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筆者がネット上に書いてゐる(載せてゐる)記事sの多くは、主要な言語sにおいては、翻訳されておるようじゃす。
その翻訳は大変そうじゃす――さらに加筆形式になると翻訳も読むことも大変じゃろうす――しかるにできるだけ早くアップロードした方がよいでせふと筆者は考へておるのじゃす――。 特定の専用ソフトを用いれば、そこらの困難は大きく減じられることは周知じゃろうす。 で、一応仕上げたら(とゐってもさらに加筆していくじゃろうすが)告知しませふ(これは過去にも書きもうした)。 (――筆者が書いている記事sは、書きなぐりのようなものであって、どれもが不完全であり、これからも加筆と訂正をつづけていきもうす―― ――それと・・・学校で学んだ内容以外については、本スレッドの論などを研究するのに必要な程度(かそれ以上)の習得しかしていないのじゃす。なにもかも知っているなどということは全くありもうさん)。 ・・・筆者の研究とウェブへのアップロードも極めて大変じゃす。 しかるに、筆者は苦しひながら、やり甲斐・生き甲斐を感ずるのでさういふことを続けておるのじゃす(――本スレッドなどの記述量は膨大なので、読み返すことも大変であり、重複や間違い、いいかげんなところ、加筆修正すべき個所sも多いでせふが、そこらについてはご了解あれかし――)。 ・・・ともあれ、筆者が英訳せずとも済み、ありがたひことじゃす。よき時代になりもうした。 それらをぜひ有効・有意義に活用してくだされ。 (――ちなみに・・・、筆者は警察と連絡を取りあっているのである――) ・・・過去に、心脳科学(仮説)の概要を、英訳していたのだが、主要な言語sにおいて、翻訳されていた・いるとなれば(ありがたいことに「ブロックチェーン的になる」)、翻訳の必要がなくなったので、その英訳を途中までで打ちきっているのじゃすた・・・ 本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せておりもうす。 本スレにある設問シリーズは千差万別じゃす。 「運命のノートシリーズ」も書いてありもうす。 「チャプター加筆形式」の記事シリーズでは、これがチャプター#3じゃす。 「チャプター加筆形式」の記事シリーズとしては、#1〜#2〜#3のほかにも、膨大な文章を書いている(3月25日’18・今加筆中の#3は、#882である) 筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので――人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて――すべての人間が、なんにおいてもそうじゃす――、メモのような書きつけをも載せておきもうそう。 (・・・付記・・「転生はある、といった文章を読んで納得して自殺することは禁じられておりもうす・この世界の法則の実態によって(既述)」・・・) ☆ 毎日あちこちに加筆しているのじゃすが・・・ さて、今回は・・・ 1月13日'18・の分が膨大じゃすたので、読んでいる・翻訳している方々が消化不良を起こさなひように、少し載せることにしませふ・・・といっても大量に載せることもありもうすが・・・ ☆ グチを一言・・・ 読み返さず新しい内容を書くことはかなり気楽にいけるんだが、本文を読み返して加筆やら推敲をなすことは、意欲と調子がでてノリノリの状態にならないときわめてむずかしいケースがかなり多い。 筆者の得意技の寝ぼけたような心脳の状態では、そういったことは大変だ。そういうばあいはうんざりすることもけっこう多い。自分で好きでやっているにもかかわらず「これを読み返して手を入れるのか。いったいなんの罰ゲームだ! 」といったところである(笑)。 ・・・つひでに・・・ 筆者は、ウェブ上に載せる文章も、だいたい一発殴り書き、がほとんどで、読み返して加筆訂正することはまずはないままに、載せている、という実態にありもうす。 加筆訂正推敲はそのうちやろう、ということなんじゃらす(その後からそれらをなすこともある程度ある)。 それでなければ、筆者の身体も頭も、もたない、といったところなので、ご了承あれ。 何も書かないよりはマシだと思し召しあれかし。 ・・・ここでコフィーカフェブレイクを・・・ ――「オボシメシ」とは、新種のウメボシ・オボシと白ご飯を併せた、ウメボシおにぎり(おむすび・地域によっては)のことではないのじゃらすが、そうオボシメシしてウメボシおにぎりを食べるのも一興でせふ――; ・・・ついでに・・・ 「おにぎり」、というのは、手でおにぎりを作る様子からの具体的なネーミングで、 「おむすび」というのは、ご飯粒をくっつけてひとまとめにする(結ぶ)、といった感じで、ちょっと抽象的なネーミングになっている)、と思う。 おまけに、「おむすび」だと、手で作らなくてもいい、ということもある。 「おむすび」も、手でそうやってご飯粒をくっつけて「ひとまとめにしている様子」からきている、と解すれば、「おにぎり」と似てはくるが――・・・ ☆☆☆――筆者も、カタいことばかり書かれた文書を読むのは苦痛であることもある。 そんな時は「フニャケた」文章を読みたくなるもんだ。 読者の方々も同じでせふ。 筆者の書くものに、ジョークやユーモアの部分がなかったら、「こんなもん、読みたくねえ〜」と、読まれない度合いが高まるでせふ。 ということで、時々、ジョーダン・ユーモアを盛り込んだ「フニャケた文章」を書くのは、読者の方々のためでもあるし、筆者の息抜きでもありもうす――☆☆☆ ☆☆☆ 加筆内容など・ピックアップコーナー (上略) 離れた上述、その線上でもうひとつ・・・ 「意識の同一性」と「人格の同一性」は異なる・・・心脳科学(仮説)に基づいたその説明: 「人格の同一性」は「心器」が保つ。それに「脳の傾向性」もいくらか参加・関与する。 で、「意識の同一性」について述べる前に、いくらか解説をなしておこう・・・ 心脳科学(仮説)において、 「心器〜心」と「意識器〜意識」 について、何度も詳細に解説した。それら定義sをなすべき必然性・必須性についても詳しく述べてある。 さて、以下、こういうことはほとんど書いてきていないんだが、ここに記しておこう・ (それに関連して・・・筆者が書く研究内容・内容・文章・叙述は、すべて筆者の独創による。・・・ただし当然ながら、慣用的なもの、既知の知見、断りなしに用いていいもの、は除いてのことである)・・・ そういう仮説sは、筆者が「心脳科学(仮説)」として世界初でうち出したのであって、今の世界・この分野でのすべての研究sにおいて唯一であり他には皆無である・ (――質の科学・仮説も同じくそうである。世界哲学も同じくそうである――) (――心的内容情報スペクトル要素〜スペクトル、起源スペクトル(起源情報スペクトル。固有情報スペクトル)、そこにおける(正あるいは逆)フーリエ変換的変換《心脳におけるその推測実態内容については詳細に既述》、エネルギー経時変化波動モード意識内容、なども同じくそうである――)。 一般的には、「意識」、「心」、「この分野でのその他s」、についての考え方と概念・定義が統一されておらず、この分野は混乱し混沌としている。 そこから、「意識の同一性」と「人格の同一性」は同じ概念・内容である、といったような主張がでてくるのである・ ・・・他にもそういった事例sは多い・ たとえば、 「言葉が意識である」、 「認識が意識である」、 「思考力は意識である――そこにはもちろん定義の問題もあるが――」、 「意図することは意識である――これは定義の問題にもなるが――)」、 などである。 ・・・心脳科学・仮説においては、必須である「意識」の精密なる定義に従って、それらの主張はとらない・・・。 さて、「意識の同一性」は、「人格の同一性」とはまったく異なる。 「意識の同一性」は、「意識器」が持っており保つ――「自分が自分であるところの意識、他人sと自分の意識はいつでも異なり、自分は常に自分だという意味での意識・・・『自分という純粋意識』、と言えばわかりやすいだろうか」――それは、「意識器(意識の器。繰り返しになるけれども、これも定義の問題であるが、意識という言葉があるので、それを用いるのが最適であり、そう用いている・・・過去に詳述している」が持っており保っている・ (――ここで表現記述すべくほかの表現を考えてみたが、たとえば「担保している」という単語はぬるい。「固有・本来的に持っており保っている」、ということである――)。 そこにおいて「心器(心の器。これも定義の問題であるが、心という言葉があるので、それを用いるのが最適であり、そう用いている・・・過去に詳述している」は関係ない。 ただし、「意識内容」に人格についての情報――意識内容の一部として――は入る。 ・・・以上それらに関連して万人が興味をもつであろう内容を述べると・・・まあ、以下これは「SF」だとみなしてもらってけっこうだが・・・(筆者は「SF」をいろんな意味に使うが)・・・ しかしこういうのをおもしろいと思う人びと・ワクワクする人たちがほとんどでせふ? ・・・中には惑惑したり恐がる人たちもおられるやもしれませぬが・・・ (・・・一時中断して・・・ ・・・「これは質時間回帰則の言だが:『(上述のように)惑惑したり恐がる人たちもいるでせふが、結局は薬局ではなくて・JK・質時間回帰内にそういった人たちもいるのじゃすから、将来は反転するのじゃす。それも質時間回帰なんじゃらす』」・・・・・・ ・・・多くの人たちは「質時間回帰」の意味内容を理解したいと思うでせふ・・・いや思わないでせふ・・・どうせ筆者をも含めて人間は○○であるから・・・それを含めてどこをどうとっても、なにもかにもが質時間回帰内にあるでせふ・・・一時的には質時間回帰に「逆らう」ことはできるものの(逆らっても総計すると元の木阿弥になる)、それはかなり短期的であり、中長期的には結局質時間回帰に向かう――総計して、完璧に質時間回帰する(質時間回帰則には、質時間を「総計する」働きもある)――・・・それについても既に詳述している・・・ ・・・以上、中断小話・・・) ・・・その前に一言・・・ ・・・こういった内容をもつ文章sを読んで、納得して自殺することは禁じられておりもうす・この世界の法則の実態によって・・・ さて、で、ほとんどの人たちはこう思ってゐるでせふ・ 「自分が自分であるのは、自分の『肉体、姿かたち容姿、境遇、人種・民族、家族〜家系、人々(身近〜遠い)との関係、自分の属している団体・組織〜国家、現在に至るまでのあらゆるさまざまな体験・経験・言動と現在までのあらゆるさまざまな記憶や身についたもの、才能・能力、身分、地位、立場、性別、心・精神・意識(この意識は普通に使う意識。心脳科学・仮説で定義している「意識」を除く。勘違いを招くので、ここでは、意識と言わず「自覚」「自覚する精神作用」などと言った方がいいが)、などなどのすべて』による。それらが自分にほかならない」――・ で、ほとんどの人はそこからさらにこう感じているでせふ・ 「だから、自分が死んだ後、それらがまったく同じ人間であるところの自分がまた生まれてくるなどということは絶対にありえない、絶対にない。よって、転生なんかあるはずがない、転生はない」――・ ほとんどの人はそう考えそう感じているでせふ――漠然と、にせよ――・ だがしかしところがどっこいどっこいしょ・・ 心脳科学(仮説)と質の科学(仮説)を適用して考えると、それらはすべて間違いである、という結論にいたる・・・ 心脳科学(仮説)において定義される「意識・意識のフィールド・意識の主体」――それは上述の普通一般に用いる「意識」とは異なる。 心脳科学(仮説)での「意識」は上述の普通一般に使う「意識」に含まれているにはいるが、その上述の「意識」にはさまざまな意味がごっちゃに混ざっているので、それらを正確に分離して、それぞれを正確に定義して用語をあてて用いないと科学的に扱えない。 しかも、普通一般には「意識」を、心脳科学(仮説)のいう「意識」の意味には用いていない。 ――それらについては既に詳細に記している――。 さてそこで、心脳科学(仮説)において定義される「意識〜意識のフィールド〜意識の主体」 ――「意識の主体」を「自分という純粋意識」と呼べばわかりやすいかもしれない―― において、 「意識のフィールド」と「純粋意識」は異なる。 「意識のフィールド」は「意識の器=意識器」であり物理的な存在であり、そこにある働き〜機能〜性質である「意識」が「意識の主体」=「(自分という)純粋意識」である・ ――それが自分と同じ人が自分の死後生まれたら、それは自分の転生(自分という純粋意識なる主体の転生)なのである。 ・・・参考――「自分という純粋意識」とは、何もかも忘れて、なにかに没頭していても、やはり自分は自分であると感じる・・・そこにあると言ってもいいだろう――・・・:以上、参考・・・ さて、参考の前に戻って・・・ そこをいくつかのやり方で概算〜概念計算〜推測・思考すると、「自分の死後、自分――自分という純粋意識――は必ず生まれでてくる」、という結論におちつく。それ以外の結論はでてこない。 ・・・その考え方や計算とは・・・ 1・「一人の人間の、肉体を構成する要素素子s、と、その意識の主体を構成する要素素子s、のそれぞれの総数sからでてくる可能なあるいは現実にありうる組み合わせの総数sの比をとるという手法」 付記・直近上述「1・」においては、 意識器が脳の一部位(一部分)であるケース(可能性としての)「1−1」 と、 意識器が霊魂的なフィールドであるケース(可能性としての)「1−2」 を考えることができる。 そのどちらであっても、結論は同じになり、「【意識】はずっと続いていく」というところに至る(詳細に既述している)。 「1−2」のケース(可能性としての)においては、「1・」のやり方「1−2−1」のほかに、「意識器が霊魂的なフィールド」であれば、そのフィールドは消えることはない、という証明法をとることもできる「1−2−2」。 そこにおいて一番かんたんなやりかたは、エネルギー不滅則、量子情報にかかわる法則、などを適用することだろう(既述)。 2・「物理学においてはさまざまな対称性がある。同じく多数存在する個別的な意識sはどれもが対称であるはずである。そのばあいは、時間を組み込んだ対称性になるしかない。 時間を組み込んだ対称性とは、質時間回帰という性質である。よって、質時間回帰則は実際に働くだろう。よって、個々の意識という存在は消滅することなくずっと続いていくだろう、という論(仮に意識が消滅することがあっても、そのうちにまた――何度でも――生まれてくる)」(既に詳細に記している) 3・「多数存在する個別的な意識sのそれぞれの意識における質時間回帰は絶対になされなくてはならない、という哲学的原理を設定するやり方」(詳しく既述している) 4・「宇宙に意識がないと宇宙はないに等しい〜〜・・・。そこからの論」(既に詳細に論じている) 5・「【4・】に似た要素があるが・・・ 宇宙・世界は劇場であり、その観客として意識が必須である〜〜・・・。そこからの論述」(詳しく既述・後述している) 6・その他・・・ (以上は、筆者のネット上の記述s――多数ある――の中に既に詳細に明確化してある) などがある・・・。 いくらか前にもどって・・・ つまり自分とは「意識し味わう主体」である自分の「意識(自分という純粋意識)」であり、それ以外のすべては、痴漢可能ではなく置換可能であってどうにでもかわりうる――変わりうる、替わりうる、換わりうる、代わりうる――のである。 おまけに、「心〜心器」も変化する上に置き換えることができるし置き換えられる(――心脳科学(仮説)における定義の「心〜心器」には意識し味わう働きがない――)。 しかも、それら置換可能な要素sは、転生していくと、正反対のそれらに置き換わっていく。 正反対のそれらだけではなく、どの要素sにも置き換わっていく・ ――それぞれの要素の存在・現実・事象の実態確率(――それは一種の頻度である――)〜存在・現実・事象の実態期待値(ここでは、期待値という概念を拡張して用いている――それは質時間の総量である。それは質時間回帰に至る・をもたらす――)に応じて――。 ・・・「自分という意識」以外は、そうやって、置き換わっていく。 先に述べた要素s――『肉体、姿かたち容姿、境遇、人種・民族、家族〜家系、人々(身近〜遠い)との関係、自分の属している団体・組織〜国家、現在に至るまでのあらゆるさまざまな体験・経験・言動と現在までのあらゆるさまざまな記憶や身についたもの、才能・能力、身分、地位、立場、性別、心・精神・意識(この意識は普通に使う意識である・心脳科学・仮説で定義している「意識」を除く。勘違いを招くので、ここでは、意識と言わず「自覚」「自覚する精神作用」「意図」などと言った方がいいが)、などなどのすべて』――がそうやって、置き換わる、あるいは変化する、そういうことになる。 ・・・それが質時間回帰である。 端的にいうと、それらすべての要素sは、「体験」「経験」「記憶」「才能・能力」という範疇にはいる――肉体的要素その他すべてもそこにはいる――。 さらに端的にいうと、それらすべての要素sは「経験」という範疇にまとめていれることができる (・・・もっというと、その「経験」は「心的情報〜心的内容→意識内容――結局は『意識内容』」――それらをまとめて「(心・)意識における情報」といえるのであるが、そう記すとかん違いされる可能性があるので、そこまでは書かないでおこう・・・)。 つまり、多数存在する個別的な意識sのそれぞれの意識における「質時間回帰」というのは、 「どの意識も(すべての意識が)あらゆるすべてのさまざまな経験をまんべんなく経験していくことである――経験におけるそれぞれの要素の存在確率(発現確率)〜存在期待値(発現期待値)(ここでは、期待値という概念を拡張して用いている)に応じて――そこには、ある体験をしたら将来必ずその正反対の体験を同じ量体験する、今の自分とは正反対に将来必ずなる、という法則も含まれてしまう――」 ということである。 とにかくすべてが質時間回帰する(――ここにはある意味というか確実にというか恐ろしい内容が含まれているが、明文化しない――)。 ・・・そこのところをわかり易く述べてみよう・・・ 既にひと昔前、ブログなどにも記しているが・・・ こういうシステムを考えてみよう: 「すばらしき完璧な映画館――世界劇場――」 である・・・ それがどういうものであるかというと・・・ ・・・その前に一言・・・ ・・・こういった内容をもつ文章sを読んで、納得して自殺することは禁じられておりもうす・この世界の法則の実態によって・・・ さて・・・ その映画館で映画を観る態勢にはいると、特殊な装置によって、まず、自分の記憶すべてを、映画を観ているあいだ完全に忘れてしまうのである。自分の年齢・性別や肉体などについての記憶まで忘れてしまう。 つまり、自分が何者なのか完璧にわからなくなってしまうのである(そこは暗いので自分の身体も見えない)。 思考力までなくなってしまう。 そこにあるのは自分の「純粋意識・意識の主体」――「自分という純粋意識」――だけである。 そこにおいて、映画が始まると、特殊な装置によって、自分が完璧にその映画の主人公(あるいは登場人物)になってしまう。記憶から思考力までその主人公(あるいは登場人物)になってしまう。自分の身体もその人物だと思い込んでしまう。 そういうシステムの「すばらしき完璧な映画館」である。 で、その映画は、主人公(あるいは登場人物)の一生を描いたものだとする。 その映画を観ている間は、自分はその主人公なのである。 そして、その映画が終わって、次の別な映画に移ると――転生にあたる――、今度はその映画の主人公に自分がなってしまうのである。 ・・・そうやって自分の経験がずっとつづいていく。 ・・・まあ、いつも主人公になるわけではなく、脇役になることの方が多いわけではあるが ――つまりこれは、劇的に素晴らしい人生をおくることになるのは稀である、という意味である―― それが、上述「――それぞれの要素の存在確率(発現確率)〜存在期待値(発現期待値)(ここでは、期待値という概念を拡張して用いている)に応じて――」の意味である(そういう意味実態の中にある・そのシンボルになる)―― で、そういう意味ではそうであるが、常に自分が主人公(先の「主人公」とは意味範疇がことなる)である、というのも事実〜確かである――。・・・ ・・・転生という事象実態は、そう説明できる。 ・・・心脳科学(仮説)(と質の科学・仮説)を基にすると、そういう結論に至るのである。・・・・・・ (――注:表題にある「すばらしき完璧な映画館――世界劇場――」といっても、そのシステムが完璧である、といっているのである。 すべての人s【意識の主体s】において、それぞれの一回一回の人生は完璧ではまったくなく、不合理・理不尽なさまざまなできごとsが起こる。――それは質の対生成と質時間回帰による――) (――参考のために加筆・・・心器には自由意志・意思がある――) ・・・・・・ところで、「すばらしき完璧な映画館――世界劇場――」での上映内容を創るのは何者だろう・・・ それは、知性であり心器であり、質の対生成則・質の対消滅則・質のもつれ・質時間回帰則、である。 「質の対生成則・質の対消滅則・質のもつれ・質時間回帰則」のもとに、知性と心器が加わって、そういった上映内容が創られる。 (――既述している「外界なるデータベース」も、もちろんそれに参加している。というか、こちらの方「外界なるデータベース」が、そこにおける大きな主体だろうが――) ・・・参考・・・ 質時間回帰則の許す範囲内で質時間回帰則に反するように見えるさまざまな事象・実態・事実が生じるが、結局は質時間回帰する。 (「質の対生成則・質の対消滅則・質のもつれ」もその中に納まる)。 つまり、質時間回帰則は厳密に働くが、そこにはアソビがあって、キッカリと一直線には進行せずに、ある程度行ったり戻ったりしながら質時間回帰していく、ということである――それでも厳密に質時間回帰する=質時間を総計すると、完璧に質時間回帰する時点が現われる――。 ・・・それについては、ワウフラッターその他をたとえとして、既に詳述している――そのリンクを貼りたい・張りたいが、めんど草草なので、まずはめんど草取りをしてから・・・つまり、めんど草かり、をして、めんど草がり・メンドクサガリ、を克服してからリンクをはろう・・・、という、つまらない・気分のつまるジョークに落とし込んで、ここを締めておこう・・・日本語のクオリア・qualiaは豊穣なり・・・ ・・・以上に関連する参考(抜粋・再掲)・・・ ・・・いくらか前にもどって・・・つまり自分とは「意識し味わう主体」である自分の「意識」であり、それ以外のすべては、痴漢可能ではなく置換可能であってどうにでもかわりうる――変わりうる、替わりうる、換わりうる、代わりうる――のである。おまけに、「心〜心器」も変化する上に置き換えることができるし置き換えられる(――心脳科学(仮説)における定義の「心〜心器」には意識し味わう働きがない――)。 しかも、それら置換可能な要素sは、転生していくと、正反対のそれらに置き換わっていく。正反対のそれらだけではなく、どの要素sにも置き換わっていく ――それぞれの要素の存在・現実・事象の実態確率(――それは一種の頻度である――)〜存在・現実・事象の実態期待値(――質時間の総量である。それは質時間回帰に至る・をもたらす――)(別な言い方をすると・・・存在期待値(発現期待値)(・・・ここでは、期待値という概念を拡張して用いている)に応じて置き換わっていく――。 「自分という意識」以外は、そうやって、置き換わっていく。 先に述べた要素s『肉体、姿かたち容姿、境遇、人種・民族、家族〜家系、人々(身近〜遠い)との関係、自分の属している団体・組織〜国家、現在に至るまでのあらゆるさまざまな体験・経験・言動と現在までのあらゆるさまざまな記憶や身についたもの、才能・能力、身分、地位、立場、性別、心・精神・意識(この意識は普通に使う意味での意識である・心脳科学・仮説で定義している「意識」を除く。勘違いを招くので、ここでは、意識と言わず「自覚」「自覚する精神作用」「意図」などと言った方がいいが)、などなどのすべて』がそうやって、置き換わる、あるいは変化する、そういうことになる。それが質時間回帰である。 端的にいうと、それらすべての要素sは、「体験」「経験」「記憶」「才能・能力」という範疇にはいる――肉体的要素その他すべてもそこにはいる――。 さらに端的にいうとそれらすべての要素sは「経験」という範疇にまとめていれることができる (もっというと、その「経験」は「心的情報〜心的内容→意識内容――結局は『意識内容』」――それらをまとめて「(心・)意識における情報」といえるのであるが、そう記すとかん違いされる可能性があるので、そこまでは書かないでおこう)。 つまり、多数存在する個別的な「意識たち」のそれぞれの意識における「質時間回帰」というのは、 「どの意識も(すべての意識が)あらゆるすべてのさまざまな経験をまんべんなく経験していくことである・ ――経験におけるそれぞれの要素の存在・現実・事象の実態確率(――それは一種の頻度である――)〜存在・現実・事象の実態期待値(――質時間の総量である。それは質時間回帰に至る・をもたらす――)(別な言い方をすると・・・存在期待値(発現期待値)(・・・ここでは、期待値という概念を拡張して用いている)―― に応じて経験していくことになる――」。 「そこには、ある体験をしたら将来必ずその正反対の体験を同じ量体験する、今の自分とは正反対に将来必ずなる、という法則も含まれてしまう――」 ということである。 とにかく「すべてが」質時間回帰する(――ここにはある意味というか確実にというか恐ろしい内容が含まれているが、明文化しない――)。 さらにいくらか前に戻って・・・ さてそこで、宇宙が永遠に続いていき、人間のような「意識」をもつ生物が生まれ続いていくとすると――途絶えることはあっても――「自分という意識の主体」の「転生」と「質時間回帰」は永遠に続いていくことになるのである。 ・・・で、 「宇宙は永遠につづいていくはずだ」、 という論も既に記している―― 「哲学的手法で」、 「哲学的手法で、かつ、それにくわえて質時間回帰の絶対性を前提として」、 さらには、 「マイナスゼロ、ゼロ、プラスゼロ、、マイナス無限大、無限大、プラス無限大、の並びかたの理論(後述)から ――そこでは、マイナスゼロ、ゼロ、プラスゼロを区別するのがポイントである――。 さらに、(マイナス無限大もだが)、無限大、プラス無限大、をも区別するのがポイントである(略記)(後述)」、 などなどから、宇宙は永遠につづいていくはずだ、という論sが成り立つ(既述している)。 ・・・それらの検証は難しいだろうが、既に何か所かで検証用を含めたいくつかの論sを展開している・・・。 ・・・そこをいくらか譲歩して、永遠ではなく、人間のような「意識」をもつ生物が生まれなくなるまで――以後まったく生まれなくなるまで――「自分の転生(自分という意識の主体の転生)」と「質時間回帰」は続いていくのである、と言い換えてもいいが・・・ (しかし既に、「意識の主体」は永遠に消滅しない、「生物は永遠に存在し続ける・途絶える期間はあっても」という論sも展開している)・・・。 ・・・参考・・・どこかに書いたが・・・筆者の高校生時代、親父が筆者に「宇宙をこっちの方にどこまでもずっと行くと、反対側からでてくる・・それから、タンジェントカーブにおいては、線が無限大に至るとマイナス無限大からでてくる」といったようなことを話してくれたことがあった・・ それが頭にこびりついてしまったのだった・・・ で、そのタンジェントカーブだが・・・ 「0〜π」にひとつの周期を設定して、カーブの始点が「0」から始まって「π/2」において、無限大に至り、次に、「π」において、カーブはマイナス無限大からでてくる。――そう解釈できる―― (この検討は、直角双曲線ででも行なえる・・直角双曲線のひとつ「xy=1(y=1/x)(x=1/y)」で・・・) で、そこを詳しく見てみると・・・ (実数の)二次元座標を考えて・・・ X軸のゼロあたりを見ると、マイナスゼロ、ゼロ、プラスゼロが隣り合って並んでいると結論できる。 で、ここで、それをもとに、もっとも基本的な無限大について考えて見ると・・・ 1/−0=−∞、1/0=∞、1/+0=+∞、が隣り合って並んでいるように見える。 ――この分析は、うしろに述べる「自然数の無限の足し上げ」にも適用できる―― ・・・参考・・・ ・・・数学において普通は、ゼロで割るという操作はしないんだが、無限大関連では、それを為してもいいだろう・・・それは非常に解りやすいし、前例を乗りこえても悪くはない・・・しかも、この論は今までになかった数学の一分野でもあるし・・・ ・・・さらに・・・−0と+0について言えば、それらの絶対値は0でない(状態量の絶対値と呼ぼう)(その絶対値は無限小である)。 おまけに、後述するが(この項はあとで加筆した)、「1/0=∞」の絶対値について、非常に面白い結論がでてくる・・・ ・・・以上、参考・・・ ――無限大は設定のし方によってその性質が相対的に異なってくる・・・たとえば、1/0と2/0は異なり、その比は1:2(後者が2倍)である、といったような具合だ・・1/0を基本無限大と設定・定義しよう。 代数〜数学では、上既述のように、なんらかの値をゼロで割ることは禁じられているようだが、無限という概念のもとではそういったことになる――・ 上述のタンジェントカーブや、直角双曲線での検討において、 「明らかに0で割る個所がでている! 」ではないか・・・ ・・それと、そこに「大きさ無限小の隙間! 」も現われている(それが「無限」という曲者・魔物・魔術師の正体の大きなところだろう・・うしろの方で、そこらを詳細に検討しよう)―― 無限大という実態は、1/0や2/0などという実態にある、と言える・・・ (・・・物理数学・数学において、無限大〜発散がでてくるのは、基本的に、ゼロ分のなんとか――無限小分のなんとか――ゼロと無限小は異なるが便宜上そう記しておこう――がでてくるからだろう・・・であるから、この新しい分野の数学は使えるのではないだろうか・・・)――・ そこにおいて特徴的なこと・強調すべきことは・・・ゼロは符号をもたない、ということである。ゼロはすべてをご破算にし符号「+(プラス)、−(マイナス)」をも反転させるのだ――そう見える――・ ・・・と考えると、タンジェントカーブの説明がつく(上述の「直角双曲線のひとつ「xy=1(y=1/x)(x=1/y)」においてもそうである)・・・以上の内容で、感覚的にわかる・・・ 以上について別な表現をすると・・・ 1次元座標において、プラス方向にもマイナス方向にも、無限につづく真っすぐな座標を考えてみる。 すると、真っすぐであるはずの座標が、円になり、プラス無限大と無限大とマイナス無限大が隣り合ってつながってしまう、とも言えるだろう(――そうであるように見える――)・ (・・・宇宙を1つの方向にまっすぐ行くと、その反対側からでてくる、という事象実態もそれに似ている・・・)。 (・・・以上の数学的新しい理論――ゼロと無限大関連の数学についての新しいアイディアにもとづく――は、ほかのところでさらに詳しく述べてある・・・) ――数学の進め方〜構築というのは、そういうものである。ただし、それが現実の世界に対応しているか否かは別の問題である。――そこらについては既に詳細に記してある――・ さて、 以上の数学を宇宙の空間と時間について適用していいのかどうかという問いも当然ある(――現実に対応しているかどうか、という問題――)・・・ そういう問題は蹴っ飛ばしてほったらかしておいて・・・もの凄く美味しい世界に突入してみよう・・・つまり・・・以上の数学を宇宙の空間と時間について適用してみよう、ということ・・・ (――物理学というものは、そういうふうにして、さまざまな数学を用いるものであるから、そこに問題はない・上述のように「そういう問題は蹴っ飛ばしてほったらかしておいて」いいのである・・・そういうふうにして、物理学は数学を活用してきているのであるから・・・――) 少し前に遡って・・・ 空間について言えば・・・「こっちの方(ある方向)にどこまでもずっと行くと、反対側からでてくる」となる。 時間について言えば・・・「永遠の未来は永遠の過去につながっている。永遠の過去は永遠の未来につながっている」となる。 さらに、「宇宙は、永遠の未来に到達すると、新しい周期の宇宙に入る」となる。 (――それらが現実を記述しているかどうかは、別な問題である――) ・・・さてここにもうひとつおもしろい論を加えよう・・・ ・・・宇宙の永遠性や、意識〜生物の永遠性などについて、適用できるかもしれない内容を含んでいる可能性があるので、やってみよう・・・ その上記の数学理論を適用すると、以下のように、そういった難問もだいたい理解納得できる・・・ まず・・・自然数を無限に足し上げていくと、どうなるか? という問いについて考えてみよう・・・ 「ある時点で、自然数に『自然に』マイナスの性質(符号)が入り、前に加算してきた数をつぎつぎとすべて打ち消してしまい、ゼロに収束する」、という信じられない結論を得ることができる。 つまり、自然数にマイナスを付した数も、自然数の仲間なのだと、いうことになる。 ・・・ただし、初めに、マイナスの概念を持ち込んでいるところにはひっかかるが。 ・・・ただし、「無限に足し上げる」のである。「無限」の中に「マイナス」の要素が含まれている、と解釈できる。 無限だと、プラスも反転してマイナスがでてくるのだろう―― 先に述べたが、 「(実数の)二次元座標を考えて・・・X軸のゼロあたりを見ると、マイナスゼロ、ゼロ、プラスゼロが隣り合って並んでいると結論できる――。 で、ここで、それをもとに、もっとも基本的な無限大について考えて見ると・・・(まず一次元座標で、ついで二次元座標で考えて)・・・ 1/−0=−∞、1/0=∞、1/+0=+∞、が並んでいるように見える。 」 を参照されたい――。 「無限」は「曲者」、「無限」は「魔術師」、「無限」は「魔物」、といったところだろう。 つまり・・・ゼロと無限大は、プラスとマイナスという性質をもっておらず、そこに至り通過するとプラスとマイナスが反転する、ということなんだろう。 (・・・注・・・この理論によれば・・・ゼロの絶対値はゼロで、マイナスゼロとプラスゼロのそれぞれの絶対値はゼロでなく「状態量・無限小」である。 マイナス∞とプラス∞の絶対値はそれぞれ、「状態量・無限大」である・・このばあい、∞表記はしない・混乱を招くからである・・つまり、「状態量・無限大」と「∞」は異なる定義のもとにある・・・ ・・・そう記述できる。 で、単なる「∞」の絶対値については後述する(この項はあとから記した)・・・) ・・・確かに、自然界にはプラスがあればマイナスもある。それも質の対生成で説明がつく・・・たとえば、数が発生するにあたっても、なにもないところ・空、から生じるので、1とマイナス1、2とマイナス2が対になって生じる、足し合わせるとゼロになるように発生する、といったことである。 ベクトルで説明しても同じようなことになる。なにもないところ・空、から、ベクトルが生じるとすれば、あるベクトルと、その反のベクトルが対なって生じる、といったことである・・・。 さらに、そこには質時間回帰の要素も入っている――このばあい、あとに詳しく記すが、自然数を無限に足し合わせると、ゼロあたりに収束する、という実態に質時間回帰の要素がある、ということである――・・・。 (――おまけに、そこの計算にゼータ関数を用いるばあいは、奇妙な数学的操作をしたうえに、複素数を用いるのである――自然数を扱っているのに、マイナスの数、虚数、まで使うのである。・・・それが正しいとして・・・「無限」には虚数まで入っている、と解釈するしかない――)。 直近上述ひとつのカッコ、と、その直前の一項の前に戻って・・・そこまでは、「トンデモ」である。 (以下「 」内は最初に手抜きして書いたもの―― 「いくつかの無限級数において、無限に足し上げたその結果が、「ほぼゼロ(ゼロとマイナス1の間あたり)」に収束するという結論が、いくつかのやり方で打ちだされている(――そのひとつは、超弦理論にも適用されている――)。 その結果を自分(人)に納得させるには、上記の理論と、直近の「トンデモ」な結論から、だいたい納得できるのではないだろうか? (――そこを精密には検討していないが――)・・・・・・」) 以下、直近上述「 」内に加筆・・・ここらは(も)かなり前研究していたのだが、怠けて・ (――筆者の得意技・・・筆者は極上のめんどくさがりであるし、書くべき内容があまりにも多いので当然そうなるのはあたり前田君である・・・それに筆者はそういった研究にやり甲斐・生き甲斐を全身全霊で感じているので、研究をやっており、それをネット上に載せているだけだし・・・と弁解しておこう――)・ 手短か脚短かに書いたので、それに加筆しよう・・・ ・・・しかし加筆する前に・・・それに関連して心脳研究として、ついでに・・・筆者は本論やそのほかについてのアイディアsをさまざまよく思いつく。それらを用紙に書き留めてある。そこでの思いつき〜発想は、前から心に引っかかっていたもの、時々考えていた対象についてのもの、ひらめき、関係ない本を読んでいて思いつくもの(本の内容〜読んでいるところとは関係ない)、などがある。 さらに、書き留めていると新たなアイディアがでてくることも多い。 で、それらをPCに打ち込もうと思ってはいるのだが、たくさんありすぎて、かなりの数のアイディアはまだPCには書き込んでない(あまりにめんどうだからである)。 それから、用紙に書いたりPCに打ち込んでいると、新たな発想がでてくることも多い。用紙の書きつけやPCで読み返していても、新しいアイディアがよくでてきてさらに書き込む。 用紙に書くにせよPCに書くにせよ、同時多発的にアイディアがでてくるばあいは、記すのに苦労する。 ・・・以上、心脳研究の一端として・・・ ・・・さてその加筆だが・・・加筆しようとして、さらに加筆を入れたので、わかりにくくなったが・・・その「さらなる加筆」の前に戻って・・・ ところが・・・ いくつかの無限級数において、無限に足し上げたその結果が――見た目は無限大に発散するはずなのに――「ほぼゼロ(ゼロとマイナス1の間あたり《だったと記憶する》に収束するようだ。・・・それ以外でも0あたり《わずかにプラスの値》に収束する結果になる無限級数もあったようだが? )」に収束するという結論が、いくつかのやり方で打ちだされている。 たとえば、その中のひとつ・・・ オイラー、リーマン、ラマヌジャンが、 A「1+2+3+4+・・・=−1/12・(自然数を無限に足し上げるとでてくる計算結果)」という式(公式と呼んでいい? )を導き出している・ (上述しているように・・・そこの計算にゼータ関数を用いるばあいは、奇妙な数学的操作をしたうえに、複素数を用いるのである――自然数を扱っているのに、マイナスの数、虚数、まで使うのである。 ・・・それが正しいとして・・・ 「無限」には虚数まで入っている、と解釈するしかない――)。 ――この数式「A」をここでの論の基本に据えることにしよう。その根拠として・・・自然数を無限に足し上げるというところに基本性を感じるし、それは超弦理論にも適用されているし、ということがある・・・まあ、その根拠としての決め手は今のところその程度であって、決定的ではないわけだが―― ――上述の「タンジェントθ」についての分析と、 この「自然数の無限の足し上げ」についての分析について言うと、 類似というか「最重要なところで同じ着眼内容と結論をもつ」・・・ それを一言で言えば・ 『「1/+0=+∞」〜「∞(符号を反転する演算子で、かつ、絶対値0! )」〜「1/−0=−∞」』が隣り合って並んでいる(そう見える)という見立てによる論である・・これについてもうしろの方に詳述しよう・・・―― ・・・少し前に戻って・・・ それは、先に述べた結論「ゼロ」とは少し差があるが、それら3人が導きだした結果を、自分(人)に納得させるには・・・いくらか離れた上記の理論と、その下上述の「トンデモ」な結論から、だいたい納得できるのではないだろうか? で、その「差」はどこからくるのだろう? ・・・それはプランク定数関連〜量子論をも思い起こさせるが・・・ ・・・そこにおいて思いつくアイディアsを挙げてみよう・・・ *数(すう)の世界でも質時間回帰的な性質が働く・ ――これは「A「1+2+3+4+・・・=−1/12・(自然数を無限に足し上げるとでてくる計算結果)」 がほぼゼロであることについてまずは言える・ しかし、その「−1/12」がなぜ・どういう原理ででてくるかについて言えば・・うーむ・・わからない・・・(これについては、うしろの方で検討しよう・・・ *数(すう)といえども揺らいでいる *概念上の数(すう)といえども、「自然界または人間の心器と意識器(既述しているように、心器にとってすべては心的内容であり、意識にとって、すべては意識内容である)」に存在するのであって、実際は揺らいでいる *この世界に揺らいでいない存在はない *繰り込み理論との共通性 *揺らぎによって「ゼロ」ではなく「−1/12」に収束するから宇宙・この世界の存在がある。 なにもないところから宇宙が対生成で生まれたと仮定すると、その収束が「ゼロ」であれば、かなり短い期間内に物質と反物質の完璧な対消滅が起こるが、「ゼロ」ではなく「−1/12」に収束するから、宇宙は存続できる。それは南部さんが考えた「自発的対称性の破れ」に対応している実態なのかもしれない。 同じく、数(すう)といえども、足し合わせれば(ほぼ)ゼロになっているところから展開されてでてくるのであって、すべてを足し合わせると(ほぼ)ゼロに収束する。それがゼロではなく、「−1/12」であった。それは、直近上述と同じ理屈内にある。 以上さまざま述べてきたが、その「−1/12」の値については、未だその根拠が不明である。 *ここでそれについて、いいかげんな思いつきを書くと・・・ 円を等分割すると、12に分割するのが最も美しいし、実用的である。アナログ時計の文字盤を見れば一目瞭然である。一年の月も、同じく(偶然にも? ) 12である(――たぶん、時計の文字盤と同じような発想でなされたのだろう――)。 それらは「1/12」の世界である。つまり「1/12」は美しい上に実用的な世界なのである。 で、なぜそれにマイナスがつくのかと言うと・・・ これもまたいいかげんな思いつきだが・・・ この世界はプラスが勝ると、ろくなことがない・笑・・・ ・・・易経で言えば・・・ 陰があってこそすべてはうまく行く。陽が勝ると、破滅が近くなる。陽の強い突っ張りあった男たちだけがこの世界にいるとすると、世界のすべてはすぐにでもぶっ壊されてしまうだろう・笑。 ――ここにおいて、一応・・・陰=マイナス、陽=プラスである――。 「1/12」にマイナスがついた「−1/12」であると、直近上述の論理・原理でなんとかうまくいく。 ・・・とまあ、いいかげん、で、てきとうな思いつきを書いてみた(これも、ふにゃ論である)・・・ (――「いいかげん」が「良い加減(ぴったり合う適切な加減――元もとの意味はこうだった)」で、「てきとう」が「適当(適切。適ってぴったり合っている・当たっている――元もとの意味はこれだった)」であるので、それをもって祈りもうそう(それが妄想でないことをも祈り妄想)・笑――) さらに、そこらあたりの別な考察などなど・・・を以下に記そう・・・ で、「ゼロ」に収束することと「−1/12」に収束ことについて、少し分析してみよう・・・ 「−1/12」に収束するということは、 ゼロ+「−1/12」、つまり、 いったんゼロに収束するに充分で、そこに「−1/12」が加わったと解釈できる・・・つまり、マイナスが「1/12」だけ優勢であると解釈できる・・・と、まずは考えてみよう・・・? ・・・ それとも・・・「1/12」の分だけマイナスが足りなかったという解釈もでてきそうである・・・ ・・・で、「マイナスが足りない」ということは「プラス」だということだ? ・・・ということは、プラスが「1/12」だけ優勢だということか? ・・・それとも、ほかに考えられることがあるだろうか? ・・・ ・・・(・・・難話休題で脱線閑話にはいって・・・ここらは「で」という接続詞がつづくが・・・ ・・・「で」といいうのは「それで」や「そこで」の略だろう・・「さて」「ところで」という意味をももつだろう・・・エイゴで言えばたぶん、「アンド」か「ナウ」か「ウェル」あたりだろう・・・ ――「そこにおいて」という意味もあるだろうが(筆者はこのばあいは、「そこにおいて」と書く)。 で、「それで」などという接続詞は使わない方がいい、とかなんとかいう文章を読んだような覚えがウロ覚えであるんだが、それは他人の意見であって、筆者は今のところ採用しない。 それを書いた人物も一時期は「それで」を普通に多く用いていて、ある時読み返してみて、それに嫌気がさしたのではないだろうか。 文章において、近い個所で、それを多用すると幼稚な感じになるのは確かであるから、それは避けようと思う(どんな単語でもそうであるが)。 ・・・以上、脱線閑話・・・)・・・ で(笑)、・・・マイナスが「1/12」だけ優勢と、プラスが「1/12」だけ優勢、そのどっちなんだろう? ・・・ ・・・マイナスが「1/12」だけ優勢でプラスに勝った プラスが「1/12」だけ優勢でマイナスを押し返した・・・これは間違っている感じがするが・・・ そのどっちなんだろう? それら2つはイコールになるのか? ふーむ・・・ ・・・マイナスが「1/12」だけ多かった、というところだろうか? ふーむ・・・ ・・・上述の論理「易経で言えば」でいけば、「マイナスが「1/12」だけ多かった」となるだろうが・・・ ・・・・・・ここでも悩みは尽きない・・・普通、こういうのを悩みとは言わないかもしれないが・・・それなら煩悶は尽きないと言おう・・・煩悶もぴったりではなさそうかな・・・それは頭を悩ませる、と言っておこう・・・さらにこう言おう・・・頭を掻き毟りすぎて素敵なハゲになることがないようにしないと・・・冗談はともかく・・・なにか考え間違いをしているような気もするが・・・・・・ あ、そうだ・・・ マイナスの座標にあって、ゼロに向かう実態は、プラスの実態だろう。 つまり、マイナス1からゼロに至ることは、「プラス1を実行する」、ということだろう。 で(笑)(さて)、さらに考えてみると・・・ プラスの座標にあって、「∞」を目指し、「∞」を越え、さらに「ゼロ」に向かう実態も、「プラスを実行する」、ということになる。 「プラス1(1)」というばあい、座標軸上の一個所を指す。 しかし、「プラス1を実行する」というばあい、それは、「状態子」、「実行子」、「実態子」、「操作子」、とでも呼ぶべき意味内容実態をもつ。 で(笑)(さて)、いくらか長い上述について言えば(ハゲジョークの前まで)、 マイナス1からプラス「11/12」を実行して、マイナス「1/12」に至る、ということだろう。 そこにおいては、プラスが「1/12」足りない、ということだろう。 それは、マイナスが「1/12」勝さった・まさった、ということに(と)同値だ。 うん、これですっきりした。 ここはつまり上述の、 「・・・上述の論理「易経で言えば」でいけば、「マイナスが『1/12』だけ多かった」となるだろうが・・・」、 と同じことだ・同値だ。 (・・・再掲をまじえた参考を・・・「プラス1(1)」というばあい、座標軸上の一個所を指す。 しかし、プラスの座標にあって、「∞」を目指す実態と、「∞」を越え、さらに「ゼロ」に向かう実態は、ともに「プラスを実行する」、ということだろう。 「プラス1」と、「プラス1を実行する」は区別される・この小さな領域の数学においては・・・以上、参考・・・) さて、ここで遊んでみよう・・・ 「宇宙遊び」なんだが(・・・ここで連想・・・こどもの頃遊ぶ砂場も小さな「宇宙」なのはたしかだから、それも「宇宙遊び」と言える・笑・・・)・・・ 上述の結論「マイナスが『1/12』だけ多かった」を使って、オモティロイ試論を立ててみよう・・・ ビッグバン説が正しいとした上で、 そこで生じた物質的要素sは、マイナスが「1/12」だけ多かった、と考えてみる――これはこじつけだが・しかしそこ「マイナス1/12」にこの宇宙の本質がなんらかに現われている・表われている、のかもしれない――。 よって、この宇宙ができ上がることができた、と。 「正の物質要素(物質要素)」sと「負の物質要素(反物質要素)」sが同じ量だけ生じたのならば、それらすべては対消滅して、エネルギーになって物質要素sは正も反も消えてしまう。 ところが、マイナスの物質要素sがそれだけ多かったので、この宇宙ができ上がることができた、と。 そこにおいて、気になることがある・・・この宇宙がマイナスの物質要素でできているなどとは、おかしいではないか、といったことだ・・・ ところが、マイナスの物質要素とプラスの物質要素における「マイナス」と「プラス」は人間が勝手に名づけたものである。 つまり、「負の物質要素s(反物質)」を、現在の世界の物質要素s「物質」としているわけである、と、考えることができる。 ――これにはちょっとひっかかるところがあるので、ここらについては、もっと考えていこう――。 それからこうも言えるだろう・・・ 先の論で、「1増えること」を「プラス1を実行すること」、「マイナスが1/12勝って・まさってうんぬん」、としているわけであるが、ネーミングにおいて、それと(に)「物質」、「反物質」を関係づける必要はない。 ――これにもちょっとひっかかるところもあるが、これからもっとよく考えていこう――。 たとえ、実際にこの宇宙が反物質でできていようとも(これにもちょっとひっかかるが)、物質と反物質は対等だから、反物質の世界にいようが、物質の世界にいようが同じことである、とも考えることができる。 ――これにもちょっとひっかかるところもあるが、これからもっとよく考えていこう(同じ文言が並ぶ)――。 それから・・・ その「マイナス1/12」は、対称性の破れの一種である、という見方もできる。それであるからこそこの宇宙が存在できるのである、と考えることもできる。 少し前に戻って、さらに、たとえば・・・ ベンジャミン・フランクリンが、静電気を発生させる2種類の方法で、静電気の元になる(静電気である)プラスとマイナスを決めた。 その結果、電子(あとになって見つけられた)はマイナス、核子の陽子(これもあとになって発見された)はプラス、それぞれそういう電荷をもつ、と決められてしまった。 後続の科学者たちはそれをそのまま用いた――初めにやった人がなした結果や定義などを尊重するはずだ――。 フランクリンは、その「プラスとマイナス」の名づけの決定において、反対に名づけることもできたわけである。 (この記述でいいかな) ――これを書くと誤解を招くかもしれないが、ついでに記しておこう・・・ フランクリンのその名づけによって、「電流の流れる方向」と「電子の動く方向」が反対になってしまったわけである。反対に名づけておけば、そこが一致していたわけなんだが―― 「水にせよ何にせよ、高い方から低い方へ流れる」というのが一般的考え方(通念)であるから、そういうことになるわけだ。 (この記述でいいかな) ――ついでに面白い話を・・・ 導体を流れる電流の速さ(それを、電界の到達する速さ、と言っていいはずだ)は、真空中の光の速さに近いが、 そこにおける電子の動きはカタツムリより遅い・笑・・・カタツムリ君はけっこう俊足なんだ・笑(たしかそう言えるはずだ。電子の動く速さは、コンマ以下0がいくつかついて数ミリメートル毎秒、だったと思う・例によってウロ覚えであるが)(ここはあとで確認しよう)―― ――もうひとつ行ってみよう・・・ カミナリについてなんだが・・・ ここでは、雲から地面に落ちるイナズマについて述べよう・・・(ここで脱線・・・電気関連で、イナズマから「eナマズ」デンキナマズを連想・・これは、言葉の音や文字からの連想と、電気からの連想、という合体連想にある・・・)・・・ 激しい上昇気流や激しい空気の流れなどによって、雲の下部がマイナスに帯電して――つまり電子が溜まって (そこの原理はまだ解明されていないようだ。そこに知性体が関わっているケースもあるのではないか? ・もちろん気象条件が整った上でのことだが)――、 地面の表面あたりはそれに伴ってプラスに帯電する・A・(1「極ゴク稀に逆に帯電するケースがあるようだ」)(2「物質の分極による? 陽イオンの移動による? その両方? あとで調べてみよう」)・(この「1」と「2」は同時に「A」のうしろに置いているのである・・・書くこともむずかしいもんじゃらす・・・)・・・ そしてその電位差が限度を越えると(雲の高さ、大気の状態、なども関係するだろう)、 雲の下部に溜まった電子sが地面のプラスに引かれ地面に向かって放り出され走る(これは筆者の推測である。そう書かれた文献を見たことがない)。 それが、ここで言う「イナズマ」である(雲間放電なども原理は同じだろう)。 (・・・そういったカミナリ雲は、先述のジョークを適用して、「デンキナマズ雲」とシャレ込むのも、あり、だ・・・)。 で、 そうなると、その雲はプラスに帯電したままとなる――雲の下部にはそれでも電子がたくさんあるだろうが、その雲全体としてはプラスに帯電、となる。 そのあと、どうやってその雲に電子が供給されるのだろう。 その帯電は水成分に起こると仮定して論を進めよう(ナイヤガラの滝などの空気には、マイナスイオンが多い。それもたぶん、水成分に電子がくっついているから、だと思われる・推測)。 1・その雲が雨となって地面・水面などに落ちて、その水に地球から電子sが供給される 2・その雲が水蒸気に戻って、どこかに電子sのくっついた水蒸気があって、引き合って一部〜全部中和される 3・そのほか などが考えられる。 (・・・カミナリの発生には多くのばあい、特定の範囲にある自然条件が揃うことが必要のようだが、カミナリの発生や落雷に、「知性体」がかかわっているケースもありそうだ。 それにその「自然条件」が満たされなくても、発生〜落雷するケースもあるようだ・・・そこでは、「知性体」が活動している可能性が非常に高いだろう・・・) (雲がないのにイナズマが走る、というケースもある) ちなみに・・・、 カミナリの落ちた田んぼなどでは、豊作になるという・・・ ・・・電子と生命エネルギーとの間に関係がありそうだ。生命エネルギーが田んぼに溜まってそういうことになる、と。 ――そういえば、陰イオン発生器というものがある・・・筆者も使っているが・・・あれは、空気、たぶん水蒸気? に電子を送り込む装置だ(酸素や窒素などの気体にも電子が乗っかるだろうか? あとで調べてみよう)。 それが身体によいとされているわけだ。 それも電子と生命エネルギーとの関係を示唆していそうだ。 連想つひでに・・・ ビタミンCは、対象要素に電子を与える働きをもつ。その働きは、抗酸化栄養素・還元剤として働く、ということである(ほかの働きもする。たとえば、コラーゲン生成に必要、カゼの防止や治療に有効・ (これは、その還元性によるものだろう? )・ ということなどである・・・ ・・・ついでに・・・人間はビタミンCを体内で生合成できないので、食物から摂る必要がある・・よって、自然界を大切にして野菜などが育つようにしていなければならない(合成ビタミンCというのもあるが)・・これは人間を生みだした大自然からの忠告と捉えることもできるだろう・どこかに記した・・・)・・・ ・・・電子についてもっと研究してみたくなる・・・。 ついでにもうひとつ・・・ これは電荷のプラスとマイナスに似た話しなんだが・・・ 磁石のNとSのこと・・・ NとSを、「1・プラスとマイナス」、あるいは、「2・マイナスとプラス」、と決めてもよかったわけなんだが、NとSとしている(一応、Nがプラスで、Sがマイナス、とされている)。 ――ただし、これはコイルにおける電流の流れと関係するので、そこから決めると、1か2のどちらかにした方がよさそうだが。 しかし、たぶん・・・電子や電流についての知見が成立する以前に、方位磁石のNとSは決められたのではないか? とすれば、その時点で、NとSでなく、というか、NとSのほかに、プラスとマイナスを磁石のどちらかに当てていたとしてもおかしくはない――。 さて、 Nはnorthで北、Sはsouthで南、の頭文字である――エイゴはまあよくもでしゃばってるな・笑――日本語だと、KとMでいい――。 で、方位磁石・羅針盤の磁針が北をさす方を磁針のN、南をむく方を磁針のSとしたのだそうだ。 ということは、磁石としての地球の北極あたりはS、南極あたりはN、ということである(ただし、地球の磁極は反転していたことがある。その時代はNとSが逆だ・笑。常識もひっくり蛙ことがあるという話し。今でも地球の磁極は動いているという話しもある)。 ・・・以上、ちょっと長い範囲にわたって、連想ゲームの一種による話題といったような余談である(上に大幅に加筆したのでこの文言は、マヌケな感じになってしまっている)・・・ ――ここらは、連想などによる雑談・余談だが、本論の既述の内容に関連している―― さて、雑談から脱けでて・・・ 結局、現在の物質世界はそういうこと(離れた上述)で、できあがったのではないか、というファンタジー物語を展開してきたことになる。 ・・・以上もまだまだ今後の研究課題に(で)ある・・・ で、その「1+2+3+4+・・・=−1/12」は、超弦理論にも適用されている――次元数を求める計算において。 (加筆) 「加筆用(どこかに挿入)」の場所に書いていたものを、やっとここに移動させた・・・ ここは超略で記すんだが・・・ 以前に論じた「マイナス0、0、プラス0」「マイナス∞、∞、プラス∞」の理論、そこから、「1+2+3+4+・・・・・・・・・・・・」なる無限級数の和はゼロになる(いくらか誤差がでるようだが・・・−1/12などと)、と論じたが、「∞(と0)」が結局残ってしまう、ということに気づいた。 そこで、さらに今いろいろ考え中学生になっている・・・・・・こういうのはすぐにナマケ中学生に変身してしまうんだが・・・・・・ さて・・・ (以下の書き方・書きようは発想の順になっている。読みやすくするには書き改めた方がいいんだが・・・) ・・・しかし、その後の研究の結果、結局は、最初の結論にもどった・・・ 「『∞(と0)』が結局残ってしまう」のは、そのとおりなんだが、「『∞=プラス∞+マイナス∞』であって、その絶対値・それはその値と同じになる――このばあい『プラス∞、と、マイナス∞』をそれぞれ状態量と呼びたい(ここでの専用用語)――それ『∞=プラス∞+マイナス∞』の絶対値――はなんと0なのだ・この数学においては」(0の絶対値も0)・(――符号も(+)+(−)=0(符号ゼロ)、となり消える・・「プラス=+」、「マイナス=−」と表記すると、「+∞+−∞」という表記がでてきてわかりにくくなるので、上記のように表記した)・・・ ・・・さらに・・・ この理論によれば・・・ゼロの絶対値はゼロで、マイナスゼロとプラスゼロのそれぞれの絶対値はゼロでなく「状態量・無限小」である・・このばあい、0表記はしない・混乱を招くからである・・つまり、「状態量・無限小」と「0」は異なる定義のもとにある・・・ マイナス∞とプラス∞の絶対値はそれぞれ、「状態量・無限大」である・・このばあい、∞表記はしない・混乱を招くからである・・つまり、「状態量・無限大」と「∞」は異なる定義のもとにある・・・ ・・・そう記述できる・・・ ――それらは、タンジェントカーブ、またはy=1/xなどのグラフの分析からでてくる――(それらにおいて、「そう見える」、のである)―― つまり、その数学においては、「1+2+3+4+・・・・・・・・・・・・」なる無限級数の総和はやはりゼロになるのである(いくらか誤差がでるようだが・・・−1/12などと)。 そこらの解説をなしていこう・・・ ・・・しかも、心脳の現実を理解する参考にもなるような叙述で・・・ 筆者はときどきなんかんやイメージを巡らせたり、自由にいろいろ考えたりするんだが、上述は、昨日(170712)いろいろ思い返していたら、その論を思いだし、その数学による論でも「∞(と0)」が残る、という頭の中での映像による結論に至ったのだった。 そこでさらに、そこの追究をなしていった・・・ その過程で、用紙にさまざまを書きつけた。 その中の一部を記すと・・・ その数学で「1」を無数(全部「1」)無限に足し上げていくと、「0」になる、という結論に至った(――それは、既述の内容と同じく非常識な結論だが、その既述の内容から類推でわかると思う。――この加筆項は、そこにおいて、さらに気づいたところの追究をなしているところである――)。 まずそれは、結局、整数を刻んだ無限の数直線のレールの上を走っていくことと同値である、ということに思い至った。 その無限の数直線のレールは、別なところで記しているように、その数学においては、円になっている。 その円の上に、0、1、2、3、4、・・・・・・そしてプラス∞・∞・マイナス∞ (・・・ここで注を・・・この3つ「プラス∞」、「∞」、「マイナス∞」、の状態、 ――それを「状態量と呼びたい――それは値でもないし、しかも符号を含んでいる――『∞』は符号を消し反転させる働きをもつ・《『0』も同じく符号を消し反転させる働きをもつ》――」―― が隣り合って並んでいる。 それは、既述しているように、二次元座標における「0」と「∞」についての分析からでてくる。 そこでは、「マイナス0、0、プラス0」、「プラス∞、∞、マイナス∞」という状態――状態量と呼びたい・上述――がでてくる) (――そこにおいて、「プラス∞+マイナス∞=0」である――)、 ・・・・・・マイナス4、マイナス3、マイナス2、マイナス1、0、と並んでいる。 ・・・上述ここには、カッコで注を長々とつけたのでわかりにくいから(――注は別添えにするといいんだが、書くとこういう順になるという、筆者の心脳活動の実態があるのでそれをそのまま残しておこう・・・といっても、筆者の書いた文章において、そういうところをあとで整理したりすること・整理したこと、もあるが・・・。――この項もまたまたわかりにくくなったようだ――)、もう一度、論旨の骨格を記すと・・・ その円の上に、0、1、2、3、4、・・・・・・そしてプラス∞・∞・マイナス∞・・・・・・マイナス4、マイナス3、マイナス2、マイナス1、0、と、「刻み――数(すう)」が並んでいる。 「1という数(すう)」を無限に足し上げていくということは、その円状のレールの上をその順に走っていくと、円状であるからゼロに戻る、そのことに(と)同値である(いくらか誤差がでるようだが・・・−1/2などと)。 それ「1の無限足し上げ(全部1)」がそう「0」なら、そこにでてくる「∞」の状態量は「0」のはずである。 その確認をも含めて・・・ 強調のために先に述べた内容をより詳しく記すと・・・ 「しかし、その後の研究の結果、結局は、最初の結論にもどった。 『∞(と0)』が結局残ってしまう、のは、そのとおりなんだが、 『∞』というのは、実質的に『∞=プラス∞’+マイナス∞’』であり、 『∞』の絶対値と『プラス∞’+マイナス∞’』の絶対値は同じになる・ (――このばあい『∞=プラス∞’+マイナス∞’』を状態量と呼びたい――) つまり『∞』の絶対値と『プラス∞’+マイナス∞’』の絶対値はなんと、0、なのだ・その数学においては。 しかも、プラスとマイナスの符号と機能も消える。 ――それらは、タンジェントカーブ、またはy=1/xのグラフの分析からでてくる―― そういうことでつまり、その数学においては、『1+2+3+4+・・・・・・・・・・・・』なる無限級数の総和はやはりゼロになるのである(いくらか誤差がでるようだが・・・−1/12などと)」、 という結論に至るのである。 ・・・付記1・・・ A『「タンジェントカーブ、またはy=1/x」においては、虚数以外のすべての数(すう)――ゼロ、整数(含・自然数)、小数(純小数、帯小数)――を扱っていることになる・以上、A』 しかし、上述の・ B『自然数の無限なる足し上げ・ ――つまり「1+2+3+4+・・・・・・・・・・・・」なる無限級数の総和――・ においては、『自然数だけを対象』とするにもかかわらず、離れた上述のように、無限に足し上げるのであるからだろう、そこに『無限』という「曲者・魔物・魔術師」が登場してきて、結局、「マイナスを付した自然数とゼロ(整数)」をも扱うことになる・(以上、B』 (・・・参考・再掲・・オイラー、リーマン、ラマヌジャンが、 「1+2+3+4+・・・=−1/12・(自然数を無限に足し上げるとでてくる計算結果)」という式(公式と呼んでいい? )を導き出している・ (上述しているように・・・そこの計算にゼータ関数を用いるばあいは、奇妙な数学的操作をしたうえに、複素数を用いるのである――自然数を扱っているのに、マイナスの数、虚数、まで使うのである。 ・・・それが正しいとして・・・ 「無限」には虚数まで入っている、と解釈するしかない――・・・) 『A』と『B』にはそういう違いはあるものの、 上述&下述の「+0、0、−0、〜〜 +∞、∞、−∞」にかかわる理論(ここでは略記)について言えば、 まったくもって、『A』『B』両者とも同じである・・・ ・・・付記2・・・ その新しい数学においては・・・ 「∞=プラス∞’+マイナス∞’」は状態量であり、演算子でもある。 「0」も同じく状態量であり、演算子でもある。 (――ここでの「状態量」とはここで定義するとおり――) その「演算子」の意味は・・・ マイナスとプラスという符号の機能の実質を消去する働きと反転させる働きをもつ、ということである。 その「状態量」の意味は・・・ 数(すう)ではなく、それぞれ演算子としての働きをもち(∞と0について上述)、そういう数(すう)的な状態をもち、それらの絶対値をとれば、数(すう)に値する数値がでてくるところの「量」を言う。 ・・・以上、付記2・・・ ・・・注・・・以上、この理論によれば・・・ゼロの絶対値はゼロで、「マイナスゼロ」と「プラスゼロ」のそれぞれの絶対値はゼロでなく「状態量・無限小」である。 「マイナス∞」と「プラス∞」の絶対値はそれぞれ、「状態量・無限大」、である。 で、単なる「∞」の絶対値はゼロである、と記述される・・・。 (以上について、用紙にはほかにもたくさん書いているんだが、めんど草なのでここでは省略) ・・・以下ここからは、上述の論を用いた「新ビッグバン理論・仮説」でアールス・・・ (・・・このセクションは、特に、構成が実にまずい・・・あとからあとから加筆していったので、まとまりがよろしくない・・・整理するのは先の話しでアール・・・) ・・・しかし、さまざまをつき合せると、この「新ビッグバン理論」だけで大宇宙の始まりと大宇宙のさまざまを説明することはできないだろう、と思われるのではあるが、一応考えてみたので、ここにそれを載せておこう・・・うしろの方に、それを乗り越えて、結論も追加した・・・ 1「以上の論(上に長々と記している・・それをカンタンに記すと、−0・0・+0が並んでいて、−∞・∞・+∞も並んでいる、という論と、そこからでてくる結論など)」を適用して、まずはホワイトホールがあることを理屈で追究してみよう・ (低気圧と高気圧をモデルにして、いいかげんな仮説としてホワイトホールの存在を論じた記事をネット上に記したことがある・・そこでは、背の高い高気圧がホワイトホールにタトエられ、低気圧がブラックホールにタトエられている・・そして、直角は次元の違いをもたらすとも論じている・・・)・ ・・・物理学というものは、さまざまな数学を適用して理論を形作るものであるから、上述の「新しい数学」を適用してもいいのである・数学として成立しているのであるから・・・ さて、 ブラックホールが存在することはわかっている。 で、質量が特定の閾値を越えたブラックホールを、物理学の理論sに乗って検討すると、それはどこまでも収縮していって、物理数学的には「一点に収縮して」、その重力が無限に大きくなる「2・時空の特異点」が生じる。 それ「時空の特異点」はもう、今までの物理数学では扱えない(独自にして特殊なやり方sで扱った研究者たちはいるが)。 さてそこで、 1=『「1」の論』・ (上に長々と記している・・それをカンタンに記すと、−0・0・+0が並んでいて、−∞・∞・+∞も並んでいる、という論と、そこからでてくる結論など)(離れた下にもそれをもっと詳しく記そう)・ を適用すると、 「2・時空の特異点」が生じた点においては、まず、重力は「+∞」になり、次いで「∞(絶対値はゼロ)」になり、次いで「−∞」になる、ということになる。 重力が「−∞」ということは、超絶大爆発を起こすということである。 で、その質量は、「+∞」か? 否・ 質量自体は「+∞未満」である・なぜなら、宇宙に存在する物質的存在は有限だからである。 よって、質量はマイナスに反転しない。 つまり、質量自体は「+∞未満」であるが、上述のように、重力は「+∞」になり、次いで「∞(絶対値はゼロ)」になり、次いで「−∞」になる、ということである。 3・よって、その「特異点ブラックホール」は、超絶大爆発を起こすということになる・重力が「−∞」、つまり排斥力が無限大になるからである。 それが「ホワイトホール」である、と言える・ここでの論において。 さて、 大宇宙の誕生も同じ理論で理解できる。 4・一回前の大宇宙がビッグクランチしてできた「全宇宙分ブラックホール」が、上述「3」と同じく超絶極限大大爆発を起こす。 それがビッグバンである。 そのビッグバンにおける排斥力(爆発力)は「+∞」であるから、その直後にインフレーション膨張を起こすだろう。 その後、急速に引力(重力)が発生するだろう・・・(「1」の論を適用)・・・ (――このインフレーションモデルを入れないと、説明のつかないことがいくつかある。入れるとそれらの説明がつく――) ・・・「4」に付記・・・ 大宇宙の形態・3種類のケースs A「宇宙は閉じている」・・大宇宙の物質密度が特定の閾値より高くて(特定の条件の時点で)、やがて膨張が終わり収縮に転じる・ (大宇宙全体の重力が閾値を越えて強い・・ボールを上に投げると落ちてくることに・ある意味タトエられる・・・) B「宇宙は開いている」・・大宇宙の物質密度が特定の閾値より低くて(特定の条件の時点で)、永遠に膨張をつづける・ (大宇宙の重力が特定の閾値より弱いので、大宇宙の大局的・全体的な構成要素sが重力によって集まることがない・・大局的・全体的でない・部分的な構成要素sは集まるが・・・) C「宇宙は平坦である」・・「A」と「B」の中間にあって、大宇宙の物質密度が特定の微妙な条件を満たしており、膨張がつづいていくが、次第に膨張はゆっくりになっていく・ で、理論的に、 「C」であることがわかってきた・「C」でないと、現在のような宇宙はでき上がっていないといったような結論に一応至っている・・・ つまり・・・ D・「ビッグバンで生じた物質の総量が「C」の条件を満たしていたと考えられる」 しかし、「D」の条件だと、前回の大宇宙がどんなふうにビッグクランチに至ったのか説明しにくい・今の段階では・ そこらをもっとよく考えてみよう・・・ 「C」だと、 「C1」・・大宇宙の膨張はゆっくりになっていくものの、収縮には転じないと考えられる(と思う) 「C2」・・しかし、大局的でない部分的なところでは、ブラックホールsが多数できていくだろう うーむ・・・ しかし、それだけではビッグクランチに至りそうにない・ うーん、この新ビッグバン理論・仮説は破綻するのだろうか・・・(破綻大歓迎なのでアールス)・ ところが・・・ E・「しかし、最近、観測によって、大宇宙の膨張は加速していることがわかってきた それはダークエネルギーによるものと考えられている」 この「E」は「C」に矛盾するではないか・・・ ・・・反C「宇宙は平坦でないものの、現在のような宇宙がちゃんとでき上がってきた」ということになる・・・ うーむ・・・ となると、 「E」だと「C」も「B」と同じように扱えるだろう・・・ ・・・Oh! まだまだ、この新ビッグバン理論は沈没しないのであった・・・ ・・・しかし、整合性がとれないところがでてくる・・この「新ビッグバン仮説」と「量子論によるビッグバン仮説とインフレーション仮説」の間の整合性だ―― ・・・この「量子論によるビッグバン仮説とインフレーション仮説」は有力だが、そこでは「量子論」と「一般相対性理論」の統合された「量子重力論」が必要になるが、まだそれはできていない・ (「F」・・・物理学的にそこらの法則を記述できていない、ということ。現実には法則の実態が行なわれているのである・ ・・・大宇宙においては、そういった法則の実態があるの「かもしれない」が――「かもしれない」というのは、それとは「別な法則の実態で大宇宙が運営されている可能性もある」からである――実際に運営されている法則の実態を記述することが求められている、と言える・・・さらに、さまざまをつき合せると、この「新ビッグバン理論」だけで大宇宙の始まりと大宇宙のさまざまを説明することはできないだろう、と思われる・・・以上、「F」) 少し前に戻って・・・メモをいくらか・・・ ダークエネルギーは真空のエネルギーだと考えられている・ A1「量子論によるビッグバン仮説とインフレーション仮説」・ ビッグバン発生時の量子論的揺らぎ・ 真空の揺らぎ・ 上述「A1」の「量子論によるビッグバン仮説」において・・ 素粒子sと反素粒子sが、それぞれ極超多数生まれた、としている・ そこにおいて、わずかに「素粒子s」の方が多かった、としている・ その結果「素粒子s」がいくらか生き残って、大宇宙に膨大に存在する物質の元となった、という理屈をとっている・・ ・・・この理屈にはあまり納得がいかない・・・「新ビッグバン理論・仮説」だと納得がいく・しかしこの「新ビッグバン理論」にも、検討すべき課題sはある・・・ で・・・ この「新ビッグバン理論・仮説」と「量子論によるビッグバン理論・仮説とインフレーション理論・仮説」の間の整合性についてなんだが・・・ まず、 B1「「ビッグバンと、その後の、インフレーションによる急速膨張」は、 既述&後述の「新ビッグバン理論」の実態によって発生」し・ ・(インフレーションには「量子論の実態」も働いているのかもしれない)・ B2「その後は、「一般相対性理論の実態」と「量子論の実態」が大きく働いて大宇宙ができ上がった」、という折衷理論でもいけるだろう・・・ Oh! こう考えてくると、 この「新ビッグバン理論・仮説」は、まだまだ沈没しないではないか・・・ つまり、「B1」と「B2」は、次元というか相が異なるので、そこsでの法則の実態が異なる、と解釈できる・・・ 「B2」にある、「一般相対性理論の実態」と「量子論の実態」も同じく、次元というか相が異なる・ (・・・それらを統一した物理学的理論の記述はできていない・・将来それができたとしても、その理論の「実態」が、宇宙を運営していない可能性もある・・《ここに「実態」は入れない方がいいんだが、入れないとまたおかしな記述になる・・上述「F」にそこらがわかるように記している》・・・) ・・・以上、「4」への付記・・・ で、 宇宙が閉じていて、ビッグクランチを起こすばあいは、理論として――ビッグクランチが生じることについて――納得がいく。 しかし、仮に宇宙が開いていて、無限に広がって拡散していくとしても、 1「上に長々と記している・・それをカンタンに記すと、−0・0・+0が並んでいて、−∞・∞・+∞も並んでいる、という論と、そこからでてくる結論など(「1の論」」 を適用すると、 特定の時点で、拡散していく大宇宙の部分sは1点を目指したような状態になり、結局1点に集まり、ビッグクランチを起こすだろう・・ そこの説明をすると・・・ 『「1」の論』を適用すると、大宇宙が無限に広がって拡散していくということは、大宇宙は「+∞」に拡散し、ついで「∞」に至り、ついで「−∞」にいたるということになる・・ 大宇宙の拡散・広がりが「∞」に至った時点で、大宇宙は1点に収縮するという結論になる・「1」の論からいけば・・・ つまりその時点で大宇宙はビッグクランチを起こしたことになる・・ ついで、大宇宙が「−∞」に至るということは、できたビッグクランチが超絶極限大大爆発を起こし(上に既述)広がり始めるということを意味する・・・ ・・・『「1」の論』への理解を深めるために(かなり上に詳述しているんだが)・・・ ・・・注・・・再掲・・・ ここは超略で記すんだが・・・ 以前に論じた「マイナス0、0、プラス0」「マイナス∞、∞、プラス∞」の理論、そこから、「1+2+3+4+・・・・・・・・・・・・」なる無限級数の和はゼロになる(いくらか誤差がでるようだが・・・−1/12などと)、と論じたが、「∞(と0)」が結局残ってしまう、ということに気づいた。 そこで、さらに今いろいろ考え中学生になっている・・・・・・こういうのはすぐにナマケ中学生に変身してしまうんだが・・・・・・ さて・・・ (以下の書き方・書きようは発想の順になっている。読みやすくするには書き改めた方がいいんだが・・・) ・・・しかし、その後の研究の結果、結局は、最初の結論にもどった・・・ 「『∞(と0)』が結局残ってしまう」のは、そのとおりなんだが、「『∞=プラス∞+マイナス∞』であって、その絶対値・それはその値と同じになる――このばあい『プラス∞、と、マイナス∞』をそれぞれ状態量と呼びたい(ここでの専用用語)――それ『∞=プラス∞+マイナス∞』の絶対値――はなんと0なのだ・この数学においては」(0の絶対値も0)・(――符号も(+)+(−)=0(符号ゼロ)、となり消える・・「プラス=+」、「マイナス=−」と表記すると、「+∞+−∞」という表記がでてきてわかりにくくなるので、上記のように表記した)・・・ ・・・さらに・・・ この理論によれば・・・ゼロの絶対値はゼロで、マイナスゼロとプラスゼロのそれぞれの絶対値はゼロでなく「状態量・無限小」である・・このばあい、0表記はしない・混乱を招くからである・・つまり、「状態量・無限小」と「0」は異なる定義のもとにある・・・ マイナス∞とプラス∞の絶対値はそれぞれ、「状態量・無限大」である・・このばあい、∞表記はしない・混乱を招くからである・・つまり、「状態量・無限大」と「∞」は異なる定義のもとにある・・・ ・・・そう記述できる・・・ ・・・以上、それらへの理解を深めるための、再掲なる注・・・ ・・・「4」に戻って・・・ そして、ビッグバンが起こった直後に、重力は急速に通常に戻るだろう・なぜなら、そこ「4」にあった有限の質量――「+∞未満」――はそのままであるからである。 (上述「4」に加筆した) で、 上述「4」を適用すると、今回の大宇宙も、大宇宙の総質量とさまざまな条件sは、またビッグクランチを起こす範囲内にある、ということになるだろう。 よって、宇宙は誕生と消滅を永遠に繰り返していくだろう。 (仮に宇宙が開いていて、無限に発散しつづけるばあいで、ビッグクランチを起こすということについては上に記している・・宇宙が平坦であるばあいについても上述している) ・・・現在のビッグバン理論・仮説と、そのあとのインフレーション膨張理論・仮説は、正しいのかどうか――現実がそのとおりであったのかどうか――確認・確証されてはいない・・・ しかも、5「ビッグバンが始まる直前までについて、と、始まる時点について、の仮説s」について言及すれば、筆者は首を傾げたくなるのでアールス(一部上に既述)。 ・・・現在の主流の宇宙論においては、大宇宙は、時間も空間もない「無」から始まった・とされている・・それは「無」ではあるが「真空のエネルギー」に満たされていた、としている・・・ ならば、「知性(心)と意識はどこから来たのだろうか」という謎と問いがでてくる・・ほとんどの人たちは、「知性と意識は、脳によって生まれた」と見なしているのではないでせふか・・・ しかし、本論全体で、そうではない、と論証している・・・ それに、現在の主流の宇宙論には、矛盾がでてきている・・・ 以上をもって、いくらか既述しているように、現在の主流の宇宙論には、筆者は首を傾げてしまう・・・ (・・・ここらにおいても、上述「「4」への付記」を参照・・・あちこち加筆したので、構成がよくない・・・) ・・・そこで、数学上における新しい理論――かなり上から長々と記しているが、それをカンタンに記すと「−0・0・+0が並んでいて、−∞・∞・+∞も並んでいる、という論と、そこからでてくる結論など」と、上述「1」「2」「3」「4」でもって、上述「5」における新しいビッグバン理論・仮説を提唱したのでアール・・・ ・・・現実がそのとおりであったのかどうか、これから先もそのとおりなのかどうかは・知らねども・その興味深さに・心躍るる・・・ (この直上は、「なにものが おわしますかは しらねども そのありがたさに なみだこぼるる」とかいう成句というか短歌のような「宗教的名文」があったと思うが・ (正確には覚えていないので、これはどこか違っていると思うが)(あとで調べたら・・なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる・・だったと思う・ちらっと見ただけでメモしなかったので、これも違ったところがあるかもしれないが・・・)・ それを応用して迷文にしたて上げたのでアールス・・・ ・・・ここでは、他の宇宙論sの内容についてまでは言及しない(必要なので、上で軽く軽く表面だけについては触れているが)・・・ ・・・以下、加筆・・・ さて、 筆者はブログsに永年毎日のように何かを書いているのでアールスが、その中からここのテーマに関連する「遊び記事」をひとつ載せよう・・・ 不思議な伝説509 orファンタジー orヘンテコリン故事 or奇妙な文言 or新ことわざ・成句 orマジメな文言 orジョーク orそのほか ・・・などなど・・・ ・・・ 遥かなる太古に かの吟遊詩人は謡った ・・無限に遥かなる太古のこと 前回の大宇宙全体はひとつのカタマリに収縮していった そしてついに1点に収縮した その瞬間 無限大の重力は反転して・無限大の斥力となった その斥力は超絶極限大大爆発をもたらした そこに噴出したものは 大宇宙の大元であった それが急激に膨張してゆき 超絶に永い星霜を経て 次第に安定してゆき 現在の大宇宙として落ち着いた そして惑星上には さまざまな生物たちが生まれいで・栄えるようになった・・ ・・そう・かの吟遊詩人は謡った・・ ・・そう・不思議な伝説は伝える ・・・ ・・・以上は12月24日(’19)にネット上に載せた「191224:新ビッグバン理論も入:加筆形式#3(途中):質・クオリアの科学(仮説)〜心脳科学(仮説)〜世界哲学」に書いている『新ビッグバン理論・仮説』の単純な要約のようなもんだが、その仮説についていくらか検討してみよう・・・ ・・・さて その説だと ここではまず銀河の始まりがそれだとして その中心にあるとされているブラックホール(ほとんどの銀河にあるとされている)は過去の重力場(光速で広がる)の残骸だということになりそうだ ・・しかし円盤状銀河の形状の説明がつかない(球状に広がっていない・円盤状に広がっている・・球状に広がりそうなものだが) おまけに次に 大宇宙がその説どおりで始まったとすれば それら3っつに整合性がない うーむ ややこしくなってきた もっと考えよう・・・ ・・・で、我々が属する銀河系について 言うと・・約2000億個の恒星sと星間物質から成る ・・それは 薄い円盤とそれを包み込むハロー(ほぼ球状)から成る ・・我々の太陽は円盤の中にある ・・ハローは古い星sから成る ・・銀河系の生成についての仮設sを提唱した研究者たちがいる(いた)。 ・・・他の銀河s ・・さまざまな形状を成している ・・千万個程度?の恒星sから成る銀河 約100兆個の恒星から成る銀河まである ・・それらのほとんどにおいて質量の約90%を暗黒物質が占めているとされている。 ・・・さて 以上から考えて・・・ まず、その仮説どおりに大宇宙のビッグバンがあったとして それでもって その後さまざまな銀河sが生成した(された)可能性はあると思う・上述の「過去の重力場(光速で広がる)の残骸」を適用すれば・・・ ・・それからインフレーション膨張モデルを入れないと説明のつかない問題sがあるが、上述で解決がついている(この論の中で) ・・・ということで一応の解決をみたのでアールス・・・(・・・ただし、上述の「円盤状」の説明はまだつかない・・回転がそういう形状にしたのだろうか? ・・そうかもしれない・・・回転とか渦という動きの実態は宇宙に普遍的にありそうだ・・・) ・・・さて、この論についても、もっと研究していこう・・・ ・・・以上、加筆・・・ ・・・こういった方面の観測データsやさまざまをつき合せると、 この「新ビッグバン理論」だけで大宇宙の始まりと大宇宙のさまざまを説明することはできないだろう、と思われるものの、一応、結論をだしておこう・・・ ・・・結論・・・ 「ビッグバンと、その後の、インフレーションによる急速膨張」は、 既述の「新ビッグバン理論」の実態によって発生し・ ・(インフレーションには「量子論の実態」も働いているのかもしれない)・ その後は、「一般相対性理論の実態」と「量子論の実態」が大きく働いて大宇宙ができ上がった、という折衷理論でもいけるだろう・・・ ・・・つまり・・・ 「新ビッグバン理論の実態」と「一般相対性理論の実態」、「量子論の実態」はそれぞれ、 「次元」というか「相」が異なるので、「そこでの法則の実態」が異なる、と解釈できる・・・ (『それらを統一した物理学的理論なる記述はできなくてもいいのである! 』・・・) ・・・首を傾げることなど・・・ 「量子論によるビッグバン仮説(〜インフレーション仮説)」によると、いつでもまたそのビッグバンが起こる可能性がある・・・ それとも一回それが起こって、大宇宙ができ上がると、そこまでも&その先も、そういうビッグバンは起こらないという有力な根拠なり理屈でもあるのだろうか? ・・真空・空間から莫大なエネルギーと物質を取り出したので、真空・空間に可能性として潜んでいるそれらは激減している・・とかなんとか・・・ ・・・それは戯言として・・・ 「これまでも&これから先も、現在の宇宙が存在するままで、いつ新たなビッグバンが起こってもおかしくない」と思うんだが・・・ ・・・さらに・・・ 離れた上述「A1」の「量子論によるビッグバン仮説(〜インフレーション仮説)」について言えば・・・ 「ビッグバンのキッカケはこうだ」と記してある文献を見たことがない・ たぶん、それは、「真空のユラギによる、と言っているのかもしれない」・ しかし、その論によると、「ビッグバンの正に直前には、空間(時空)もなく、無であった」としているのである・ 「真空はあった」と主張しているのだろうか? ・・・何も存在しない「無」であったとすれば、真空も存在しないと主張していることになるんだが・・・ つまり、その論には、腑に落ちないところがいくつかあるのである・・・・ (・・・そこでは、「無」ではなく、少なくとも「空」と呼ぶべきだと思うんだが――筆者の言う「空」とは、「あらゆるすべてが寄り集まってゼロに隠れた状態」である・・その『あらゆる全ての中には、あらゆる正が存在し、そのあらゆる正には、それぞれの反が存在している』ということである・・・) 次に・・・ 離れた上述「A1」の「量子論によるビッグバン仮説(〜インフレーション仮説)」によると・・・ 「(再掲)素粒子sと反素粒子sが、それぞれ極超多数生まれた、としている・ そこにおいて、わずかに「素粒子s」の方が多かった、としている・ その結果「素粒子s」がいくらか生き残って、大宇宙に膨大に存在する物質の元となった、という理屈をとっている・(以上、再掲)」 これにも首を傾げてしまう・・・ ・・・「新ビッグバン理論・仮説」によると、そこらの問題・懸念は生じない・・・ ・・・ここで、いくらか関連ある参考メモを・・・ 上述の「+∞〜∞〜−∞ (+0〜0〜−0)」の数学理論を(上述どおり有力な理論である)、「場の量子論」「量子電磁力学」における「発散問題」における「繰り込み」手法に換えて適用すると、うまくいくのかもしれない? ほかの発散問題にも適用できるかもしれない・ (・・・そこらを一言で言うと、「∞」の絶対値は「+∞+(−∞)」の絶対値であり「ゼロ」である、というところにある、ということである・・・)・・・ (・・・あちこち加筆したので、構成がよくない・・・構成し直すのは先の話しでアールス・・・しかし、思考の展開発展経緯がわかるので、そのままでもいいかもしれない・とムダに弁解しておこう・・・) ・・・さらに付言・・・ 「質時間回帰則」を大宇宙に適用すると、大宇宙は始まって、それから終わって、また新しい大宇宙が始まる、となる・・・ 筆者の愚かで貧弱な直観では、それ以外の在りようはない、と思うんだが・・・どんなもんでせふ・・・ ・・・物理学や数学における・特異点の問題も、「質時間回帰・反転」、の線上にあるのだろう・・という気がするのだが・・どんなもんでせふ・・・ ・・・まあ、とにかく、この世界は複雑怪奇に見えるものの・・しかしその原理・駆動動力は単純明快だ・・・ ・・・世界は透明ガラスでできている・・実際そうである・・何もかもがミエミエのバレバレの丸ミエだ・・・ ・・・大宇宙崩壊・・・・・・ (加筆) さて、かなり前に戻って・・・ ただし・・・既に詳述している(ある)ように・・・意識のそと・宇宙の本体(大宇宙の本源)には時間がない、という理論をも筆者は展開している。 それは、「時間は意識器〜意識〜意識体においてのみ生じる」、という理論である――その根拠は、心脳での情報構造と情報処理にある―― ・・・そこらも既に詳細に記している(ある)。 (――上に加筆が多く入ったので、上記と以下のつながりがわるい・・・直近上述とタイミングよくつながっていることはいるが・・・しかしその後さらにたくさん加筆したので、つながりがわるくなっている――) ・・・さて、上にも他ででも述べているように、そもそも、「大宇宙の本源(本体)――その定義は以下と本論全体にある――」には時間がない――その可能性がある―― それについては既に詳述しているが、以下にその要点を手短に記して、そのあと、その立場に立って、ここらでの話題についてのさまざまを考察してみよう・・・ 「外界・物質世界――肉体をも含めて――つまり意識の外(そと)――にはなにがあるかわからない」とすでに何度も、その根拠sを示しながら記している。 そしてそこには実時間がない可能性があるとも、その根拠sを挙げながら述べている。 それはつまり・・・ 「大宇宙の本源」の意味内容――ディジタルなスペクトル系の情報というかデータだろうと推測できる。それを心器と脳が扱う。 それ「ディジタルなスペクトル系の情報」を心器で扱いまとめ上げ、まとめ上げたそれを意識器に入れて時間展開(経時変化展開)した「h(t)」に実時間がはいってくる――それは「意識」が意識し味わう時である――のであって、「大宇宙の本源」には実時間がないのである。 そう解釈・理解することができる。 ――もちろんこれは仮説である・・・ ・・・さらにそれに関連してミニ解説をなしてみよう・・・ 既に記しているように、いくつもの根拠sをもってそう推測することができる。 ・・・おまけに、それによって量子力学〜量子論やEPR問題などにおける不思議な謎sの解明ができ不可思議な謎sが解ける(はるか前やうしろ、あちこちに既述している)・・・ ・・・であるので「大宇宙の本源」には実時間がない、などということは戯言〜妄想〜虚妄〜荒唐無稽であるとは断定できない。 ・・・ただ、実時間はないが、なんらかの振動〜周期のようなさまざまで無数の時間要素sはある(を含んでいる) ・・・そういう推測が成りたつ――・・・ ・・・ミニ解説から戻って・・・ そこで、「(実)時間がないのであるから、存在は消えることはない」という論法が成立する。 そういう意味実態〜実体・実態にあるので大宇宙は、「初め・始まり」もなく「終わり」もなく、永劫の過去から永遠の未来まで存在するのである――意識にとって――と言える。 ・・・言葉をかえれば、時間について言えば、時刻・時間は常に今であり、よって、今は永遠につづく――意識にとって――矛盾のある表現だが――そうも言えるだろう。 ・・・時は永遠に今である、今は永遠である、今は永遠に今である、とも言える――意識にとって――矛盾のある記述だが――・・・ ・・・そういう論法による推測〜仮説を筆者はひとつの在り方として立てたことがあり、今でもそれを保持している・・・ ・・・仮に大宇宙の本源(本体)に時間があるとしても、それまで存在していたすべてが突然すべて消えてなくなるなどということはないだろう・・・どう考えてもそうである・・・物質・エネルギーやそれらが形を変えた何かsが不滅である法則は頑として厳としてあるだろう・・・ ・・・たとえば・・・「無」から宇宙が誕生した――真空の量子論的揺らぎとトンネル効果によって――何もない真空にはエネルギーが存在する(それを「無」と表現しているのだろうが)――といった仮説も提起されているが、それも、宇宙が誕生する可能性を「宇宙の元」――「宇宙の本源」――が持っていればの話しである。 「あらゆるすべてのさまざま」は、質の対生成によって生じる、それら「あらゆるすべてのさまざま」を足し合わせると「空」に隠れる――質の法則である――。 ・・・よって、そのばあい、「無」ではなく「空」と表現する方が適切であり安定する。 そもそも、この大宇宙〜この世界に「何もない」ということはありえないのではないか――これは哲学的主張だが――・ 現実に既に宇宙はあることを我われは認識し意識し味わっている・ そこで、そういうふうに存在する宇宙が消えてなくなる――「無」になる――ことがあるのか、という「謎と設問」にここでは行き着く・・・ それ「その謎と設問」は・・・先に述べた「『あらゆるすべてのさまざま』は、質の対生成によって生じる、それら『あらゆるすべてのさまざま』を足し合わせると『空』に隠れる」という「命題」というか「法則」というか「原理」というか、その中にある、というのがその解答になるだろう・・・ ・・・で、そこで問題になることは、エントロピー増大則などであるが、そんなもんも、そこでは吹っ飛ぶ、関係ないだろう・ そこをわかりやすく言えば、エントロピー増大も、一時的であり、エントロピーは元に戻る時期があるだろう、と筆者は推測する、ということである・・・ (・・・遥か上〜上に、さまざまを加筆したので、ここらあたりは(ここらあたりも)、構成がよくない・・・そもそも、このシリーズ全体においては、内容における構成要素sが極端に多すぎるし、筆者の読んだことも見たこともない世界初の論sを書きつけているのであるし・ (慣用的な内容、既知として用いていい知見、などは除く)・ 筆者も、このシリーズを書くに当たって、もともとすべてを見通しているのではなく・ (いくつかの結論sはずっと以前に既に抱えているのでアルスが・・たとえば、「これはこうでなくてはおかしい」などと・・)・ 考えを進めながら本シリーズに挑んでいるのである・・・よって、残念ながら、今のところ、これ以上すっきりとは書けないのでアールス・・・) (ここらからかなり後ろまでは、 上述「−0、0、+0、〜〜−∞、∞、+∞・・理論」「新ビッグバン理論・仮説(ここらあたりを書いたずっと後にそれを書いた)」のかなり前に移動させるべきでアール、 あるいは、 上述「−0、0、+0、〜〜−∞、∞、+∞・・理論」「新ビッグバン理論・仮説(ここらあたりを書いたずっと後にそれを書いた)」を、ここらのずっと後ろに移動させるべきなのでアール・・・ しかしメンド草なので、当分このままにしておこう・・・) ・・・少し前に遡って・・・ ・・・その考え方は、たとえばいくつかの例sとして・・・ 宇宙がビッグクランチを起こしたとしても(かなり昔はそうなのでないか・と言われていた)、そこにはそれまでのすべての物質・エネルギーやそれらが形を変えた何かはすべて残っているわけであり、たとえばそれが複数衝突して大爆発を起こす、 あるいはひとつのビッグクランチの内圧が高くなり限度を越え爆発する、などと推測でき(ブラックホールだとそうはいかないが。しかし、ブラックホールは次第に蒸発していくという論があるので、そこからも新しい宇宙の萌芽を見ることができるのではないか)、その結果宇宙の初期に戻る、 あるいは、物質的な存在はなんらかの在り方で空に帰し宇宙の始まりの条件が整う、などとと考えられる。 さらに(上のカッコ内で触れたが)、ブラックホールも次第に蒸発していくという説から言うと、宇宙がブラックホールsだけになったとしても、そこからも新しい宇宙の萌芽状態がやってきて、その結果宇宙がまた始まる、ということも考えられる。 ・・・かなり上に、ビッグバンについての仮説をあとから書いたので、構成がよくないことになった・・・ ・・・――以上、てきとうに考えてみただけでアール――・・・ ・・・ここで遊びコーナー・・・ ・・・ここで遊び問題を・・・ 質量が極めて大きいブラックホール、少なくとも2つが、途轍もないスピードでぶつかったら、どうなるのだろう? ・・・それについて、いいかげんで、てきとうに考えてみると・・・ 1・それらが合体したブラックホールができるだけ 2・それらの質量とぶつかり合うスピードによっては、 ひとつのブラックホールにならない、 あるいはそれらは飛び散る、 あるいは、それらは通常の物質に戻る、 あるいは、時空が破れて、どこかにそれらのエネルギーと物質が噴き出す(ホワイトホール説に似ている)、 などなど ・・・――以上、てきとうに考えているだけだが――・・・ (――・・・注・・・ 以下、ここからの宇宙の膨張加速については、勉強不足だ。よって、間違いがあるだろう。そのうちもっと勉強して手を入れよう(それについても上に加筆した)。 ただし、宇宙は永遠につづいていくだろう、という線にもっていくためにここも書いている・笑。・・・こういう論述は非科学的にして独善的であるが、筆者の論全体を見れば悪くないやり方だと思う。 ・・・ついでに、「宇宙は永遠につづいていくだろう(そうでないとおかしい)」という文言の内容は、筆者の、感じ、信念、信仰、である・笑・・・ ・・・以上、注・・・――) ・・・注から出て・・・ あるいは、宇宙がビッグクランチを起こさず、拡散・発散していくとすると――現在では、この説が有力なようである ――それは謎の力(ダークエネルギー説が主流)によって、宇宙の膨張が加速しているのでそうなる「拡散・発散していく」、と言われている、ということであるが(これはわかりにくい構成の文だ。しかし順序としてはこうなる)、 それは、より遠方の天体sからやってくる光の赤方偏移が理論値より大きくなっていることが観測され (――赤方偏移について言えば、宇宙の加速膨張が観測される以前も観測されていたが、赤方偏移の度合いが以前の論の理論値と異なっていることが、より進歩した観測機器によって観測された、ということ――)、 それによって、宇宙の膨張が加速されていると結論されている、ということである。 超新星sや銀河sの新しい観測結果sとさまざまな条件sを照らし合わせて考えると(グラフも描く)、そういう結論になる、ということである。 (この記述でいいかな?) (――以上、この文章は、注釈が多すぎて、わかりにくい・・・ そこで以上を超かんたんに要約すると、 「現在の説によると、宇宙は拡散・発散しそうだが、それは天体sからの光が赤方偏移を起こすことが観測されていることから、そういわれているのである」、 ということである・・・――) ・・・以上について、繰り返しを含めて、わかり易くするために述べると、つまり・・・、 それ以前にもそういった赤方偏移は観測されていたのだが、当時(かなり以前)は、不確定ながら宇宙は収縮に転じそうだ、と言われていた? ――一般相対性理論と当時の観測結果から――。 しかし、それ以降、より遠くの天体s(超新星sと銀河s)をより精度よく観測できるようになった上に、ある時点において、さまざまなデータsも蓄積されてきていたので、そういう結論「宇宙の膨張が加速されている」という結論に至ったのであった(それが現在も最有力とされている)。 (――それには、謎の力が働いている、と考えるしかない。その主流の説がダークエネルギー説である――) (以上、この記述でいいかな? 不完全だ。そのうちもっと勉強して手を入れよう) そのばあいの宇宙の先行きは、天体sの拡散、天体sのブラックホール化、ブラックホールsの蒸発、そしてそのあとは、素粒子sの対生成と対消滅が繰り返されるだけ、そういった寂漠にして巨大すぎる宇宙、とされているようだ(――ただし、これもひとつの説である――)。 しかし・・・、 そのばあい、物質的な存在は、長い時間のうちに崩壊し空に帰り(返り、還り)、エネルギーも空に帰り、宇宙の始まりの条件が整う――などということも考えられる(一部既述している)・・・。 時間の経過によって、宇宙で「なくなる何か」としては、「エントロピーの低さだけ」であって(エントロピーは増大する)、それ以外の「さまざまモロモロのすべて」は決してなくなることはないだろう(――対消滅して空に隠れることをも含める――空に隠れても、何度でも対生成されるだろう――)。 さて、そのエントロピーだが・・・、 宇宙が永遠につづいていくために、そのエントロピーも元に戻るだろう(希望・笑)。 さまざまな根拠と理由から、そうでないとおかしい(――それについて本論全体で種々さまざまに論じている――)。 そうでないと、宇宙はバカだ、ということになる(笑)。 宇宙がバカであっては困る(マジメに言って)。 宇宙は今までのところ一応優秀ではないか(――もちろん、宇宙・世界において、不合理なこととか、世界は、でき損なっている、と思えるところも非常に多い――これについては、優秀の反対である――。 ――しかし、曲がりなりにも、宇宙・世界は在り、大自然もでき上がっており(これから変化したり壊れていったりするだろうが)、さまざまな生物も存在しており、人間も存在していて、人間はさまざまを創りだしてきている――そういう意味で、一応優秀、と言っているのである――それに、質の対生成と質のもつれ、質時間回帰、によって、そう在るしかないのである――)。 で、永遠に宇宙は一応優秀でいるはずだ。 ――ここの後ろの方は上段ジョーダンに構えたジョーダンだが、そういったこと「宇宙は永遠につづいていくだろうということ」をも本論全体で、手を変え品を変え種々さまざまに論じている(よってそのエントロピーも元に戻るはずだと)―― あと、宇宙空間の問題がある。 宇宙空間が永遠に広がっていく、ということは、いったいどういうことなんだろう。 一般相対性理論では、空間(時空)の性質は、物質・エネルギーの存在によって決まる、となっている。 広がりすぎた宇宙空間に、物質・エネルギーがなくなったら、その空間は、どうなるのだろうか。 1・その空間はそのまま残る 2・空間もなくなる 3・空間もなくなるが空間発生の可能性は常にある――そこでにおいて時間がどうなっているかわからないが、「時間は常」と表現しておこう―― (――観測者「意識」がなければ、そこらでは実時間はないだろう――これについては既述している――) 一般相対性理論においても、「そういった空間」についてはよくわからない、と言うより、まったくわからない、と言えるのではないか。 で、 ビッグバン説では、なにも無かった一点から宇宙が始まった、となっているが、そのばあい空間をどう考えればいいのだろう。 筆者の独善と希望的推測によると(笑)・・・、 「素空間――物質・エネルギーの存在とは無関係な空間」とでも呼ぶべき空間がある、その「素空間は」変わらずに永遠に存在する(どこかにさまざまに既述している)、ということになる・笑・・・。 その「素空間」の大きさは? 無限か有限か? ・・・ ・・・ここで、誰もが考える設問――有限のばあい、その外側はどうなっている? 無限のばあい、無限の空間とはいったいどんなものだ? という謎と設問が登場することになる。 ・・・うーん、なんか落とし穴に落ちた気分になるが・・・ それについては答えをださなくてもよい、 その答えはこの宇宙のどこにもない・笑――これはジョーダンだが――、 その答えはださなくてもよい・なぜならそれは宇宙が永遠につづいていくかどうかには関係がないからである・・・とマヌケに締めておこう・・・ ・・・でも、それではマヌケすぎるので、もう少し思索遊びを進めてみよう・・・ 1・素空間が有限のばあい、宇宙は閉じていて、宇宙の外には何もない・笑。 それに対しては、何もないとはどういうことだ? という問いがすぐにでてくる。 ――「宇宙は閉じている」、「宇宙は開いている」、は、相対性理論を適用した宇宙論で用いる表現だが、ここで借用しよう―― 2・あるいは、素空間の宇宙の外には何者も出ることができない。 ・・・それは、素空間の宇宙の外がある、と言っているようなもんだ・笑 3・それなら・・・素空間の宇宙の外に出ても、そこは素空間の宇宙の中になっているというのはどうだろう・笑。 何かのおもしろい絵でそんなのがありそうだ。 これら「1」「2」「3」は同値だろう。 それらを代表して「3」ということにしておこう。 つぎに、素宇宙空間が無限であるばあい・・・これも結局、上述「3」になるのではないか――そんな感じがする。 (・・・ここには「非科学」という科学を適用・笑。 ・・・ここらあたりではほとんどにおいて、「非科学」という科学を用いている・笑。 ・・・現在までのところそれしか方法がない)。 ――ここまでの、「素空間」、「素宇宙空間」、などという用語sは、筆者のひとつの論(いいかげんな論だが)の中での用語なんだが、 今現在主流の宇宙論における「空間(時空)」、「宇宙」、「宇宙空間」、などについても、同じような考え方で行けるのではないか(・・・これも遊びだが・・・)―― ――上に「(時空)」を出したので・・・ ただし、素空間において時間を論じることができるかどうか、という問題がある。 素空間における時間は「時間は常に今」「時間は常でありそれは今」「時間は今でありそれは常」と言えそうだ・笑―― 空間についてのここまでの結論として・・・空間は永遠・常に存在する、あるいは、空間の発生の可能性は永遠・常に存在する、ということにしておこう・・・。 ・・・参考――「意識のそとには、何があるかわからない、なんらかのデータベースとデータsが存在する、としか言えない」――「そこに空間と時間もはいる」――、といった論もすでに展開している――・・・以上、参考・・・ ここでの一応の結論として、「宇宙は永遠につづいていくだろう」ということになるしかない、という「感じ」である、というところに落ち着く(――「感じ」が物理学をはじめ、すべてのモトイであったしある。「洞察」もそこにはいる――かんたんに言えばそれは「直観」による、ということである――)。 ――ここらだけ見れば実にいいかげんでてきとうな論の進め方であるが――先にも述べたとおり、それは筆者の好きな、哲学的ふにゃ論なんだが――、本論全体をみれば、そのいいかげんさは薄まると思うし、ほかの論じ方では現在までのところさらに説得力が落ちる、というか、論じることができないように思える―― さらに別な言い方に変えると・・・ ――ともかく、空間のエネルギーは、供給無限だろう――宇宙の始まりにおいての、現在の物理学的主張と記述でそうなっている――。 そうであるなら、宇宙の、エントロピーを低下させる力も無限だろう、と言えるだろう。 そうであれば、何らかの形で宇宙が終わっても、また新しい宇宙が始まる、と言うしかない、と単細胞の筆者は思う――。 くわえてもう一本・・・ 生物が生まれ、人類がここまで進化し、ここまでこれたのは、 宇宙が無限回(無限回に近い回数)始まりと終わりを繰り返してきたからだ、 そうでないと、ここまでの生物の進化と、人間の創造性は生まれていない――断定・笑――。 (ここらはジョーダンコーナーでもあるのじゃらす) ・・・上でも触れたが、別な要素をつけ加えると・・・ 先に述べたように、近年、宇宙は永遠に膨張していくのではないか、と、観測結果を基に主張されているが・ (――ダークエネルギーによって、とされている。可能性として、5番めの力によって、とか、真空のエネルギーによって、などとも言われている――)・ そのばあいは定常宇宙論の一種――真空からいくらでも物質とエネルギーが補給される――現代物理学においても、真空にはエネルギー〜物質の元が、いくらでもつまっているとされている――、ということになるのではないか(これも可能性を述べている)。 よって、宇宙は永遠につづいていくだろう、と主張したい・論じたい。 さて、つぎは時間について考えてみよう・・・ 時間については、何か所かで既にさまざまに論じているが・・・一応ここにも短いのを載せよう・・・ 1・観測者「意識」の中だけに時間(実時間)は生じる、という論は可能である。 「脳」と「心器」さらに「意識器」における「情報形態」と「情報処理の様子・実態」からそう言える(意識のそとには、何があるかわからない、という論もそこからでてくる)。 そこから、 「宇宙(宇宙の本体・本源)には時間がない」、 という仮説を立てることができる。 よって、宇宙(宇宙の本体・本源)は常に「常」の時間状態・実態にある、つまり、宇宙は永遠につづいていく、と論じることができる。 2・ほかにも、さまざまな論じ方がある。それらは後ろの方に載せよう。 ――その他、それについては既にあちこちに記している・ある――。 ――・・・参考・・・ ・・・言葉のクオリア・qualia研究の一環として・・・ 直近上述、「記している」だと、現在進行形でもあるし現在完了形と見ることもできる。それは筆者の行動に着目した記述になる。 過去にはほとんどこの記述で記している・ある――「ある」の方がいいかもな、と思いながら――。 「いる」という言葉は基本的に、動物や動くものが存在する・何かをやっている、といった意味である。 一方、「ある」という言葉は、それら以外(動かないもの)が単に存在する、といった意味である・現代国語においては(古語ではそうでない・・・「たれかある=誰かいる? 」、など)――。 基本的にそうであるが、いくらか融通をきかせて、「いる」を用いるばあいもある。 たとえば、植物については、「生えている」を主に使う――植物も生き物だからである――。 ただし、そこに樹がいる、とは言わない。樹がある、と言う、などなど・・・――。 ・・・ついでに日本語における未来形について言うと・・・「しょう(〜するでしょう)」、「だろう(〜するだろう)」、「〜ます(現在形だが)」、「動詞の現在形」、「〜と思います(〜すると思います)」、がある――それらは全部、意志未来でもある・・・その中では、「〜ます(現在形だが)」と「動詞の現在形」、が一番、意志が強くでる――。 ・・・ ・・・以上、言葉のクオリア・qualia研究の一環としての参考・・・―― 参考からでて・・・ で、宇宙が永遠につづいていくとして、 人類のような生物が途絶えることはあっても永遠に生まれつづいていくのかどうか、という問いにおいては、 先に述べた、「空間」と「エントロピー」の「問題」に重なってくる(――それについても、ほかのところでも、さまざまに論じてある――)。 (――気づき:ここまでにおいて、さまざまな考えsを並べ立ててきているので、それらの中の要素sのどれかは、それらのほかのどれかの要素と関係があって、それらふたつが矛盾するところがあるケースがある、というか、首尾一貫してないところがあるケースがあるというか、すっきりしないところがいくらかあるばあいがある、と感じる。 しかし、ひとつひとつの要素が独立した考え・説なので、そこに問題はない。それら要素sを組み合わせたときに、そういうケースが発生するようだ。 繰り返すと、そこらには問題はない:――) さて、かなり前に遡って・・・ ・・・参考・・・ 空間のエネルギーがあるなら、光が空間を走ると、空間に仕事をして赤方偏移を起こすということも考えられる(――既述・・・政木さんという人の本にあったヒントからそう思った――その当時は空間のエネルギーという概念はなかったと記憶する――)。 つまり・・・、 すべてにおいて、減衰があり、宇宙空間を走る光もその例外ではないと言うことになるのではないか、ということ。 で、その原理によって、より長い距離を走るところの、より遠いところにある天体ほど、赤方偏移が大きいということも考えられる。 それが正しければ、宇宙は膨張していないということにもなりうる(――その原理だけでは、「宇宙の膨張が加速しているように見える」まではでてこないか――)・・・以上、参考・・・。 ・・・直近上述の参考に加筆:――171211加筆――:そういう仮説を立てている科学者さんもいることを、ごく最近知った。そこ(後述の事典)には「光がエネルギーを失って赤方偏移を起こす、という説」といったふうに書かれていた。しかし、広くは受け入れられていない、と。 ・・・数日前に最新の科学事典でこのことを知った・・・以上、加筆・・・ ・・・もしそれが正しければ、現在の宇宙論は大きな修正を要求されることになる・・・定常宇宙論の復活もありうるだろう。 ・・・さらに参考・・・ ・・・で、いくらか前に、筆者は、地上だけにおいて、光の赤方偏移が起こる事例がないか文献で探してみたんだが、見つからなかった。 さてそこで、「夕焼け(この言葉はセンスがよくないと思う。夕染め、夕映え、夕染まり、夕紅染まり、紅染め、夕紅・くれない・べに、なんかが筆者の好みなんだが)」について考えてみよう。 筆者は「夕染め」(夕焼け)についての科学的な解説をいくつか読んでいて、その科学的原理は知っているんだが、あえてそこに挑戦してみよう。 「夕染め」についての科学的な原理と、昼間空が青く見える原理は、さまざまな文献や事典などにあるとおりだとして、その上で・・・ 「夕染め」において、赤方偏移が起こっている可能性はないだろうか・・・ほんの少しでも・・・ それに加えて、一番波長の長い赤色光が赤外線の方にいくらか偏移して、赤外線の総量が通常より増加している可能性はないだろうか・・・ほんのわずかでも・・・ そう考えてみたのだった。 ・・・それから・・・夕染めはいつも起こるとは限らない? (未確認)とすれば、さらに考えるべき要素がでてくる。 で、昨日ここを書いたとき、夕染めは晴れていて雲がいくらかある日には、いつも起こるのだろうか、とあれこれ思い返してみたが、「はっきりは覚えてないなあ」という結論に至った。 そこで昨日の夕方、夕染めになるかどうか西の方を見てみた。 ・・・結果は・・・日没の後、雲のない西の空の最下方がいくらか、うすオレンジ色に染まっていた程度だった。とても夕染め(夕焼け)という感じではなかった。 で、夕染めには水蒸気の量が関係するのではないかと、昨日思ったんだが、先述の文献sにはそういうことは書かれていなかった。 で、別な文献を見てみたら「水蒸気の量も関係する」とあった。 たぶん、水蒸気の量がより多いと、夕染めがより強くでてくるのではないか? (これは推測であり未確認) つまり、水蒸気のより多い大気を通ってくる光は、ごくわずかながらより多く赤方偏移を起こすのではないか、という問いがここに成立する。 となれば、水の中を長距離走る光もそうかもしれない、ということになるだろう――その実験をしてみたいものだ――そこでは散乱も起こるだろうから、散乱については、観測結果を物理数学で処理すればいい――。 もしそれ「地球の上でも赤方偏移が起こること」が事実だと判明すると、宇宙空間を長距離進む光は、空間にある何か――空間のエネルギーとか、星間物質とか――などに仕事をして、赤方偏移を起こす、という可能性も考えられる、ということにもなるだろう(先にもいくらか述べた)。 あるいは、ダークマターによって青方偏移や赤方偏移を起こし、その総計では赤方偏移になる、という可能性もある。 そのばあい、ムラがあるだろう・ダークマターが偏在しているとすれば。 そのムラを追究していけば――つまり、さらなる観測をなし、さまざまなデータsと、ばあい・条件分けなどをなして、物理数学で処理すると――この説「ダークマターによる偏移」の真偽がわかるだろう。 以上のどれかが正しいと判明すると、先に述べたようなこと 「宇宙は膨張していない」とか、 「宇宙は収縮に転じる」とか、 「現在の宇宙論の大幅な修正」とか、 「定常宇宙論の復活」とか、 それらのどれかになることになる。 ・・・以上は、そう考えてみただけであって、思索遊びの世界にある。 :以上、参考・・・―― ・・・参考・・・参考からでて前に戻って・・・加筆が多すぎて以下、これは、ここに置いておくのはマヌケな感じなんだが、どこに移動させてもうまく納まりそうにないので、そのままここに置いておこう・・・ そのばあい――つまり、赤方偏移の原理が、現在の説どおりでないばあい・・・ 1・宇宙は膨張していない 2・宇宙の膨張は言われているよりは穏やかである 3・宇宙が膨張していても、将来収縮に転じる などという可能性も考えられる。 以上、参考・・・ (――豆知識: 宇宙が膨張していくと、宇宙の温度が下がっていく。しかし宇宙は得体が知れないので、どこかに熱の供給源がある可能性もある――)。 ・・・大きく離れた上に、ビッグバンについての仮説をあとから書いたので、ここらに関連する内容は、構成がよくないことになった・・・ (ここらの文章構成は未熟だ。筆者は文章にごちゃごちゃとさまざまを盛り込むことがあるし、加筆もよくするので、そういうことになることがあるわけだ。 そのうち手を入れよう。 ・・・でもめんど草草・・・広い広い草原の世界・JK・・・) ・・・ここらでは物理理論〜物理数学も今のところ歯が立たない・・・物理理論〜物理数学が歯こぼれを起こすか虫歯になるだけである・JK・・・(研究中)・・・(ナマケ中)・・・(なまけ中学校に入学・JK)・・・ さて、今度は哲学的に行ってみよう・・・ 以前にも似たような内容を述べたが・・・ (――確認:ここでは、「宇宙は永遠につづいていくかどうか」、というテーマで論じる――) 結局、「意識」にとっては、「今」しかないわけであり、「意識」が存在する限りは常に宇宙も「今存在する」と言える・・ということはつまり、意識にとって、「宇宙の時刻(時間)は今しかない」、つまり、意識にとって宇宙は「今=常(つね)・笑」に存在するのである(――これは屁理屈のようだが一応筋は通っているだろう――)。 ・・・もうひとつ行ってみよう・・・ 「宇宙に意識がないと宇宙はないに等しい」という命題は説得力がある――既述している――。 よって、宇宙が存在する限り意識も存在しないと「意識にとっても宇宙にとっても」・「困る」。 宇宙が存在する限り意識も存在しないと意識にとっても宇宙にとっても、「不自然なこと」、「奇妙なこと」、「おかしなこと」、「変なこと」、になる(それについても既にさまざまに論じている)。 そういうことがあるはずがない――これは人間的にして哲学的な主張だが――。 よって宇宙が存在する限り意識も存在するはずである。 で、意識にとって時間は今しかない――これは厳然たる事実である――。 ということは意識にとって、宇宙の時間も今しかない。 「今=常(つね)」であるから――笑――、宇宙も意識も「今・常に存在する」、ということになる。(爆)。 ・・・さらに、ひとつ飛んだ・跳んだ前の論を発展させてみよう・・・ 「意識の外(そと)、つまり宇宙・外界・物質世界、にはなにがあるかわからない」という論は強力である――詳細に何回か既述している――。 今度はこれを出発点にしてみよう。 「意識にとって」、宇宙(宇宙・外界・物質世界・肉体――つまり意識の外・そと)は、「エネルギー経時変化波動モード意識内容」として意識し味わわれるだけであって、それら対象が何なのか、それ以上のことはわからない (――「意識の外(そと)」=「大宇宙の本源」の意味内容はディジタルなスペクトル系の情報というかデータだろうと推測できる。そこには実時間はない――詳細に既述している――)。 つまり、「意識にとって」、宇宙(宇宙・外界・物質世界・肉体=意識の外・そと)は、「エネルギー経時変化波動モード意識内容」である――「意識にとって」を強調 (――「宇宙の本源自体は既述しているようにそうではないが――)。 で、「意識にとって」は「今」しかない ――これは事実である。過去のことを思いだすにしても、それは「今」思いだしている。未来のことを想像なり創造するにしても、それは「今」想像なり創造している――。 どう考えても、「意識にとって」は「今」しかない。 そして、「今=常(つね)」である――?――。 ・・・うーん・・・「今=常(つね)」について、もうちょっとよく考えてみよう・・・ ここでは、「常」とは、「いつも」、「いつも変わらないこと」、といった意味にしておこう(そういう意味が本来の意味である)。 意識にとって、「今」という時刻・時間は、「いつも」「今」であり、意識にとって、「今」という時刻・時間は、「いつも今であり、変わらない」と言える。 ということは、意識にとって、意識も宇宙も「今」「常に」存在するということになる(これもフニャ論だが)・・・εε爆33・・・。 ・・・そこでは、それ「常(つね)」ははずして「今」だけを記しておいた方が説得力がより高いかもしれない・・・。 ・・・いや、まてよ、もう少し攻めてみよう・・・ 「意識にとって、すべては意識内容――エネルギー経時変化波動モード意識内容――である」、 「意識にとっては今しかない」、 よって、「今=いつも=永遠=常(つね)である」、となって、筋は一応とおる。 となると、意識にとって「宇宙も、今=いつも=永遠=常(つね)に存在する」と言える。 卑近な例で、そこを一応たとえて言うと・・・眠っている間は意識がない(――夢を見ている状態は除いて。夢には、意識がある夢と意識がない夢がある。後から思い出せる夢と、そうでない夢もあるだろう。さらには、あるいはそれらに加えて、眠っている間も意識はあるが、覚えていない=記憶がつかない、というケースがある可能性もある――)。 目覚めると意識がある。 つまり「意識にとって」意識はいつも存在する、といったところだろうか・・・このたとえは誤解・曲解を招くかもしれないが・・・ ・・・・・・ここらあたりには人間的にして哲学的な「ふにゃふにゃ論(ふにゃ論)」も混ざっていて、いくぶん〜かなり説得力に欠けるが・・・、 ・・・結局・・・ 「筆者はそう信じる」、 「そうでないと宇宙はできそこないだ」、 「宇宙ができそこないであっては困る」、 「宇宙はできそこないのはずがない」、 「宇宙はできがよいはずだ」、 「宇宙はできがよい――質の対生成と質時間回帰という制約があるのは必然であるが――」、 「自然界・この世界に遍く存在する時間を組み込んだ物理的対称性の本源である質時間回帰則が完璧であるためには、宇宙は永遠に続いていかなくてはならない」、 「(これは直近前と似ているがかなり異なる) 自然界・この世界に遍く存在する『物理的対称性』という概念実態に着目し、その『対称性』に『時間を組み込んだ物理的対称性』の本源である『質時間回帰則』が完璧であるためには、宇宙は永遠に続いていかなくてはならない」、 「よって、宇宙は永遠につづいていく」、 そう、文言を並べておくことにしよう・・・。 さて、さまざまを総合すると・・・ ・・・結局、「大宇宙は永遠に続いていく」、というしかないだろう・・・ ・・・(・・・筆者の趣味や個人的希望がそこにははいっているとみなされてもかまわない――検証〜実証のむずかしい課題・問題の結論においては、そういう進み方しかないだろう――該問題についての解答を避けるという在り方もあるが、そこを乗りこえていくとすれば、そういうことになるだろう・・・)・・・・・・ ・・・さてここで、以上とさまざまを総合すると・・・ 先に述べた、そういう結論「『自分という意識の主体の転生』と『質時間回帰』は永遠に続いていくのである(上記などの実態の中で)」――それしか実態・実体の在りようは、でてこないだろう・ないだろう。 そこ「質時間回帰」から、 「他人に為したとおりを将来必ず自分が受ける」、 「今の自分とは正反対に将来必ずなる」、 という法則・命題もでてくる。 (・・・そこのところをよくよく噛みしめ味わいものにしたいものである・・・)・・・・・・ しかもそうでないと――これには哲学と個人的趣味もはいるが――繰り返しの要素もでてくるが――さらに人類のほとんどがこれに無意識において賛成すると信じるが―― 「そうでないと宇宙の存在意義はない」、 「そうでない宇宙は愚かの極みである」、 「そうでない宇宙はバカである」、 「そうでない宇宙はボンクラである」、 「そうでない宇宙はアホである」、 「そうでない宇宙はできそこないである」、 「そうでない宇宙はデクノボウである」、 「そうでない宇宙はガラクタである」、 「そうでない宇宙は完璧に壊れている」、 「そうでない宇宙はあってはならない」、 「そうでない宇宙は愚劣の極みである」、 「そうでない宇宙は壊れたオモチャである」、 「そうでない宇宙はあるはずがない」、 「そうでないと人類のほとんどが宇宙に対して怒る」、 ・・・「だから宇宙はそうなっているだろう――質の対生成と質時間回帰という制約があるのは必然であるが――」・・・という結論に至るのは自然だろう。 (・・・繰り返しになるが、ここらの部分には哲学と個人的趣味や希望を盛り込んでいる――それは「人類のほとんどがこれに無意識において賛成すると信じる」、という文言の内容にある。 ――さらに「人類のほとんどがこれに無意識において賛成する」うえに、「世界がそう形成されることが可能であれば」、「世界はそうできているはずだ」、という主張も成立する。 ・・・転生と質時間回帰の実在についてもそれと同じ論法が成りたつ――既に何度か述べている――)。 そこで、「質時間回帰」が、人間のような「意識」をもつ生物が、途絶えることはあっても生まれ続いていく限り〜あるいは永遠に、生まれ続いていくとすれば、 そこ「☆質時間回帰☆」の意味内容をよくよく噛みしめ味わいたいものである――「質時間回帰!!!!!!」・・・・・・ ・・・注:「噛みしめ味わう」のは「心器――心器が知性をもっており知性が行う――」であり、「意識し味わう」のは「意識器――知性的情報処理はせず意識し味わう――」である。 ・・・ここらのところも既に詳細に何回か記している・・・わかりにくいでせふが・・・ ・・・「心器」は自分のことを「自分だ」と思っているわけだが、「心器」には心的内容を「情報処理する働き・理活能力」はあるが「意識し味わう働き・能力」はない。 その心器が生成産出した「心的内容」を「意識内容」として「意識し味わう」のが「意識器」である。・・・ ・・・ここらのところはややこしいと思われそうだが、そこを外しては正しい認識(心器が行う)には至らない・・・ ・・・そこらの要点を並べておこう:「心器と理活と心的内容」、「意識器と意識内容と意識し味わうこと」・・・ ・・・注:何度か述べている「外界にはなにがあるかわからない」ということは、「意識の外(そと)にはなにがあるのかわからない」という意味である。 「意識」は「エネルギー経時変化波動モード意識内容」を意識し味わうだけである。「意識器」には心器が行う「知性的情報処理能力」はない。・・・ ・・・ついでに記しておこう・・・「心器」は「エネルギー心的内容情報スペクトル要素〜心的内容情報スペクトル」を扱う――理活する・知性的情報処理を行う――だけである。「心器」には「意識し味わう能力・働き」はない。・・・ ・・・以上についても既にあちこちに詳細に記している・・・それに関連して宇宙の存在についての哲学なども披瀝している・・・ さてここで・・・ 「質時間回帰と量子論的確率(量子力学的確率)、それと自由意思・意志」というテーマで考えてみよう・・・ そこ「質時間回帰と量子論的確率(量子力学的確率)」にはなにか似たところがあると感じる・・・ 「量子論的確率(量子力学的確率)」も、「時間を組み込んだ統計〜確率」とみなすことができるだろう――このばあい、物理学的洞察(力)と推論からでてきた関数〜方程式に現実的制限をつけると、量子論的確率(量子力学的確率)がでてくる、ということである――。 それ「量子論的確率(量子力学的確率)」は質時間回帰の範疇に入る・・・ただし、そこにおける「確率分布〜確率密度」、は質時間回帰におけるそれとは異なっているだろう――「確率分布〜確率密度」には、さまざまなタイプがある――。 さてつぎに、「質時間回帰」と「自由意思・意志による決断」との関係を考察してみよう・・・ まず任意の「心器」を考える。 そして、その「心器」が特定の「意識器」と結びついている限り、その「意識器」は、質時間回帰(そこにある確率分布〜確率密度)に結果として従わされることになる・ (質時間回帰のばあいは、「流れ」があるので、充分な時間を経てはじめて、その「確率分布〜確率密度」に従っていた、という結果になる。単純に「サイコロを振った」ときのような進行をすることはない――それについてはほかのところに詳述している――)。 そのばあい、その「心器」における「自由意思・意志」による決断は「はずれ」となることになるケースがでてくる。質時間回帰の原理からいって、そういう結論になる。 その「はずれ」とは、現実においてその決断が総計して「マイナスの結果」をもたらすケースもでてくる、という意味である。そこにはもちろんプラスの面もある。 「マイナスの結果」というのはその「意識器」とその「心器」が宿っている生物が「負の快(すでに詳細に解説している。正の快についても同じく解説済みである)」と感じる・認識するところの体験をする、という実態のことである。 で、上記「そこにはもちろんプラスの面もある」というのは、「負の快」を受ける・体験すると、「プラスの質時間」を積むことになる、という実態がある、ということである(――「プラスの質時間」を積むことは、精神的・霊的貯金であって、その貯金はその先、プラスに使える――)。 その「はずれ」の見分けかた・・・ 「現実においてその決断が総計して『マイナスの結果」をもたらすケース』」を「はずれ」と呼んでいるのであるから、結果がでれば一目瞭然である――本人にとって――。 その「はずれ」を前もって知るなり予想なりできるかどうか、というと・・・ ここはいくつかに場合わけして論じることになるが・・・ ・・・・・・めんど草草なので、ここはあとで書くことにしよう(加筆)・・・・・・ ・・・結局、その本人の貯えている質時間の総量が、そこに大きくかかわってくるわけだ・・・ネット上に筆者が記した内容を理解している人なら、ここは書けるはずである・・・ ・・・もう少し書いておくと・・・ 完璧にできる〜かなりできる〜ある程度できる〜ほとんどできない〜まったくできない、――それら「〜」の間の可能性なり蓋然性は連続的に存在する、という表現をここではなしている――とまずは記そう。 完璧にできる、ということは(ほとんど)ないだろう。できたケースはまぐれ当たりだろう。 それにそれを予想する人物の、そういった予想する能力も大きく関係する、といったところもある・・・ ・・・そこらのところをある程度具体的に記してみよう・・・なにかの賭け事において(筆者は賭け事はまったく好まないが――それは筆者にはなぜか面白いの正反対なのである――)、その予想が当たるかどうか、という事象を考えてみればわかりやすいだろう。 ただし、「自由意思・意志」による決断は、それとはかなり異なり、熟練した心器によるそれは、いい線をいくことが多いかもしれない。しかしそれも、その本人の貯えている質時間の総量が、多いばあいである・・・。 さらにつづけよう・・・ 自由意思・意志による決断と質時間回帰と量子論的確率(量子力学的確率)・・・: 質時間回帰にも、さまざまな確率分布〜確率密度がある。 それは、質のそれぞれの対象におけるケースsの存在数sによって決まる。 一時的にはその確率を破ることはできるが、結局質時間回帰する=その確率分布に回帰する・充分長い時間の経過の中で――つまり時間の経過にしたがって総計すると、その確率は破れない――。 で、 量子論的確率(量子力学的確率)も、結局、質時間回帰の一種となる、と言える。 ここで、 さまざまな確率分布〜確率密度の研究をなしてみたいものである・・・ 任意の事象について、それぞれが起こる確率を考えるばあい、そこにはそれぞれ偶然が働く。 確率論における、その偶然についての量である確率変数の概念が、以上の参考になるかどうか・・・ 偶然の研究・・・(これは、質時間回帰の研究には必要ないだろう)・・・ 必然の研究・・・(これは、質時間回帰の研究には必要ないだろう)・・・ ・・・しかし、それらは、なにか面白そうな感じはする・・・ ――確率論は既存の数学的理論である――それは確からしさを研究する――。 それが、「自由意思・意志による決断と質時間回帰と量子論的確率(量子力学的確率)」の参考になるかどうか・・・いくらか参考になるかもしれない・・・――。 (加筆) さて・・・ 質時間回帰について・・・: 質時間回帰というのは・・・質の対生成と、それら質sのもつれで生じるところのさまざまな質の種類sにおける質s(ここでは、質時間用の質に着目している・質時間用でない質もある――既述――)、と、それら質sをそれぞれ「時間で積分したことに対応する量が発生しそれが痕跡・記録として残り――既に詳細に記している――」、つまり、それら量sのそれぞれの総量の痕跡・記録――それは意識のフィールドの中における生起事象実態の一種である(既述)――が、それぞれの量の痕跡について、ゼロになる(消える)時刻がトビトビに現われる、という実態のことである(――すべての質について、同時にそうなる=質時間回帰することはない。同時に質時間回帰する質sもあるだろうが、多くは別々に質時間回帰する――)。 ・・・注・・・上述「それら量sのそれぞれの総量の痕跡・記録」というのは、新種の量子情報である・・・ ・・・注・・・上述の、単数と複数の使い分けについて言うと・・・、用語に「それぞれ」を冠すると単数扱いにする。上述の単数と複数の使い分けはそこからきている・・・ややこしい・・・ (――ここの文章「質時間回帰についての説明」はアホバカ悪文ロクデナシの見本である。手間を惜しんで、さっと書こうとして、内容をごちゃごちゃと詰め込みすぎている。分解して書かないとわかり憎杉る・わかりにく過ぎる。・・・整理するのは先の話しである。しかし、ほかのところでは、もっとわかりやすく書いている――)。 さてそこで・・・、 その「意識器なるフィールド」の宿った生物において、「心器なるフィールド」も宿っている。 で、「心器」は、質時間回帰に逆らった (――質時間回帰といっても、短期的にはかなりの自由性・自由度があるので、「逆らった」という表現記述があてはまらないケースも多いが。しかし長期的には必ず質時間回帰する・・・以上既に詳細に記している――) 活動ができるので(――そもそも、心器には、その意識器のもつ質時間の総量が基本的にはわからないことが多いだろう――)、基本的に心器は質時間回帰に従わない――それについては既に詳細に述べている――。 ・・・要するに・・・単純に言うと・・・質時間回帰が起こるのは「意識器なるフィールド」においてである。 (加筆) ・・・参考・・・以下これは、よけいな考究という感じなんだが、上述から連想したので書いておくと・・・ ☆なにかの対象における元sの母集団とそこでの各々の元(存在)の存在割合sが決め手☆(元という単語でいいかな? )☆ それが統計に表れる(現われる) ・・・まあ、普通はそこから確率分布〜確率密度がでてくるわけだが・・・ ☆量子論における確率は、理論と現実における物理量かからでてくる。☆ それと、数学的にでてきた「さまざまな確率分布〜確率密度」との関係・・・ それらの間で近似的に一致するケースもあるだろう なぜ一致するケースがあるのか? すべては無限ではなく有限だからだ (――そう、すべては無限ではなく有限なのだ――) (――であるから、物理数学における無限大や無限小も有限なのだ――既述―― ・・・・・・よって、無限大と無限小を含んだ物理数学は書き換えられるはずだ・・・・・・無限大と無限小については既に詳述している・・・まあ、当然それは仮説というかひとつの論であるが―― ・・・その一方で、それに矛盾して、無限小と無限大をもとにした論をも筆者は述べているが・・・なにもかもが一筋縄ではいかないということなんだろう・・・――) (加筆) 次に・・・ 「質時間回帰と、ゲーデルの不完全性定理」 という論題で考察してみよう・・・ 質時間回帰についていうと・・・それはある範囲内で、強制的に回帰力が働くのであるが、それは、「ゲーデルの不完全性定理」をある意味実証しているともいえよう。 つまり・・・物理学理論の中で、「わけのわからない力」が働く、ということである・・・それは決定論を覆す・・・ その「わけのわからない力」というのは、心脳科学(仮説)における場の理論、で説明できるだろう・・・そこでは、「ゲーデルの不完全性定理」はどうなるのだろうか? ・・・・・・ (――背伸び告白注意警報・・・ゲーデルの不完全性定理について、筆者は、不完全でてきとうに学んだだけであるから・チラホラ見た程度であるから、ここではまちがったことを書いているかもしれない――) ・・・既述しているが、「量子論的確率(量子力学的確率)」についても、ある意味それ「上述・それは決定論を覆す」と同じようなことがいえる(それは、普通に言うところの「量子論は決定論を覆した」という意味ではなく)・・・。 (加筆) 次に・・・ 「論理では、自分の心をコントロールできないことがある(――そういうのを、トンコロールする、という・JK)――」ことについて考えてみよう・・・ そこで、まず手始めに、「理性」と「感情」あたりについて考えてみよう・・・(これは出発点を示しただけであって、以下、加筆がつづいていくが、このセクションは、どうもブレまくっている。) 「論理」を扱うのは「知性」であるが、普通は「理性」とする。普通はそれを「理知」ともいう。そういった方面の日本語のことばには、非常に多くの単語が存在する(実際、心脳研究などにおいて困ってしまうが、そこを乗りこえて進んでいくしかない。)――それらを既に一応分類して、過去に記している――。 (――そういった分野だけでなく、どんな分野においても、日本語の言葉・単語は多すぎる、ということも指摘しておこう――そこには良い面と困る面がある――)。 (・・・たとえば、理性的という用法は、論理的という意味から離れていて、合理的で倫理的・道徳的、という感じか・・・) ・・・ついでにそういった研究と(に)関連が深いので言及すると・・・そういった「知的活動」は、「吟味」、「斟酌」、「勘案」、「考え味わいながら」行い「判断」する(過去にそこのところを数回詳述している)。――そうしないと研究はできない――。 さらに参考を・・・本論における「知性」と「理性」の関係については既に述べている。それを簡単に記すと・・・「知性⊃理性」、である。それはまあ、だいたいこういえる――「知性」=「理性(論理的知的性質・能力性)+感性(芸術的知的性質・能力性)+感情(感性+動物的知的性質・能力性・情動)+α」、といったところである。 「感情」が「知性」の中に含まれていると定義すると、ここの論題においては、「知性」とその中にある「感情」との間に葛藤――機能的にも心的にも――が発生するので、解説することにおいて困ってしまった・・・それも、「不完全性定理」を思わせる・・・・・・しかし、それを解決すべく進んでいこう・・・・・・(加筆)・・・・・・。 以上に関連して・・・ そういった「知性」に代表される「非物質的働き・能力・実態」は、数少ない基本要素sから説明ができなくてはならない、説明ができるはずだ、と、まずは考える。 それ「数少ない基本要素s」とは・・・まずは要点を並べてみると・・・大きく分類して、「知性」、「感情」、「情動」、・・・そして、上に記したように・・・「知性⊃ (加筆) 感情と情動はほぼ同じ?(――そこには定義と名づけ方の課題もあるが。定義が現実を正しく描写記述していなくてはならない――) 情動から感情がでてくる:文字どおり解釈すると・・・情動「情が動く」、そこから感情「情を感じる」 感情から情動がでてくる:文字どおり解釈すると・・・「情を感じる=感情」、そこから「情動=情が動く」がでてくる ・・・こういうふうに、漢字構成語を解釈して有効でないケースは多いが・・・一応、手がかりを求めてそういうこともやってみる・・・・・・ 動物と人間ではそこらに差異があるか? 感情=知的感情 情動=動物的感情・動物的反応 (加筆) (・・・なんやかんや、テーマの周辺にある内容などを書き散らかしてきているが・・・) このセクションでは、「論理では、自分の心をコントロールできないことがある」ことについて考えているわけであるが・・・ そこにおける重要なポイントは・・・「心器の活動」と「脳の活動」ということになるだろう。 心器の活動=基本的に知性的――普通の意味での「知性的」だけではない。現実世界においてみられる、人間活動のすべてにおける欲望性や感情性などをも含む―― (――それぞれの心器が何を求めているか? それは心器によってさまざまである――) 脳の活動=基本的に動物的(生命維持など) (・・・・・・いやはや、ややこしい、むずかしい、むづかしい、むつかしい、むかつしい、むかむか・・・・・・) (加筆) (・・・いつものことながら、あとからあとから、何度も多く加筆していくので、筆者の研究における文章は非常に読みにくくなっていく――しかし、研究にはそれが必要なのであるからどうしようもない。それを受け入れるしかない・・・・・・さらにそれは心脳の働きの現実を浮き上がらせ、心脳の実態を把握認識理解させるので、本論と本スレッドなどに必須である――) (加筆) ・・・知性、理性、感性、感情、動物性、道徳性、・・・などの関係(包含関係)・・・ 以下、そういった単語たちの普通の用法を、筆者の感じでメモするとしよう・・・ 「理知性」=「知性+理性」 理性⊃道徳性・倫理性+感性+合理性 道徳性・倫理性⊃理性+感性+合理性 知性⊃判断力 判断力⊃知性 ここらには、「再帰関係」が存在する。 ・・・以上、思いつくままにメモしてみた。 (ここはかなり「面胴が臭く」なってきた・JK入り・・・実際、剣道の面と胴は洗え(わ)ないので臭くなる・JK解説・これは過去にもなしたが・・・・・・いい直すと・・・ここは、かなりめんどう臭くなってきた・・・ ・・・それにしても、「面倒臭い」の「面倒」とはいったい何だろう? それを昔から謎だと感じていたが・・・ 「面」は「一区画、おもて、顔」さらに「そむく」という意味をもつ。「倒」は「たおれる、たおす、さかさまにする」ということだ。「臭」は「くさい、におい、かぐ」である。 以上を総合して考えると・・・?? なんじゃらほい! という思いしか湧いてこない・・・ 「おっくう、乗り気にならない、いやだ」という連想をなしたが、ついに諦めて辞書をひく・・・ なんだ、当て字だそうだ。こういう当て字は、ほんっとうに困ったもんだ。 それは、「目(め)」、無駄・無益の意をもつ「だうな」の「だう」、それ「めだう」に撥音が入って「めんだう」となった言葉で、見るのも無益・無駄という意味だそうだ。 それが「におう、鼻につく」ということだろう・・・ ・・・しかし、この当て字「面倒」は人をばかにしていないか? 意味不明ではないか。 困り果てるではないか。 漢字には色と匂いと意味と情景がついているんだから――筆者の持論――それがぶっ壊されるではないか。 それならば、「面胴臭い」という当て字の方がまだ遥かにましだ。 「剣道の面と胴を洗うのは、非常にめんどうくさいので、洗わない結果、(汗と汚れで)臭くなる」、と解釈すれば一応筋は通る。 ・・・・・・漢字の功罪については既に詳細に記しているが、困った面もあるということだ。・・・ ・・・で、面倒臭いながら、「面倒臭い」を無理にこじつけてみると・・・「顔をそむけ倒れるほどいやだ、という要素がにおう・鼻につく」というふうに無理に解釈することもできなくはない・笑・・・。 ・・・・・・こうやって日本語のクオリア・qualiaを楽しむのも乙なもんであ〜る・・・と。 ・・・・・・以上は、日本語のクオリア・qualiaの研究の一端でもある、とオチをつけて一服した気になって、先に進もう・・・) (加筆) 「論理で、自分の心をコントロールできないことがある」、というテーマでここまできているんだが、どうにも締まらない展開になってきている・・・ 要するに、自分の心をコントロールするのは・・・ 「感情、慣習・習慣、刷り込み、などがまずは行う」、 「論理はそれらの末席にあるだけである」、 という結論に至る(――「それは筆者の実感による」――)のだが、記述がヘタクソすぎて――というか遊びすぎてあちこち飛びまくって、よれよれの文章になってしまっている、ということである。 ・・・よれよれ、よたよた、ふらふら、フラダンスやフラメンコを踊った方がマシだ・笑・・・ ・・・しかし、その結論を証明しようとしてそういうことになっている、というところもあるが・・・ (・・・そこには、質時間回帰も働く。さらに不確定性原理も働くだろうか? ・・・) (加筆) (・・・以上、途中でほっぽりだして、ほったらかしにしている・・・) (加筆) 以上に関連して・・・ ホイーラーの遅延選択実験という課題設定がある: ・・・それは実験で検証・実証された(・・・筆者はそれを文献で知っただけだが・・・)。 そこにおいて、ホイーラーは「『記録』されるまでは『現象はない』」と主張・強調する。 それに関連して・・・ほぼ同じ実態内容だが・・・ 二重スリット実験について言うと・・・ 「宇宙の本源」→「心器」での実態(既述)が想定され、そこで現象は決定され、その情報が意識器にはいり意識し味わわれる、という理解認識によって、それは矛盾なく解釈説明できる。 「宇宙の本源〜心器」の実態情報が変換され意識器でh(t)として意識し味わわれるのである――意識器以外においては、何も意識されないのである――。 それは、リベットの実験事実と同類の事象にある(既述)。 それは、「現在が過去に影響を与えた〜現在が過去に干渉した」、と、そういうふうに見えるが、そうではなく、意識器におけるh(t)となるのに少し時間がかかる、ということである。 そこでは、「宇宙の本源」においては、量子論的確率(量子力学的確率)のもとに、事象が発現する、ということでもある。 「宇宙の本源」に時間はない、と仮定すると、それらすべてが矛盾なく説明できるのである。 ・・・以上、既に何度か述べているが、そうみなすと、整合性がとれる・・・つまり理論として、現実に対応している・・・つまりそういうのを正しいと言うわけだ・・・。 (加筆) (下略) ☆☆☆ 西山浩一(世界人・春楽天) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.01.25 08:08:43
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