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筆者がネット上に書いてゐる(載せてゐる)記事sの多くは、主要な言語sにおいては、翻訳されておるようじゃす。
その翻訳は大変そうじゃす――さらに加筆形式になると翻訳も読むことも大変じゃろうす――しかるにできるだけ早くアップロードした方がよいでせふと筆者は考へておるのじゃす――。 特定の専用ソフトを用いれば、そこらの困難は大きく減じられることは周知じゃろうす。 で、一応仕上げたら(とゐってもさらに加筆していくじゃろうすが)告知しませふ(これは過去にも書きもうした)。 (――筆者が書いている記事sは、書きなぐりのようなものであって、どれもが不完全であり、これからも加筆と訂正をつづけていきもうす―― ――それと・・・学校で学んだ内容以外については、本スレッドの論などを研究するのに必要な程度(かそれ以上)の習得しかしていないのじゃす。なにもかも知っているなどということは全くありもうさん)。 ・・・筆者の研究とウェブへのアップロードも極めて大変じゃす。 しかるに、筆者は苦しひながら、やり甲斐・生き甲斐を感ずるのでさういふことを続けておるのじゃす(――本スレッドなどの記述量は膨大なので、読み返すことも大変であり、重複や間違い、いいかげんなところ、加筆修正すべき個所sも多いでせふが、そこらについてはご了解あれかし――)。 ・・・ともあれ、筆者が英訳せずとも済み、ありがたひことじゃす。よき時代になりもうした。 それらをぜひ有効・有意義に活用してくだされ。 ・・・過去に、心脳科学(仮説)の概要を、英訳していたのだが、主要な言語sにおいて、翻訳されていた・いるとなれば(ありがたいことに「ブロックチェーン的になる」)、翻訳の必要がなくなったので、その英訳を途中までで打ちきっているのじゃすた・・・ 本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せておりもうす。 本スレにある設問シリーズは千差万別じゃす。 「運命のノートシリーズ」も書いてありもうす。 「チャプター加筆形式」の記事シリーズでは、これがチャプター#3じゃす。 「チャプター加筆形式」の記事シリーズとしては、#1~#2~#3のほかにも、膨大な文章を書いている(3月25日・今加筆中の#3は、#882である) 筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので――人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて――すべての人間が、なんにおいてもそうじゃす――、メモのような書きつけをも載せておきもうそう。 ☆ 毎日あちこちに加筆しているのじゃすが・・・ さて、今回は・・・ 1月13日の分が膨大じゃったので、読んでいる・翻訳している方々が消化不良を起こさなひように、少し載せることにしませふ・・・といっても大量に載せることもありもうすが・・・ ☆ グチを一言・・・ 読み返さず新しい内容を書くことはかなり気楽にいけるんだが、本文を読み返して加筆やら推敲をなすことは、意欲と調子がでてノリノリの状態にならないときわめてむずかしいケースがかなり多い。 筆者の得意技の寝ぼけたような心脳の状態では、そういったことは大変だ。そういうばあいはうんざりすることもけっこう多い。自分で好きでやっているにもかかわらず「これを読み返して手を入れるのか。いったいなんの罰ゲームだ! 」といったところである(笑)。 ・・・つひでに・・・ 筆者は、ウェブ上に載せる文章も、だいたい一発殴り書き、がほとんどで、読み返して加筆訂正することはまずはないままに、載せている、という実態にありもうす。 加筆訂正推敲はそのうちやろう、ということなんじゃらす。 それでなければ、筆者の身体も頭も、もたない、といったところなので、ご了承あれ。 何も書かないよりはマシだと思し召しあれかし。 (・・・ここでコフィーカフェブレイクを・・・ ――「オボシメシ」とは、新種のウメボシ・オボシと白ご飯を併せた、ウメボシおにぎり(おむすび・地域によっては)のことではないのじゃらすが、そうオボシメシしてウメボシおにぎりを食べるのも一興でせふ――; ・・・ついでに・・・ 「おにぎり」、というのは、手でおにぎりを作る様子からの具体的なネーミングで、 「おむすび」というのは、ご飯粒をくっつけてひとまとめにする(結ぶ)、といった感じで、ちょっと抽象的なネーミングになっている)、と思う。 おまけに、「おむすび」だと、手で作らなくてもいい、ということもある。 「おむすび」も、手でそうやってご飯粒をくっつけて「ひとまとめにしている様子」からきている、と解すれば、「おにぎり」と似てはくるが――) ☆☆☆ 加筆用(どこかに挿入): 以下これは、ネット上のどこかに、かなり以前に書いたことがあると思うが・・・ 「片目で見ると立体的に見える」 何を見ると、そう見えるのかというと、 写真、映像の印刷物、電子機器の画面(動画もそうだと思うが)、などである。 (もちろん実物を片目で見ても同じようなことになる) なぜそういうことになるのだろうか・・・ それは、両目で対象を見てきた経験によって、脳内で、対象を立体映像に構築する仕組み、ができ上がっており、その仕組みが、片目で見るときにも補助的に働くからだろう。 その立体視の仕組みも興味深い。 (それに関連して・・・筆者は、昔、立体視システムを発明したことがある。それは「左右交互方式」なんだが、これだけで技術的内容がわかる人は発明の才能があるのではないでせふか。 ちなみに・・・、その発明は、メンドクサクテほったらかしにしておいたら、10数年後だったと思うが、日本の2つの企業《ShとVだったと記憶する》が開発してしまった。筆者の得たものは「残念で賞」だけだった・笑。 これについては、ひと昔前、春○○ブログに書いたことがある。 ・・・ついでに・・・ 筆者は、発明も趣味で、かなり多くの発明をしてきているが、メンド草草メンド草で、それらもホッタラカシにしている・・・ここでマタまたオカシなクセがでてきて・・・掘ったら菓子、というお菓子を作って食べてみたいもんだ・笑・・・ついでに、作詞作曲もケッコウやってきているんだが、それらもメンドウ草なので、掘ったら菓子、状態にある・笑) ところで・・・、 脳内でのその立体視の仕組みがどうであろうとも、結局、「意識器」での「エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)」と、それを意識し味わう「意識の主体(意識器にある)」が、共に立体視の可能性を秘めているから、立体視は可能なのである、といえるだろう。 ・・・脳の働きも、いい意味で複雑怪奇なものである。 心器と意識器の働きはさらに超複雑・超精妙である。 ・・・付記: ここで、SF的発想で・・・しかしマジまじマジメなんだが・・・ 立体視についていえば、意識器そのものは、対象からの映像の光を、ホログラフィー的に意識し味わえる可能性があるだろう――脳や心器を介さずに――《これは既述》・つまり立体的に意識し味わえる可能性がある、ということ。 さらに、意識器は、「対象と共振」して、直接に対象を意識し味わうこともできるかもしれない――脳や心器を介さずに――《これも既述》: ・・・以上、フキのトウではなく、付記の問い・・・ ・・・ここでマタまたヘンなクセがでてきて・・・連想ゲーム的に、ついでに・・・ 付記の問う、ではなく、フキノトウは、早春の山菜として、賞味されるが――人気があるんだそうだ――、独特の香りと苦味がある。 おまけに、薬効もあるんだそうだ。 そこで、ビールのホップの代わりに、フキノトウを使ったら、どんな風味のビール(それはもうビールとは呼べないが)になるんだろう。 フキノトウ・ビール、略して、フキノビール、・・・ビールと呼べないから、フキノビルと呼ぼう(あ、ノビル、という山菜もあるゾ)。 将来、フキノビルを醸してみよう、という夢をもっているのもいいもんだ。 (いつの時代でもそうだが、これからは、新しい企業~起業がよりいっそう必要な時代なのかもしれない) ・・・ここで、心脳を登場させて・・・ 苦味と香り・味と香り・・・これは、心脳科学における対象としての小さな一領域であるが、それについても、本スレッド内で、既述している。 ・・・心脳も、いい意味で複雑怪奇である・・・複雑怪奇ではあるが、心脳は「いいところ」にまで至っている、という感想が素直にでてくる・・・この先、心脳はどう変化・進化していくんだろう・・・(超人の登場とか・・・心器の秘める可能性は、はかり知れない・・・ものモノものモノもの凄い・・・これについても、既述している・・・)・・・ ・・・もうひとつ率直な感想を・・・この世界は不思議と神秘に満ちて満ちている・・・ ・・・以上、筆者の痴性豊かな心脳が働くままにアホクサビリティ満載で書いてみた・・・これも心脳研究のヒトカケラ、ということにして締めておこう・・・ 加筆用(どこかに挿入): 「外界――意識のそと――には何があるかわからない」・・・について新たな観点――過去に考察(あちこちに既述)していて気になっていた点(明文化していなかったと思う)など――を盛り込んで考察してみよう・・・ 1・「外界(意識のそと)と脳を物質的存在として扱う」 2・「外界(意識のそと)についても、脳についても、意識器にある意識(心器もだが、ここでは、意識に着目)にとって、そこに何があるかわからない、という実態にある。心脳科学・仮説からそういえる(あちこちに詳細に既述)。 もちろん、意識し味わうままがそこにある、という上述『1』の立場もあるのではあるが、心脳科学・仮説においては、この『2』の立場を打ちだすことができるのである」 さて、この問題についての追究として過去にあちこちに述べている文章において、「1」と「2」を「いくらか混在させているところが少しあるような思いがする」ので、このセクションを立てたのであった。 で、意識にとっては、「2」であるが、心器にとってはどうか。 心器にとっても、「2」である。 ・・・注・・・ 3・「ここでは、意識器も心器も、脳の一部か全体ではない――脳の一部か全体という物質の組織には存在しない(場として重なっているところがあるのであるが)――という立場にある。 (参考:意識も心も、脳の一部か全体である――脳の一部か全体という物質の組織に存在する――という立場についても過去にあちこちに詳述している。 ・・・しかし、「脳における情報と情報構造」から、『2』の立場がでてくるのである:参考)。 そして、意識と心器にとっては、脳もデータベースにあるデータ・情報である、という立場に『2』はある」 ・・・以上、注・・・ さてそこで、 「1」と「2」を「いくらか混在させているところが少しあるような思いがする」と上述したとおりなので、そこを整理してみよう・・・ それは、脳の扱いだったと思う; 脳を物質の組織として扱いながら、「2」を主張している、という個所が少しながらあったのだと思う・・・ さらによく思いだしてみると・・・ 4・「心脳科学なる論の展開において、最初は、脳を、脳科学の主張どおりに『物質の組織』として扱っている。 そこを通過して、さらに先に進んだところ、『2』からでてくる主張――脳もデータベースにあるデータ・情報であるという主張――も可能である、というところに至ったわけである」 上述「3」にあるところの、 「(意識も心も、脳の一部か全体である――脳の一部か全体という物質の組織に存在する――という立場についても過去にあちこちに詳述している。 ・・・しかし、「脳における情報と情報構造」から、『2』の立場がでてくるのである)」、 という個所も参考になる――これは「4」の補足――。 これだ! これだだ! この「4」だだだ! (「だ」の数を増やしたのは、強調とユーモアのため) さて、一応落着したように少し思えるが、もう少しそこらに踏み込んでみるとしよう・・・ ここで、電磁場についてのマクスウェルの方程式(電磁波という、電場と磁場が相互にして交互に作用する波動、をも導きだせる)を構築するにあたって、マクスウェルのとったやり方を振り返ってみよう。 彼は、ファラデーの「場」についてのアイディア(とプラスアルファ)を数式化するにあたって、空間に「工学的で複雑なカラクリのモデル」を想定し、その方程式を打ち立てたのであった。 しかし、その方程式を導きだしたあと、彼はその「工学的で複雑なカラクリのモデル」を(ゴミ箱に・JK)捨ててしまったのであった(ゴミ箱に捨てたとしても、現実においても、PCなどにおいても、消去しない限りはそれを取りだせるが・・・)。 ・・・付記: マクスウェルの方程式について・・・ 上述のプラスアルファなどのちょっとした解説と、それに加えて、もう少し詳細に・・・ 電磁誘導の法則はファラデーが見いだした。 ファラデーは、そこで、「場」「力線」の概念を打ちだし、マクスウェルはそれを支持して、そこから方程式を打ち立てた。 マクスウェルの方程式・・・ 電磁誘導の法則の数式1本:最初から経時変化を盛り込んだ数式; ――豆解説:当時のエールステッドやアンペールの研究などを知って、ファラデーはまず、磁気から電流が生じるかどうかの実験として、導線に電流を流し、その近くに磁石を置き、離れたところに置いた磁針のようすを観察したが、なんの変化も認められなかった(今でこそ言えるが、磁気から電流が発生しなかったのは、磁気に変化を与えなかったからである)。 次いで、7年後あたりに(磁気に変化を与えることを含む実験に至るまでに約7年を要した)、導体のコイルに電流を流したり止めたりすると、近くに置いた別なコイルに電流が発生することを見いだした。 その約2か月後、導体のコイルに磁石を近づけたり離したりすると、コイルに経時変化する電流が流れるという事象が発生することを発見した(これは悪文の見本だ・・・「コイルに電流が流れることを発見した」); それを数式化したのが、この1本目である―― アンペールの法則に由来する数式1本: 最初は非経時変化の法則のもとにまとめられていた クーロンの法則に由来する数式2本: 最初は非経時変化の法則のもとにまとめられていた 上述のように、電磁誘導の法則は最初から経時変化の数式にまとめられたのであったが、 後者の3本は、 最初は、定常状態(非経時変化状態、つまり、時間がたっても変化しない状態)の法則にまとめられていたが、それらにおいて、マクスウェルが、経時変化(時間と共に変化すること)するところの必然的な物理数学的規則を数式に与え――たぶん、こうなるだろう、というマクスウェルの洞察と見通しのもとに(それは正しかった)――数式化された・(ここは能動態と受動態の混交文で読みにくいが)。 (参考・・・その後、科学者たちは、光や電磁波についてのいくつかの実験事実とその法則の記述などを得て、彼らの頭の中に量子化の概念が生まれ、電磁波は、数式上で量子化された《そこから量子力学が誕生した》――現実もそのとおりであり、その概念と数式上での量子化は、現実を記述している――《それに関連して、「秒」の定義、光や電磁波の周波数の「正の整数性(自然数性)」と「秒」との関係、などについての追究を【こっちの方が正しいのではないか、と】どこかに長々と載せている》――) (こういう内容も、さまざまな研究において参考になる) ・・・以上、付記・・・ さて、付記の前に遡って・・・ それ「モデルを捨てたこと」を参考にすると・・・ 心脳科学(仮説)も、それと同じようにいけるだろう。 つまり・・・ 初めは脳を物質の組織とみたところの脳科学の知見から、脳における情報構造と情報処理形態を必然的に推測し、さらに「心器」という「フィールド」と「意識器」という「フィールド」を必然的に想定した。 そして、 「心器」と「意識器」における情報構造と情報処理形態、さらには情報発現実態についても、心底納得がいくのである・ほかに代案はみつからない(筆者においては、今までのところ)。 (――心脳科学・仮説と本スレッドなどで、そこらのところをきわめて詳しく述べている――) そこで、脳は物質の組織である、という立場を、マクスウェル先輩のように捨ててしまえばいいわけである。 まず・・・ 心器が脳と情報のやり取りをなす時点でも、心器にとって、脳は「なんらかのデータベースと情報のやり取り対象」でしかない。 (――「情報のやり取り」ということは、そのデータベースを書き換えることもできるのではないか、というところにもつながる! これはなんとも興味深いアイディア・概念である。 そこをかんたんに言えば・・・ たとえば、コンピュータのデータを書き換えることができるように、 世界というデータを改変できる、 運命というデータも変えられる、 ということである。 ・・・補足:コンピュータにおいては、書き込みを禁止しているデータ領域でも、本質的に書き換え可能であれば、書き換えることができる。 完璧なROMであれば《フラッシュメモリなどではなく》書き換えはできない。それを壊すか外すかして、置き換えるしかない。 ・・・それに対応することを、心器が外界に対してなせるかどうか・・・これについては、今後の検討課題ということにしておこう・・・ ・・・と思ったが・・・ しかし、「それを壊すか外すかして、置き換えるしかない」ということも、心器が外界なるデータベースにアクセスして、そこにあるデータを改変する、ということに他ならないので、可能だと思える・ここでの立場においては。 ということで「一応結論をだした」のであった・・・ ――)。 つづいて・・・ 意識器についても同じように、「意識のそと」には「何があるかわからない」、「意識のそと」には、「なんらかのデータベースと情報がある」、としか言えなくなるのである。 実際、「『心器』と『意識器』における情報構造と情報処理形態、さらには情報発現実態」を知ってしまった・ (知ってしまった、と表現しておこう・今までのところ代案がみつからない・筆者においては) あとでは、「心器」と「意識」にとって、「外界(心器のそと、意識器のそと)」には何が在るのか「わからない」のである・ (普通の立場に立って、見えるとおり、聞こえるとおり、触れるとおり、などなどの世界が在る、としてもよい、という立場ももちろんOKである。 参考・・・「匂い」については、ちょっと複雑だが《何があるかわからない、と言える》、科学が「匂い分子」が存在すると、科学的に解明してしまっているので、それを採用する立場もそこに含めよう)。 繰り返しになるが・・・ そこで、脳を物質の組織である、という立場を、マクスウェル先輩のように捨ててしまえばいいわけである。 従って・・・ 「意識のそとには、何があるか『わからない』」 「意識のそとには、なんらかのデータベースと情報があるとしか言えない」 という立場は成立するのである。 ・・・以上、そういうことで、離れた上述「そこ『4』に留意しよう! 」から、ここまでの記述内容で、つまり、本セクション全体で、本セクションを書き始めた「謎・気になっていた点」についての解明と解決はなされたことになる。 ・・・そういうことなので、このセクションの役割は成立したことになる。 加筆用(どこかに挿入): ――またまた結論が反転した。 最初にだした結論を、後ろの方で否定し、新しい結論をだしたが、その後者の結論をまたまた否定して、最初の結論に戻すことになった。 後者の結論について「なんかヘンな感じがする」といった感想をつけていたんだが、やはりそれはどうにもおかしいのだ。 このセクションはほんとに難渋・難航セクションである・・・難点のある渋柿を食べるわけでもないし、嵐の海を行く船に乗っているわけでもないからまだましだが・・・。 で、後者の結論の後にその新しい分を記そう。 しかし、どうにもめんど草草だ・・・前に書いた一部を拾い上げてそれも書かないとならないし・・・、メンドウ豆草(既述JK)が大繁殖だ~メンドウ豆草草草草草大草原―― ――このセクションは、まずアイディアを思いつきメモし、書き、書きながら考え書き、書くことから離れて考えメモし、~~~・・・それらを繰り返して書き上げつつある。 途中では、クエスチョンマークたちが頭の中を乱舞することが何度も何度もあり、それらは美しい蝶たちのようで、非常に美しかった・・・ということはなかったが・・・非常に悩ましいながらももの凄くおもしろかった(それも質の対生成と質時間回帰)・・・。 それにしても、こんなに難渋・難航するケースは極めて珍しい。 ここの記述には間違いが複数あり、後ろにいくとそれらが訂正されていく(と筆者は思っているが、筆者は、かん違いするのも間違うのも得意である)。 まあ、これは「心脳活動の現実の記録」でもあるので、複数の間違いはそのまま残してある―― さて、本題に進もう・・・ 心的内容情報スペクトルひとコマ分の時間はいくらだろうか? ――非常に小さい値の秒だろうが―― (これはあとで加筆。出発点はここ) それについて考えるにあたって、まず、次のような問いをたててみよう・・・ 「心的内容情報スペクトル要素」 または 「エネルギー・非経時変化・粒子モード情報スペクトル心的内容」=「心的内容情報スペクトル」、 と プランク時間、 との間に関係があるだろうか? ・・・「1」(設問) 「心的内容情報スペクトル要素」の周期・・・これにはさまざまな周期がある。 その周期と、プランク時間、との間に関係があるだろうか? ・・・ というのが上の設問「1」である。 さて、 本論で、「心的内容情報スペクトル要素」としての仮説のひとつとして赤外線を例に挙げているが(ほかにもさまざまが考えられる・既述)、ここでは赤外線で考えてみよう・・・ 赤外線の周期の範囲は、その周波数が高いので、その無数にある周期はわずかずつ異なる(「わずか」といっても規則はある)。 普通、0,7~1000マイクロメートルの波長範囲の電磁波を赤外線という。 で、結論として・・・ プランク時間は「赤外線の周波数の周期(範囲がある)」=「心的内容情報スペクトル要素の単位時間・周期(範囲がある)」より桁外れに小さい・・・「2」。 (加筆) つぎに、 「心的内容情報スペクトル」において・・・ 「心的内容情報スペクトルの単位時間」=「心的内容のひとコマ分の単位時間」とプランク時間の間には関係があるかもしれない・・・ ・・・と思ったが、これは前者「2」よりも単位時間(周期)が大きい――前者「2」における最大単位時間(心的内容情報スペクトルによって、それは異なる可能性もあるし、一定である可能性もある)に等しいだろう・・・考えられること「3」。 (研究中) (加筆) で、結論として・・・ 仮に赤外線で「心的内容情報スペクトル」を形成したとして(この単位時間は一定であるか、範囲があるか、どっちだろう)、 プランク時間はその単位時間より桁外れに小さい。 で、上述の問い「1」の答えとして・・・ 「関係があるとしなくてよい」。 ・・・・・・厳密に計算して、たとえば、上述「3」と「4(これはなんだったか? ここの課題だっただろう・・・下に書く「4」)」と、が共にあるいはどちらかがプランク時間の自然数倍――桁外れに大きい自然数倍だが――になっているかどうか計算してみるのもおもしろそうだ・・・課題「4」 ・・・そこにおいて、自然数倍になっていたら、上述の問い「1」の答えとして「関係がある」としてもいいが・・・ (・・・その計算・・・めんど草草・・・大草原の小さな答え・・・)・・・・・・ (加筆) ――以上には、「時間の定義」と「エネルギーの値の定義」が関係しているが、「時間の定義」を変更したら、それに応じて「エネルギーの値」も変更される、「エネルギーの値」を変更したらそれに応じて「時間の定義」も変更される、という関係にある。 つまり、今のままの物理学のやり方でいい、ということである。 そこにおいて、量子のもつエネルギーが、最小値・基本値の自然数倍かどうかを検討すると、たしかに自然数倍であると言っていいということになる。 ・・・たとえば、1単位のエネルギーが広がっていて、そのエネルギーの薄いところで共鳴が起こりそのエネルギーが吸収されても、エネルギーはひとまとまりであるから、そこに全部吸収されるということである―― (加筆) ――それでもなお・・・まだなにか謎がある・・・、 なぜこんな付記を書くのかというと、なにか割りきれないところがあるからである・・・ ・・・ここらあたりの内容に関連して、もやもやとした謎の雲と霞と霧が筆者の頭の中にかかっている・・・ この問題については以降にゆっくりと書いていこう―― ・・・で、その問題はそのままにしておいて、時間について言うと・・・ 現在の時間は基本的に、地球の自転と公転に関係している。元もとはそこから算出したはずだ。 たとえば、今回の春分から、次の春分までの期間・時間を、月、日、24時間、60分、60秒、(円の区分けからきているのだろう? アナログ時計の文字盤にそれがよく現れている――12と6+5進法と10進法などのこと)と分割して、そこからきているのだろう。 つまり、偶然によって、現行の「秒」は決まった、ということである。 :・・・ここは後から加筆・・・時間は基本的に地球の自転による1日を元にしているはずだ、と後になって気づいた。 で、調べてみた。 そこをゴクかんたんに説明すると、 「太陽のまわりの地球の公転は楕円軌道なので、1日の長さ・時間の、は一定でない。 そこで、先人たちがあれこれ悩み悶え苦しみ考えて(JK入りだがそんな感じだったんだと思う・・・それはけっこうややこしいのである)、合理的に一日の長さ・時間の、を決めた」 ということである。 しかし、前に述べ、後の方で述べる現在の時間単位の秒(S)は、偶然によって決まった、ということに変わりはない。 :以上、ここは後から加筆した・・・。 現在では、その時間にもっとも忠実な原子時計をその基準にしているが、基本はそういうことだろう。 その原子時計において、その原子の振動をいくつカウントして1秒にするか、というと、先述の、既にある「秒」を元にしているわけである。 ・・・そういう決め方の時間で「秒」も決まったわけだ。 それは、なんと言えばいいか・・・、宇宙・この世界の本質においてではなく、偶然による決め方だ。 そういうことであるのに(この文言について言っても、これだけではわかりにくいが)、量子力学では、電磁波においては、1Hz増えるごとに、プランク定数の絶対値の値のエネルギーがその電磁波に与えられる(この表現はちょっとおかしいが)――これは正しい――、そして、電磁波のHzは自然数だけである、というように解釈できる文献しかない(――筆者の知る限りでは――)。 (ここらは、もの凄く問題なんだが) ――ここからは、もやもやとした問題認識(心内問題把握)にどうにも整理がつかず、重複した内容を含めて書いていくことになる―― ・・・よって、文章構成もなし、である・・・ で・・・ 1・小数点以下の値のある周波数の電磁波があるはずである。 それは「電子回路の理論」における電子回路によっては、その理論上可能だ(そのはずである)。 そのばあい、その周波数に自然数を足した周波数の電磁波はいくらでも生成できるだろう(これは、一応、量子化されていない古典論においてのことだが・・・「一応」と入れたのは、それが必要だからである。つまり、量子化された論においてでも、そう言えるところがある・それは秒を定義する値からくる)。 たとえば、123.321Hzの電磁波を発生させたとして、そのHzが1上がるごとに、hの絶対値分のエネルギーが増える。 (注:「そのHzが1上がるごとに、hの絶対値分のエネルギーが増える」という事象実態は正しい) ・・・何を言いたいのかというと、小数点以下の周波数をもつ電磁波の表記にお目にかかったことがないので、それがあるか否か、という問題認識にとらわれた、そういう電磁波もあるはずだ――、ということを言いたいのである―― ・・・以上は、先に述べた時間の決め方からでてくる、Hz(回数/秒)とは別な問題なんだが・・・ (加筆) ・・・どうにも表現がむずかしい・・・ で、まずは、頭の中のモヤモヤをメモしていこう・重複を含めて――ここまでも、そういったメモなんだが・・・ ――上述「1」・・・どんな周波数の電磁波も存在するか否か? ――先にも述べたが、基本周波数1(時間の定義の問題がそこにはある)の電磁波は、プランク定数の絶対値のエネルギーをもっている。 1Hz振動数(周波数)が増えると、プランク定数の絶対値のエネルギーだけエネルギーが増える――これは正しい――。 結局・・・、現行の秒のもとでは、周波数1未満の周波数の電磁波は生じないだろう ――しかしたとえば、今の秒の定義のもとで、最低周波数が1.2Hz、ということはありうる。 仮にそれが1.2Hzであれば、ひとつ上の周波数は2.2Hzになりそうだが・・・、一応そうなるわけだが・・・、ここには複雑な謎がでてくる・・・ナゾナゾしい・・・。それについては、後の方に記す――。 (ここからは、後にいくほど、正解に近づいていると思う――ただし、筆者がそう思っているだけであって、実際にそうなのかは別問題である・筆者は、かん違いするのも間違うのも得意であるから――。よって、その途中での記述には間違いが複数ある) しかし、周波数1以上の電磁波について言うと、自然数の周波数だけではなく、小数点以下何桁もの値をもつ周波数の電磁波は存在するはずである、と思える。 繰り返しになるが、電子回路の組み方で、そういう周波数の電磁波を発生させることができるとまずは思うんだが(上に既述)・・・。 その「小数点以下何桁もの値」に下限値はあるのだろうか? それがプランク定数からでてくるだろうか? ――この表現は逆・つまり大自然の在り方からプランク定数がでてくる、その中でのこと――なんだが、普通に書くとこういうことになる。 で、 周波数の上限値は、プランク定数からでてくるだろう――この表現は逆・つまり大自然の在り方からプランク定数がでてくる。その中でのこと――なんだが、普通に書くとこういうことになる。 (頭が困っている・・・独楽ってる・・・駒ってる・・・小待ってる・・・独楽っtell・・・小待ってる) ――以上の謎について、うまく表現できない―― (加筆) ――頭の整理がつかないので、繰り返しを含めて書いていこう―― さらに・・・ 先にも述べたが・・・ 電磁波の周波数の上限はどこにあるのだろうという問題もある。 それについては、先に述べたとおり、プランク定数からでてくるのではないだろうか? ――もやもやとした謎の雲と霧と靄が、頭の中にかかっていて整理がつかないので、どうにもヘタクソな記述になっている・・・ヘタヘタクソクソヘータクソ―― 下限は一応1Hzだろう? が、上述の内容からいくと、ゼロコンマいくつか、という電磁波(超超長波だ)もある? ――既に述べたが、それはないだろう。 電磁波としては、1Hzが下限だろう。 しかし、 プランク定数分の1秒あたりのエネルギーをもてる周波数の下限が1Hzだとしても、 先に述べた時間の定義から言って、電磁波のHzがきれいに自然数になるとは思えない。 先の「1」: 1・小数点以下の値のある周波数の電磁波があるはずである。 それは電子回路によっては可能だ(そのはずである)(既述)。 そのばあい、その周波数に自然数を足した周波数の電磁波はいくらでも生成できるだろう。 たとえば、123.321Hzの電磁波を発生させたとして、そのHzが1上がるごとに、hの絶対値分のエネルギーが増える――つまりそのばあい、次は「124.321Hz」になるだろう。 (ここにも問題がある――見えにくい・把握しにくい謎が) (――ヘンな謎・問題に頭をつっこんでしまった・・・ややこしいナゾナゾしい――) \(謎だ謎だ謎だ~~~)/ ――; ・・・で、少し整理すると――いいかげんにしか整理できないが・・・ *時間の定義は偶然によっている *それは宇宙の本質とつながっていない *そうであるのに、量子論においては、自然数Hzの電磁波しかでてこない (ここは後で加筆――この記述は、不正確かもしれない。 文献にもよるが、電磁波(光も)は、「エネルギー量子hνの整数倍」のエネルギーをもつ、という記述が普通に行われているのかもしれない(見た文献の数はそう多くないが)(筆者がどういう項目でそれを見たか、そこも問題だが・覚えていない。ともかく、プランクの研究を記すなら詳しく書かないと誤解を招く)。 そこでは、νが小数点以下の値をもっているかどうかについて、巧妙に避けている、と思える・・・それだとνは小数点以下の値をもちうる・・・しかし、文献にあるグラフでは、電磁波の周波数は自然数Hzである、と思わせるものがある。 ・・・と考え直し、そのあとまた考え直したが・・・、 ・・・またまたまた考え直した――やはり、そこでは、電磁波の周波数を自然数として扱っているとみなせる―― ・・・まあ、とにかく現行の時間単位の秒で、電磁波の最低周波数は、1Hzになる、と思える(これはおかしいだろう)・・・そこから、電磁波の周波数は自然数になると結論されると思われる(とまずは思える。あとの方にそれに関連していろいろ述べる))。 ・・・ところで、文献sには、離れた上述「エネルギー量子hνの整数倍」と記してある――「自然数」ではなく「整数」と記述してある・・・それだとマイナスの周波数かマイナスのエネルギーのどちらかもでてくることになる・・・そこは「正の整数=自然数」と記すべきだろう・・・と思ったが、いや、マイナスのエネルギーとかマイナスの周波数が存在する可能性もあるのかもしれない・数学を使うと不思議な可能性の世界がでてくるもんだ・ただし、そういったことは、現実の中で検証されなくてはならないが・・・―― さらに、繰り返しになるが、文献sには、離れた上述「エネルギー量子hνの整数倍」と記してある。つまり、hνの整数倍と書かれている――nhν――。 ――これは、発生源から、1つの周波数の電磁波・光子だけが発生しているばあい、そこからでてくる電磁波・光子の個数が、n個である、と解釈すべきであり、それ以外の解釈はまちがいである。 ・・・単に、「hνの整数倍」と記すと、「電磁波・光子のもつエネルギーは、hνの整数倍である」と記されているように見える――そういう文献sしかないようだ? 筆者が見た限りにおいて(筆者がどういう項目でそれを見たか、そこも問題だが・覚えていない。ともかく、プランクの研究を記すなら詳しく書かないと誤解を招く)。 そういう記述より、あとに述べる記述がよい(プランクの研究についてではなく)――それをかんたんに言うと、電磁波・光子1個(1粒)のもつエネルギーは、「h×1(Hz)」の自然数倍である、ということである――。 さらに上述に関連して、プランクの研究においてなんだが・・・、 加熱した空洞の小さな穴からの放射(黒体放射)においては、初めはエネルギー等分配則を適用して考え、のちにエネルギー等分配則を否定し、E=nhν、という結論を出している。 参考・・・周波数が一種類の電磁波だけが、そこから発生するとすれば、エネルギー等分配則は成りたつ。 周波数の異なる電磁波sが共にあれば、エネルギー等分配則は成立しない(ここはもっと詳しく書かないと誤解を招くがこれくらいにしておこう)。 その黒体放射において、温度が高くなると、周波数・振動数の高い電磁波・光子が、相対的により多くでてくるようになる(電磁波といっても、いわゆる電波はでないだろうが? 。ここで言う電磁波とは赤外線や可視光のことである・紫外線はいくらかでるか? )。 そこらのデータのグラフで、そのデータに説明のつく公式――左半分と右半分で成りたつふたつの法則を参考にして――右半分についての公式は、ウィーンの公式――黒体放射の公式を、プランクが発見した(弟子もそれに貢献した)。 そのあと、その公式の物理的意味を追求して、「E=nhν」という結論――いってみれば、電磁波・光子におけるエネルギーのディジタル性・・hν(エネルギー量子)として現われる――という結論を得たのだった。 そのあと、アインシュタインが、ボルツマンのエントロピーの公式と、ウィーンの公式などを用いて、そこらを一般化した。 ・・・ここで付記を: 結局・・・ ここに書くのは、上述の「文献にもよるが、電磁波(光も)は、『エネルギー量子hνの整数(n)倍』のエネルギーをもつ、という記述が普通に行われているのかもしれない(筆者が見た文献の数はそう多くないが)(筆者がどういう項目でそれを見たか、そこも問題だが・覚えていない。ともかく、プランクの研究を記すなら詳しく書かないと誤解を招く)」、 と、 それにかかわる系での内容とその記述において不備をもつところについて言うと――ここでは、プランクの研究についての文献sではなく、光のエネルギーについての短い説明などの文献s、においてのこと(筆者が見た限りの)、なんだが――・・・ そこらにおいては、それ「整数(n)」は、プランクの研究における「エネルギー等分配則(あとから否定された)」にある、「整数(n)」を指しているのである。 それを、たいした説明もつけずに、持ちだしているので、混乱を招く(どういう混乱かは、次以降にでてくる)。 加えて、「光のエネルギーは」といったふうに、「光」に限定をつける形容をしていないこと――たとえば、「振動数νだけををもつ光の一群」なのか、「振動数νをもつ1個(一粒)の光子」について言っているのか、わからないような記述がなされている(見た文献の数は少ないが)(・・・他の内容の説明においても、そういった形容を付していないために、誤解を招く個所もあった)。 そこから、1個(一粒)の光子のもつエネルギーは、「hνの整数(n)倍」である、といった誤解がでてくる可能性があるのである。 そういうことなので、そこをすっきりと書くと、 「振動数νの1個(一粒)の光子のもつエネルギーは『hν』」、 「振動数νの光子s(n個)の一集団の有するエネルギーは、『nhν』」、 である、 となる。 (以上、筆者が見た文献sに限っての話しである。そういった誤解を招かない表現の文献sもあった)(筆者が見た文献の数はそう多くないが)(筆者がどういう項目でそれを見たか、そこも問題だが・覚えていない。ともかく、プランクの研究を記すなら詳しく書かないと誤解を招く) ・・・以上、付記・・・ ・・・さて、付記の前に遡って・・・ で、電磁波・光子は、1周波数あたり、hの絶対値の分のエネルギーをもつということは物理的事実である・・・ 以上、参考・・・ 参考から抜けでて・・・ しかも、黒体放射における、黒体のもつ総エネルギーには上限がある。 そこらを理解すると(詳述すると煩雑になるので省略)、 やはり、最低周波数1Hzの電磁波のもつエネルギーは「h×1(Hz)」=h’となり (h’の単位はエネルギーとなる。いちいちプランク定数の絶対値をエネルギーとしての値にしたもの、などと書くのがめんどうなので、h’と書こう)、 電磁波・光子の周波数が1上がる毎に、h’がひとつ加わっていく、ということになる。周波数がXHzだと、「h’かけるX」のエネルギーをもつことになる) *・・・上述の参考などからでて、前に戻って・・・ それ「電磁波・光子の周波数が自然数になること」はどう考えてもおかしいとまずは思う *時間の定義がそうなのであるから、電磁波が自然数Hzになっているとしたら、それは偶然だ。その偶然が起こる確率は、無限小に近そうだ・・・「A」 *電子回路によっては、自然数Hz以外の電磁波を発生させることができるはず 、まずはそう思う(既述)(ただし、古典論でいくとそう思えるだけのことであって、量子論では結果は異なる) *自然数Hzでない電磁波もいろいろ飛び交っているのだろうか? *もしそうなら、そこにある法則はなんなんだろう? *いやまてよ、プランク定数が、今現在の時間の単位から、電磁波が自然数Hzになるように決められていると言えるのだろうか? ・・・「問題X」 *上述・・・「問題X」について考えていこう・・・ ??? どう考えても、電磁波のHzが自然数になるはずがないとまずは思う 今現在の時間の定義の中で、そうなるはずがない ??? ・・・なにか間違っているだろうか・・・ (――悩ましい――頭をハゲしくかきむしるとハゲハゲしくなるので、それはやらないとしても、悩ましい――女子について悩ましいのであれば大歓迎なんだが――悶悶モンモンとしてモン句を言うしかない――モンモンモン――) ・・・上述「問題X」について・・・ ・・・それはないはずだ・・・ プランク定数が発見される前に、「1・時間の単位・秒が『偶然に則って(先述)』定義されている」 ・・・電磁波の周波数はその「秒」と、「2・自然界にある電磁波の発生原理」、「3・電子回路によって発生する電磁波の発生原理」、に則って決まる。 (ここも後述で深められる) A・その「1」だけによってでも、 「問題X」についての解答は「そうは言えない」となり、 「A*時間の定義がそうなのであるから、電磁波が自然数Hzになっているとしたら、それは偶然だ。その偶然が起こる確率は、無限小に近そうだ・・・」が答えになると思われる。 それに、「3」では、端数をもつ周波数の電磁波を発生できるはずである。 (ここAは離れた後述で訂正される)。 次に「2」について考えてみよう・・・ それを考えるにあたって、今現在用いられている原子時計の振動数について考えてみよう。 まず、「自由な原子・分子」に対して外乱がなければ、その振動数は一定、とされている(――これも誤差がでるというか、極めて桁外れに小さくだが一定ではなさそうだが――)。 そこにおいて、その理想的な条件・自由かつ外乱のない条件で、その振動数をカウントしたとしても――1s分のカウントをしたとしても、きっかり1sにならないだろう――つまり極めて桁外れに小さい端数がでるだろう――。 そのことは、自然界で発生する電磁波の周波数は自然数になっていないということを意味する。 つまり、「2・自然界にある電磁波の発生原理」において、電磁波が発生したケースにおいても、その電磁波の周波数は自然数になっていないということである――コンマ以下、値が並ぶということ――。 次に、自然界では、「自由かつ外乱のない条件」はありえない(わずかに例外はあるかもしれないが)。 その条件のもとでは、「原子・分子」の振動数は一定ではない。 たとえば、今現在正確性がもっとも高いセシウム原子時計においても、誤差10兆分の1という実態をもつ。 そのことは、その周波数は自然数になっていないということである――コンマ以下、値が並ぶということ――を意味する。 その「正確性がもっとも高い(上述)」、「(これは初出だが・・・)水素メーザーは数時間程度の周波数安定度が優れている」という表現・記述――文献にあった――自体も、上述と同じく、その周波数は自然数になっていないということを意味している――コンマ以下、値が並ぶということ――を意味する。 \(やっと結論がでたー)/ 「電磁波の周波数は自然数になっていない――コンマ以下、値が並ぶということ――」 (ここは離れた後述で訂正される)。 「ただし、ある周波数からひとつ上の周波数の電磁波の周波数はプラス1になっている」 ・・・それであるのに、量子力学においては、「電磁波の周波数は自然数になっている」かのような記述しかないようだ・・・ ・・・そこでもう一回繰り返しておこう・・・ 「電磁波の周波数は自然数になっていない――コンマ以下、値が並ぶということ――」(ここは離れた後述で訂正される) 「ただし、ある周波数からひとつ上の周波数の電磁波の周波数は、前プラス1になっている」 *上述とは着眼を変えて・・・既述しているが・・・プランク定数については、時間の定義を変えても、エネルギーの方の値が、それに応じて変わるから、問題にはならない。 ・・・推測・未確認なんだが・・・ プランクの時代には、電磁波の周波数を精密に計測する装置はなかったはずだ(――空洞放射における温度による光の色、そこらの実験、それのグラフ、電磁波関係の数式(方程式、公式)、+α、から推測していたのだろう・・・ここの記述は不完全だろうが――)。 よって、周波数をキレのよい自然数にした可能性もある。 電磁波のエネルギー量子がひとつ増えれば、周波数もひとつ上がる;それなら、周波数もキレのよい自然数にしよう、ということだったのではないか? ・・・しかも、現在の精密な周波数計測機器においても、コンマ以下は切り上げか切り下げしているのではないか? (――それについて、いろいろ調べてみたが、そんなに精密ではなさそうだ。よって、切り上げか切り下げを行っている可能性は非常に高いと思われる――) ・・・一応結論はでたがまだ研究中・・・どこかに誤りがあるかもしれないので(全然、確信・自信がない・・・筆者は、かん違いするのも間違うのも得意)・・・ 上にその他さまざま記しているが、それらの多くはここでは省略して・・・、 *電子回路を用いると、小数点以下の値をもった電磁波の発生は可能だろう(既述) そこでは、周波数は自然に、最も近い自然数に修正されるのだろう――プランク定数の実態効果によって―― ・・・これだろうか ・・・結論がひっくり返った! ――笑――・・・・・・ いや、でもなんかおかしい・・・ もっとよく考えてみよう・・・ ――電子回路での電磁波の発生と言っても(ここでは量子論にもとづいて考える)、電磁波発生の原理は、原子と電子などのエネルギー状態の変化から起こる、ということだ(LC回路)(水晶発信器では、切り出した水晶の種類・形・寸法で決まる~力学的にも振動する)。 ・・・と考えると、そこはデジタルになっており、電磁波はとびとびの量をとりそうである――つまり、後述の「しかし、プランク定数から言って、 *最低の周波数は1Hzになる そこから1が次々に足されていく周波数が可能である それ以外の周波数は発生しない」 ということになりそうである。 ――以上には、「?」を付す―― (あとにつづく) (研究中) ・・・・・・???またまた蒸し返すが???・・・、 *時間の「秒(s)」は偶然の中で決まった 1・よって、電磁波の周波数が自然数になる確率はほぼゼロだろう しかし、プランク定数から言って、 *最低の周波数は1Hzになる そこから1が次々に足されていく周波数が可能である それ以外の周波数は発生しない *偶然において決まった「秒」を用いた周波数において、プランク定数は決まっている(上述「1」) プランク定数から「秒」が出てきたのではない 「秒」の定義を変えれば、それに応じてプランク定数の値も変わる *プランクは、荷電振動子を仮定し、なんの裏づけもなく、その周波数を自然数にした そのばあいでも、周波数は自然数になるしかないか? ☆――ここだ! どう考えればいいのだろう―― たとえば、今の「1.2秒」を「新1秒」と定義しなおすと、それに応じてプランク定数の値も変わる ――ここでは代数を用いず、たとえば、1.2秒、として話しを進めよう・・・その方がイメージをつかみやすい・・・あとで1.2をX(1×X)と置き換えれば代数処理ができる) 「新1秒」での最低周波数1Hzの電磁波のもつエネルギーはプランク定数の絶対値の1.2倍になる・プランク定数の値が1.2倍になる(直観でまずはそういう結論がでた。・・・これでいいだろうか? こういうのはよくかん違いしてしまうからなあ・・・ここは間違っていないか? 基本から考え計算しないと・・・) で、そこをもっとよく考えてみると・・・ 実質的に1秒の長さが1.2倍になったのだから、 光速も、以前の1.2倍(1.2倍走る) 今までの1秒において、最低周波数1Hzの光子は、光速1秒の長さ(距離)に1振動の波 新しい1秒において、最低周波数1Hzの光子は、光速1秒の長さに1振動の波――「実質は前のそれの1.2倍」だ―― つまり、新しい秒における1振動のエネルギーは、前の秒における1振動のそれの1.2倍 よって、新しい秒におけるプランク定数の値は、前のそれの1.2倍 (これでいいだろうか? 間違ってないかな? ) ・・・以上のように、時間単位「秒」の決め方によって、1周波数あたりのもつエネルギーの値は変わってくる しかしなぜ、そのふたつのケースにおいて、周波数を自然数にしていいのだろうか 電子回路の理論からすると、そうではないとまずは思ってしまい、アナログ電子回路(ここはLC回路を想定している。水晶発信器はデジタルともアナログとも見なせるだろう)だからか、と考えてしまうが、そこは先述の 「――電子回路での電磁波の発生と言っても、電磁波発生の原理は、原子と電子などのエネルギー状態の変化から起こる、ということだ・しかも量子論が記述する法則に従う。 そこはデジタルになっており、電磁波はとびとびの量をとる――つまり、後述の「しかし、プランク定数から言って、 *最低の周波数は1Hzになる そこから1が次々に足されていく周波数が可能である それ以外の周波数は発生しない」 ということになる。 (――デジタル電子回路でも結局は同じだ――) ――以上には「?」をつける―― 既述*電子回路を用いると、小数点以下の値をもった電磁波の発生は可能だろう そこでは、周波数は自然に、最も近い自然数に修正されるのだろう――プランク定数の実態効果によって―― ・・・これだろうか 既述*プランクは、荷電振動子を仮定し、なんの裏づけもなく、その周波数を自然数にした (ここに書いてあったこれはボツ→「周波数が自然数になる時間単位としての「秒」を仮定する それを「X1(この1は、現在の1秒の1)」とする」←これはもう必要ない、離れた上述と離れた後述で解決している) (加筆) どんな時間単位での周波数における1振動も、「そこでのプランク定数(そこに応じて変わる)」のもつ絶対値の値のエネルギーをもつ 既述*プランク定数については、時間の定義を変えても、エネルギーの方の値が、それに応じて変わるから、問題にはならない。 よって、最小エネルギー単位(デジタル)をもつプランク定数の実態から、周波数は自然数になる ――プランク定数は、それぞれの時間単位に応じて定まってくるのであるから―― (注・・・波について言うと、定在波・定常波というのは、波数が自然数になっている。原子における電子のエネルギー状態もそれと同じことになっている。 ――この事象をここでの問題に結びつけるのは――結びつけるのは正しいと思われるんだが――そうかんたんではなさそうだ――表現・記述がむずかしい――そうは言っても事実は決まっているわけだ――) \(やっと結論がでたー↓)/ (これとは反対の結論を前にも同じように記したが・笑) 「つまり、どんな時間単位においても、周波数を自然数として、プランク定数の値を決めればよい(というか自然に定まる) そこから、どんな時間単位においても、周波数は自然数でよいことになることがわかる (付記・最小エネルギー単位・デジタル、という実態があるのであるから――これだけでは理解するのがむずかしいが――)」 そこにおける基本は・・・ 「デジタル・最小エネルギー単位、定在波、記述はどうでもいい・記述内容に応じて値は変わる」 ということだろう・・・ ただし・・・、 どんな時間体系においても、光子(電磁波)の周波数は自然数にしてよい、ということは、光子(電磁波)の実態は一体どうなっているんだろう、という問いをもたらす――周波数も波長も定まっていない、ということか? 光子(電磁波)についての謎がまた増えた)。 (――座標変換との関係はどうなっている? ・・・まためんどうな問題に首を突っ込んだのかもしれない――) (↑これでいいかな? ) ――この課題はややこしすぎる―― まだまだすっきりしないので、マタ股玉又マタまた蒸し返して(JK入り)、 最もわかりやすいように整理すると・・・、 どんな時間単位の系においても、電磁波の周波数は1Hzから始めることができ(わかりやすくするための説明)、それに次々に1を加えていく周波数(自然数)の電磁波が実現可能である。 そこでの1周波数あたりがもつエネルギーは、それぞれの時間単位の系ごとに異なる。 ・・・そういうことなんだろう。 なんかヘンな感じがするが、そうなんだろう。 すると、ここでマタまた謎の暗雲が筆者のオンボロ頭の中に発生するではないか・・・ それはどういうことかと言うと・・・、 となると――どんな時間単位でもOKとなると――、 光子・電磁波という存在の振動(数)はない、ということにならないか? なんとも不思議な感じだ。 (これもなんか間違ってないか? ) ・・・うーん、このセクションの課題は極めてナゾナゾしくややこしい・・・ \(謎だ謎だ謎だ~~~)/ (なんか間違っていないかな? 筆者は、かん違いするのも間違うのも得意だから) ・・・いやはや、勘違いや間違いに入り込んだり、かなり長い変遷を経てようやくここまでたどり着いたものの・・・、このセクションについては、もっともっとよくよく考えるべきだ・・・ (加筆) ・・・ここでまたまた結論が反転するのであった・・・いやはやいやはや・・・ (><;)XD それを論じるにあたって、以下が必要なので、上述から抜粋・・・ 【【【1・小数点以下の値のある周波数の電磁波があるはずである。 それは電子回路によっては可能だ。 *時間の定義がそうなのであるから、電磁波が自然数Hzになっているとしたら、それは偶然だ。その偶然が起こる確率は、無限小に近そうだ・・・「A」 上略・・・ 「「A*時間の定義がそうなのであるから、電磁波が自然数Hzになっているとしたら、それは偶然だ。その偶然が起こる確率は、無限小に近そうだ・・・」が答えになると思われる。 それに、「3」では、端数をもつ周波数の電磁波を発生できるはずである」 (付記:「2・自然界にある電磁波の発生原理」、「3・電子回路によって発生する電磁波の発生原理」) 上略・・・ 「そこにおいて、その理想的な条件・自由かつ外乱のない条件で、その周波数をカウントしたとしても――1s分のカウントをしたとしても、きっかり1sにならないだろう――つまり極めて桁外れに小さい端数がでるだろう――。 そのことは、自然界で発生する電磁波の周波数は自然数になっていないということを意味する」 ・・・下略: 上略・・・ 「たとえば、今現在正確性がもっとも高いセシウム原子時計においても、誤差10兆分の1という結果をもつ。 そのことは、その周波数は自然数になっていないということである――コンマ以下、値が並ぶということ――を意味する」 ・・・下略: 上略・・・ 「その「正確性がもっとも高い(上述)」、「(これは初出だが・・・)水素メーザーは数時間程度の周波数安定度が優れている」という表現・記述――文献にあった――自体も、上述と同じく、その周波数は自然数になっていないということを意味している――コンマ以下、値が並ぶということ――を意味する」 ・・・下略: \(やっと結論がでたー)/ 「電磁波の周波数は自然数になっていない――コンマ以下、値が並ぶということ――」】】】 以下も再掲・・・ 上略・・・【既述した一部分を再掲・・・ 「――電子回路での電磁波の発生と言っても、電磁波発生の原理は、原子と電子などのエネルギー状態の変化から起こる、ということだ。 そこはデジタルになっており、電磁波はとびとびの量をとる」】 ・・・下略: これも再掲・・・ 【「・・・推測・未確認なんだが・・・ プランクの時代には、電磁波の周波数を精密に計測する装置はなかったはずだ。 よって、周波数をキレのよい自然数にした可能性もある。 エネルギー量子がひとつ増えれば、周波数もひとつ上がる;それなら、周波数もキレのよい自然数にしよう、ということだったのではないか? ・・・しかも、現在の精密な周波数計測機器においても、コンマ以下は切り上げか切り下げしているのではないか? 」】 ・・・以上、再掲: (以下、最新の結論) さて、ここで、こういう疑問がでてくる(前にも記しているが)・・・ 電磁波の周波数の計測器・最も精密なそれを含めて、計測した周波数の切り上げか切り下げをやって、自然数にしているのではないか? 電磁波の最低周波数はたとえば、 1.12Hz とか 0.91Hz などとなっているのではないか。 それを計測器が切り上げか切り下げをやっているのではないか――現行の秒のもとで。 そこで、電磁波の最低周波数を計測したいものである。 で、 最低周波数を計測することができないのなら、たとえば、100Hz近辺の電磁波の周波数を精密に計測して、そこから最低周波数を計算すればよい。 そこでの計測結果が、たとえば、 100.643Hz とか 99.662Hz などと出たとする。 それを100で除すれば(割れば)、最低周波数なる周波数がでてくる。 ――加筆――そう単純ではない―― 100.643Hzの方は、最高100で、99とか98で割るべきだろう。 99.662Hzの方は、最高99で、98、97、96、などで割るべきだろう。 その根拠は・・・、 電磁波(光子)の周波数が1上がれば、プランク定数hの絶対値の値のエネルギー分が増える、そこから、現行の秒のもとでの最低周波数は1Hzということになる、 しかし、そのばあい、たとえば、0.1Hz分のゲタを履かせている可能性がある(切り上げ、切捨て)。 そのケースでの最低周波数1Hzは、実際には1.1Hzである、ということだ。 ・・・ここで謎のひとつが解けた・・・ で、そうやって、そのゲタ(底上げ)の分の値を得るために、割る数値をそうやって低める必要があるのである。 そうやって、低い値で割るのであるが、あとは計測器の精度と相談して、そのゲタ(底上げ)の分の値を決めることになる。 (そこは少しむずかしゐだろう) さて、そうやって、最低周波数が、その例えの「1.1Hz」だったとしよう。 その最低周波数を「1(Hz)」とする。 そこから、物理学用の「秒」が決まる。 その秒は現行の秒とは長さ(経過の長さ)が異なる。 日常生活に使う現行の秒はそのまま用いればよい。 しかし、物理学や電子工学などにおいては、新しいその秒を用いた方が合理的である(変更にあたっては、いろいろめんどうなことが起こるだろうが)。 これで、晴れて、時間単位・秒と電磁波が結婚できる・・・、というのはたとえであって、晴れて、電磁波の周波数は自然数となる・・・ めでたし目出たし・・・ (◎_◎) めで鯛目で鯛・・・ ___/} ◎__ } ~~ \} で、 その新しい秒と、現行の秒の比を求めれば、換算はかんたんである(手早く計算するばあいは、極ごく極めて小さい端数はでるだろうが)。 そこから、プランク定数の値が定まる。 光速の値も異なってくる。 ほかにも、値が変わる単位もでてくるだろう。 (――以上、この結論は、またさらに変更するかもしれないが・・・ほんとにややこしい課題なので――) 参考・・・ *(最小)エネルギー量子(プランク定数×1(Hz)~それの自然数倍のエネルギー量子)、があるということは、エネルギーは無限に薄まったり拡散したりすることがない、ということを意味する。 そこは、アナログではなく、デジタルの世界である、とも言える。 で、プランク定数の値が、不確定性によって、変動するという可能性があるかどうか? (これは、エネルギーと時間の間の不確定性とは別な話なんだが) ・・・それは、あるかもしれないし、ないかもしれない、と無難にまとめておこう・笑。 *(素)粒子や電磁波の世界は、ある意味、定在波的な実態にあるのだろう? (例外はある? )。そこから、デジタル性がでてくるのだろう? (定在波的存在sと、それらが粒子化した存在s、それらがこの宇宙を形成しているのだろう? ・・・この文言は「超ひも理論」を思わせる・・・) *しかし、そこから、電磁波の最低周波数は1Hzであるとか、電磁波の周波数は自然数になっている、という結論はでてこない――現行の秒(偶然によって決められた)のもとでは――。 *現行の秒が、偶然によって決まり、その秒のもとで電磁波(光子)の周波数が決まり、そのもとでプランク定数の値が定められている。 秒→Hz→プランク定数である。 最初に、現行の秒のもとではなく、周波数が自然数になるところの、物理的に固有の秒にもとづいたプランク定数の値がわかっていれば、そこから、物理的に固有の秒がでてくるのであるが (なんかヘンな論理だが、こう書くしかない・・・その秒を知らずに、そのプランク定数の値がわかれば、という意味である)、 物理的に固有の秒がわからないから、こうやって苦労しているのである。 ・・・以上、参考: 筆者の最新の結論は以上――上述(以下、最新の結論)、以下――である。 この先、またまた結論を変更するかもしれないが・・・(この課題はとにかく、ナゾナゾしく、ややこしいので)・・・ ・・・しかしともかく、電磁波の周波数が自然数となる秒の値という実態はある。それ以外の定義の秒では、電磁波の周波数は自然数とはならない・・・どう考えてもそうだと思える・・・ (・・・大宇宙・大自然は人間にさまざまなナゾを突きつける~~やーい、やーい、人間ども解いてみろ~~と・・・人間はそのナゾを解こうと一生懸命になる・・・さまざまな領域のナゾたち~「科学・人文・社会・生産・産業・商業・企業・生活・学問・芸術・生きていて遭遇するすべて・などなど~におけるナゾたち」・・・大宇宙・大自然はナゾナゾの名人であり人間の先生でもある~・・・しかしそれにしても~人間はちっぽけなり~・・・大海に漂う笹舟~それが人間~・・・それでも人間は負けない・・・永遠につづく転生もあることだし・・・) (加筆) 以上の研究は次の設問からでてきた・・・ 【心的内容情報スペクトルひとコマ分の時間はいくらだろうか? (非常に小さい値の秒だろうが) それについて考えるにあたって、まず、次のような問いをたててみよう・・・ 「心的内容情報スペクトル要素」 または 「エネルギー・非経時変化・粒子モード情報スペクトル心的内容」=「心的内容情報スペクトル」、 と プランク時間、 との間に関係があるだろうか? ・・・「1」(設問) 「心的内容情報スペクトル要素」の周期・・・これにはさまざまな周期がある。 その周期と、プランク時間、との間に関係があるだろうか? ・・・ というのが上の設問「1」である】 さて、心的情報スペクトル要素も、心的情報スペクトルも、関係があるケースと関係がないケースがあるだろう。 つまり、 プランク時間の自然数倍――極端に桁外れの自然数倍だが――になっているケースと、そうはなっていないケースがあるだろう。 それで何の問題もない。 その根拠は・・・、 上述のさまざまと、プランク時間の定義――その定義は、プランク定数、真空中の光速、重力定数、からなされている。 つまり、プランク時間は、それらからくる (プランク時間からそれらがくる可能性もあるが――それらは相思相愛で・笑・一緒にでてきた可能性もある――) デジタルの値をもつ時間単位である。 そのプランク時間だが・・・、 この世界の時間が一元の基本原理によって定まっているのであれば(相対性理論のもとで)、 それら「その周期と、プランク時間と」の間に関係がある可能性は非常に高いだろう。 ――上に、「一元の基本原理」と記したので強調しておくと・・・ ただし、自由意思・意志はある――自由意思・意志については詳細にして多く既述している―― しかし、 それらの間に関係があろうがなかろうが、心脳科学にはなんの問題もない。 ・・・まあ、こんなところで一応切り上げておこう・・・必要になったらまた追究する、ということにして・・・ ・・・さて、ここらで、飲み物で気分転換をはかろう・・・ごくごく・・・酵母君たちは素晴らしい・・・ごくごく・・・イースト菌君たちは感心なり・・・大自然の絶妙・・・大自然のできのよさ・・・ごくごく・・・ウイッ・・・ウイッ・・・笑・・・ところで、ウイッ(ウィ)というのはフランス語で「はい」という意味なんだが・・・笑・・・ウイッ・・・「チュウ・はい、のこと? 」・・・ノン・・・別な飲み物だヨン・・・で、糖分が「腐乱す・フランス」るとアルコールができる(ここでは発酵だが・・・酵母君たちは偉大なり)・・・ウイッ・・・ヨーロッパライのフランス・・・ウイッ・・・さらに遊びまくって・・・と思ったが・・・人生は質時間回帰でできている・・・ここらでふにゃけるのを止めよう・・・さて、以上も言葉のクオリア研究と心脳の現実の叙述になっている、と締めて、別なことを始めよう・・・ウイッ・・・ (加筆) ・・・ここでは、既定の時間の「秒」で論じるだけでいい。 さて、この世界はすべてがデジタル? ・・・すべては構成要素から成っている・それら構成要素sはすべてデジタルのようだ? であるから、量子論が生まれた、と。 時間もデジタル? ――プランク時間はそう言っているようなもんだが―― とすれば、時間は一意的に決まっている? ――これは、相対性理論のもとで論じているのであり、離れた上述の「どんな時間体系」についての言及である――これは、どんな時間体系でもOKかというと、そうではなく、ひとつだけこの世界の在りように適った時間体系があるのではないか、という意味に(で)ある―― ――とまずは思ったが、離れた上述の「1秒と1.2秒」の関係の理論から言うと、なにかおかしなことにならないか? ―― (うーん、またまた謎の領域に突入してしまった) (・・・なんか、ハゲではなく不毛な領域に髪のある頭を突っ込んでしまったのではないか・・・頭には髪がある、考えすぎて素敵に不毛なハゲにならないように注意しよう・・・ここですべって転んで転調して・・・ハゲからホクロ2つをとるとハケだが、ハケは毛がフサフサだから、頭の髪については、ハケを目標にしよう・・・「ハケを拝んで髪フサフサ」=「鰯の頭も信心から」・・・新しいコトワザができた・笑・・・研究が難渋してストレスが溜まったら、こうやってふにゃけるのがベストだ・ふにゃふにゃ・ふにゃふにゃになるとストレスは解消され活力が戻ってくる・・・それは心脳の現実だ・・・このカッコ内の記述活動も日本語のクオリア研究の一環であり、心脳活動の現実の記録活動でもある、と締めておこう・・・) (研究中) (加筆) で、最初の問い 「心的内容情報スペクトルひとコマ分の時間はいくらだろうか? (非常に小さい値の秒だろうが)」 なんだが・・・、 ・・・むずかしい、むつかしい、むかつしい、むかむか、困った独楽った、駒った困った、小待った小待った・・・ 小待ったあとに・・・ 起源情報スペクトルをひとまとめにしている周期であるデルタtが目安になるだろう 心器の活動単位も目安になる? それをどうやって計測する? そもそも、情報スペクトルの世界には実時間はなく、いくつもの周期s(無数の?周期?)があるだけだ そこから実時間がでてくるのだが、それら周期sから、どんな実時間がでてくるのかは、h(t)に変換してみなければわからない そういうむずかしい関係にある しかしまあ、 上述「起源情報スペクトルをひとまとめにしている周期であるデルタtが目安」だろう。その自然数倍あたりではないだろうか。 でさらに進めると・・・ 1・「起源情報スペクトルをひとまとめにしている周期であるデルタtのうちで(いろいろある)、一番ながいデルタt」 2・「1」の自然数倍 次は「心的内容情報スペクトルひとコマ分の時間」を、代数で「H(ひとコマ分)」と置こう。 3・心的内容情報スペクトルを構成するすべての情報スペクトル要素s、のもつ周期sを「Si(周期がいくつもあるので添え字iを付す)」と表記する。 心的内容情報スペクトルひとコマ分の時間を「H(ひとコマ分)」とする。 「H/Si」(すべてのiについての)が、割り切れるようになっている。 4・「3」で、割り切れなくてもよい可能性も考えられるので、「3」において、割りきれない実態の周期H(ひとコマ分の時間)。 5・「4」において、そのHのながさにはいくつもあるだろうから、その中の一番短いH。 6・「4」において、そのHのながさにはいくつもあるだろうから、その中の一番ながいH。 7・「5」と「6」以外のながさのHはいくつかあるだろうから、それらのうちのどれか。 以上のどれかだろう。 (――この課題については、結論はでなくても問題はないだろう――) (加筆) (研究中) ☆☆☆ 西山浩一(世界人・春楽天) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.10.21 07:34:59
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