――)。 心脳科学(仮説)における、「心器・心器なるフィールド」、「意識器・意識器なるフィールド」もその中にあるわけであって、当然の設定仮定なのである(――初めのころは、それらを持ちだすのに慎重だった。いろいろ工夫して書いたものだった。丘瑠徒オカルトだと思われたら困る、と――・・・)。・・・ ・・・ここで、上記「場の量子論が支持されているのならなんでもありだ、という感想まででてくる(略記)」という個所 に着目しよう・・・ 場の量子論には素粒子論も電磁場の理論も入っていると見做すことができるだろうし、それに限らず、一般相対論も場の理論――幾何学的な――であるし、今や物理学の流れは場の理論にあるわけである。超弦理論も場の理論を取り入れる方向へと向かっていくのだろう? で、場の理論では、さまざまな対象について、それぞれの場を仮定・設定するわけである。 となると、繰り返しになるが・・・ここは非常に重要なので・・・心脳科学(仮説)における、心器(心器という場《フィールド》)、意識器(意識器という場《フィールド》)、が存在してもおかしくない、というか、それら「場(フィールド)」がないと心脳の説明がつかない、という結論に至っても不自然で はないといえる。 ・・・既に軽く述べたが・・・、心脳科学(仮説)原稿の本体においては、初めのうちはそこを遠慮して書いたのだが――「トンデモだ、オカルトだ、既知害だ(既知は害をもっていることも多い)」といわれないように――、もはや遠慮することはやめよう・・・。 だいたい、現在の物理学を昔の物理学者さんたちが見たら、「トンデモだ、オカルトだ、既知害だ(既知は害をもっていることも多い)」というに決まっている。 科学といっても、そんなもんである。 さらに記すべきは・・・ まず、量子情報と人間にとっての情報の系について考察したセクションで述べた内容を見ていただきたい。 再掲すると・・・ 「・・・参考・・・こ こで、気づくことがある・・・人がラジオを聴くとすると・・・生中継として(録音放送でも同じである)・・・放送に参加する人たちの脳s~心器s(と意識器s)~発声(s)~放送局などのマイク~放送関連機器内部~送信器内部~アンテナ~空中~受信機のアンテナ~同調コイル~受信機内部~スピーカー・音声~空中~聴く人の耳・蝸牛管(カタツムリ管と呼ぶと親しみが湧く。片目をツムってウインクする片《目》ツムリちゃんw)~神経(と呼ぼう)~脳~心器~意識器、という系を辿ることになる。そこでは、情報スペクトルの系(デジタルとみなせる・切れ切れ・離散的。対象情報を基本的な要素成分に分解して扱う)と経時変化波動モード情報の系(なめらかな意識内容が発現する)が交互に生 じている。そしてそこでは、フーリエ逆変換的変換とフーリエ変換的変換が交互に生じている。・・・ここの後者4項目は、最初の「放送に参加する人たちの脳~心器」がスペクトル系の情報処理をなしているので、そこを起点として並べた。 ・・・そういうふうに、心脳科学(仮説)で、かなり前に記しているように、この大自然界における2大情報形態情報(s)とその変換(s)が、そこに見て取れる。 ・・・以上、参考:」 そういう実態は、何かを見ることにおいても同じくそうであり、人間のそのほかの感覚器官による情報の系についても同じくそう記述される。 つまり・・・ 「情報スペクトルの系(――デジタルとみなせる・切れ切れ・離散的。対象情報を基本的な要 素成分sに分解して扱う――)と経時変化波動モード情報の系(――なめらかな意識内容が発現する――)」 という「大自然界における2大情報形態」と、「それらの相互変換」であるところの「フーリエ逆変換的変換とフーリエ変換的変換」、という「概念~観方(みかた)~考え方」は、「現実を正しく把握している」だろう、ということになる。 よって、「心器」では「情報スペクトルの系を扱い」、「それが変換され」、「意識器」では「経時変化波動モード情報の系のエネルギー実体・実態が発現する」、という推測も「現実を正しく反映している」、ということになるだろう。 さて、さらには、・・・既に軽く触れたように・・・宗教などで伝承されている超自然的で不思議な実 態sや奇跡sも、そこから説明がつくだろう、というところにまで至る。種も仕掛けもないマジックも同じくそうだ。 ・・・そういった領域は筆者にとって、跳び抜けて飛び抜けておもしろいんだが――そういう方も多いことでしょう――以上、控えめに書いておこう・・・。 ・・・人間と大自然の可能性は、まだまだ未発見・未開拓な領域が広く広がっているといわざるをえない――ただし、現実にはそれら可能性sは実際に発現しているのだが――・・・。 (つづく)(加筆) ・・・それではドリンクブレイクのひとときを・・・ゴクゴク・・・ふたときを・・・ ・・・以上に関連して、科学的研究の大本となる根本を広く深く掘 り下げて、物理学と数学の関係を見てみよう。 ・・・その前に・・・以下それらも、もちろん、筆者の独自研究の結果内容である・・・以下の内容を読んだことや聞いたことは一度もない・皆無である・・・ 筆者がネット上に書いてきたエントリー・記事には、いちいちそういうことは記していないが、「常識的・慣用的な内容・既知の知見になっている内容(それらについては断る必要はない)」以外は、筆者独自の研究内容である・・・筆者は人のマネをするのが、超苦手なゴキブリよりも徹底的に嫌いであり、ましてやパクったものを自分のものとして書くなどもってのほかであって、そんなことをすると筆者のアホでメンドクサイ自尊心が超大反乱を起こしてしまうだろう・・・ということ で、筆者の書くものは、すべてオリジナル、筆者独自の研究内容である (一度、こういうことはあった。それは「マトリックス」という映画については何も知らない時だったが、おぼろげながらそういうタイトルの映画でコンピュータが関係しているのがあるのは知っていた頃に、「この世界・大宇宙がすべてコンピュータとそのプログラムの世界だとしたら、うんぬん」というコラムを書きながら、ひょっとしたら、映画「マトリックス」とこの内容はニアミスしているんじゃないだろうか、と思ったことがあった。しかしそこはまだ確認していない。そういうことはあった)。 ・・・ただし、筆者の研究結果(s)の中には間違った内容(s)や、研究対象(s)についての本質(s)をはずした研究 結果(s)も当然あるだろう・・・ さて、物理学では(も)、数学を有意味・有意義・有効に用いる。 まず、そこにおいてなぜ、自然の一領域を記述する物理学に数学を適用して用いることができるのか(――適用できるのはかなり狭く浅い領域である――)、というと、過去に記したように、以下のもとというか中にあることから、そういう適用が成立するといえる・・・ 「宇宙・世界の現実における一領域という舞台と、物理学におけるその領域を抽象化した舞台、それらの舞台設定が対応していること(いくらかのズレはでてくる)」、 そして、 「そういう設定の舞台の上というか中において、目的とする対象をモデル化したモデル――空想的・抽象的・観念的・概念 的なモデル(ここで集合名詞として用いた単数形の『モデル』を可算名詞として複数とするが・・・それらモデルsの中には実際に物質的にモデル(s)をつくることのできる対象(s)もある)――が、それと同じ対象とみなすところの『現実の一部』における実体・実態に対応していること(いくらかのズレはでてくる)」、 さらに、 「それら両者の舞台(s)と、その現実の実体・実態とそのモデルにおいて存在する『法則性・規則性・関係性』―― 『位置の違いによってでてくる違いあるいは同一性におけるそれ』、 『時刻の違いによってでてくる違いあるいは同一性におけるそれ』、 『角度の違いによってでてくる違いあるいは同一性におけるそれ』、 『次元の違いによ ってでてくる違いあるいは同一性におけるそれ』、 『なにかの違いによってでてくる違いあるいは同一性におけるそれ』、 『その他におけるそれ』、 が両者で一致~対応していること(いくらかのズレはでてくる)」。 ・・・それら「ズレ」についての研究も必要だろう・・・たとえば、ほんの少しのズレでも、時間がたてば、ズレがなかったと仮定したばあいに対して大きな違いをもたらすだろう。 たとえば、目的地に向かうとして、わずかな角度のズレあったとして、進むにつれて目的地から大きく離れた地点に至るように(このたとえは、高校時代に数学の先生が話してくれた)。 それは、極言すれば、先述の『法則性・規則性・関係性』が、いくらか無効~完全に無 効、になることを意味する・・・。 ところで・・・ 「特殊相対性理論における原理――慣性系sにおいては、座標系の違い~座標変換後の座標によっても目的とする物理的な対象についての物理法則は変わらない」、 と、 「物理的な対象(s)における対称性からでてくる保存則」、 に言及すると、前者は、座標sの間に法則性がある、ということであり、後者は、保存則という法則性がある、ということであって、いずれも、直近上の内容に納まってしまう。 ちなみに・・・ 「物理的な対象(s)における対称性からでてくる保存則」に関連して・・・ それは、「対称性」という用語とその実態が曲者で、その対称性というのは、物理的対象における何か を変化させても、そこにおける別な何かは変化しない、という意味である。 そういう実態があれば、保存則がでてくる~保存則がある、という結論に至るのは当たり前だの当然だ、となるだろう。 つまり、言い換えれば、そこにおいては、以上の言葉だけでの説明――観念・概念による説明――から、変化しないということは保存されるということだから、保存則がでてくるのだろう、と直感的に理解するのもあながち間違いではないだろう? といえるだろう・・・ たとえば、正4角形(正方形)を、中心を軸にして90度回転させた結果を見ると、ぴったり前の形と重なるので、――いやそれよりも円の方がいい、角度に制限をつける必要がない、――なにも変化してないように見える、といっ た類の実態の中にそれはある。 ・・・そこを数学的に解明したのがネーターという女性数学者だ。・・・ついでに・・・彼女はその才能ゆえに大学で聴講できた上にヒルベルトに援助されて大学で教えるまでになった。それは昔のドイツでの話しだが、当時、女性は大学には入れない時代だったそうだ。 ・・・当時のヨーロッパはヨッパラっていて、ヨーロッパライだったんだろう。 日本も同じだっただろうが。 ・・・ついでに:今のヨーロッパもヨーロッパライに見える・・・ ・・・さて、この脱線ばなしをどう心脳研究~クオリアと結び付けようか今考えているんだが、筆者の寝ぼけた心脳での理活がうまく働かず、結びつけることができない・・・『ウーマンリブの皆さん方、怒り ませふ』といったことも考えたが、女性性と男性性の話しにもっていくしかないなあ、という結論に至った・・・女性性のクオリアと男性性のクオリア、それも心脳における研究対象である、と締めておこう・・・ それについても既に少し述べているが・・・女性性のクオリアも男性性のクオリアも、心的内容情報スペクトルでは部分集合sをなしているだろう。経時変化波動モード意識内容においては、かんたんにはそれらを見いだすことはできず、それらがフーリエ変換的に分解された形態の前者『心的内容情報スペクトルでの部分集合(s)』として見るのがてっとりばやい・・・ ・・・直近上の脱線トピックに関連して、さらにもうひとつこのスレに本質的に関係のある話題をつけ加えよう ・・・ 肉体的にも精神的にも、女性性と男性性を発現させる大きな要素は、それぞれ、エストロゲン(エストロジェン)(――いわゆる女性ホルモン――)とテストステロン(――いわゆる男性ホルモン――)である。 で、――以下の割合はうろ覚えだが――、女性にも男性ホルモンが体重あたり男の1割? くらいあり、男性にも女性ホルモンが体重あたり女性の半分? くらいある、そうだ。 だから、女性ホルモンは、女性により多い(――女性にすごく多い――)ホルモン、男性ホルモンは、男性により多い(――男性にすごく多い――)ホルモン、という意味をもっていることになる。・・・ちなみに・・・、黄体ホルモンは、着床準備と妊娠維持の系にかかわるホルモンである(――こち らも女性ホルモンの一種と呼ばれる。プロゲステロンなど――)。 それら前者の両ホルモンとも(プロゲステロンもだろう)、かの悪名高き「コレステロール」が少し変化させられた物質である。 ・・・「悪名高き」と形容したが、コレステロールに関しては(も)科学的といいながら、その知見が大きく変化変遷してきている。詳細を省いて雑でいいかげんにその一部を列挙すると、「リノール酸がコレステロール値を下げるという系」、とか、「悪玉と善玉という系とか」、果ては以前とは反転気味に「コレステロール値は高めの方が長生きするという系」とか、さまざまだ。・・・ ・・・それは、科学は「特定の領域の事実実態の記述を目指している」という発展途上にあり科学を盲信 ・妄信するのは危険だ・「科学的でない」、という事例実例にもなる。 ・・・ちなみに、「科学的だ、科学には間違いはない」という言葉は、「金科玉条のごとくに用いられる」が、科学も発展途上にあること(――その領域での現実を把握することにおいて――)、科学もまちがいをおかすこと、科学で扱えない領域は広く深いこと、などを強く認識しておくべきでせふ・・・・・・。 元に戻って・・・コレステロールを少し修飾変化させたそれらホルモンsが、なぜ、どういうメカニズムで、女性性、男性性に大きく係わるのか、という設問をここに据えよう。 本「脳をあやつる分子言語・大木幸介・講談社」においては、 「細胞膜の構成要素として、コレステロールがあるので、コ レステロールを修飾変化させたそれらホルモンsが、細胞に働きかけることができるのだろう」 といったふうに著者は主張している――昔読んだので、だいたいそんな感じであるということで――。 しかし、その理屈でなぜ・どういう機序でそれが可能なのかまったく理解できない。コレステロールにコレステロールを少し変化させた物質を触れさせると何が起こるというのだろう。 その本には、それ以上の原理的な内容はでていない。 ・・・ちなみに、副腎皮質ホルモンも同じくコレステロールを変化修飾したホルモンだ。変化修飾のさせ方が先のそれらとは異なるので働きも違う。 その差異について研究すればなにか掴めるかもしれない。 ・・・ちなみに・・・、「ステロ」イ ド剤、エ「ステロ」ゲン、テステ「ステロ」ン、というネーミングにコレ「ステロ」ールの名残がある、という便宜的な理解のし方もできるが(コレステロールもステロイドの一種)、ステロイドがそれらの総称である(ステロイドとは、たしか、ステロもどき、という意味だったと思う)・・・。 で、心脳科学(仮説)では、 「タンパク質などの心的内容情報発受信物質がうんぬん」、 とアキがきて過ぎて冬がくるほど~アキタ県の遥か上いく北海道を越えるほど~北極に至って寒くなるほど~書きつけてきているが・・・ホルモンも、その情報発受信物質のひとつなのではないか・・・。 そこから試論を構築すると・・・ 1・それらホルモンsが、それぞれ特有のタンパ ク質などsを細胞s内にもたせる。 2・それらタンパク質などsが特定の心的内容情報を発受信する。それらがそれぞれ、女性性、男性性、という情報内容sをもっている。 3・それらホルモンsも、特定の心的内容情報を発受信する(こちらは発信だけかもしれない)。それらがそれぞれ、女性性、男性性、という情報内容sをもっている。 で、それら発信された「情報量子(s)=心的内容情報スペクトル(s)」を心器が受信する・・・となると、人間以外の動物も心器をもっているということになる・・・昆虫も? 昆虫などのばあいは、心器はなく神経のかたまり~脳だけでだろうか? ・・・それらの謎と設問については後で検討するとして、ここではまず、人間を対象にしよう 。 心器が受信したその、女性性なり男性性の情報――それらは、具体的に目にみえるとか耳に聞こえるなどという情報とは異なり、潜在しているような性質・質・属性の範疇にある情報である(身体の形状については後述しよう)。 ・・・それらは言動の端々に表われる。 (少し上に昆虫がでたので・・・ここのテーマとはあまり関係はないが・・・芋虫が変身して蝶になる様子・実態は、非常に興味を惹かれる――あれにはたしか、甲状腺ホルモンがかかわっていると、うろ覚えしている・・・なんにせよ、ホルモンという生体内成分は、生物にとって途轍もなく重要だ・・・) 男性性や女性性は、肉体的にも現れる・表われる。それは、遺伝子(s)と、性ホルモン(s )による(ところがほとんど)。 性徴についての視覚情報や感触情報、聴覚情報や嗅覚情報などについては、両性ともに脳と心器に「それらをそうだと受け取る機序」が備わっている(――ここは極めて抽象的に記した。ここを詳しく叙述すると、筆者のSKBぶりがバレてしまって赤面することになるだろうので、それは書かない・・・SKBとは前にも記したように、素晴らしくカッコいい馬鹿という意味である・・・ほかの解釈もあるようではあるが・・・)。 それも、情報物質が担保しているのだろう。そこに遺伝子(s)も当然参加している。 以下、既述と重複があるが・・・ 女性性や男性性は肉体的な面と、精神的な面――心器~脳が発揮する一分野――がある。 それらがうまくかみ合っている――男と女の間でのかみ合い、肉体的な面と精神的な面の間でのかみ合い、そこにあるさまざまの間でのかみ合い、などなど、である――なんとも凄い・・・なんとまあよくできていることか・・・・・・(ただし、そこでは、うまくいかないケースもあるし、そこでは質時間回帰も働く)・・・・・・。 そこをも情報物質(と遺伝子(s))が担保しているだろう。 ・・・ほかのところでの記述にも、「それを情報物質(と遺伝子(s))が担保」といったように、「と遺伝子(s)」をつけ加えるべき個所sがあるだろう。しかし読み返すのは大変だしめんどうだ。よって、そういう作業は先のこととなる・・・ で、それら女性性や男性性の情報が直 接肉体的な反応をもたらすこともある。 ・・・以上この項は、心脳の詳細な解明において、非常に参考になる・・・しかしややこしい・・・むずかしい・・・むつかしい・・・むかつしい・・・むかむか・・・ さて・・・ (1)「肉体的・物質的な面」と、(2)「非物質的・精神的な面」、(3)「生殖にかかわる肉体的な面・精神的な面・神経反応的な面」、 (4)「それらのつながりと実態」、 について、 「以上の内容から説明できるはず」であるが・・・、 さらに細かいいくつかのばあい分けが必要だ・・・ (・・・ここらはもうちょっと時間をかけよう・・・こういうのは強烈にノッてこないと、考えを進める ことはなかなかむずかしい・・・それと、ある程度考えたらあとはほっとけば心脳が醸造樽の中のようになって醸造が進み「目的の何か」ができ上がるというものだ・・・ちなみに、そこの「ほっとけば~~でき上がる」――これも心脳の不思議のひとつである――の「でき上がる過程の中には」自由意思・意志はないといえるが、「ほっとけばできあがるので、ほっとこう」というところに自由意思・意志がある(とまあ、ヘンにこじつけてみる)。 自由意思で研究が有利になるようにもっていくわけだ・・・。 さらにちなみに、以前、「研究できるのは自由意思・意志」があるからだ、と書いたことがある。 それはそのとおりであり撤回しないが、研究において自由意思・意志で及ばない 事態・事例というケースもあるわけであり、そのばあい、このひとつ前の「ちなみに」で述べた内容「ほっとけば~~でき上がる」「だからほっとく~」がでてくる、といえる・・・。 ・・・もうひとつちなみに、その「ほっとく」間、心脳に強烈な変化を与えてはいけない。醸造樽の中身が吹っ飛んだり、変質して腐ったりしてしまうことがあるからだ・・・・・・むずかしいものである・・・・・・) ・・・上記ここのカッコ内の記述も心脳研究の対象とその実態の一領域を示している・・・ ・・・ここからは次の日に記す・・・ 直近上述カッコの中のように書いたが、そのあとよく考えてみたら、書くべき内容からくる強い抑制が筆者にかかっていた、と認識した。 < br>それはどういうことかというと、そこでは、アdaるto小説のような内容をも一部書かざるをえない、という実態がある、ということだ。 そういう内容を書くのは人目人耳がはばかられる、というわけだ。気おくれしてしまうではないか。赤面してしまうではないか。 二人の男女、それぞれの一生を描き、その中でその男女は恋愛~結婚し、交接、受精、受精卵の分化、生育、出産、こどもをもち、こどもの成長、人生を生き抜き、という短い小説を書き、 その中で本論の内容を表現せざるをえないのである。 それが強いブレーキとなっていたわけである(・・・その時点でだいたいそれを認識してもいたが、その心的内容を言葉にして書きつけようという発案はその時点では生じなかった。 ・・・そこにも心脳の働きの一部が見える)。 そういう短い小説を書いてその中で、必要な時々必要な個所sで、心脳科学(仮説)の解説をなしていく、それが最も有効なのであるが、それをなすと思うとそういう心理が働くということである。 しかし、繰り返しになるが、そのやり方は心脳科学(仮説)の解説において最も強力に有効である。 ・・・さて、困った・・・ (・・・ちなみに、ここまでの記述も、ある意味、心脳とクオリアの研究事例になっている・・・) ・・・さて、どうするか? ・・・ ・・・そうだ、抽象的に書いてしまおう。・・・ ・・・遺伝子とさまざまな物質や生体内成分、それに心的内容情報発受信物質、それらが 肉体を形成する。 心的内容情報発受信物質、遺伝子とさまざまな物質や生体内成分、それらが脳をもつくり上げ、境涯や被教育・学習からくるさまざまな情報が、脳~ニューラルネットワークなどを形成する。 そこでは、心的内容情報発受信物質、遺伝子とさまざまな物質や生体内成分が連携している。 その連携のハブ――あの毒蛇ではなく中心――となるのは、知性をもつ人間においては、心的内容情報発受信物質であろう(以上では、キーワードなどを、集合名詞として単数形にした)。 さて、 一応生体が形成されたとして――一応と記すのは、それ以後も変化なり成長なり老化なりしていくからである――その内部には情報発受信物質sが無数に配置(と表現)されている。< br> それら情報発受信物質sは、心器と脳以外においても情報発受信以外ででもさまざまに働きうる。 で、ここで、論ずるのが最もむずかしい性ホルモン(s)についてであるが――ほかのホルモンsについては、よりかんたんであって、ここから容易に演繹できる――、たぶん、心的内容情報を少なくとも発信はするだろう――受信はしなくてもかまわないといえそうだ――。 (1)性ホルモンsによる発情では、肉体的~神経系による系列(精神的な系列)が主だろう。 そこでは、そこに限っていえば、心器はかかわる必要はない。 かかわる必要はないが、かかわってくる可能性もある。 そこにおいては、情報発受信物質は必ずしもかかわる必要はないが、か かわる可能性もある。 (2)視覚・聴覚・嗅覚・感覚器官による発情の系列――これは、脳の反応が主となるだろう。 そしてこれは、ホルモンsの分泌をも促す。 雰囲気による要素 理由のわからないなにかによるという要素 情報発受信物質がそこらの多くを担保しているだろう。 ――そのばあいで、心器がかかわっていないケースとかかわるケースがある―― 脳に散らばっている情報発受信物質sの働き 脳以外の身体に配置されている(と表現)情報発受信物質sの働き などなど 以上、それらが複雑に絡み合って、それら人生が進んでいく(――これも超抽象的な表現である。具体的に書くと極めて複雑 で長くなる――) 情報発受信物質sの交信 遺伝子sとRNA、その活動にかかわるさまざまな成分s物質s ホルモンのかかわり 心脳~心理のかかわり ・・・「受精、受精卵の分化、成長生育」において、情報発受信物質の情報がかかわっているのではないか、という仮説については既に何回か述べているが、仮にその仮説が反証されたとしても、心脳科学(仮説)にはなんの影響もない・・・。 以上、このセクションに関連して・・・ 物質的世界と非物質的世界の間の、つながり、関係、など・・・そこらの追究にトライしてみよう。 そこにつながりがないばあい 物質的パターン 無限 非物質的パター ン 無限 それらのにおいて、重なり合う領域は広い つまり多くの同じパターンをもっている しかし、物質性と非物質性の違いによって、どうしても異なるパターンである領域もある しかし心脳で扱うと、結局は非物質の中での扱いになる エネルギー情報スペクトル エネルギーに伴われる波動パターン すべてはひとつのところ――根本――から生じたとすれば、 関係がある すべてがひとつのところから生じたのでなければ 関係はない 関係はなくても、上述のパターンの可能性からいって、当然同じパターンsを多くもつ 同じでないパターンsもある 結局上述、ひとつのところから生じたのと同じことになる そ こでは、 帰納 可能な無限のパターン それらを帰納 普遍的法則 根本・原理 普遍的法則 根本・原理 演繹 「すべてはひとつのところ――根本――普遍的法則――から生じたとすれば、関係がある」 そこからも可能な無限のパターン 上の2項はもちつもたれつか? 上の2項は循環しているがごとくだ? 具体sの進行から改良~改悪などがなされ根本・原理に取り込まれるケースもある? それとも根本・原理は決して変化しない? 根本・原理にもレベルがあり、最上階のそれだけは変化せず、それ未満のレベルのそれらは変化する? ・・・とりあえずここに以下これを載せておこう・・・これを入 れるところに苦労する・・・もっと前に入れてみたが、あとに書かれている内容を見るとすっきりしないので、とりあえずここに書いておこう・・・(それにしても、ここに入れてもわかりにくい)・・・ ――つまり、つながりがないと言っても、そこにつながりはあるということである。 つながりはないという前提からいくと、そのつながりはどうやって生まれたか、という謎と設問がそこに発生する。 それについては、ほかのところsで何度か論述しているが、それは非常にむずかしい問題である―― ――最初からつながりがあった、という立場にたっても、なぜそこに最初からつながりがあるのか、それはどういう機序によるのか、という謎と設問が生まれる。これについても、ほかの ところsで何度か論じているが、これもまた極めてむずかしい問題である―― ――そこらあたりについて言っても、この世界は「極めてできがいい」、と言うしかない―― 以下、そういったことに関して思いつくままに列記してみよう・・・ 枝分かれ 具体的な存在 抽象的な存在 具体的で物質的な存在 具体的で非物質的な存在 抽象的で非物質的な存在 男女の差異 肉体的差異 精神的差異 卵の受精~発生 遺伝子+αだけによる・・・それだけで可能か? ・・・不可能だろう・・・ 遺伝子+αと情報発受信物質の発受信によるもの 情報発受信物質の発受信だけ によるもの 女性 と 男性 1) 既に現実に存在する精神性のさまざま 既に現実に存在する肉体におけるさまざま 「それらから帰納して根本・原理のような内容を掴む」 以上以外のほかの在り方もありうる それは・・・、 2)根本・原理から発生する 3)具体が生まれ活動され展開していく中で――実践の中で――、試行錯誤的に変化~改良~退化~などがなされていく あるいはそれに加えて、そこになんらかの根本・原理も参加する 「2」に加えて・・・ 4)初めに根本・原理のような内容があって、そこから演繹的に敷衍展開され発生していく 以上それと、上 記「それらから帰納して根本・原理のような内容を掴む」における「根本・原理のような内容」とは、一致する部分と一致しない部分がある その「初めに根本・原理のような内容があって」における「根本・原理のような内容」も変化被改良退化していく そこでは・・・、 5)完全にランダム 6)なんらかの原理・根本のようななにかがかかわる 7)それらの混合 8)そういった実態内容は、常に改良、変化、改悪、退化の過程にある ・・・質時間回帰則からいって、当然、改悪もでてくる・・・改悪とは何を基準にそういうのか、という問題もあるが・・・ 9)遺伝子+αだけから、現実の実体・実態が生じ るのは不可能 10)どう見積もっても情報発受信物質がかかわっている(その根拠はあちこちに既述) A)情報発受信物質だけが根本・原理~具体の大本か? B)なんらかの知性的なフィールドが存在して、そこに、根本・原理~具体、などの内容が存在するのか それはどうやって存在するに至ったのか――それと同じ内容を既にあちこちで論じている―― C)それらの混在・混合か (以上、ここの二項、それに似たことは既に何か所かで述べているが) それらは 進化に関する論sと同じ要素sをもつ それらは 創造説に関する論sと同じ要素sをもつ ・・・以下、ここからも上記に 関連する内容であるが、一応ここで上記から区切る・・・ 遺伝情報だけから生じうるものs(内容、具体的物質的なさまざま)(精神的、肉体的に) 原理・根本だけから生じうるものs(内容、具体的物質的なさまざま)(精神的、肉体的に) それらの混在・混合から生じうるものs(内容、具体的物質的なさまざま)(精神的、肉体的に) 以上それらと、離れた上記「具体的なさまざまから帰納して得た原理・根本的な内容」は異なる 偶然同じ部分をもつ 異なる部分もある それは、物質的にせよ非物質的にせよ、そこの存在しうるあらゆる可能な在り方sのさまざま・在りうるパターンsのさまざま それらの数は無数・無限である し かし、無数・無限であるが、閉じた領域に閉じた数存在しうる よって、同じそれらもある 異なるそれらもある ・・・以上、実にややこしい・・・むずかしい・・・むつかしい・・・むかつしい・・・ ・・・まあ、とにかく・・・男と女~生殖における噛み合い・絡み合い、関係性・事象・実態などは、あまりによくできすぎている(それ以外のことにおいてもそうであるが)。 そこにおいては、情報物質~起源情報スペクトルなどが有効性を発揮しているのだろう――そうでないとそういう実態はありえない――。 (加筆) ・・・ここらに、以上のほかにもおもしろい内容があるんだが、どうも思い出せない。それは、なにかとなにかは似たよう な感じだが、それでも異なる、といった内容をもつ。それをより具体化した記述・・・なんだったか? 直近上あたりだったような感じだが・・・ ・・・そこにはこういった雰囲気もあったような・・・原理的ななにかからでてきた(演繹)具体sと、既にある具体sから帰納した原理的ななにかは、先の原理とは異なるところがある。そこでの、既にある具体sは何からでてきたのか。ランダムな試行錯誤だけからでてきたのか。そこに原理的ななにかが関与してきたのか。 具体sを帰納したばあいの原理的ななにかと、それと同じとみなせる原理的ななにかは、完全に一致するのか、完全には一致しないのか。 原理的ななにかが先か、具体sが先か。 ・・・そういった心的内容だったと思 う・・・ ・・・さらに・・・進化について、以上と同じような内容を既に記している・・・ ・・・ 人間以外の動物について (下略) ☆☆☆ 西山浩一(世界人・春楽天) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.07.08 17:10:32
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