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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

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クオリアと意識について5(3に含まれる)


クオリアと意識3(意識内容の実体・実態)


クオリアと意識について4(変換/数学)


クオリアと意識について2(脳/変換/意識)


クオリアと意識について1(意識の研究)


意識の主体の個別性は何によるか


「意識」と「意識内容」


クオリア・意識内容の質感について


質の科学・有効な着眼・視点たち


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2022.08.13
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220813分:XX91「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の発生(誕生)と進化」についての一考察」+「脳には情報を統合する機能はない」+「無限関連」+さまざま:継続中「質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学」


「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の誕生と進化」についての一考察」~「脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない」+さまざま


+「宇宙は永遠につづいていく・・宇宙が終末を迎えても(過去のと今回のが)次の宇宙が生まれる・・それが永遠につづいていく」なる追究の一部・・

題して「無限大と無限小と反転」+さまざま」・・・(でいいかな? )」



・・・「手を入れた○(X付きは「手を入れた」に同じ・・長いと困ることがあるのでそうしたナリス・・・)形式の記事について言えば、表題が変わった時点で読むと、読みやすくなるでせふ(途中で上略をなすこともアールスが)・・・



……筆者はブログを多数もっているので、時間の関係でコメントに返信できません…悪しからず……



筆者がネット上に書いてゐる(載せてゐる)記事sの多くは、主要な言語sにおいては、翻訳されておるようじゃす。
その翻訳は大変そうじゃす――さらに加筆形式になると翻訳も読むことも大変じゃろうす――しかるにできるだけ早くアップロードした方がよいでせふと筆者は考へておるのじゃす――。
特定の専用ソフトを用いれば、そこらの困難は大きく減じられることは周知じゃろうす。
で、一応仕上げたら(とゐってもさらに加筆していくじゃろうすが)告知しませふ(これは過去にも書きもうした)。

(――筆者が書いている記事sは、書きなぐりのようなものであって、どれもが不完全であり、これからも加筆と訂正をつづけていきもうす――
――それと・・・学校で学んだ内容以外については、本スレッドの論などを研究するのに必要な程度(かそれ以上)の習得しかしていないのじゃす。なにもかも知っているなどということは全くありもうさん)。

・・・筆者の研究とウェブへのアップロードも極めて大変じゃす。
しかるに、筆者は苦しひながら、やり甲斐・生き甲斐を感ずるのでさういふことを続けておるのじゃす(――本スレッドなどの記述量は膨大なので、読み返すことも大変であり、重複や間違い、いいかげんなところ、加筆修正すべき個所sも多いでせふが、そこらについてはご了解あれかし――)。
・・・ともあれ、筆者が英訳せずとも済み、ありがたひことじゃす。よき時代になりもうした。
それらをぜひ有効・有意義に活用してくだされ。


(――ちなみに・・・、筆者は警察と連絡を取りあっているのである――)


・・・過去に、心脳科学(仮説)の概要を、英訳していたのだが、主要な言語sにおいて、翻訳されていた・いるとなれば(ありがたいことに「ブロックチェーン的になる」)、翻訳の必要がなくなったので、その英訳を途中までで打ちきっているのじゃすた・・・



本スレッドには、心脳科学(仮説)本体の一部、質の科学(仮説)、世界哲学などと、それらに関連した内容を載せておりもうす。
本スレにある設問シリーズは千差万別じゃす。
「運命のノートシリーズ」も書いてありもうす。
「チャプター加筆形式」の記事シリーズでは、これがチャプター#3じゃす。

「チャプター加筆形式」の記事シリーズとしては、#1~#2~#3のほかにも、膨大な文章を書いている(3月25日’18・今加筆中の#3は、#882である)

筆者は、このシリーズをいつ書かなくなるかわからないので――人間はいつ死ぬかわからない、という意味をも含めて――すべての人間が、なんにおいてもそうじゃす――、メモのような書きつけをも載せておきもうそう。
(・・・付記・・「転生はある、といった文章を読んで納得して自殺することは禁じられておりもうす・この世界の法則の実態によって(既述)」・・・)






毎日あちこちに加筆しているのじゃすが・・・
さて、今回は・・・
1月13日'18・の分が膨大じゃすたので、読んでいる・翻訳している方々が消化不良を起こさなひように、少し載せることにしませふ・・・といっても大量に載せることもありもうすが・・・





グチを一言・・・
読み返さず新しい内容を書くことはかなり気楽にいけるんだが、本文を読み返して加筆やら推敲をなすことは、意欲と調子がでてノリノリの状態にならないときわめてむずかしいケースがかなり多い。
筆者の得意技の寝ぼけたような心脳の状態では、そういったことは大変だ。そういうばあいはうんざりすることもけっこう多い。自分で好きでやっているにもかかわらず「これを読み返して手を入れるのか。いったいなんの罰ゲームだ! 」といったところである(笑)。


・・・つひでに・・・
筆者は、ウェブ上に載せる文章も、だいたい一発殴り書き、がほとんどで、読み返して加筆訂正することはまずはないままに、載せている、という実態にありもうす。
加筆訂正推敲はそのうちやろう、ということなんじゃらす(その後からそれらをなすこともある程度ある)。
それでなければ、筆者の身体も頭も、もたない、といったところなので、ご了承あれ。
何も書かないよりはマシだと思し召しあれかし。


・・・ここでコフィーカフェブレイクを・・・
――「オボシメシ」とは、新種のウメボシ・オボシと白ご飯を併せた、ウメボシおにぎり(おむすび・地域によっては)のことではないのじゃらすが、そうオボシメシしてウメボシおにぎりを食べるのも一興でせふ――;
・・・ついでに・・・
「おにぎり」、というのは、手でおにぎりを作る様子からの具体的なネーミングで、
「おむすび」というのは、ご飯粒をくっつけてひとまとめにする(結ぶ)、といった感じで、ちょっと抽象的なネーミングになっている)、と思う。
おまけに、「おむすび」だと、手で作らなくてもいい、ということもある。
「おむすび」も、手でそうやってご飯粒をくっつけて「ひとまとめにしている様子」からきている、と解すれば、「おにぎり」と似てはくるが――・・・


☆☆☆――筆者も、カタいことばかり書かれた文書を読むのは苦痛であることもある。
そんな時は「フニャケた」文章を読みたくなるもんだ。
読者の方々も同じでせふ。
筆者の書くものに、ジョークやユーモアの部分がなかったら、「こんなもん、読みたくねえ~」と、読まれない度合いが高まるでせふ。
ということで、時々、ジョーダン・ユーモアを盛り込んだ「フニャケた文章」を書くのは、読者の方々のためでもあるし、筆者の息抜きでもありもうす――☆☆☆



……筆者はブログを多数もっているので、時間の関係でコメントに返信できません…悪しからず……




☆☆☆




・・・豆知識・・・「プラスアルファ=+α・・(和製の言葉である)」のαはxの筆記体をαと見誤ったところからきているそうだ(plus something)・・




(上略)



ここで、光子の周波数について考えてみよう・・・
現在の地球(の物理学・電子工学など)においては、光子の周波数を自然数としている・
偶然によって決まった「秒」の単位において、光子の周波数が自然数になる可能性・確率は限りなくゼロに近い(これについては、既にどこかに詳細に長々と記述している・ある)・
つまり、現在の地球における光子の周波数は、小数点以下を切り上げるか、切り捨てるか、あるいは四捨五入しているのである・
よって周波数(振動数)が正しく自然数になる「秒」の長さを見いだすことが必要なのである・・そのばあい、それに応じて、プランク定数の値も変更される・・・

さて、それは置いておいて(詳細に既述している・あるので)、現在の物理学の体系のまま進むとしよう・・・


わかりやすくするために、単純化して・・・、
周波数400
周波数401
の光子sについて考えてみよう・
周波数が偶数と奇数であるばあい、どういう事象になるか・

周波数が・・・、
400→199と201
    198と202
    以下・略・・

G・「周波数が偶数400だと→エネルギー最小差の光子s分割200と200となり、半々分割も可能」


周波数が・・・、
401→200と201
   →199と202
    以下・略・・

K・「周波数が奇数401だと→エネルギー最小差の光子分割200と201となり、半々分割は不可能」

(ちょっとオモティロイ)

「G」だと、1個の光子の中心(と呼ぼう・・揺らいでいるが)が、
M「スリットsの間の壁のちょうど真ん中」を目指していると、半々分割後、スリットを通り、一体化して1個の光子となり、スクリーン(または検出器)において「M」のちょうど真後ろ(光子打ち出し装置から見て)の部分に当たるだろう・


波動関数(量子力学の)による飛来着弾確率(分布)と「上述B」との関係性・・・そこに同質性があるか否か・・・
両者に、プランク定数が関わっている・・・


・・・メモ・・・


不確定性原理・
(――量子の位置と運動量を両方共に正確に知ることはできない・という原理――
・・・「1」それはまるで、微細な対象において、極限まで柔軟なゴムまりに位置と運動量(または時間とエネルギー)が収まっていて、その中心(座標ゼロ)は固定されていて、その両端に位置と運動量が存在していて、そのゴムまりをどちらかに引っ張ればいくらでも伸ばすことができる・・つまり、伸びた方の値(位置あるいは運動量)はいくらでも大きくなり、それに応じて、その反対側の値(運動量あるいは位置)はいくらでも小さくなる、というイメージを筆者は見る――まちがっているかもしれないが――
・・・「2」観測・測定のために、微細な対象に光などを当てると、対象の位置と運動量(運動)が変化するという実態は当然であると納得がいく・・で、「1」は、「2」とは別な実態としてのイメージ描写である・・とまずは思ったが・・いやいや、同じ側面をも含んでいそうである・・いやいや、「2」も「1」のイメージで把握できるだろう・・と考えたものの・・「1」にある「3・その中心(座標ゼロ)は固定されていて」がここでは問題になる・・・位置の変化もそれで理解できそうだが・・位置について、ふたつの位置がでてくるか? いやいや、そういうことはない・・・微細な対象に光などを当てると、どうなるかは、「1」でイメージできる・・・

あ、そうだ! いくらか別な方面に目を向けて・・・、
「無から宇宙が生じたという論(「無」より「空」の方がいいと思う・・既述)」において、
「不確定性」によって、「時間を無限に小さくすると、無限に大きなエネルギーが発生可能である」、それを基に宇宙が誕生した、という説明に、「1」を適用すると――このばあい、位置と運動量は、時間とエネルギーと書きなおすのであるが、
「微細な対象」が微細な粒子や量子ではなく、「微細な時空」となるだろう・・・これだ! ひっかかっていたのは・・・その「無から宇宙が生じたという論」への批判と、ビッグバンについては、「新ビッグバン理論・試論」というようなタイトルで長々と論じ書いてネット上に載せている――)・・・

さて、少し前に戻って・・・
以上の論(私論・試論)において、その不確定性は関係あるかないか・・関係がなければその私論・試論はボツかな? ・・・
・・・いやいや、二重スリット実験を量子力学以外の解釈で説明しようとしているのであるから、そうとも言えないだろう・・・


・・・さらに適当にアイディアをメモしてみよう・・
プランク長(さ)が関係しているかどうか・
プランク長の実態にもとづいて、空間はデジタルである、とか・
(時間についてもどこかに記している)・

で、
スリットには真ん中と両端があるという事実を確認した中(上)で、それらの端sと量子はなんらかに関わるのではないか・
・スリットの縁が大きく働くのではないか・・スリットの縁は原子sや分子sでギザギザしているだろう・・
そのことも「光子・量子分割の原理の実態」に加えて、なんらかに働いているのではないか・・

波動関数(量子力学の)では、「虚数i」を用いているから、人間と装置には感知できない「虚空間(と呼ぼう)」が存在して、そこを通るのだろうか・・・虚数というのは想像上の数(すう)だが、物理学の中では、まるで実在するような印象を受ける・・・

・・・ついでに・・・既述しているとおり、タネもシカケもないマジックというものは本当にあるのである・・それは既述している「知性体」が為す・・そういった「知性体は目に見えない」・・そういった「知性体」は「虚空間――ほかのところでは「霊界」と記している(あるいは、異次元)――に存在するのだろう・・・


・・・以上・モメるメモ・(これは回文になっているではないか)・・・
(メモという単語は、目盛るの略であり(目盛)、忘れないためにあとで見るために、とか、目で見て覚えるために、記すこと、というところから来ているという事実を知っている人はどこにもいない・当然のことながら)


・・・さて、以上の考え方で説明がつくだろうか? 


――以上・この考え方は、「意識の外・そとには、見たとおり聞こえたとおり触ったとおりの世界がある」、という立場に立った中(上)でのことである・・・
そしてそれを「見たとおり聞こえたとおり触ったとおりの世界はない」という立場の実態に変換することもできるだろう――


・・・さてはて、どんなもんだろう・・・


(むずムズむずかしいので研究中・・研究中学生になったところでアール・・・若返ったのでアールス・・・でも、こういうのはすぐにナマケ中学生にヘンシーンしてしまうんだが・・・)


・・・A・・・さてここで、筆者の記述のいくらか(ほんの一部だが)に通じる内容のメモを記しておこう・・・

以下の「 」内の文章をどこかに入れたい・・入れたいところは、過去の長期にわたって記した文章の何か所かにある・・・
「・・・加筆しまくったので、以下、これは迷子になってしまった(その迷子の文章をいくらか下に載せる(残す))・・
・・・上に加筆した部分(ある範囲の)と整合性がとれない・・・加筆しまくると、構成が乱れてくるのでアール・・セクションを変えればいいのであるが、それはそれで記したいことが中途半端にしか書けない、ということになってしまう・・それらすべてをセクションsとしてしまう手や、後ろに「参考」「付記」などとして記す手もあるが、それでは、つながりがつかなくなって-つまり見えなくなってしまう・・こちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たず、とか、二律背反(ここでの意味で)とか、質の対生成と質時間回帰、などといった感想がでてくる・
(ある意味で不確定性が大きくなる、ともいえる)・・・
・・・ということで、以下のこれは、上のどこかに入れるべき文章であるが、入れる個所を探すのはメンド草とメンドウ豆草の大草原なので、このままここに残しておこう」・・・
(ここに迷子になった文章を残しておく)・・・
以上、「A」・・・


(加筆)


・・・以上、長ながしい付記・・・

・・・すると早速、ここにもでてきた-上述「A」が・・・

(上に大幅に加筆したので、以下、これは迷子になってしまった・これはもう要らないのかもしれないが、思考の過程を示すものとしてこのまま残しておこう・・以下これは単なるメモだ・・このメモ内容を上で完全に論述している・・筆者の原稿専用PCには、書いた毎回その日の日付で全部を新しく記録しているので、加筆の過程もすべてわかる(PCのリチウム電池が切れて、年月日と時刻が初期化されたこともあったので、おかしな年月日になっているところもあるが(それは数回ぐらいだったかな? )・・そういった電池は、かんたんに取り換えることができるような造りになっているといいんだが・・・)・・・


・・・以下・その迷子文章・・上にたくさん加筆したため迷子になっている・・・

これは、
遥か上に書いている
「A「二重スリット実験」においては、波動の干渉が起こっているわけであるが・
(B『1個の光子だけでもそれは起こる・・実に不思議だが、それは、量子力学的確率の波動の実態《物理数学的には波動関数で記述される》がそこを通ると解釈すべきなのだろうか』・後述)・
それはどこにおいてのどんな事象だろうか? 
その「宇宙の本源」においてか? 
それとも情報がそこから発される(取りだされる)時点においてか? 」
からの続きである・・・これと、その遥か上との間にさまざまを論述して結論をだしている・・・

・・・今回は遥か上の記述にある、これら「A」と「B」は削除した・・その下でも「A」や「B」を用いているからである・・・


(・・・ということで、構成がよくないのでアールス・・・)


・・・ここらは・・・C「物質は見えるがままに存在する」とする立場と、
何度も既述している・D「意識の外(外界)には何があるかわからない」とする立場を分けて考えるべきなんだが、
これからそれをやってみよう(既に上でやっている・それは後から書いた)・・・


・・・以上・迷子・上にたくさん加筆したため・・・

(読みにくいしわかりにくいなあ)


・・・メモ・・・

量子論的確率(量子力学的確率)のもとに、事象が発現する、という実態もあるが、それはミクロにおいてであって、マクロではそれは無視できる・

光にとって不思議な効果をもつものs:
ハーフミラー(one-way mirror)
二重スリット
n重スリット
変形二重スリット
偏光フィルタ(光は横波なので、偏光フィルタに光を通すと興味深い事象が起こる・・わかってしまえば、これは当然の事象であるが)
そのほか


光などの量子のもつ不思議な性質:

・確率波性・
――位置または運動量は確率的に決まる・・その確率(数学的操作をした上で)を示す量子力学的波動性・・これは、コペンハーゲン解釈――

・・・参考・・・
コペンハーゲン解釈は、ユニバース(ひとつの宇宙)の立場にある。
ところが、多元宇宙(多宇宙)という考え方がある・・・
・多元宇宙論(いろいろある)の中にある-平行宇宙解釈という理解の仕方もあるが、そうだとすると、宇宙の質量が無限大的になって、宇宙は潰れてしまうので、それはありえないはずである。
・それに宇宙がそんな、途轍もなく-オッソロシクメンドクサクややこしいことをするはずはないと確信する。
・それに加えて、意識は今-ここだけに在り、意識器と心器のセットで、自分の体験してきた世界は継続してきており、それは、今のこの世界の中での体験であることが保証されるので、平行宇宙解釈に対応する実態はない、と保証される。
・・・以上は、種々たくさんあるところの多元宇宙論sにも適用される。

(ついでに言うと、以上は今ハヤリのマルチバースや、メタなんとかには適用されない・・今ハヤリのそれは、上述とはぜんぜん違う・・それは、商売上手な考え方だけからでてきたネーミングである)・・・
・・・以上、参考・・・

・エネルギー波性・
――これは、光子以外の量子については、物質・エネルギー波と呼んだ方がよさそうだ――・
(・・・光子は、エネルギー波と呼ぶのがふさわしいが、光子も粒子性をもつ・・粒子性というと物質的な何か、と思ってしまうが・・相対論による「エネルギーと物質の等価性」からいくと、それらは相互変換されうるのであるから、光子のもつ粒子性は物質的なのかもしれない・・もちろん、光子には質量はないが質量に変換されうるのである・・しかも、光子は質量をもたないのに運動量をもつ・・なにやかにやと不思議な世界である・・ド-ブロイの数式たちはここらあたりにも着目したユニークな物理数学の世界である・・・ついでに記すと、昔の科学者たちは、運動量と運動エネルギーの違いに悩まされた時期があったらしい・・筆者も同じくそうであった・・結局、そこらは数式に頼るのがいいようだ・・・)・

・・・で、ド-ブロイとシュレーディンガーが目指したのは、「物質・エネルギー波」であった・・・


・粒子性・・エネルギーも、粒子性と波動性をもつ

・確率波とエネルギー波の関係はあるのかどうか・・あるとすれば一体どんな関係か・・(離れた上述で、それにも挑戦しているわけである)・・・

・光などの対象量子が、波動として振る舞うか、粒子として振る舞うかは、それを検出する装置や、それが通過したりぶつかったりする何かによる
(ここらにも謎と不思議が存在する・・たとえば、そこにおいて、意識がかかわらないとどうなのか、とか・・これについてもどこかで挑戦して既述している)

測定と対象粒子(量子)において、と+α・・・
・測定器に存在する誤差
・測定そのものにおける誤差
・観測-測定のために光などを対象に当てると、位置と運動量(運動と言ってもいい)が変化することによる事象(この事象をも「誤差」といってもいいが、単に誤差とは言いがたい)


・・・上の「参考」に加筆・・・
(ひも理論からでてくる結論をもちいて、生物が住めるような宇宙ができあがる確率は無限小に近い(種々の物理定数sなどの関係で)・・生物が住めるような宇宙ができるには、無数の宇宙ができ、その中のひとつの宇宙だけに生命が生まれえる(種々の物理定数sなどの関係で)、という主張がある・・しかしそのばあいでも、そういった宇宙sができるとすれが、全宇宙の質量は無限大的になり、斥力を越えて、全宇宙は潰れてしまうだろう・・このテーマについてもそのうちに書こうと思う・・・)


・・・ここで思いつきメモといこう・・・
・対象が揺らいでいるために発生する誤差、という事象もありそうだ。
・測定器が揺らいでいるために発生する誤差という事象もあるだろう。
・測定のための、対象に光などを当てる装置も揺らいでいるために発生する誤差、
・それらを操作する人間が揺らいでいるために発生する誤差(笑)、
・時間を組み込んで測定する装置において、時間にかかわる装置の部分が揺らいでいるために発生する誤差、
などもあるかもしれない。
・・さらに思いつきを記すと・・・、
・実時間が揺らいでいるために発生する誤差、
・空間が揺らいでいるために発生する誤差、
などもあるのかもしれない・・・

・・・さらについでにお遊びを・・・
・・・ここまでくると、この世界はマボロシに近い、とか、すべては砂上の楼閣に近い、とか、確実な存在はなにもない、とか、基本的な法則すら揺らいでいる、とか、明日は太陽は西から昇るのではないか(JK)とか、明日は自分は他人になっているのではないか、とか(JK)(カフカの世界か? )、世界は透明ガラスでできているのではないか(丸見えの世界・・それと壊れやすい世界)、とか、大自然は人類に怒っていて何かするのではないか、とか、神々は人類に怒って憤っていて何かするのではないか、とか・・・、
別の惑星からわけのわからない何かが地球に降り注ぐのではないか、とか、宇宙の果てからとんでもない何かが地球に降り注ぐのではないか、とか、もうすぐ世界は終わるのではないか、とか、地球はそのうち部分的に灼熱と寒冷に襲われるのではないか、とか、そのうち激烈な大雨が地球を洗うのではないか、とか、地球はそのうち乾いて干からびるのではないか、とか、地球にはもうヒビが入っているのではないか、とか、明日おきると100年先になっているのではないか、とか・・・、
などなど、激しく揺らめくアイディアをファンタジーとして記してみた・・・


・・・さて、ミクロの世界という領域はなんとも悩ましいもんだ・・・マクロの世界も、当然ミクロの世界の影響を受けるのであるから、悩ましい上に、マクロの世界としての悩ましさもオモグルシサも無数にあるナリス・・・
・・・そうではあるが、マクロの世界にある、何かの対象を、多くの人たちが見ていたとして、どういうことが起こりうるかというと、そこでは基本的にふたつのばあい分けができる・・
1・自然現象的な事象は変化しない・・有力な知性体がかかわれば、ある限度の範囲内で変化させることはできるだろうが・・
2・見られる対象が人間や動物だと、その人や動物はさまざまな変化をもつ(詳細は省略)・・・


さて、少し前に戻って、上述「B」についてさらに検討していこう・・・

・光における波動の実態・実体とは、
「量子力学的確率」の実態と
「エネルギーと物質の波動の実体」という2つの実態・実体をもつのか? 
(さまざまの知見から言うと、もっているだろう、ということになる)

・しかも、あるばあいは、「量子力学的確率」の実態だけをもち、
別なばあいは、「エネルギー・物質の波動の実体」だけをもつ、のだろうか? 
(そのようでアール)

・しかもそれらは統合されるのだろう(と思える)・・
・統合された時には、量子(確率性をもたない)の実体となるのだろう・・
・粒子を検出するスクリーンや検出器上でそれを検出すると、粒子として検出される・
その波動性を検出するときは、それは波動として振る舞う・

・・・なんたる不思議・・・


知性体がそこにおいて何かを為すのか? 
(為すばあいとなさないばあいがある? )


いずれにせよ、
その事象をなす元となる存在が波動化した時にその事象は起こる・


・・・以上が、上述「このままここに置いておこう」のメモのようなものである・・・


以上、ここから上のその部分は、そうとうな上に移動させるべきなんだが、メンド草なので、ほっとこう・・・そうとうな上にたくさん加筆したためにこうなったのでアール・・・参考のための「メモ」としておけばいいわけでアールス・・・


(加筆)


・・・またまたでてきた・・・
さて、上に多くを加筆したので、以下にある「かなり離れた上述」はさらにもっと離れてしまった・・・

・・・「かなり離れた上述」のSF的な論からつづけていくとして・・・さらにSFをつづけよう・・・ここは書くのを最も躊躇する領域だが・・・しかしほとんどの人類が興味をもつと信ずる――ほとんどの人類はなんらかの宗教に属しており、多くの宗教sが以下述べるそういう領域を描写し説いていることでもあるし――そこから離れても、興味をもつ人たちの多い領域でもあるし――・・・・・・

・・・つまりここから、よりいっそう禁断の領域にある世界――一部の科学者さんたちが笑いだす分野――・・・実は彼らが笑われているんだが――「質の対生成と質時間回帰」がこの「世界の現実」であるから、そういうことになる(ここはふたつの意味をもつ)――そこでは「物質世界」と「精神世界」も対生成されるのである――・・・・・・でもまあ批判を承知のうえで・・・――既に転生についてまで詳述していることだし――行ってみよう・・・・・・


・・・まずここで強調しておこう・・・

タネもシカケもないマジックは実際にあるのである・
そのことは、以下の論への強力な支援となっている・・・


・・・以下とは別に、既述のA「――このセクションは、既述の・
「本論と本スレッド全体」の総まとめ・概観図・鳥瞰図・俯瞰図・大観図・大局図としていいのではないか、と思うので、当分、これに手を入れていこう・遊びングも入れながら・・・」
をも参考にしていただきたい・・・(この「A」の方(を)があとに書いたものである)・・・


さて、
まず・・・「霊魂があってもなくても転生はある」、という、「理屈による証明のような論」は既に何回か記している。
つまり・・・
「意識の主体」――「自分という純粋意識」――が、
「脳の一部または脳の全体」であっても、
「脳の一部または脳の全体でなくても」、
「転生はある」という論を既に展開開示している。
そこにおいては・・・
「意識の主体」――「自分という純粋意識」――が、
「脳全体でないこと・脳全体にあることはないということ」
の証明も既に何度か書いている。それは誰にでもわかる内容である。
で、上述「脳の一部または脳の全体でなくても」・・という意味は、「意識の主体」――「自分という純粋意識」――が脳にないばあいはどうなるのか、という内容をもつ。
そこを場の量子論的に記述すると既に記しているように・
「意識のフィールド(場)という局所場が個々人に(応じて)存在する(それは少なくとも人の数の総数は存在する)」、ということになる。
それを、多くの宗教sは「霊魂(s)」と呼んでいるわけだ。

――ただし「原始仏教」では
「霊魂はない・・・霊魂のような何か」
「霊魂のような仮の存在」
「原因と結果の法則によって生じた霊魂のようなもの(漢語訳では異陰・・元のインドの言葉では・・忘れてしまった)」
と解釈でき-そう記すべき対象内容が説かれている。
――しかしそれも上述「意識のフィールド(場)という局所場が個々人に(応じて)存在する(それは少なくとも人の数の総数は存在する)」、で記述できるわけである。
このばあい、その「霊魂のような仮の存在」「原因と結果の法則によって生じた霊魂のようなもの」は「意識器」ではなく、「心器~知性体」だろう。・・・以下に追記・・・

・・・追記:直近上にそう書いたが・・・つまりそれ「霊魂のような仮の存在」「原因と結果の法則によって生じた霊魂のようなもの」は「意識のフィールド」ではなく、「心器のフィールド」~「知性体」だと思われる。
そうだとするとつまりそれ「霊魂のような仮の存在」「原因と結果の法則によって生じた霊魂のようなもの」が「心器のフィールド」~「知性体」であるとすると、それが「静まりかえる=ニルヴァーナにはいる=涅槃にはいる」ことは可能だろう――それは原始仏教における究極の目的である――。
ただしそれは「心器のフィールド」・「知性体」の活動が停止するか消滅することを意味する(・・・寂しさを感じるが・・・)。
「霊魂のような仮の存在」「原因と結果の法則によって生じた霊魂のようなもの」が「意識器のフィールド」だとすると、「静まりかえる=ニルヴァーナにはいる=涅槃にはいる」ことはできない(その論拠は既述)。
さらに強調すると「心器のフィールド」~「知性体」には、「意識し味わう働き」がない・・・。
・・・ややこしいがそういう結論に至る・・・。
以上、仏教における「転生する何か(霊魂のような何か)」についての解説でした――。


さて、「あの世」について論じると、これも「場の量子論」で記述できる、と言える。
要するに、「場の量子論」の得意な――自然界をかなりな程度記述できる「場(の量子論)」――によって、「あの世」を記述できる、と言える。
つまり、「あの世」も量子論の言う「場である――特定の範疇の」ということである。
これは大局・非局所・全体場である。
(場の量子論的に記述する、ということ・・現在の場の量子論では、本論までは記述できない)

・・・参考・・・で、宗教的にはおおざっぱに言って「極楽」「天国」と「地獄」があるといわれている。
《キリスト教では、煉獄――程度の軽い地獄――もあるとされている》。
それらは同じ領域――あの世という特定の場――における霊魂の棲み分け――類は友を呼ぶの原理による――だろうと推測できる・・・それによってそれらの環境というか周囲の状況もそれぞれに応じたそれになる、と・・・
・・・以上、参考・・・

(・・・ここでは、「意識器」と「心器」の関係を省略して記している・・・それについては、詳細に既述している・・・)


・・・以上には:

「意識器の局所場――(個々人がもつ)」
「意識器の大局・非局所・全体場――(すべての人たちの『意識器の局所場』sが属する)」

「心器の局所場――(個々人がもつ)」
「心器の大局・非局所・全体場――(すべての人たちの『心器の局所場』sが属する)」

「質時間の局所場――(個々人の意識器にある)」
「質時間の大局・非局所・全体場――(すべての人たちの『意識器にある質時間の局所場』sが属する)」

が含まれてしまう。


ここで・・・繰り返しをも含めて述べると・・・

「意識器の局所場」=「意識器」=「自分という純粋意識のフィールド」:そこにあるのが「自分という純粋意識」=「自分という意識の主体」、
である。

「心器の局所場」=「心器」=「(自分の)心のフィールド」:そこにあるのが「(自分の)心」=「理活(心の働きによる心的活動・・心的内容論理活動)、をなす(自分の)心という主体」、
である。


さて・・・
「質時間の局所場」は、それぞれの「意識器の局所場」=「意識器」=「自分という純粋意識のフィールド」にあると考えられる。

「心」=「理活をなす主体」もある程度は質時間回帰をなす可能性があるが、「心」=「理活をなす主体」には「意識」がないので、そこでは質時間回帰を論じる必要はない。

「心」=「理活をなす主体」に「自分の」「自分という」を冠さなかったのは〈あとから、(自分の)とは付した、〉
――これは理解するのがむずかしいが
――そこには「意識」がないからである。
さらに、「意識器」=「自分という純粋意識のフィールド」が転生するたびにそれに結びつく「心器」→「知性体」は異なってくるためでもある(――稀には同じ「心器」が結びつくケースもあるかもしれないが――)。


ここで、「心器」→「知性体」の解説をなしておこう・・・

・・・この「心器」とその発達については、すでに何度か記しているように・・・「心器」を自己教育などで鍛え上げ鍛錬すれば、より本物の「自由意思・意志」をもつようになっていく。
で、「知性体」は、「心器」が脳につながらなくなった状態にある「知性のある存在」である――人の死などによって――。

・・・さらに「知性体」について述べると・・・
「心器の局所場」=「心器」=「心のフィールド」であり、それが、その人の死などによって、脳とつながらなくなり、「心器の大局・非局所・全体場」だけに存在するようになったそれが、「知性体」である。
・・・その他にもなんらかの「知性体」が存在する可能性がある・・・。


で・・・
「意識器の大局・非局所・全体場」
「心器の大局・非局所・全体場」
「質時間の大局・非局所・全体場」
の総合された場に、
「意識器」、「心器」→「知性体」、は存在する。
(――「知性体」には、質時間の局所場は備わっていないだろう。しかし、「知性体」は「質時間の大局・非局所・全体場」にアクセスはできるだろう、というところだろう――)。


さらに考察をつづけよう・・・

すでに何度も述べたように、「意識器」と「心器」とは異なる。
「意識器」は意識し味わう働きだけをもっていて、思考力はもたない。
一方、「心器」は、鍛錬していくと、思考力・知性・自由意思(意志)をもつようになるが、意識し味わう働きはもたない。
そして、「意識器」という局所場が存在する場は、「意識器の大局・非局所・全体場」である。
「心器」という局所場が存在する場は、「心器の大局・非局所・全体場」である。

ここで、「意識器」と「心器」は「この世」に存在するのか「あの世」に存在するのか、という問いがでてくる。
・・・さて、その答えは? ・・・

両方に存在している、というしかない(両方に存在しているのである)。

ここまでの記述からと、「意識器」と「心器」が脳につながっていることから、それらは「この世」と「あの世」両方に存在している、ということになる。
そもそも、「この世」も「あの世」も、それぞれの「場」であって、そこで何らかのエネルギー(s)が、それぞれ何らかの形態・態様でさまざまに蠢いているのである、それが世界のすべてである、とまとめて書ける。

「脳」も「肉体」も「意識の外(そと)」も「自然界」も「社会」も、「意識器」も「心器」も、「この世」も「あの世」も、
・・・つまり「森羅万象・あらゆるすべてのさまざま」は、場と、場の中で、それぞれ何らかのエネルギー(s)が蠢いている、ということであって、物理学的に「一元論に統一」できるのである(――ただし、自由意思・意志はそこから除く。自由意思・意志は、心器の場に発生する「働き」である。・・・それについては既に詳述している――)。
・・・まあ、それを「二元論にある」と言ってもよいが・・・

したがって、「意識器」と「心器」は「この世」と「あの世」両方に存在している、ということになる。


・・・付記・・・
脳においては、情報はキレギレ-バラバラな状態で(時間情報、空間情報までも)、かつ、脳のアチコチで扱われている・
しかも、脳には、情報を統合する機能はないのである・
・・・以上、付記・・・


・・・繰り返しの要素もあるが・・・気が済むまで書こう・・気が済むまでかかないと気が済まない(これをやると、文章の構成がさらにくずれる)・・・

森羅万象あらゆるすべてのもろもろは、「場」と、「場」の中で「なんらかのエネルギー」が蠢いていて・
――「意識器」も「心器」も、その中に含まれる――、
それら「なんらかのエネルギーの蠢き」が、「心器」をとおして「意識」に入れられ「意識」によって「意識し味わわれる」のである――そう物理学的に把握理解・表現記述でき、矛盾なく説明解説できるのである。

・・・この「蠢き」というのは、例えの表現、わかりやすくするための表現である・・・

ただし、心器の場と意識器の場、そこにあるエネルギーの蠢き、と言っても、
1・「心器の場」と「意識器の場」というエネルギーの蠢きはそれぞれ異なるし、
2・心器の場と心的内容、意識器の場と意識内容、それらそれぞれのエネルギーの蠢きもそれぞれ異なる(範疇が異なる)。

・・・上述、その「蠢き」というのは、例えの表現、わかりやすくするための表現であって、それは、エネルギーの蠢きで場がそれぞれできている、という感じの表現と、
そこにある「心器の場」と「意識器の場」にある、「心的内容」と「意識内容」をもつところの、それぞれのエネルギーの蠢き、という感じの表現、それらは区別される・・・

・・・つまり・・・
心器も意識器もそれぞれ、何らかのエネルギーから成る場である、
そして、それぞれの場は、心(知性)と意識をそれぞれもつ、
そして、それぞれの場に、それぞれ何らかのエネルギーが存在し、それらが心的内容と意識内容をそれぞれぞれ担っている、
そういう意味である・・・。

・・・さらに、
物質の場sと、そこにある物質sについても、上述と似たようなことが言えるが、それらの範疇は異なる。
しかも、物質についてのそれらは、心的な世界にもなく、意識の世界にもない――ただし、物質についてのそれらから来る情報を、心器が情報処理し、意識器がその情報(意識器用に変換された情報)を意識し味わうことができる――・・・
(ここでは、意識の外-そとには何があるかわからない・・データベースとデータsがあるだけである、という立場には立たない・・その立場についてはどこかsに詳述している)・・・


・・・以上に加えてただし、既に述べているように、
物理数学で表現記述できない世界という領域は広く深い・・・しかも、心器や知性的な存在は自由意思・意志をもちうる――既に自由意思をもっている心器sや知性的な存在sも存在する――・・・

・・・ちなみに・・・既に記しているように・・・
「心・心器」は「世界の窓」、
「心・心器」は「世界の焦点」、
である。
そして「意識器」が「心・心器」をとおして「世界のさまざまを意識し味わう」のである・・・。

・・・ついでに・・・
繰り返しになるが表現形態を変えて解説すると・・・特にここらは念をおして何度も繰り返さないと気が済まない(書き方がヘッタクソ-ヘタッピーなセイもあるが)・・・
「森羅万象・あらゆるすべてのさまざま」・「宇宙~世界」は、物理学的に一元論に統一できるのである、というところにまで、ここで至ったわけである(上にも、ほかのところでも、それについて述べている)(二元論と言いたければ言えるが)。

・・・ただし、すでに述べているように・・・
鍛錬された「心器という局所場」のもつ「自由意思・意志」と「その働き」は、物理学的に記述できない――統計確率的に観測はできるだろうが――。

・・・おまけに、既述しているように・・・
自然科学は「森羅万象・あらゆるすべてのさまざま」の一部の領域を近似的に記述できるだけであって、自然科学で近似的にであれ記述できない「森羅万象・あらゆるすべてのさまざま」は広く深く大きい。

・・・付記・・・
科学による説sの中には、あれは間違っていた~~(><;)、と訂正されるものsもケッコウある(コケコッコー)・・・以上、付記・・・


・・・・・・☆ここで率直な感想などと結論などを・・・

・・・自然科学は万能ではない・・・
・・・「大宇宙~森羅万象・あらゆるすべてのさまざま」は、
「心と意識・心的内容と意識内容」を含めて
「さまざまな場sと-さまざまな形態のエネルギーの相補性・双対性(ここでは厳密な数学用語ではなく、ふたつまたは複数が対になっているという性質、ぐらいの意味である)・
複数対性・対生成・対消滅・質の対生成・質のもつれ・質の対消滅・無数の多様な質の記録・質時間回帰-の世界」
であるが、
それらは自然科学では近似的にであれ一部の領域しか記述できない・・・・・・
・・・そこに「心と意識」にとっての夢と希望がある・・・・・・

・・・・・・以上、それでこそ「大宇宙~森羅万象・あらゆるすべてのさまざま」の存在意義があるというものだ・・・・・・・・・


(加筆)


・・・超弦理論ででも(によってでも)そこを記述できるだろう・・・あるいはそういうふうに超弦理論(超ひも理論)を構築すべきでせふ・・・。


上にたくさん加筆したので、かなり遡って・・・
さて・・・
さらに、心脳科学(仮説)で、両眼視野闘争、
(・・・闘争! 一人の人間の中でそれが行われているということは、人間~人間s の本性を映し出している、といえるのかもしれない《JK》。
実際には闘争ではないだろう。ここはそのネーミングからの発想をジョークぎみに記しただけである)、
気づき、変化盲、閾下知覚、運動誘発盲、などにおける課題・問題についての説明もつく。

それらにおいては、まず、心器が着目しているかどうか、というところが、第一の着眼点である。
両眼視野闘争、気づき、変化盲、運動誘発盲、については、心器が着目しているかどうか、心器が何に着目
(=着眼。「注目」では少し意味合いがずれるところがあるし、「注目」という単語は「着眼」より次元が一段低い用法が似合う。「注意」もそうである。「注意」はさらに現実的な意味において広がって用いられている)
しているか、そして、そこからの結果の心的内容情報が意識器に送り込まれる、という実態事象で、すべて説明がつく。

(着眼《着目》しているばあい・何に着眼しているか、着眼してないばあい、といったふうに、ばあい分けして考える)。

閾下知覚、については、直近上述の中で、意識器に情報が送られない、という実態事象になる。
そこでは、心器は着目していないケースが多いだろう(仮に着目しているケースがあるとして、そこにおいても、意識されない=意識器に心的内容情報が送り込まれない)。
以上それらについても、離れた上述と過去の記述を参考にすれば理解&説明できるはずである。

ちなみに・・・人間の心脳は、実際には見えない対象部分を不完全ながら補って情報構成するという働きをもっている。
それについても、以上の中で理解可能である。
それは・・・欠けている部分を、既に得ている情報の基本要素sでもって脳~心器が補う、ということである。
さらに、心脳ですでに用いたことのある心的内容情報スペクトル(s)やその連続体を用いる――情報が足りなくても――という事象・ケースもあるだろう。

・・・その一例として、
片目で写真や画面を見ると、立体的に見える、という事実がある・・・


(加筆)


上記に関連して、人間が何かを思いだすときの実態sと、それら項目sそれぞれについての分析を記しておこう。
(――ここでは、記憶における海馬関連の働きについての知見をはずして、既に普通に記憶ができ上がっているばあいについて述べる。そして、時間の経過とともに記憶がうすれる、というばあいにも言及する――)

1)記憶が鮮明ですぐ思い出せるケース:
その記憶に関して、情報物質sも必要十分に配備され、ニューロンの配線も必要十分になされている。
そして、それらの減衰・劣化・欠落がない(ほとんどない)。

2)記憶が不鮮明で思い出すのに時間がかかるケース:
その記憶に関して、情報物質sも必要十分には配備・供給されておらず、ニューロンの配線も必要十分にはなされていない。
・・・このケースでは、
一旦は「その記憶に関して、情報物質sも必要十分に配備され、ニューロンの配線も必要十分になされている」状態になった実態が、その後なんらかの原因で、直近上記になったばあいと、最初からそれらが必要十分になされていなかったばあいがある。

3)記憶が非常に不鮮明で結局思いだせないケース(「2」の程度がより大きいケース):
ここでは、
aほんのわずかな手がかりがあるばあいと、
bまったく手がかりがないばあい
がある。
さらに、
c自発的に思い出そうとしたか、
d外部から要求されて思いだそうとしたか、
というばあい分けも必要となる。
「cかつa」では、自発的に思いだそうとしたというところから言えることとして、
まず、「なんらかの全体像に当たるレッテル・名札的なイメージ(不完全ながら)がまず想起される」、
という実態があると言え、それから、わずかな手がかりが発生する。
そこにおける初動は心器である。
心器からの情報スペクトル要素~情報スペクトルが脳に送られ、脳の情報物質がそれに共信しその手がかり情報のスペクトル要素~要素sを発生させ、心器との間でやりとりし、そのやりとりが必要なだけつづき理活も進む。
そこから全体像に至る、という経過をたどることになる。
(このc、d、はその上の「1)」と「2)」にも加える)
(ここの分析記述は今のところ確信-自信がない。べつな分析も可能だろう? さらにもっと検討すべきだ)

「cかつb」において

「dかつa」において

「dかつb」において



・・・なまけ中・・・なまけ中学校のナマケコンクールで優勝・・南アメリカ大陸に棲息するナマケモノたちも驚いて逃げだすほどの高度なナマケ能力が評価されたのでアール・JK・・・


(加筆)


さて、心脳科学(仮説)で、対象情報を、脳の中で「ばらばら」(対象情報を分解できて分解して、しかもあちこちで局所的に扱う・扱えるということ)――つまり、複数の意味で「ばらばら」――対象の情報内容(時間情報、空間情報をも含めて)についても、脳の中で情報処理する個所sと時間sとして時空間的にも「ばらばら」(繰り返しになるが・・・対象情報を分解できて分解して、しかも時間的にも空間的にもあちこちで局所的に扱う・扱えるということ)――に情報処理できること、についても既に何度も述べている。
それらは心脳の現実を記述できている。
同じく、心脳科学(仮説)で、リベットの実験事実についても解説できることを既に記した。

さらに、
「笑い」や「うねるような感情反応(まずは意識器における意識内容についてそれを言うことにする・心器においてではなく――既述しているように、そこらはややこしいので、ここでは簡明に述べる――)」、
は、ふたつ(――一応、ふたつを含めて複数ということにしておこう。うなりにおいてはふたつだが――)の情報により発生する「うなり」「うなりのような実態」なのではないか、という仮説についても既に述べている。

さらにくわえて・・・、
心脳における時間その他についての「不思議な実態」について、「たとえsをもって説明することs」をも既になしている。

そして、
心脳のさまざまについて、「種々のたとえs」をもって、「さまざま解説説明することs」をも既に行っている。

ほかにも、
「心脳における現実」、
「心脳における難問s」や
「哲学的難問s」に、
「心脳科学(仮説)」で「答えることができる」、
「説明解説できる」。
それらの多くをも「既述」している。


(加筆)


・・・以上、ということでつまり、
心脳におけるさまざまな現実s・事象実態sを、哲学的問題をも含めて、
☆『心脳科学(仮説)でほぼすべて説明解説できる』☆
のである。
そういう観点からいっても、心脳科学(仮説)は心脳を正しく記述しているのだろう・・・
☆『一般的にはそういう実態にある論を正しいという』☆
わけだ。
☆『現実によって検証~実証されていると言える』☆
のであるから・・・。
☆しかも、『そこに矛盾はない』☆
のであるから・・・。


・・・参考・・・
以下この記述を置く場所としてこの位置はあまりふさわしくないが・・・あとで構成する時点で考慮しよう・・・あちこちに、つぎつぎに加筆していくということもあるし・・・

「どっちが先か問題2」:
「どっちが先か問題1」は、端的にいうと、「知性空間(この説明は既述だが、そのネーミングは異なる)」にある「知性情報内容」と、現実に生きている知的生物のもつ知性情報内容(心的情報内容、意識内容)は基本的に一致する・
(どちらか、あるいはどちらにも、一致する・相互においてのそれらに、欠けsはあるが。
ただし、それぞれをすべてそれぞれにおいて寄せ集めるとそれら欠けはゼロに近づく)・
が、そのどちらが先に生じたのだろう? という「謎と設問」である(カッコ内は注なので、それらはあとから読むとわかりやすい)。
で、「どっちが先か問題2」は、
「心的内容情報スペクトル要素~起源心的内容情報スペクトル~心的内容情報スペクトル」と、
「経時変化波動モード意識内容」は、質的・内容的に同等であるが(――相互変換されうるし同等――)、
そのどちらが先に生じたのだろうか、という謎と設問である。
そこでは、まずは、経時変化波動モード意識内容が先だろう、という思いに駆られる。

(――ここの記述は困難を極める。伝えたい内容が人に伝わるかどうか――)。

なぜなら、まず第一に意識内容しか人間(なんらかの知性をも含めて)には意識し味わうことはできないからである。
そこから、それが出発点になっているはずだという思いがでてくる。
そこからの発想でそういう結論になる。
しかし、意識内容となる(に変換される)心的内容を扱うのは心器である。
心器に心的内容・
(――情報量子s。それは心的内容情報発受信物質の特性・存在からでてくる――)・
を理解し監視する能力があれば(ありそうにも見えるが)、心器のかかわる内容が先だともいえそうである。
その能力とはどういった論理と実践をもっているのだろうか。
心的内容を便宜的にh(t)展開して吟味するのだろうか。
それともその展開をせずに監視できるのだろうか。

・・・ここはまったくもって不思議というしかない・・・。

・・・ただし、ディジタル―アナログ関係の電子情報工学においては、対象情報をフーリエ変換したディジタル情報・
(――心器での情報のたとえである――)・
における情報状態での要素成分sと、元のアナログ・
(アナログとして捉えることのできる範囲にあるアナログ)情報・
(――不完全ながらこれを、意識内容のたとえといっていい――)のさまざまな特性・性質との間に、ある程度対応関係が見いだされており、そのディジタル情報を操作することによって、元のアナログ情報を目的にある程度適った方に変化させる、ということが実現している。
・・・そこにおいては、ある程度の監視監督はできる、ということになる・
(――これは先に述べた、監視プログラムとは別な内容をもつ――)・・・。

・・・それは、心脳においては、心器のもつ理活能力の中の一部としてたとえることもできよう・
(――その電子情報工学において実行しているのは人間の心器である。もちろん人間が作ったコンピュータとプログラムを活用しながらである――)。

さて、その電子情報工学でのたとえから離れて少し前に戻って・・・、
結局そこにはそれら双方の情報の完全な一致がある。どちらが先かなどと問うことはできないということになる・・・
・・・そういう結論に至るではないか。
・・・それは、双対性・
(ここでは厳密な数学用語ではなく、ふたつまたは複数が対になっているという性質、ぐらいの意味である)・
(――あるいは加えることの、その中の相補性――)、・
という、数学を含んだ科学上の概念実態に納まるのだろうか。・・・たぶん納まるのだろう? 

つまり、ディラック描像のように、ハイゼンベルク描像とシュレーディンガー描像をともに含めた記述実態に対応する世界があるのだろう、ということである。

超弦理論においてもそれに対応・匹敵する「概念実態」がある。
――この「概念実態」が、「現実の実態」と一致するのか否かについては
(一致するにしても、完璧に、ではないだろうが――つまり近似的に一致する可能性はある――物理学の理論という実態もそんなものである――)、
これからの検証課題である――。


(加筆)


(つづく)



(・・・以下、必要なので、「8/22/2015」までの分の一部に加筆・・・)


・・・まず、以下に述べるその設問の基になる基本的内容を提示・・・それは「過去に記した基本的概念・内容」についての記述である――新規記述と既述文章の混合文章となる――・・・

ここに(で)、心脳科学(仮説)内での、心脳における重要な基本「原理・概念・表現記述・命題」のひとつを、

☆「心器で、理活して、無数の、周波数の異なる量子s、を組み合わせ、その一団を意識器に入れれば、重ね合わせの原理で、便宜上h(t)と表現できるところの『エネルギー経時変化・波動・超絶複雑精妙・態様(モード)意識内容なる実体・実態』が発現する
(――それは量子力学的な確率の世界ではない――)
(――それ(ら)を心器から意識器に継続して次々に入れていく――)。

そして、その『エネルギー経時変化・波動・超絶複雑精妙・態様(モード)意識内容なる実体・実態』(それは映画のように連続する・・場面転換はある)を意識器のもつ意識が意識し味わう」☆

としよう。(今の時点では)。

以上をもう少し詳しく述べよう(――繰り返しがでてくるが――)・・・
その量子は、「(名づけて)情報量子(――可能性として、たとえば赤外線――)」である。
「心的内容の要素成分」が「情報量子(心的内容情報量子)」である。
「要素成分」というのは、「対象情報のあらゆるすべてのさまざまな属性・特徴・性質・内容の要素・成分」である――それらは「最小要素成分sに分解された形態・実態にある」といってもよい(――この表現・記述はデカルトをいくらか思い起こさせる――)――。
その情報量子(s)を心器と脳は扱う。

心器は、脳との間で「情報量子s」をやりとりし、
「理活(心的内容論理活動)」しながら、
「着目している対象に関する情報を微小な単位時間ごとにまとめあげ」、
そのまとめあげた「情報量子sの一団(一団:クラスター。関連ある一群)」を意識器に入れる(――この記述はハイゼンベルク描像をいくらか連想させる――)。

意識器では、その情報量子sが、重ね合わせの原理で(あるいは、混在・混合の原理で、かもしれない――既述――)、
便宜上h(t)と表現できるところの『エネルギー経時変化・波動・超絶複雑精妙・態様(モード)意識内容なる実体・実態』となって発現する(――この記述はシュレーディンガー描像をいくらか連想させる――)。
・・・しかしそれは量子論的確率(量子力学的確率)の世界ではない。
「エネルギーの実体・実態の世界」である。

・・・そして次々に心器で生成されるそれらを、心器から意識器に微小な単位時間ごとに継続して次々に入れていく。
するとそれらが『フーリエ逆変換的に』変換される。
そして、『フーリエ逆変換的に』変換されたその『エネルギー経時変化・波動・超絶複雑精妙・態様(モード)意識内容なる実体・実態――それは映画のように連続する。場面切り替えもある――』を意識器のもつ意識が意識し味わう。
・・・以上、ここは再掲伴加筆・・・。

・・・参考:

そこにおいて、
「心器とそこでの発現事象・実態」は、量子力学ではなく、場sの量子論的物理学的記述を適用すると、よりわかりやすく表現記述できそうだ――量子力学的、ハイゼンベルク描像的でもいいだろうが――。

「意識器とそこでの発現事象・実態」については、量子力学的物理学的記述での表現記述でよいと思われるが、それは「量子力学的確率の世界ではなく」、「エネルギーの実体事象・実態」の世界である。

さらに言えることは、それら両者ともにおいて、(物理学の言う)演算子ではなく、個別的で独立した領域なるフィールド(場・器)を持つ、ということがある《――「フィールド」の訳語が「場」であるが、ここでは、場とフィールドを区別する――》。
しかも、それら両者とも、それらの物理学的フィールドsにおいて、「レベルが一段上の知性的な何か」がある、ということになる。

それは、「心器」においては、
「理活と統御を司る知性、と、自由意思・意志」と表現できるなんらかの「知性的働き・存在」、である《――ここはいくらかハイゼンベルク描像を思わせる――》。

それは、「意識器」においては、「意識し味わうなんらかの働き・存在」と呼べる、なんらかの「知性的働き・存在」である《――それはいくらかシュレーディンガー描像を思わせる・・・と書いたがこれはボツ。・・・そこにはシュレーディンガー描像を思わせる側面があるのだが、それとは異なる面に着目するとそういうこと「ボツ」になる――》・・・

・・・以上、参考・・・。


・・・さて、以上を数学的に記述することを考えよう。

(・・・カッコ注:
以下このセクションにはかん違いがある。もっと深く研究すべきだ。
それは、「偶対称成分、奇対称成分、定数的成分」に対応する実態について、と、
原子や分子がその潜在エネルギーをたとえば電磁波《光子、量子》《情報量子》として発する《発することができれば受けることもできる》、に着目すると、すべての周波数のそれらが現実として可能か・あるか、について、
などなど、である。

原子のもちうる電子関連の遷移や潜在エネルギーなどについては解明されている。
それに陽子が複雑にからまったケースなどもあるかもしれない。
分子ではそれに加えて? 振動や回転がかかわる遷移・潜在エネルギーなどがあるだろうが《そこでは電子雲【実体はわかっていない】も関係する? 》、その解明は完全になされているのだろうか? 

そこから、直近上の「すべての周波数のそれらが現実として可能か・あるか」がわかるだろう。
さらに、そこでの必要な実験計測をなしてみればはっきりする・確認できる。
:以上、カッコ注・・・)。

・・・「カッコ注」からでて、いくらか戻って・・・
まず、その情報量子(――ここでは、原子と分子が発するとしよう――)の振動数(周波数)としての範囲を、νa~νbとしよう(ν=ニュー《有文字化け対策》)。
それはたとえば、遠赤外線の、特定の領域にある量子sで、その種類・数は、プランク定数関係(プランクスケール関係)で、振動数(周波数)が1ずつ加えられていって、全部で数十兆の種類・数がある、といったことである。
その情報量子(――または振動数・周波数。あるいは、情報量子とその振動数・周波数――)を「νi」と書こう。

(・・・注と参考:
iは、両端のイコールを含めて、整数aと整数bの間にある。整数と記したが普通に考えると自然数だろう。
そこに、虚数が入ってくることがあるかないか? 
さらに、偶対称成分、奇対称成分、定数的成分、の実態に関する謎と設問もそこにはある。
それはたとえとして、
フーリエ級数における、定数の必要性、
コサイン関数とサイン関数両方が必要ということ《――固有周期関数?~基底?~固有ベクトル? の関係から? だろうか――》、それらに当たる概念・実態は見当たらない? いや、コサイン関数とサイン関数両方以上の実態をも含んでいるとも見える? 定数的な実態についてはどうか? 
そういったことである。
(――以上は、数学的に複雑というか高度に扱う・その結果、数学的にかんたんに扱える、というばあいについてであるが――)。

・・・ここでも、数学は抽象的で純粋であり――線が細すぎるという感じがでているか? 。
肉付けができないという感じか。
数学的に記述できない領域は大きく広いだろう――、「現実のすべてを記述することは不可能だ《いくつかのやり方で過去に記した》」、という要素も効いてくる。
そこらをいくらか補うのが、統計、確率、近似手法、摂動扱い、などかもしれないが、それでも結局はそれと同じことだろう・
《それについても過去により詳細に記した》
《とはいえ、数学の世界と威力はすばらしい》
《ちなみに、筆者は、以前にも述べたとおり、数学「も」その他も筆者の研究に必要な程度(かそれ以上)に学んできている――学校教育においての学びは別として》。
・・・以上、注と参考・・・)。

「注と参考」からでて、いくらか前に戻って・・・
で、たとえとして、もっともそれに似ているフーリエ級数と異なり、周波数が倍数になっておらず、1Hzずつの違いになっている――いちばん近い周波数について――。

それらに関連する内容を・・・:
――しかし、フーリエ級数においても、たとえば、周波数1兆~千兆に限る、と条件をつけたら似たような実態になる。
ここももっと深く追究しなくてはならない。
さらに先に述べたように、周波数が1Hzずつ異なる「すべての光子(電磁波)」の発信(放出)・受信(吸収)が現実としてあるかどうか、という謎と設問もでてくる――ちなみにこれが・・・別なところで述べた、
1「規則・理論・数学~物理数学による可能性からでてくるすべて」、
と、
2「現実に実在する実体・実態=固有性のあるする実体・実態」、
という実態があり、現実においては、それら「1」と「2」は区別される、
そして、その「2」の在り方についての、シンボル的事例ともなる――「直近上述の謎と設問」において――。

(電磁波の周波数は、自然数にはならない、という論証を既述している・・さらに、正しい周波数がわかると、それに応じてプランク定数の値も訂正される・・これについても既述している)

――で、音のばあい:楽器の音の構成倍音は一般的には1Hz違いではない。係数ゼロの項sがあるとみてもよいが――。

――ただし、フーリエ変換系では、1Hz未満の周波数をも扱える。
とはいえそれは数学的操作の世界だ・つまり非現実? 基本的要素の値などを抽象的に変換すればそれは可能ということだろう? ・・・いや、その物理的定数などの値の体系は人為的というか便宜的というか、別な記述体系も可能だ――。

そこでは、非常に精緻な表現――関数として。あるいはその記述に対応する意識内容の実態として――がなされると考えられる? 。
しかも、この情報量子の世界は、次元が高いだろうので、たとえとしてのフーリエ級数などは足元にも及ばない極限の複雑さ精緻さをもっているだろう。
さらに、フーリエ級数のように対象を周期関数として扱う必要性と実態もない。
始発と終着の状態――「状態」と呼ぼう。普通は「値」というだろうが――が一致する必要性もない――それが自然に一致するケースも多そうであるが・情報量子の世界においては――。

したがって、情報量子の世界においては、前とのつながりのない場面転換なども自在である。
何より、フーリエ級数でたとえて言えば、方程式の目的とする解を求める未知の関数「意識器では:エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)(意識器における)」が先にあるのではなくて(――つまりそれは「結果」として生じる――)、
その解となる関数群とそれらの係数sと定数項「心脳では:エネルギー心的内容情報スペクトル要素s(脳と心器における)」が先にあるのである
(――固有周期関数《固有ベクトルと見ることができる》、固有値s、定数項、に対応する実態が現実の世界では初めから決まっていて現れている、といえる。
純粋数学の世界ではなく現実における実体・実態の世界はすべてそうなっているのだろう? ――)。

(後になって、フーリエ変換的とかフーリエ逆変換的、に関連して、本論のそこらは、それらに類似しているだけであって、記述を変えたのでアール・・それについても何度も既述している)

上述の(その後者である)「先に在ると考えられる方(情報量子の世界にある情報量子s)」を「心器」が「理活」してひとまとめにした一団(クラスター。つながり・関係関連のある一群)が「重ね合わせの原理(あるいは、混在・混合の原理かもしれない)」が実行された結果、上述の(前者である)「結果としてそこから生じたところの、『エネルギーの経時変化の実体・実態(意識器での)』」が生じるのである。

(・・・以上、ここはその先、書き直そう。素直な順に、区切って、並べないと非常にわかりにくい。
込み入って長い文章においては、特に、前者、後者、などという表現は避けるべきだ――いや、それを避けてそうするとさらに長くなって解りにくくなるという面もあるが(二律背反である)――。
《・・・そういうのを難解なアホバカ表現記述という。かなり同時多発的にでてくることがあるアイディアsを忘れないうちに書き留めようとするとこうなる。カッコの使い方も乱れている。しかし清書するには時間も体力も短時日には足りない。その清書は先の話しである・・・》・・・)。

・・・ついでに言うと、ここも、ハイゼンベルク描像とシュレーディンガー描像の関係を思わせる・・・。


少し前に戻って・・・そういうことで、フーリエ級数の世界より、「情報量子s」と「その重ね合わせの実体・実態」の世界は、「心的情報内容(心器での)」と「意識内容(意識器での)」の実態としてうってつけである。ほかの在り方は考えられないと思う。

(・・・括弧の用い方が乱れた。過去にもそういうケースsがあった。おまけに当然非常に読みにくい。いつもながら失礼しました・・・)。

あるいは、離れた上述「まず、その情報量子・
(――ここでは、原子と分子が発するとしよう――)・
の振動数(周波数)としての範囲を、νa~νbとしよう(ν=ニュー《有文字化け対策》)」、に加えて、νc~νd、さらに同じようにνe~νf、などなど・・・、
と加えられる可能性もある(途中に大幅に加筆したので、解りやすいように、ここに後でいくらか加筆した)(ここには注が要るが、以下で解る)。
それは、その周波数がひとつのグループとしてまとめられず、離れた周波数のグループsに属している可能性もあるからだ。
たとえば、特定の赤外線の範囲にあるそれらと、電磁波の超長波の領域にあるそれら、といったぐあいである・
(――情報量子に対応していない範囲にあるそれらはi=0とみなせる。そこは、数式上の条件づけで一般化した記述が可能だ――)。


以上解説を加えたが、初めに述べたように、それら情報量子sを、縮約して、「νi」と記せる。iの範囲に条件をつければ、まとめてそう書けるわけだ。
それら情報量子sを発受信する存在は、心器と情報発受信物質(集合名詞なので単数扱い)である。
ほかにもある可能性はあるが、ここでは省略する。

そこには、重ね合わせ時の位相の問題がある。
心器で理活して「⊿t分(デルタt分)」をひとまとめにした情報量子の一団(クラスター・関連在る一群)が形成され、それを意識器に入れたばあいの、重ね合わせの原理による重ね合わせがなされ・
(あるいは混在・混合かもしれない)、・
そこでの、個々の情報量子sの位相sの問題である・
(――これは位相の問題ではないが、そこに興味深い論理があることは、前のチャプターに記した――)。

その位相は、心器が理活によって目的に適うように調整するはずである。
どういう在り方で調整する? 
また調整した結果の位相をどう記述できる? ・
(――とりあえず、位相を織り込んだ情報量子の一団を【νi(⊿デルタj)】と、ここでは書くことにしよう――)
・・・心器が扱うのは、エネルギーのツブツブ(デジタル)であるから、位相は関係ないだろうが、一応記してみた・・・

・・・ここらを書いた後に、さらに研究が進んでおり、さまざま既述している・・・

それらはこれからの研究課題である。
その参考にできそうな分野として、まず、ホログラフィーが思い浮かぶ。
そこで、「意識器」について考察すると・・・意識器は有限なフィールドか領域である。つまり、過去にたとえとして述べた「池」のようなものだ。
・・・――その既述においては、池の表面としたが、ここでは池の中の水全体としよう。
池の表面だと一般的には二次元プラス時間、そう数学的に記述されそうだが、表面といっても上下に揺れているしうねったりしているので、三次元プラス時間になっていると見做した方がいいと思うんだが、数学的に複雑になるから、普通は二次元プラス時間とするのだろう?  

《――複雑になってくると扱いやすくするために、虚数軸、虚数、を加える方式が普通である。しかもそれによって見えない世界が見えてくる。量子力学も、複素数の世界である。・・・虚数iの神秘・・・

・・・ついでに記すと、虚数・複素数の体系をさらに複雑にしたような、四元数・シゲンスウという面白い数-スウの体系もある・・・そういった数・スウは、まさに「思いつき的・人工的・形式的」なんだが、物理学にも適用できるケースがあるというのであるから、いかにも神秘的である・・・ただし、それは、「決まりきった規則のもと」にあるので、適用できる範囲は小さいし・狭い――》

ここでは、池の中の水全体を対象として、三次元プラス時間としよう――・・・。

そのたとえとしての池に砂粒s――大きさも形もさまざま――を無数に落とすとする。
すると池の水は非常に複雑な経時変化波動状態を示す――特に、表面に近いところがそうである。影響の及びにくい深さにある水、という実態もある――。

それが「意識器(池および池の水)」と
「エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)(池の水の「動き・波動状態」に在る意味内容)」のたとえである。

その意識器の中で、心器からやってきた「心的内容情報エネルギースペクトル=情報量子νi(⊿デルタj《文字化け対策あり》)の一団(関連ある一群・クラスター)」は、
波動化し、「重ね合わせの原理(あるいは、混在・混合の原理)に」よって、
「エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)」となって発現するのである・
(もちろんこれは仮説である。・・・いちいち仮説と記さないこともあったしある)。

そこにおいて、ふたつの可能性が見える。

1(前者)・「ひとつ」は、心的内容情報エネルギースペクトルにおける、それぞれの要素の位相は、考慮しなくてもよい、ということ(これについては、上に加筆している)。
つまり、それぞれの情報スペクトル要素は、意識器という池の中で、定常(定在)状態というより、瞬時に「重ね合わせ完了状態(あるいは混合・混在完了状態)」となり、それらが即座瞬時に重ね合わされるということ
(瞬間的にというか⊿デルタt内にというか、そこの時間問題もある)
(――それが⊿デルタt毎に継続して続けられていってh(t)となる――)。

2(後者)・「もうひとつ」は、それら無数の情報スペクトル要素sは、波動化しても、「重ね合わせ完了状態」(定常状態、定在状態)とならないので「拡散波、発散波」――《拡散波と発散波は異なるという立場もあるが、それは定義と名づけかたの問題のもとにある》――の状態になる、とでもいおうか。
それでも一定の時間が経過すれば定常状態になるだろう。
その拡散波状態であっても、重ね合わせが完了した時点でそれがそのまま意識し味わわれるという可能性がある、というアイディアはどうだろう? 
それはやはり位相を考慮しなくてはならないということである・・・考慮しなくてもよい可能性もある・・・。

さて、それらのどちらであろうか――後者はふたつの可能性に分岐している――。

池でのその実態を見ると、後者のように思える。
しかし、池と意識器は基本的には異なるので、数学的には、前者のモデルとそれにおける記述も可能だろう。
前者だと「すっきりしている、きれいにきまる」といえる。


・・・参考:

それとは一応関係ないと思うが・・・、
現実における領域と対象に対して適用する(できる)数学は「すっきり」「扱いやすい」「単純(単細胞・・多細胞の数学もあるが結局単細胞である-世界の広範な問題を記述-処理できない)」な形態として構築されている――可能性を絞り込んでさまざまな条件をつけて――。
そうでないと使えないという現実がある。
ついでに記すと、そこから外れている数学の世界が、現実との間に関係がある、という可能性もあるだろう。
そこらはややこしすぎることになる。
そこをなんと表現したらいいのだろう・・・、
現実の中には、単に、数学で記述できない領域もあれば、複雑すぎて「人間には扱えない数学」に「対応する領域」もある、というしかなさそうだ。

そこらを確認すると・・・

1・数学で記述できない領域がある

2・数学で記述できるが、その対象とそれを記述する数学が複雑すぎて人間には扱えない領域がある

3・「2」で、その対象の複雑さ、と、その数学の複雑さ、それらそれぞれの程度にいろいろある
――その対象の複雑さ、と、その数学の複雑さ、が比例していないというか、なんというか、単純な関係でないというか、そういった意味である――対象はさほど複雑ではないが、それを記述する数学は凄く複雑、とか、それらの程度にさまざまあるといった意味である――
(そこにおいて、対象の複雑さをどうやって判定するのか、という問題もある。対象を扱う数学の複雑さで、それを判定するのではないか、などと)

・・・ここにも興味深いテーマがある。
――そういった物理学と数学の関係についても、別なところで詳述している――。


・・・ちなみに、アインシュタインは、「同じ対象を扱っているところの複雑な理論とシンプルで美しい理論があったとすると、シンプルで美しい方が正しい」といったようなことを言ったと記録されている。
それに対してボーアは「その理論が正しくないのであれば、シンプルな美しさなどなんの意味もない」といったふうに返したそうだ。:以上、参考・・・



XX

・・・さて・・・ついでに・・・ちょっとトートツであるが・・・

・・・以下これは、既述の
「この世界のすべてを理解するための一試論」
への加筆-手入れ内容である(再掲がほとんどであるが)・・・・

(・・・上述の
「ちなみに、アインシュタインは、「同じ対象を扱っているところの複雑な理論とシンプルで美しい理論があったとすると、シンプルで美しい方が正しい」といったようなことを言ったと記録されている。」
を読み返して、これを書くべくハッパをかけられたのでアール・・宇宙の在り方も簡明なはずでアール、と確信して・・・)

・・・さて、ここからは、前々から加筆したい-手を入れたいと思っていた内容になる・・・
(これについてほぼすべてを書き記しているんだが(ネット上にも)、
さらに加筆したい内容が頭の中にうじゃうじゃと溜まっているのでアール・・再掲になる内容がほとんどであるが・・
・・特に、さまざまな多元宇宙論sについて加筆したいのでアールス・・かなりの程度既述しているが・・・)


・・・さて・・・ついでに・・・ちょっとトートツであるが・・・
・・・既述しているさまざまと、いくらか上などをも参考にして考えると・・・、
さまざまなメタバース理論-説があるが、宇宙はそんなややこしく面倒くさい仕組みや実態をとらないだろう、と思えてくるし、筆者はそう確信する・・これについては、いくらか既述しているし、さらに詳述するつもりである・・・

そこでのポイントは・・・、

「「この宇宙に意識がないと、この宇宙はないに等しい・
(この世界を認識し意識し味わう存在がないと、この世界はないに等しい)・
(物質の世界だけがあって、その世界を意識し味わう存在がないと、この世界はないに等しい)」という命題・・
(これが、ここでの出発点と言っていいかもしれない)、
と、
「実際に意識は存在する」という事実(それを確認できない、という立場もあるが、ここではそれをとらない)」、

「タネもシカケもないマジックsはほんとにあるのである・・それを行うのは知性体sである・・知性体sの一部は物理や化学の法則の実態を破ったりコントロールできるのである(詳細に既述)」、

「「タトエとしての水蒸気(詳細に既述)の世界があり、そこには「心」と「意識」の世界もある・
(心器と意識器が存在する・・これについても詳細に論述している)」、

「意識が意識し味わう意識内容を増やすために、この世界に生物が誕生し生存できるようにし、生物がさまざまな体験をつめるようにするはずである・以下に述べる知性的ななにかがそうするはずである-と、筆者は確信する・
――そうでないと、意識が意識し味わう意識内容に変化や豊かさがなく、心と意識は窒息してしまうだろう――」、

「タトエとしての水蒸気の世界には、なんらかの知性の存在があり・
(参考・・場の量子論においては、場は計算能力(知性の一種である)をもっている、となっている・・実際にそこは不思議な世界である・・・それに加えて、上述「タネもシカケもないマジックsがある、という事実をも参照)・
この世界に、心と意識のある生物が存在できるように(直近上に既述)、さまざまを調整――物質sの性質sや種々の物理-化学の定数sなどを調整――した(してきている)はずである・・
実際、水やミネラルsその他の物質sの性質は、生物が誕生し生存し、進化できるようになっている(それはとんでもなく驚異的である)・・
生物の誕生と大進化sには、知性体sがかかわる・でないと生物の誕生と大進化sはおこらない・
――大自然がつくったチッポケでアホな人間ですら(筆者がその代表である)、なにかをつくるばあいは情報-データ収集と設計的なことを為す・
(原初の人間についても既述している・・それをカンターンに言うと、原初の人間でも、知性がある程度でてくると、思いついたり、試行錯誤をなして進んでいき新しい何かをつくるようになる)・・以下略、詳細に既述)」


・・・ついでに・・・

よって、「『あの』メタバース世界(以下に説明)」は存在しないだろう・・これは、物質sの性質sや種々の物理-化学の定数sなどがさまざまである無数の宇宙s(とんでもなく桁外れの数の宇宙s)があるという説について言っている・

――上述の知性的ななにかが、それらを調整するはずである・・上述の理由や要因にもとづいて・・と、筆者は確信する――・・・

・・・それに加えて、その他にも、種々のメタバース論sがあるが、それらすべてにおいて、宇宙の質量が無限大化し、宇宙の斥力を上回る重力が発生し、宇宙は潰れてしまうはずである、
とか、
「意識は、今ここにしか存在しない」という原理を適用すれば、うんぬん・・・
――メンド草なので、別の機会に書こうとイッタンは思ったが・・これについても既述している・・しかし一応手短に書いておこう・・それをカンターンにいうと、心器(と意識器プラス脳)が記憶の継続性を形成する・・その記憶の継続性が、「なぜか知らんが別な宇宙(世界)に飛び込んだ」、という可能性を排除する・・今のこの世界において、場面転換というのはある・・以上、これは、その場面転換、を除いて述べているのである――・・・

ついでに、記すと、上述の根拠sからいって、タイムトラベルという事象はないのである・・なぜなら過去も未来もどこにも存在しないからである・
――過去についての記憶や情報、未来についての予想、というものはあるが、過去はどこにも存在しないし、未来もどこにも存在しないのである・・これについても詳細に既述している・
(その他のメタバース世界sについても、同じくそう言える・・数多くの世界-宇宙sは存在しないのである)――
そういった論sは、空間から無限のエネルギーと物質を取り出せるという立場にある・・しかし、量子力学によると、そういうことが起こるのは、ゴクゴク短い時間内で、となっているんだが・
(その極小時間が過ぎるとそれらはすべて空間に戻る・・つまり、消える、となっている・・いやいや、光だけは、残る可能性はありそうだ・・とにかく、それらの大元になる論すら、不確実なのである)
・・これについても、別なそれについても考察をさまざま既述している・・・


以上、
「・・・ついでに・・・ちょっとトートツであるが・・・」からここまで、テキトーでイイカゲンに記した・・・(・・・これは、筆者の頭の整理の一種でもある・・ちょっとスッキリした・・・)・・・


以上に、「質の法則(質の対生成、質のもつれ、質の対消滅、など)」の解説、「質時間回帰則」の説明、「転生があることの証明s」の論、
それから、意識器と心器における情報形態sの論などを入れれば、
「この世界のすべてを理解するための一試論」の手短な要約になる・・・

で、
「この世界のすべてを理解するための一試論」も、世界哲学の中にある・・・

「この世界のすべてを理解するための一試論」に手を入れるのは、メンド草草の大草原でアールス・・・
よって、手を入れないかもしれない・・いや、いつか手を入れようとは思っているけれども・・・

(・・・ナマケ中・・ナマケ中学校のナマケモノコンクールで優勝・・・そのコンクールには、南アメリカ大陸に棲息する「ナマケモノ」も参加していたのだが、その「ナマケモノ」は入賞すらできなかったのでアール・・JKジョーダン・・・)



・・・以下、ここのブロック・部分は、前の方からの記述の途中に参考などを書きくわえ、しかもここのブロックに手を入れたため混乱してしまった――加筆したり参考や注釈をたくさんつけるとそういうことになる・・・
しかし、めげずに整えていこう・・・
(目毛内・芽夏内・雌気内・・・漢字で遊んでみた)・・・

以下は、「そのブロック」である・・・:
着目すべきここでの論題テーマは、「内観・内省=自分の心を見つめること」である・・・:

で、いくらか前に遡って・・・
さらに自分の実際の心的内容(~意識内容に変換される)を、「自分の心」・
――「ここでの心とは、心器での心的内容をモニタする働きの対象、と、意識器での意識内容をモニタする働きの対象、というしかない」・
――それに関してもある程度既に述べていることになる――」・
を見つめることである「内観・内省」――それは「内観・内省――自分の『心~知性~心器』で自分の『心の内=心器の内容=心的内容』を観察し自分に報告すること――」により検討するに、乱れがなくすっきりとまとまっているので、
前者(離れた上述1・「重ね合わせ完了状態(定常定在状態)となるので位相は考慮しなくてよい」)だろう、と主張したくなる(上に加筆しまくったので、「前者」を探し出すのは容易ではない)・
――ここは単純化して書いたが、「意識内容をどうやってモニタするのか」、という問題がある。それについては別なところで述べた――・
(――付記・・・「心的内容情報エネルギースペクトルにおけるそれぞれの要素の位相は、考慮しなくてもよい、ということ」については先に詳述している――)・・・

「後者」(離れた上述2・『それら無数の情報スペクトル要素sは「重ね合わせ完了状態」(定常状態、定在状態)とならないので「拡散波、発散波」の状態になるとでもいおうか、ということ』)だと、
ごちゃごちゃ-ぐちゃぐちゃで一時的にせよ整合性のない実態になりそうである。
・・・そのたとえとして、渦ができたり乱流が発生したり波動が及ばない局所s
(・・・ちなみに、概ねこういえる・・・局所というのは部分。局所性というのは部分性。非局所というのは全体。非局所性というのは全体性。解りにくいときは、そう置き換えるとわかりやすい・・・)
がでてきたり、で、意識内容がすっきりせず不完全でできそこないのような実態になるだろう――一時的にせよ――。
意識内容についての内観・内省からいって、そういう実態は認められない(――心器での理活における、そういった混乱のような実態はある《だろう》が、それと意識器における、今述べた内容は異なる――)。

以上を総合すると、前者「重ね合わせ完了状態(定常定在状態)となるので位相は考慮しなくてよい」であろうと推測できる。
そこから、意識器の大きさや形状も特定できるのかもしれない。
意識器のフィールドまたは領域が広すぎると、常識的にいって拡散波が生じそうであるからである・
(先に述べたように、そういう実態事象は起こらない可能性もあるが)
(ついでに:それに関連してあとで述べるが、そこからでてくる内容がある・・・)。

ここから次のようなアイディアもでてくる――一部上述しているが――・・・「拡散波が生じない条件」をつけると、「意識器の大きさや形状」、「意識器の、なんらかの波動性といった性質・特性」、などを特定できるのかもしれない、と・
(――ここで、超ひも理論を思い起こした・ひもの次元構造などを。心脳科学・仮説と超ひも理論は相性がよさそうだ・既述・・・。
しかしその詳細について、ここでは述べない・メンド草草メンド草なので――)。


・・・ついででちなみに、
心器における「理活」においては、時間を考慮しなくてよいわけである。心的内容情報スペクトル要素sの中に時間が潜在しているからである・
(それらだけ見ても時間については一切わからない・・実時間も空間も、それらの情報はキレギレバラバラになって扱われる・詳細に既述)。

つまりそこに、実時間情報も入っているし、同期もとらなくてよい(自然に同期がとられる)、ということになる・
(――そこでは実時間をもバラバラにして扱うのであるが、なんと表現したらいいか・・・、扱う時間つまり「理活して一コマ分の心的情報スペクトルをつくり上げる間という時間」内に、という制限はつく――)
(・・・時間についても既にさまざま何度も述べた。実時間、⊿t(デルタt)、外界――意識の外(そと)――には実時間はないのでは? など・・・)。・・・

・・・ちなみについでに・・・
既に何度も詳細に記したが・・・直近上といくらかかぶるが・・・:
脳と心器では、実時間も基本要素に分解された形態で扱われる。
空間についても同じことがいえる。
着目する対象についての内容・属性など(情報)も同じくさまざまな基本的要素sに分解された形態で扱われる・
(形状、色、性質、などなど、キレギレバラバラに分解された状態の情報として扱われる)・

しかも、それらを扱う脳についていえば、それら基本要素sに分解されたキレギレバラバラな情報sを処理する場所・位置(脳における)や時間(脳における)もバラバラであることが可能であり、そう実施される・
(そこに、共に、なんらかの制限はあるが。特に時間については制限がきつい《制限がきつい=制限幅が狭い・小さい、あるいは制限が強い・大きい》・・・上述・既述・・・。
その「きつさ」にかかわっている時間とは何か? それを⊿t(デルタt)と名づけたいが、今までに述べてきた⊿t(デルタt)とそれが同じものかどうか、追究課題のひとつである・・・その考究のもようを既述している・・・――)。

・・・直近上述と上述の
「そういう実態――心的内容情報における・についての二種類のキレギレバラバラ扱いの実態――」
は神経科学をも含めて我々が内観・内省し観察・計測する心脳の実態にまさにピタリと適合している、といえる。
リベットの実験事実をもそれで説明できる・詳細に既述。
よって心脳科学(仮説)は心脳の現実を記述している、よって正しいだろう、ということになる・・・。

・・・さらについでに・・・
それらキレギレバラバラにされた、対象sの情報sが、バラバラな場所と時刻で処理される・
――後者のその処理は主に脳でのことを言っているのである。
心器では心器というひとつのフィールド内で扱われ理活される。
そのフィールド内ではやはりキレギレバラバラに扱われるが、ひとつの心器という主体がそれらを把握管理している・
――先に記したその「時刻」は意識から見た時刻なので、時刻といわず時間といった方がいい。
「意識における実時間=時刻」と、ここでの時刻との関係は謎を秘めている。
――そこらでは、超多時間という用語も連想される・朝永さんの――。
・・・それは研究課題である。ほかにもいくつか時間についての問題・課題がある・・・。

いくらか前に遡って・・・それらキレギレバラバラにされた、対象sの情報sが、「バラバラな場所と時刻」で処理された結果を単位時間ごとにひとまとめにして
(心的内容情報スペクトルとなる)、
意識器に入れると、そこで、ひとまとめにされたその(それら)情報の一団――心的内容情報スペクトル――が重ね合わせの原理(あるいは混合・混在の原理)で統合され
「エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)」になるわけである・・・。

・・・ついでに、さらについでに、「ついでに」のオンパレードとして・JKジョーダン・・・
そこから、心と意識の外側(そもそも外側とはなにか、という設問も可能である――その考究のようすを詳細に既述している――)には、
「何があるかわかったもんじゃない」、
という問題認識(心器による問題把持)(普通は問題意識というが、本論では定義どおりに用いる)もでてくる。
空間も時間も、対象s(脳や身体をも含める)も、
意識器の中での「エネルギー経時変化波動モード意識内容」の中、だけにある・
(心器の中の情報量子sにもあるといえるが、そこでは意識されないし味わわれない)、
という立場も可能なわけである。
「そういう立場が可能だ」どころか、そうとしかいえない、ともいえる。
もちろん、「意識するとおり」が外界・意識のそとにある、という立場も可能である――そう認識することもできる――。
(・・・以上、すでに詳細に何回も記している)・・・。

・・・くわえて-ついでに-ファンタスティックに・・・
「エネルギー経時変化波動モード意識内容h(t)」にはtだけを入れているが、場所・位置に関する座標の変数を入れる必要性は「ない」? 
もし「ない」とすれば、空間は時間のもとにある、ということになるのだろうか? 
時間がないと空間をも認識できず意識できないのは確かだ――その他なんにせよ時間がないと何も意識し味わうことはできない・・・それに関連した内容は既にいく度か詳細に記している・・・――。

心脳科学・仮説からでてくる時間を元・変数・基底? とした「写像・関数・ベクトル(ベクトル空間での)?  、あるいはテンソル(一般相対論ではこれを用いる)、スピノールなど物理数学的道具-用語」でもって、空間――普通の意味での空間――を記述することはできるのだろうか? 

――つまりそれは、時間によって空間を記述できるのではないか? ということであるが・・・

・・・以上この記述内容は相対論の範疇を超えている。
相対論は「意識」「意識器」を取り入れていない・
――現在までにおいて、物理学は「意識」「意識器」を取り入れた論を構築していない――そこをいいかげんに論じた論はあるかもしれないが――・・・
・・そこまで取り入れた論を構築しないと、物理学は不完全で終わる・・・今ですら、宇宙に関する物理学は、不完全さが凄いのであるが・・・

さらに、
「意識」「意識器」「心」「心器」を取り入れた「科学的時間空間論・
(心脳科学・仮説にもとづく)という分野もあるだろう・
(――そこでは「自家撞着というかパラドックスというか矛盾というか」が発生するかもしれない? という懸念・課題もあるが。
・・・それは主観と客観の問題に似ている面があるだろう。ちなみに、主観と客観の問題についても既に記している――)。

超弦理論や量子力学~場の量子論、その他の理論sについても同じことがいえる。
特に量子力学~場の量子論には、観測する主体も深くかかわっているという要素があるし、確定はしていないが「意識(本論での定義とは異なる要素をもつが)」がどうのこうの、という主張もある。
・・・そこらも興味深い・・・。
・・・


以上と、ここまでに散見される内容――以下の追究記述で特定される――についてさらに考えてみよう・・・
このチャプター内やこのスレッド内に以下の内容と重複する部分が含まれているが、重複は「まとめ」として、あるいは「手を変え品を替えた、理解のための解説」ということにしよう・・・記述がヘタクソだということもある・・・気の済むまで書きたいということもある・・・

まず・・・
「人間にとって=人間の意識にとって」、
「森羅万象あらゆるすべてのさまざま――それについてはこのスレのどこかに詳しく記しているが、端的にいうと、人間が見聞きし体験経験し感情情動し言動し学習し想像し創造するなど、あらゆるすべてのすべて、と抽象描写することができる――」は、
結局、それら対象を意識器が意識し味わうことであり、それがすべてであり、それしかない、それ以外にない、といえる。
そこでは、任意の意識器(すべての意識器たちのそれぞれ)が「意識し味わう」に先立って、その意識器のとなりにある心器が対象についての情報を心的内容として、微小単位時間ごとにまとめ上げている。
そこのようすをより詳しく記述しよう・・・

・・・外界からのさまざまな情報sが感覚器官sをとおして脳に送り込まれる。
脳で自発する情報sもある。
心器が自発させる情報sもある。
それら情報sは、脳と心器においては、以下に述べる『心的内容情報スペクトル要素~起源スペクトルの系=情報量子sの系』である。

そこにおいて、その心器が『エネルギー心的内容情報スペクトル要素~起源スペクトル』を、脳にある情報物質sとの間でやりとりし、微小単位時間ごとの
『心的内容情報スペクトル=心器と意識にとって「意味のある~クオリア・qualiaを生じさせるところの」心的内容情報量子の一団』
にまとめ上げ、それが継続かつ連続してなされ、それら『心的内容情報スペクトルs・・・∑・・・aiνi・・・(∑=シグマ、は便宜的に借用、ここでの《・・・》も同じく特別な意味をもたせてある)』を意識器に継続かつ連続して送り込む。
そこで、それら
『心的内容情報スペクトルs=心器と意識にとって「意味のある~クオリア・qualiaを生じさせるところの」心的内容情報量子sの一団が継続連続する一団s』
が、意識器内で『フーリエ逆変換的に重ね合わされ(あるいは、混在・混合され)』
『経時変化波動モード意識内容h(t)《h(t)も便宜的表現記述であり、数学的な内容の表現であり、あるいは、意識器における現実なる事象・現象・実態の表現であり、さらに、意識内容の意味実態を表現している》』
となるわけである。


・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・




加筆用(どこかに挿入)


題して
「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の誕生と進化」についての一考察」~「脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない」

さて、
筆者の論sとその記述sは長々しいのが多い上に、さらに加筆し手を入れるので、非常に読みにくいし、構成や加筆手入れもむずかしいのでアールス・・・

そこで、ここでは、詳細な記述を避けて、表題的な文章を連ねようと思うのでアール・・・言ってみればそれは概略の概略の概略、といったところナリス・・・

・・・さてそこで・・・

「脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない・(プラスさまざま)」・・・これは事実である・・・

このことによって以下が言える・・・

・・・それは事実であって、このことからだけでも、心器というフィールド、意識器というフィールドが必須であることがわかる(まずは前者がそうなのであるが、そこから、後者も必須であることがわかる)
心器というフィールドと意識器というフィールドが必須であるということについては、ほかにも、さまざまな面から、いくつもの証明らしきをなして既述している・・・

・・・物質的世界だけでは、この世界は成り立たないのである・・・


・・・次に・・・

「「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の発生(誕生)と進化」についての一考察」
について述べよう・・・

それは・・・、

「この世界に意識がないと、この世界はないに等しい(物質の世界があっても、その世界を意識する存在がないと、物質世界~この世界はないに等しい)」

「この世界には意識はある(事実)」

1「意識の世界は情報の世界であり、意識の世界を盛り上げるためには、つまり意識できる情報を盛りだくさんにするためには、物質的な世界における生物をもつしかない(それ以外においては、そういった情報をほとんどつくれない)(ここには循環論法が紛れ込んでいるが、それでもそう言える)」


それに加えて・・・

2「意識と心の世界は(心器というフィールドと意識器というフィールドの世界は)、既述の「タトエとしての水蒸気」の世界である・・・それはカンタンに言えば、心と意識にかかわる情報の世界である・・
しかも、その「タトエとしての水蒸気」が冷えて凍って・
(そういう相転移をして・・現実における水蒸気(気体・・湯気は微小な水滴と水蒸気の混合物である)も冷えれば水滴~水になるし、さらに冷えれば氷になる、といった具合である・・気体~液体~固体と変化する)・
物質~物質世界をつくる(物質の世界はない・あるのかないのかわからない、という論理も可能だが(既述)、ここでは、物質の世界はある、という立場に立とう・・
そういう、心と意識にかかわる情報の世界から相転移して生まれた物質~物質世界は、上述「1」を満たすようになっているのは当然である」

3「よって、さまざまな物質sは、「1」が叶うようになっている(意識の世界が広がるようにできている・・そのためには生物が必要である・・・)・
(たとえば、物質sのさまざま、ミネラルsのさまざま、などなど・・
ミネラルについて言えば、生物の生体において、さまざまに活用されている(驚く)(昔むかし、ミネラルsが生物においてさまざまに活用されているのを知って驚いたことがある)・・
その他の物質s(系)から構成される微小~ある程度大きい~かなり大きい生物部品s(と呼ぼう)(生物成分sをも含めて)も驚異的な機能・働きをもっている(驚き))」

以上に加えて・・最初に記した項目をもう一度検討すると・・・
4「脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない・・つまり、物質の組織である脳のほかに、情報にかかわるなんらかの存在がある・・それは、情報構造と情報の性質から言って、心器とそこでの情報、意識器とそこでの情報である(詳細に既述)」


上述「1」と「2」と「3」と「4」から・・・繰り返しをも含めて言うと・・・

5「この世界は、物質と物質的世界だけの存在ではない(脳には心も意識もない)

それどころか、意識の世界が最優先される・・意識の世界(非物質的世界)がないと、この世界はないに等しい

原初の生物が誕生し進化していくには、偶然では100パーセント-ムリであり(小さな進化や変化は別として)、そこには、知性体(いろんな操作もできる)と、そういった方面の情報がかかわるしかない

転生(意識器が転生する)は永遠につづいていく(この世界の法則によってジサツは禁じられておりもうす)

そして、すべては質時間回帰則(SJKの法則)のもとに質時間回帰していく」

となる。



・・・参照のための付記・・・

意識器が転生する(転生するのは意識器である)・・
意識器とは「自分は自分である」という純粋意識をもつところの、意識内容が発現し、それを意識し味わう「個的フィールド」である
意識器とは、心器が構成した心的内容が心器から意識器に送り込まれ、それが意識内容となって発現する「個的フィールド」である

心器は、脳と連携して、心的内容を構成する(心的内容論理活動=理活をなす)ところの、「個的フィールド」である

心器の扱う情報は、デジタルでありエネルギーのツブツブたちであり、心器が理活して心的内容を構成する(それでないと理活できない・・詳細に既述)

意識器では、心器が構成した情報(エネルギーのツブツブの集合体)が、アナログとなり波動化して、意識内容となる(波動情報でないと、意識し味わうことはできない・・詳細に既述)


・・・さらに付記・・脳には心も意識もない(上述4などを参照・・・これについてはさまざまに論じて詳細に既述している)

心器は転生しない
心器は誕生する赤ん坊に、発生する
心器のタネ(元)は、タトエとしての水蒸気の世界=上述「2」の世界に存在する
ただし、知性体となった心器(昇天した人間などの心器)は、人間に乗っかったり、一時的にかかわったりして、人間にチョッカイをだす

・・・A「原初の生物が誕生し進化していくには、偶然では100パーセント-ムリであり(小さな進化や変化は別として)、そこには、知性体(いろんな操作もできる)と、そういった方面の情報がかかわるしかない」
についての付記・・・

生物の生体の仕組みを見れば、それ「A」は一目瞭然である・・生物の生体の仕組みはありえないほど精密にして精緻である(詳細に既述)
(たとえば、生物の眼についてだけ言っても驚異的な事実がある(既述))


さて、次なる付記は・・・

脳と心器の交信について述べよう
エネルギーのツブツブで交信する(既述)
今のところ、その第一候補を、赤外線(スペクトル)としている(詳細に論じ既述している)
あるいは、超ひも理論で記述されるなにかかもしれない(既述)

タンパク質や物質は、広範囲の温度において、赤外線スペクトル(スペクトルというのは虹のようなものである)を発する・・
脳や身体にあるタンパク質や物質も当然、赤外線スペクトルを発する(既述)

しかし、タンパク質や物質のエネルギー状態(温度をも含めて)によって、それらが発する赤外線スペクトルは異なる

赤外線スペクトルは、さまざまな本質的な意味や内容をもてる(心脳科学-仮説において、これは非常に重要である・・詳細に既述)

脳の活動によって、充分なエネルギーを与えられたタンパク質や物質は・
(電位パルス(活動電位)が流れる時、発火する時(下に注)などにおいて)・
さまざまな本質的な意味をもつスペクトルを発する・
(エネルギーが充分でないと、欠けだらけのスペクトルを発し、心脳活動には利用されない-できないだろう・・・虫食いがひどすぎる書物は読んでも意味がほとんどとれないというタトエをここにだそう(そういうレベルにある虫食い本を、ここではタトエに用いている))

注・・シナプス後ニューロンが「電位パルスを発射」(これを発火と通称するが実際は火を発していない・既述)する時


・・・さて次に、
タトエとしての水蒸気の世界(知性をもつ)と、
ビッグバンから始まって、素粒子~物質~現在の宇宙ができあがった、というビッグバン宇宙論(現在における主流の宇宙論・・その骨格は一般相対性理論による)、
それと、場の量子論、
それらの間の整合性をとってみよう・・・

A・場の量子論においては、
場は、演算-計算力をもつ(物理学的にはそう記述される)(まるで知性をもっているかのようである・・既述)
その演算により素粒子が生まれたり対消滅したりなどする(物理学的にはそう記述される)
(場の量子論は未完成である・・適用できない領域がある)

・・・場は、エネルギーと知性をもつ、といったところだろうか・・・

(物理学においては、一般相対性理論と場の量子論、それらふたつの理論の融合は未完成である・・融合できないのかもしれない・・・物理学といえども不完全なところがある・・だいたい、心や意識を扱っていない・・・)

次に、
上述「ビッグバンから始まって、素粒子~物質~現在の宇宙ができあがった」、
というところに着目してみよう

この概念の活用と拡張、と上述「A」の融合、そしてその他いろいろを含めた(既述)概念が、
「タトエとしての水蒸気」と「それの存在する場(フィールド)(個的場と全体場がある・・既述)・・それらは、心や意識をもつ」、
という結論に至らせるのである

ここに、「タネもシカケもないマジックは実在する・・その他超能力や奇跡は実在する・・それらを行うのは知性体(昇天した人間から離れた心器-心)である(詳細に既述)」、ということも付記しておこう・
(それらは現在までの物理学では説明がつかない)

さらに既述の、
「この世界に意識がないと、この世界はないに等しい・・この世界に、意識の世界(非物質的世界)がないと、この世界はないに等しい(既述)」
も付記しておこう・・・

そして、
「脳には心も意識もない、それでも、心と意識という世界があるのである(既述)」、をも組み込むと、
本論のようになるのである・・・


さて、本論によれば・・・、
まあ、とにかく、人生は一回限り(よく言われるが)なんかではなく、人生は無限回限り(この「限り」はジョーク)なのである・・・(ジサツはこの世界の法則によって禁じられておりもうす)・・・

そこに質時間回帰もある・万人平等化である・・・

・・・苦しみながら人生を生きてゆき、楽しむときは楽しむ、これしかないのではないだろうか・・・


・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・



加筆用(どこかに挿入)


(上略)


・・・さて、永い間の追究によって、筆者が追究してきているテーマsにおける試論と結論がでてきているので、それを記そう・・・

それは、以下に載せる「この世界のすべてを理解するための一試論」である・


「この世界のすべてを理解するための一試論」~「原初生物の発生(誕生)と進化」についての一考察」:加筆形式#3(途中):質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学



(上略)



加筆用(どこかに挿入):


(「原初生物の発生(誕生)と進化」についての一考察」)


…一応済み-構成には手を入れてないけれども…それにしても構成がまずい…この先も手を入れていこう……



(このテーマの草稿には、手を入れつづけてきているので、読みにくさMAXナリス…一応手を入れおわった段階で「一応、済み」とでも記しませふ(忘れる可能性高しナリスが))


(…このセクション(チャプターになってしまった)は(も、というか)構成がよくない…ゴチャグチャしている…落書きのようなものである・・・
あとからあとから、なんやかんやアイディアsがでてきまくるので、加筆しまくることになるのであーるす・・よって、構成もよくないのであーる・・構成をよくする必要性も今はないことであるし・・・)

(・・・後ろの方に、この課題追究における結論としての総まとめ的なコーナーを設けた・・・)



・・・原初生物の発生(誕生)と進化についても筆者は考えてきていて(いろんなことを考えるのが大好物ナリス)、そういった内容をもつ文章を既にネット上に載せているのでアールス・・・


さて、このセクション(チャプター)「原初生物の発生(誕生)と進化」について考察するための予備知識プラスαをここに落書きメモしておこう・・・

現在存在する生物sのDNA・RNAの遺伝コードは、基本的に共通している・
(当然のことながら、今までに研究された範囲内においてだが)・
(酵母やヒトなどのミトコンドリアDNAにおいては、少し異なるところがある)・
(DNAにおける塩基のチミンは、RNAでは塩基のウラシルとなっている…RNAは進化の裏を知っているのか? 原初生物の誕生と進化のウラシル…JK…「おい、ウラシル君、どうなんだい? 」…ウラシル君曰く「そこに知性体たちが関わっているからこそ、そういった事象-原初生物の誕生と大進化-が可能なのさ」…「ふむふむ…ありがとう、ウラシル君…やはりそうであったか」…ジョーダン-ナリス…)・

そのコードにおいて、タンパク質を指定する3つの塩基sと各アミノ酸の対応関係は、偶然に生まれたとしか考えられない・
(現在までのところ、その対応関係にはなんの必然性も見いだされていない…たとえば、ひとつのアミノ酸を指定するのに、最大6種類のコードがある…これは進化を進めるための仕組みになるのかもしれない? ……)…・

(そこでは、前者と後者の発する赤外線スペクトルが関係しているの鴨duck・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・ジョーク部分を除いて、これ「赤外線スペクトルうんぬん」も筆者の発想だが、さてどんなものだろう・・・
…ほかにも、既述しているように、
「タンパク質などの発する赤外線スペクトル」が受精卵の「分化(いろんな組織sや器官sに分かれていくこと・・これについてはその機序がまだほとんど解明されていない)」にかかわっているのではないだろうか、というアイディアを筆者はもっている(かなり前に既述)。
さらに、「タンパク質などの発する赤外線スペクトル(タンパク質以外の物質素子sもそれを発する)」が、心的内容-意識内容や意味の世界・非物質世界のさまざま・の元になっているだろう…そうでないとあらゆるすべてが成りたたない…、という仮説は(を)何度も記してきている)・

(カッコから出て、その直前に戻って)
……よって、原初の生物が進化して今日の生物sに至ったとしか考えられない、という結論に至る(ほかの根拠も後述)

アミノ酸sには、それぞれ、鏡に映すと一致するところの・
(一応、右手と左手のように・・一応というのは、右手を鏡にうつしてそれを見て、実物の左手をみてそれらを比較すれば、一応同じに見えるが、細部では異なるところがある、ということ(顔や身体も、左右では異なるところが多いというか-あるというか…)。
アミノ酸のばあいは、その条件のもとで、異なるところはない(基本的に))・
という二種類のアミノ酸sができる可能性があるが、
どの種も(すべての生物が)、用いるアミノ酸sは、その二種類のうちの片方だけである

どの種も(ここでは動物)、受精卵の発生と分化の初期・一応生物としてひとまとまりの形状になった段階で、
鰓裂(エラの裂け目)と
尾(シッポ)をもっており(どの種も・ヒトも)、非常によく似た形状をしている…(マガタマにいくらか~かなり似ている)…
……魚、サンショウウオ、カメ、ニワトリ、ヒト、など、全部がよく似ている……これは公表されている有名な図にある……(そういった実態に類することは他にもいくつもある・・たとえば、魚の前ビレが進化して動物の腕になったとか…それを裏づける証拠・根拠は確実にある…)
……その図を見ると驚く人が多そうナリス・・筆者も過去に驚いたのでアールス……
……ヘッケルは「個体発生は系統発生を繰り返す」という説を唱えたそうだが、その説は大筋において正しいとされている……
……以上、そこからも、原初の生物が進化して今日の生物sに至ったとしか考えられない、という結論に至る・
(このばあい、動物においてだが、動物も原初に誕生した単細胞生物が元になって、そこから進化して現在に至ったとしか考えられない、ということは、いくらか上に記しているとおりである…後ろの方にさらに詳述しよう…)・・・


小進化・
(既存の生物の-任意の種(種というのは、オーザッパッパに言って、その集団の中で交配可能である-そういった全生物の集団を表す・・ここは短く記すと記述がむずかしいのでちょっとヘンな記述になっている・・最初にでてくる「その集団」とあとからでてくる「集団」は同じである)の範囲内でのちょっとした変化…犬についてはすぐ後ろに述べよう))・
(小進化)は突然変異でなされるだろうが・
(知性体の操作もあるだろう…すぐ後ろに述べる「犬」についての項を参照・・人間のもつ「知性」がかかわると、小進化は速くなり大きくなる)(同じ種の中で小進化した生物どうしが交配すると、小進化はもっと進むだろう)・
(いろんな説明を入れたので読みにくくなったが、以上を約すと、小進化は突然変異と知性体の操作で起こる、となる)・

「『原初の生物の誕生』と、大進化・
(新しい種が誕生するという変化とか、新しい範疇の生物が誕生するといった変化…たとえば、
魚類が両生類に大変身(水の中、には飽きがきたから陸に上がりたい? )、
両生類が爬虫類に大ヘンシーン(完全に陸に上がりたい? )、
爬虫類が跳んで鳥類に劇的変身(空を飛びたい? )、
爬虫類が哺乳類に身を落として大後悔(図体のでかい恐竜の嘆き? )(JK)など)」・は、
「設計図のような何かやデータ類と、なんらかの知性的操作-干渉」がないと起こらない…そう筆者は確信する(後ろに詳述)・
(いろんな説明を入れたのでここも読みにくくなったが、以上を約すと、大進化は知性体の関与-操作がないと起こらない、となる)・


・・・つひでに…ヒマ人コーナー・・・

…直上の記述から連想したので…

かなり前、ブログsに載せた替え歌、それプラスαを、心と肩の力を抜くために載せてみよう…

♪オータマジャクシはクジラの子

♪ナマズの孫ではないわいな

♪そーれが証拠にカエル君 変身力を身につけて クジラに変身したんだぜ

♪だーから オータマジャクシはクジラの子

♪ナマズの孫ではないんだぞ♪

…さて、プラスα…

一方 クジラ君は…

♪カエル君の変身事件を知って クジラ君も変身力を身につけたとサ

♪そしてクジラ君は 「換える」ではなく カエルに変身したんだとサ

…ここで妖精のアリエールちゃんとアリエーヌちゃんが笑いながら同時に声をあげて言うには…
「これで、カエル君とクジラ君の交「換(換える)」条件が成立したんだわさわさワサビ-辛っ」


・・・以上、ヒマ人コーナー・・・



・・・参考・・・

犬の種類の豊富さには圧倒されるが、そこでは種に変化がないので、それも小進化の範疇にはいる…人間の知性(知見をも含める)と人間による操作が加わって、そういう豊富さが急速に得られたのである…「知性と知見と操作」-これに関連する最重要な内容の記述――本課題その他における――を後ろの方に記している・・・

・・・それに関連してついでに・・・
減数分裂…「卵(らん)(卵子)または精子形成時に、その出発となる母細胞にある2本の染色体の数を複製して4本に一旦増やしてから、それら染色体sの遺伝子組み換えがなされ、組み換えられた染色体2本の2組をもつ細胞が、一組の染色体をもつふたつの細胞sに分かれ、それらが、最後に卵(らん)(卵子)あるいは精子として働くように1本の染色体をもつ4つの細胞sにまで至る…最初と最後では、染色体が2本から1本になることになる…つまりそういった意味において染色体の数を減らすのでこう呼ばれるのだろう…それは、卵(らん)と精子の遺伝情報の組み合わせのバラエティを極度に増やす仕組みになっている…それはつまり、種内の生物のバラエティをもの凄く増やす機序になっているのである・・」・
における、バラエティの増やし方は、トランプのシャッフルと同じようにランダムに任せているようだ・
(なんらかの制限のもとで)(そういった遺伝子組み換え率は、50パーセント以下? とかいう研究もあるそうだ? …ウロ覚えだが…)・
(A・現在の遺伝子工学などについて言えば、研究者諸氏が以上のそこらにおいて見いだした有効な方法手段とそれ以外の事象(たとえばヴェクター(媒介者・運び手)などの存在・・といっても大自然が行なっている事象なんだが)にある手法手段をなんとか学んで、やっているのでアールス…CoヴァyCoヴァy)・
(この記述でいいかな? )……

…さらに受精時にも、そういった組み合わせのバラエティが大幅に増える仕組みになっている(ここで、直近上述のカッコ内の記述を繰り返そう)。
(ただし、そこでは種は変化しない…種が変化するとすれば、それは大進化であって(大進化と呼ぶ)、それについては、このセクションに記している)

…もっとつけ加えると…
mRNAは、DNAにある遺伝情報コードなどを、分別せずに-ある意味においてだが-読み込んでつくられているので・
(そのままでは、リボソームにおいて使えない…関係のない情報まではいっているので)・
それを細胞内で、遺伝情報とそれ以外の区切り情報などを識別して、遺伝情報だけを繋ぎまとめるという離れ業(大自然のなす遺伝子自然工学なる行為)をやっている(上述のカッコ内「A」を参照)……オトロティア…・・・


……なんという大自然の不思議だろう! 
…以上の仕組みは、小進化のためにあるかの如しだ…これは後ろの方で説明するが-「それはまるで知性体が意図した上で操作してきているかのようだ」…

そういった実態と事象実態は、偶然に任せていたら100パーセント起こらない、と筆者は確信する

『原初の生物の誕生』と、大進化(新しい種が誕生するという変化とか、新しい範疇の生物が誕生するといった変化)、も偶然に任せていては100パーセント起こらない、そう筆者は確信する


・・・参考・・・
レオポン(雄豹(レオパード・パンサー)と雌ライオン間の雑種)とか、ライガー(雄ライオンと雌トラ(タイガー)の雑種)とか、タイゴン(雄トラ(タイガー)と雌ライオン間の雑種)など、は、種が異なる動物どうしの交配によって生まれる
それは、同じネコ科ではあるが種が異なる(but近い)動物たちの交配による誕生(種間雑種…異種間雑種)である…生まれたそれらの動物たちには、繁殖能力はない
……そこからも、あたらしい種の誕生は極めてむずかしい事象である、ということがわかるだろう…

…ついでに…
染色体地図(遺伝子地図)などをもとに、遺伝子工学的手法で、新しい種を創りだせるのかもしれない…(かくして、超人や神人や恐人が生まれたのであった…オトロティア…ジョーダン)……

・・・以上、参考・・・


で、原初の単細胞生物ですら、極限まで複雑な構成とシステムとでき上がりになっているのである・
(そこにある、さまざまな成分s、素子s、生物部品s、細胞内小器官s、代謝やエネルギー供給の精巧な仕組み-システム、それらが有効に組み合って生物活動が進行する…それらを知ると驚きは極限にまで達し極限を越える)・
…それが人間にまで至る途中の生物たちおよび人間の身体的全構成と-できあがりは、それを知ったら神々ですら驚き果て失神するに違いない(後半の表現はJKナリス…後半のジョーダン表現には目をつぶってくだされ)(…失神…神を失う? いやこのばあいの「神」は、動物や人間においての、「精神のような働き」を意味する(ウロ覚えだが)(精神にも「神」がはいっている……既述しているように、筆者の論においては、心器は霊界に移行すると「神=知性体」になる…失神とか神経とか精神とかいう漢字表現は、それを言い当てているのだろうか)…

…なんという大自然の驚異-不可思議だろう! 

・・・以上、参考・・・



・・・参考プラスα・進化についての・・・
チンパンジーの胎児の頭骨とヒトの胎児の頭骨はよく似ている(首から上は全部似ている)
ヒトの成体の頭骨は、ヒトの胎児のそれに近い(幼型性-ネオテニー、が高いというか強いというか)
チンパンジーの頭骨は、チンパンジーの胎児のそれとは、大きく異なる(首から上全部が)(幼型性-ネオテニー、が低いというか弱いというか)…

・・・成体の幼型性-ネオテニー、が高い方が、その先進化していく、という説があったと記憶する・ウロ覚えだが・・・とすれば、ヒトはこの先-進化していくことになるの鴨duckしれない・・
(…ここで「怒鳴るどダック」が登場して、グワッグワッと怒鳴りながら、おいらたち「鴨duck」も進化していくんだぞ~と怒鳴るどダック、というオチ(…そう鴨duckしれない…)をつけてフニャケテおこう…するとここに、「怒鳴る子ダッコ」とのたまう「鴨duck」…この「鴨duck」は怒鳴りまくり、しかもやたらとまわりの者に抱きつきダッコされたがる、という話しだが…が現われて言うには「怒鳴るどダック」より「怒鳴る子ダッコ」の方が、もっと進化していてカッコいいんじゃじゃじゃ鴨duck~と怒鳴るのであったとさ…JK…)……

…上にチンパンジーの胎児とヒトの胎児について述べたが、それらの頭骨と顔の骨格は似ていて丸っこい・
で、考えられる可能性として、その方が出産がスムーズに進む、というところから、丸っこいのかもしれない…
…このアイディアは、進化を進める何かが、目的をもっている、といった文脈をもつことになるが、一応記しておこう…
で、ほかの動物たちのそれらはどうなのかを調べれば、そこらの結論がだせるかもしれない…
しかしメンド草草…ほっとこう(長い顔のキリンや馬などはどうなんだろう? ・・キリンや馬は生まれたときは、長い顔をしている(と思う))…

…上述「進化を進める何かが、目的をもっている」について言及しておこう…
…このチャプターというかセクションは、「知性体たちが原初生物を誕生させ、そして(大)進化を進めていく」という、主旨にある…
そこでは当然「進化を進める何かが、目的をもっている」…その何かとは知性体たちと知性体たちがもつ知性である、ということになる…

…ついでに…進化ならぬ「退化」という事象実態もある…それは質時間回帰の一種とも解せる…

・・・

・・・さて、いくらか前(「チンパンジーの胎児の頭骨とヒトの胎児の頭骨はよく似ている」の直後)に戻って・・・
・・・ということは、後述の「猿人(原人よりサルに近い)、原人(ジャワ原人、北京原人など)」誕生のかなり前の段階で、ヒトの誕生のための準備がなされていた、ということになりそうである・・
……ここからの記述は唐突ナリス・後ろの方にその解説があるナリサ-「そうやって、知性体たちがもつデータsや知見――まだまだ不完全――をもとに、知性体たちが、生物に干渉-操作を加え、試行錯誤しながら、ある段階からヒトを誕生させようと意図していたことが、上述の「幼型性-ネオテニー(チンパンジーとヒトの)」の件で、ミエミエのバレバレの丸見えになったのでアールス…ここの後半のオドケは除いて、この見解はジョーダン半分-本音マジメサ半分にあるナリス-マジに・・・以上、唐突な記述・・・

(…で、そのうちに、ヒトの胎児の頭骨や顔面の骨格などは、ネットで見かける宇宙人の胎児のそれら・
(それらがどんな形状なのか知らないが・・その宇宙人の頭骨と顔面の骨格が幼型性をもっているのなら、それに似た形状、ということになる)・
に変化していくのでアールス…これは99パーセントを越えてジョーダンなのでアールサ…
・・・しかし、ヒトも、この先永い時間の経過とともに進化または退化というか変化していくだろうから(現在の人間の状態をエンジョイしたいものナリス・・現在の地球環境はさまざま酷いことでもあるから・これは現在と未来への○○でアール)、
宇宙人のそれらでなくとも、新しい形の胎児の頭骨と顔の骨格などになっていく可能性は限りなく高いだろう……超人または○○の誕生だろうか…)・・・



・・・生物の目と、それにかわる受容器に関連して・・・
目にかわる受容器などをもつ生物のそれには、感光受性色素斑、感光受性細胞、光受容器、腹足類の3種類の目、ピンホールの目(これには驚いた)、昆虫の複眼があり、
さらに進化した-凸レンズをもつ目、がある(凹面鏡的反射を用いた目は、知られていないそうだ)
人間の目は、可視光線の世界についていえば、しかも現在だけに限って言えば、極度に進化した形態と機能にある
……どうやったらそういった進化が起こるのか考え込んでしまう-どう考えても、そういった進化は偶然では起こらないと筆者は確信する…「原初の生物の誕生」も「大進化」も偶然では不可能である(断定)(という感想しかでてこない)(それに関しては後ろの方に詳述しよう)・・・




……「予備知識プラスαの落書きメモ」を一応終えることにして……

さて、それ「原初生物の発生(誕生)と進化」についてさらに考えるにあたって、
ここで、まず、考える材料としての落書きメモを並べてみよう(既述した内容sをも含めて)・・・


・・・ここで、必要なので、まず、後ろの方に記している(過去にもあちこちに既述している)・
「この宇宙-世界に意識がないと、この世界はないに等しい」(どう考えてもそうである…物質だけが存在して、意識が存在しないと、この世界を認識し意識する存在がないということになるので、そういう主張は成立する)(後ろの方に詳述)・
という命題をここにも記しておこう(…それは、どう考えても、意識(意識器・意識体)とそれを補佐する知性(心器・知性体)が最重要、(意識器と心器は一緒になって働くが、それぞれ独立した別ものどうし・・あちこちに詳細に既述)、という主張になるのでアールス…)・・・


さて・・・、
知性空間(と名づける空間)・・タネもシカケもないマジックの存在(知性体たちが為す)が、そういった空間があることを証明・実証している・・(その空間を全体場と言ってもいい)
知性空間にはなんらかの知性・・「知性体・心器」以外がもつ知性的ななにかも存在するかもしれない・・存在するだろう・たとえば、その空間の持つ演算力とか性質とか質時間回帰という性質とか、下に記す「A」とか・・・

「知性体・心器」・・知性空間に存在する(それらは確実に存在する・・詳細に既述)

「意識体・意識器」(それらは確実に存在する・・詳細に既述)
・・・「意識体・意識器」における「質時間回帰」も、進化においてなんらかに働きそうである(たとえば、退化する、とか)・・・

なんらかのデータs
なんらかの設計図s

A・なんらかの施工実施力(それを知性体がもつ・・後述&既述)


・・・さて、ここでは、物質はある、という立場をとる・
(意識のそとには何があるかわからない、物質はなくて、データベースとデータsがあるだけなのかもしれない、という立場については、既に何度も詳述している・・心器と意識器の存在と、そこでの情報と情報処理の在り方からそう言えるのであるが)・・・

物質空間・・・物質空間にも、なんらかの演算力とか性質は存在する

物質(詳細に既述)

物質空間と知性空間は重なっている

(ここらについても、後ろの方に詳細な解説あり…過去にもあちこちに詳述)

B・原初の人間が何かを作るばあい、
最初期には、データも経験も、それにおける知性も、原始状態にある

そこにおいても、知性が身体を使って、何かを作る・・原初においては試行錯誤がほとんどであろうす・・しかしそのうちに心器のもつ知性において、有効な初歩的な知性内容-が生じてくる-をもつようになる・・心器のもつ理活能力・知性によって・・・

歳月を経ていき、人類の世代交代が多く成されていくと、人間のもつ、何かをつくるためのデータsも経験も、それにおける知性も、じゃんどん・
(新語・・言ってみれば「滞りがなくて勢いよく」・・じゃんじゃん、と、どんどん、からの合成語・・・「じゃんじゃん」は鐘-シンバルのような-を叩く音からのことばで、「どんどん」は太鼓を叩く音からきている・・(ウロ覚えナリスが)・・つまり、鐘や太鼓を叩いて、それらの音を聞く人々に、勢いをつけようぜ、と励ましているイメージがそこにあるんだと思うナリス)・
発達していく・・そこでの心器たちは設計書・設計図をもかける(書ける・描ける)ようになっていく・心器たちのもつ知見-ノウハウも増えていく


・・・以上のことを考えると、どう考えても、知性的な何かが生物を誕生させた? とまずは思ってしまう(大進化も同じく知性的な何かが起こす…後述)
しかし、いくらかは、偶然による物質の反応も、そこに参加しているだろう



・・・X・・・

…さて、ここで、知性体(心器)と意識体(意識器)について説明しよう…それについてはネット上に何度も何回も詳述してきているんだが・・・
…まず、人間の心の世界での情報処理と情報構造からいって、「心器」というフィールドと「意識器」というフィールドが存在する、ということがいえる(その根拠については詳細に既述している)。

で、脳~心器における心的情報は、
A「エネルギー粒子モード心的内容情報スペクトル」という情報形態にある
(ここでのスペクトルというのは、単位時間分の心的内容一コマを構成するエネルギー粒子sの一団である)。
それとは異なるが、たんぱく質などの情報発受信物質が発信する情報も、
B「一種のエネルギー粒子モード心的内容情報スペクトル」であるが、「A」と「B」とは階層が異なる。

「A」の中には、多くの「B」を含む。
「B」を「エネルギー粒子モード心的内容『起源』情報スペクトル」(『起源』を入れる)と名づけよう。
起源を入れると意味がわかるし納まりがつく(その意味は既に何度もネット上に記している…この「エネルギー粒子モード心的内容『起源』情報スペクトル」が「人間や意識」にかかわる大きな大元になっている…非物質世界の基礎になっている…既述…)

で、脳から心器にやってくる「B」sと心器が発する「B」sを心器が理活(心的内容論理活動)して(粒子モードの情報でないと理活できない…詳細に既述)、
A「エネルギー粒子モード心的内容情報スペクトル」にまとめ上げ、心器が意識器に送り込む。
すると意識器においては、その粒子モードの情報が波動モードになって意識し味わわれる(波動モードでないと、意識し味わうことはできない…詳細に既述)。
意識器におけるその情報を、
「エネルギー経時変化波動モード意識内容」と呼ぶ。

さて、人間には「心器」と「意識器」が宿っている。
で、人間が昇天すると、その「心器」は、その人間から離れ知性空間(あの世・霊界)に移行する…それが知性体である。
知性体は人間に宿ることはできないが、人間に働きかけることはできる(のっかることはできる)。
知性体は転生しない(転生できない)。
意識器(意識体)は転生する…転生するのは意識器(意識体)である。

・・・補遺・・・
脳には意識や心は生じない…
なぜなら、
タトエとしての水蒸気(どこかに記している)が相転移して(カンタンに言えば、凍って)生じたものが物質であり、物質はキメが荒い-動きが鈍い…
つまり、
1・脳は物質の組織である
2・物質はキメが荒く動きが鈍い
よって、意識内容のような精妙にして緻密な実態をもてない…経時変化においても同じくそうである(滑らかではない)…
よって、
脳には意識や心は生じない…

で、別なところで述べているように、
タトエとしての水蒸気は、キメが細かく精妙にして緻密かつ経時変化も極めて滑らかである…
よって、タトエとしての水蒸気からなる意識(意識器がもつ)は、物質とは異なり、キメが細かく精妙にして緻密かつ極めて滑らかな経時変化の実態をもてる(心・心器についても既述)…

さらに、タネもシカケもないマジックが存在するということが、知性空間が存在し、そこに知性体たち(心器たち)が存在する(一般的には目に見えない)ということを証明・実証していると言える
・・・以上、補遺・・・

以上が、「X」であるが、ここでは、カンターンにしてオーザッパッパに略記した…ネット上には、それらを詳細に何度も既述している・・・

…以上が「X」でアール・・・


・・・「ついでに」・・・、
生物の知性の発達-進化について考察することも非常に興味深いと感じる(これに関しては、心脳科学・仮説などの、他のチャプターなどに既述している)・・・
・・・ついでに付記・・動物や昆虫なども、ある意味での知性をもつ…それらを何者が与えたのだろう…それは知性体たち以外にはない、と筆者は確信する・・・
・・・以上、「ついでに」・・・


・・・「ついでに」と「・・・X・・・」の前に戻って・・・、

直上記述に反するが、「無限に永い時間を経る」と、偶然によってちょっとした単細胞生物-イイカゲンな-は誕生するかもしれない・・・いやそれはないだろう(後述)・・・いやいや、その条件のもとで、「生物にかかわる何か」は生まれるだろう(後述)・・・


さて・・・
・・・時間について言うと、どの時点においても、既に永遠という永い時間が経過しているのかもしれない(これに関する内容はどこかに載せている)(だからといって、どの時点においても、生物が存在すということにはならない。今回の地球における生物たちについて考えれば、それはすぐわかる)
そのばあい、上述「B」において、人間たちの心器たち(これらは、人間に宿っている)以外の知性体たち(これらは、人間に宿っていた心器があの世-知性空間-に移行したもの)の存在もあるだろうし、
生物誕生と進化における、なんらかのデータs
なんらかの設計図s
なんらかの施工実施力
も存在することだろう
・・・このばあい、生物の誕生と進化ははやくなされる・・・


物質の中に、必然的に構成される生物的起源になる仕組みがあるのかもしれない・(これに関しては、ずっとうしろの方に詳細に述べている)


で、
遺伝子系とタンパク質にまでたどり着けば、そのあとは、滞りがなくて勢いよく(じゃんどん)進みそうだ・・
いやいや、A・「エネルギー利用系や代謝の系など」の成立も実に難しい事象実態にあるので、それ「A」が成立した、という条件付きで、そう(じゃんどん進む)なのではないだろうか


さて、
人間は知性をもつ
・・・鳥や動物、昆虫もいくらか知性をもつ・・巣を作るし(クモの巣もすごい)、食べ物のとり方も知っているし、などなど・・それらは脳だけによるのか、そこに心器があって、その心器によるのか? 外部にいる知性体たちが教え込むのか? (上にもいくらか記した)・・・


さて・・・
人間は心と意識をもつ

上述しているが、人間は何かをつくる

繰り返しをも含めて・・・、
心、意識、生物の身体を何者がつくったか(心、意識の出現については、既にどこかに何度か詳述している・・うしろの方にも詳述)


・・・さて、
心器の種(元)、意識器の種(元)は、知性空間にもともと存在し、発芽し、生まれてきた・・何度もあちこちに詳細に既述(それ以外に在りようがないと筆者は確信する)・・そして、上述にある「人間(心器と身体をもつ)が何かをつくる実態」と同じように、知性体たちは、さまざまなデータsを集め、設計図をかくようになり、試行錯誤をも含めて、施工力をももって進んできた・生物の誕生と(大)進化において…と筆者は確信する・・・


以上を総合する形態と実態で、原初生物の発生(誕生)が成され、大進化がつづいてきた…

生物の身体は、上述を総合するような形で生まれ進化してきた…



・・・で、
「ニワトリが先かタマゴが先か」、という問題において、「タマゴが先だ」、という結論を既に記してあるが(その前にニワトリでない鳥は既にいた)、
「生物の発生が先か、上述の知性的な何かの存在が先か」、という問題においても、「知性的な何かの存在が先だ」という結論になるだろう(下にも詳述)・・・


・・・もうひとつ追加しよう・・・
「遺伝子が先か蛋白質が先か」問題について考究してみよう・・・

現在の、原初生物誕生や進化に関わる論などによると、
原初生物の発生は、原始の海の中で、さまざまな有機化合物たちが、細胞として形成されて成された、となっている(実証はなされていない)・
その細胞は原核生物と呼ばれる単細胞生物である・・
その細胞――最初にできあがったそういった細胞に着目しているから、ここでは単数とする――は既に遺伝子系要素sもタンパク質sもエネルギー供給や代謝系など有している・・それは膨大な時間が過ぎたあとのことである・・・

・・・もう少し詳しくいうと・・・、
原始地球には、原初大気と原初の海があり、そこにはさまざまな物質sが存在していた

で、
A・原始地球において、それら物質sが、雷や紫外線、宇宙線や火山噴火、海底火山や熱床の熱、などによって化合し、化学的に複雑な成分sに変化・進化していった

それら成分sの中に、多くの、生物構成要素成分sがでてきた


・・・以上「A」については、実験室でいくらか確認されているが、完璧にはいかない・・つまり、原初の単細胞生物をつくるに必要なすべての要素s成分sは生成されない・たくさんの種類の中のほんの一部の種類のそれらが少なく生成(合成)されるだけである・・月の石や隕石からも、似たような成分sが検出されているが、同じく要素s成分sの種類が少なすぎるし、それらの量(数)も少なすぎる・・・
(後述の知性体とデータs関連の項を参照されたい)


(以下これは、生物誕生についての現在ある仮説だが・・上にもそう断っていーるす)
それら成分sが、原始の海の中で勝手に組み合わさり・・偶然によって組み合わさり・・(そういった物質的な仕組みがある程度あるのかもしれない・・既述&後述)・・生物の大元-原初単細胞生物が発生(誕生)し・
(ひとつの説として、いやいや、それでは、原初の海の中に存在する-そういった成分sが薄まりすぎて、原初単細胞生物は生まれない、そこでは、粘土結晶が重要な役目を果たしたのだろう、という仮説を打ちだした学者氏もいる…
…他にも、黄鉄鉱の表面がもつ働きが、そこにおいて重要な役割を担ったのだろう、という説もある。
しかし、そういった粘土や黄鉄鉱は、ほんのわずか何らかの働きをなすかもしれない(それらはわずかに知性的な何かを含んでいることを感じさせる…後述)が、そんな微小な働きによって、原初の生物が誕生することは100パーセントない、と筆者は確信する…
しかも、上に述べているとおり、「(上略)原初の単細胞生物をつくるに必要なすべての要素s成分sは生成されない・たくさんの種類の中のほんの一部の種類のそれらが少なく生成(合成)されるだけである」「(上略)同じく要素s成分sの種類が少なすぎるし、それらの量(数)も少なすぎる」のであるし、原初の海の中などにおいて、それらの要素s成分sは薄まりすぎるので、原初の生物の誕生は(知性体たちとデータと知性体たちの干渉-操作がない限り)絶望の極致にある(あった)のである)・
そこから生物として進化してきた-という説になっている・・・

…付記…
さて、いずれにせよ、原初の生物が誕生したとしても、その生物が繁殖するには、その生物の周辺に、その生物に必要な成分s物質sが(充分)存在することが必須である…で、現在の説においては、その原初の生物は、当初1個だったと考えられる…1個だったとすると、その生物がそういった成分s物質sを周りにいくらか撒き散らすとしても(撒き散らさないかもしれない…その生物が死んだら撒き散らすだろう)、それらはほんのわずかでしかないはずである・
(その生物に必須なそれら成分s物質sは、種類も大きく足りないし、数も大きく足りない、ということは上述している)…
しかも、その原初生物が繁殖できずに死んだら、あとが続かないことになる…
やはりどうしても、そこら「原初生物の誕生とその繁殖の条件を満たすこと」にも知性体たちが参加していないとならないことになる…つまり、現在の説はやはり成りたたない、といえる…
…以上、付記…

・・・さてメモする順序が難しいが・・・
…「遺伝子が先か蛋白質が先か」・・・
上に述べている、「人間が何かをつくるときのこと」を考慮すれば、遺伝子系が先かもしれない、と思える・・遺伝子系は、設計書・設計図的であるし、施工力もあるようだ(ただし、それ以外にも多くの生物的要素-成分sが必要である)・
(その施工力にも大きな謎がある・それを端的に言うと、例えば代表として「mRNA」について考えると、「情報受け取り-移動-到着-密着などなど・・まるで眼と精密な移動力と実行力などが、物質に備わっているかのようだ」・どこかに既述・・うしろの方にも記述)・
しかし、単細胞生物分裂においても、DNAとRNAも必要だろう・・最初期の単細胞生物は、RNAだけを用いていた可能性もある(DNAより、より単純だろうから)。

しかも、単細胞生物をつくるに必要なそういったさまざまな有機物たち-そのほかが偶然に充分生じることも、在りえないほどの途轍もない事象だ(偶然ではそれらの種類も量も圧倒的に足りない)・・知性的な何かが働きかけないと、そういった事象は起こらないはずだ、と思ってしまう・・上にも述べたが、物質たちに、そういった機能・働き性質が、ある程度~なんらかに備わっている可能性もあるが(下の総まとめを参照)、それでも知性的な何かが関わらないと、そういった事象は起こらない(成分sについてすら)、と筆者は確信する・・・


・・・さて、そこらのところを、もう少し詳細に考えてみよう・・・ここではとりあえず、知性体による干渉-操作はないものとして、偶然に生成(合成)される、という立場に立とう・・・

RNA、
タンパク質、
DNA、
単細胞生物

この中でどの生成がいちばん簡単だろうか・・・

RNA、タンパク質、DNA、単細胞生物の順番だろう-たぶん・・タンパク質とDNAの順番は反対かもしれないが、一応、こう並べておこう
・・・もちろん、それらの前駆物質sが既に存在している、という条件-立場の中でのことである・・そういった前駆物質sの-偶然による生成も気が遠くなり失神するほど在りえないことである・・・


で、RNA、タンパク質、DNA、単細胞生物、は多くの元素sから成っている

さて、ここで、
RNA・Xi
タンパク質・Xj、
DNA・Xk、
単細胞生物・Xl、
と記し、ここでそれらの解説をしよう・・・

Xは自然界に存在する元素全部を表す

Xi、Xj、Xk、Xl、にある添え字は、
RNA(Xi)
タンパク質(Xj)
DNA(Xk)
単細胞生物(Xl)
それぞれを構成する元素sのそれぞれと、それら各々がもつそれらすべてを表す

さらに、
xXi、xXj、xXk、xXl、
のxは、それら各々がもつ-それぞれの元素sの総数を表す


・・・以上をゴクごく簡単に言うと…、
RNAも、
タンパク質も、
DNAも、
単細胞生物も、
多くの種類の元素sと、それら元素sのソレゾレが無数に(といっても有限であるが)組み合わされてできあがっている、ということである(ここでは、原初単細胞生物が一番複雑で、使われている元素sの数も一番多い)・・・


・・・参考・・・上述「原始地球において、それら物質sが、雷や紫外線、宇宙線や火山噴火、海底火山や熱床の熱、などによって、化学的に複雑な成分sに変化・進化していった」・・・
この記述において、
・・・一般的に言って、結合に要するエネルギーの小ささという化学的実態というものがあって、それが小さい方が結合しやすく、偶然において、結合しやすい傾向があると思われる・・たとえば、熱によって化学反応が起きるばあい、そういう傾向が高いと思われる・・・しかし、この記述内容には例外がある・・それをかんたんにこう述べておこう・・そこでは、元素が複数化合した分子も利用されるはずである・そのばあい、その分子を解離-分解して利用しなくてはならないケースsもでてくる・・たとえば、H2をHに、O2とO3などをOに、CO2をCとO2やOに、などなど、分解して利用する必要のあるケースsがあるだろう・・・
・・・つまりそこを簡単に言うと、化学的法則の実態の中で、そういった反応は起こる、ということである・・その中でその結果としては、「元素sの結合」となっている・
(これは、上述「Xは自然界に存在する元素全部を表す
Xi、Xj、Xk、Xl、にある添え字は、
RNA(Xi)
タンパク質(Xj)
DNA(Xk)
単細胞生物(Xl)
それぞれを構成する元素sのそれぞれとすべてを表す
さらに、
xXi、xXj、xXk、xXl、
のxは、それぞれの元素sの総数を表す」に対しての注である)・
・・・
・・・であるから、上述の「元素」を「構成要素」と置き換えた方が、記述が簡単になる・・・


再掲になるが・・・
RNA、タンパク質、DNA、単細胞生物の順番に自然発生しやすいと仮定しよう・・タンパク質とDNAの順番は反対かもしれないが、一応、こう並べておこう・・・



・・・さて、ここで、そういった謎「原初生物はどうやって誕生したのか、それがどうやって進化してきて、人類に至ったのか」を追究すべく、ひとまとまりの極めて長い文章を考えてみよう(結論は、それらは偶然によってはありえない、である)…
それを代表してまずは長編小説でいこう・・・

言語を代表して、
100音素s・または文字s(代表して文字としよう)の言語としよう(上述の元素総数に近づけて)

A・小説(一応、極限まで長い超超長編としよう・・下の「B」「C」に対応させて)は、紙の上では、それら文字sから成っている(その内容は、人間の心器・意識器の中にある・・人間の心器(知性)が身体を用いてそれを書く)

で、文字sと小説の内容は単なる(人間においては意味のある)対応関係にあるだけである・
(さまざまな言語sによる超長編小説を考えてみれば、「対応関係にあるだけである」の意味がよくわかると思う)

・・A2・ここでの重要な内容のひとつは、ランダムに文字sを置いて(偶然に従って文字sを置いて)、小説を目指しても、永遠に小説は生まれない(普通の永さの小説ですらそうである)、ということである・
(無限の時間が経過すれば、駄作中の駄作として、意味がよくはわからない(ほんの少しはわかるところがある)作品は生まれるかもしれないが)
(AIを駆使すれば、いくらか~ある程度まともな小説が生まれそうである…それは、AIという知性が関わるからである(しかしそんな小説は、ありふれていて人気はでないだろう)…そういった組み合わせにおいても、「知性」の存在が有効なのである、ということになる)


で、上述の
B・「Xi、Xj、Xk、Xl、にある添え字は、
RNA(Xi)
タンパク質(Xj)
DNA(Xk)
単細胞生物(Xl)
それぞれを構成する元素sそれぞれとすべてを表す
さらに、
xXi、xXj、xXk、xXl、
のxは、それぞれの元素sの総数を表す」・
においても、単なる(生物としては意味のある)対応関係にある

・・ここでも、上述「A2」と同じようなことがいえる…つまり、それらは偶然では決して生成(合成)されない・生まれない・
(・・・参考のための再掲プラスα・・「以上をゴクご簡単に言うと…、RNAも、タンパク質も、DNAも、単細胞生物も、多くの種類の元素sと、それら元素sのソレゾレが無数に(といっても有限であるが)組み合わされてできあがっている、ということである(ここでは、単細胞生物が一番複雑で、使われている元素sの数も一番多い)」・・よって、それらは偶然では決して生成(合成)されない・生まれない)・・・



C・さらに「RNAとDNA」と、「タンパク質」の関係も、単なる(生物にとって意味のある)対応関係にある
(その「意味のある」を何者がどうやって見いだしたのだろうか(既述の知性体、データ、設計図などを参照)・・この課題についても既に追究してネット上に載せている・・これも非常に難しい謎・問題である)

・・ここでも、上述「A2」と似たようなことがいえる・・つまり、偶然に任せていたら、「RNAとDNA」も、「タンパク質」も、原初単細胞生物も永遠に生まれないということがいえる(下にもっと詳細な内容を記している)


・・・上述で、「単なる(~~~意味のある)…それは、基本的に単なる対応関係にあるのだが、別な次元で捉えると意味がある、という意味にある」という記述の意味内容は深遠である・・・


上述の「A」「B」「C」は、ここで目指している特定の意味において「そっくりな内容」をもっている・・この文言の意味内容は、非常に奥が深い・・・


・・・付記・・・
「A」と「B」には、異なるところがいくらかある・・「A」では完全なランダム配置が可能だが、「B」においては、結合できる配置と結合できない配置がある・・「C」においても、これと似たようなところがある・・・


…さて・・・
…かなり上にも異なる表現で記しているが、
ここでの課題と謎解きと結論は、
「原初生物はどうやって誕生したのか、それがどうやって(大)進化してきて、人類にまで至ったのか」…その結論は、「それらは偶然によってなされたということはありえない」、である…そう筆者は確信する……
・・・


・・・しかも、心脳科学-仮説などの本論によれば、「たんぱく質そのほか」は心的内容情報発受信物質だろう、ということになっている(どう考えてもそれ以外にはありえないだろう)。
そこまで考慮すると、知性界(知性体やさまざまなデータが存在する-知性空間(霊界)の特性-性質)と、物質界(物質世界にある物質たちの特性-性質)の間に、みごとにできのよいつながり-チームワーク-できのよい整合性、がある、と認めざるをえない(そこの謎解きをも後述しよう)・
・・この意味内容は、ほかの多くの領域においても、活用される、というか、通用する・・それは大自然界の奇跡的実態であると言える(すべてが解き明かされたとしても、「奇跡的」という形容は残る)・・・



・・・さて、以下、それぞれの年代には、いくつかの説sがあるので、それぞれの年代は、だいたいそんなところである、という認識が求められる・・・

・・・A・最初の単細胞生物が地球上に誕生したのは、化石の研究から35億年以前とされている。
地球の誕生は、46億年前あたりだとされている。
・・その当時、遊離酸素(現在の空気中にあるような酸素)は存在しなかった(酸素はすべて何かと結合-化合していた)・・・、

さてそこで・・・
以下の3種類の原初的生物が、以下の順に誕生したとされている…

1・発酵型単細胞生物・
(無呼吸・・酸素なしで何かを分解してエネルギーをえる・・(酸素以外の何かと別の何かを化合させてエネルギーをえるという形態もあったのだろうか? …メンド草…調べてないナリス)・・この記述でいいかな? )…

2・光合成型単細胞生物・
(酸素発生型光合成単細胞生物(原初単細胞生物の仲間)・・O2放出・・現在では、植物の葉っぱなどの緑色の部分(葉緑体・
(葉緑素を含む……葉緑素といえば、昔はカイコの糞からも抽出していたとかいうことだったとウロ覚えしているナリスが(カイコは桑の葉をムシャムシャ食べる)、その当時、葉緑素を「ヨウリュ糞」と呼んでいたという話しは聞いた覚えも読んだ覚えもないのでアール……葉緑素入りの何とか、とか、その他、葉緑素は大活躍しているナリサ))・
がそれをなすというのは有名な話しナリス……海藻類の中には、葉緑体をもっているのに、緑色でなく褐色や紅色に見えるものがあるが、それは、葉緑素以外にそういった色素を含んでいるためである…

…葉緑体においては、明反応と暗反応とがあるということナリス…昔学んだようなオボロ記憶があるが…調べると面白そうなんだが、時間が足りなくなるしメンド草草・・
…しかし調べてみた…
…(…調べてみてよかった…こんな超複雑な素子sと体系と仕組みが偶然によってできあがることは絶対にないと確信)…
:それを抽象的にしてカンターンに言うと…
…明反応においては、光合成を行なう場所にある素子sや物質sを用いて、光のエネルギーを化学エネルギーとして利用しやすい物質と、糖を生合成するのに必要な物質を生成する…その際、酸素が発生する。
…暗反応においては、生成されたそれらと、そこらにある物質を使って、ブドウ糖(など)を生成する…
…それらの過程を通して、二酸化炭素のもつ炭素は、糖の中に入れられる・固定される…
…「6CO2+12H2O →C6H12O6+6O2+6H2O」
…その説明:
「6CO2(二酸化炭素分子6個)
+12H2O(水分子12個)
→C6H12O6(ブドウ糖1個…光のエネルギーが蓄えられた…二酸化炭素分子6個も入った)
+6O2(酸素分子6個)
+6H2O(水分子6個)…
…(酸素発生&二酸化炭素にある炭素は全部ブドウ糖の中にはいって固定される&水を生じる(この水は生合成反応の結果でてくる))」…
…「ブドウ糖(グルコース)=C6H12O6」…
…(この記述でいいかな? )

…酸素発生はないが、ほかにも、細菌では、紅色の細菌が2種類(大きく分けて)、緑色の細菌が一種類(大きく分けて)いて、光合成をやっているんだそうな…しかし、それらの細菌の光合成では、酸素の発生はないそうだ(一般的な光合成とは、仕組みがいくらか異なる)……・・この記述でいいかな? 
…しかしそれでもそれら細菌君たちは、二酸化炭素の分解固定-炭素・炭酸の固定にがんばっているのでアールとは、彼らの言い分であるそうな…JK……ここは、もっと調べるべきでアールスがメンド草草……)…
…(この記述でいいかな? )

…おまけ…
葉緑体は独自のDNAをもち(ミトコンドリアもそうだ)、もとは独立した原核生物だったと考えられている(ミトコンドリアもそう考えられている)・・
…さらにおまけ…
ミトコンドリアは母親からもたらされる。父親からは伝わらない。…ということは、女性が原型になっているということになる。ほかにも、女性が原型になっているという根拠sを筆者はいくつか既述している・筆者の考究の結果として…なぜそんなことを考えるようになったのかについては、何回も既述しているナリス)・・・


3・呼吸型単細胞生物・
(大気中にO2が増えてきていたので、O2を活用…酸素を活用してエネルギーをえる・・それはさまざまに進化して動物に至る…)

以上、「1」「2」「3」の順に発生したとされている(納得)
(あとから加筆しまくったので、読みにくくなったナリス)

…それにしても、「1」にせよ、「2」にせよ、「3」にせよ、
そういった仕組みをもった原初的生物たちが、偶然によって誕生することは100パーセントない、と筆者は確信する(それらのメチャクチャな複雑さに着目するナリサ)(それに類することは後ろの方にも記そう)・・・



さて・・・
それらは単細胞生物といえども、内部構造(細胞膜をも含める)は途轍もなく途方もなくトンでもなく複雑である…細菌(単細胞)(バクテリア)ですら、1000種類以上の酵素(タンパク質など)を活用する(…人間になるとその複雑さは極限に達し極限を越える…現在までの歴史において…)・・
偶然に任せていたら、無限年たってもそういった単細胞生物は(単細胞生物ですら)生まれないだろうと感じる(そう断定する…筆者はそう確信する)・・数十億年とかで偶然にできあがるとは思われない(……絶対に誕生しない、と断定する・・ここらあたりは、もう、科学的には進めないだろう…「科学的」という実態もいいかげんなものであることがあることであるし・・・)

・・・参考・・・
こういう論調の記述を2つ読んだ覚えがある:
「生物の誕生や進化(大進化)という事象は、砂漠の中で激しい砂嵐が長期間続いて、それがやんでみると、そこに何か凄いものができあがっているようなものだ…ひとつは、ジェット旅客機だったかな? …もうひとつは、コンピュータだったかな? …」
…それらにおおいに納得したので、その論調を借りて筆者もそれに類似した文章を書いたことがある・
まったくもってそのとおりだと思う・・・

・・・で、ある程度のところまでいくと、タンパク質の特性が、進化をはやめる(早める、速める)、という可能性は考えられるものの、偶然にタンパク質やRNAやDNA、生物内において必要な成分s、代謝機構関連素子s、細胞分裂関連機構素子s、生体内システムなどができあがる確率はゼロだ―無限の時間が経過しても―と思われる・(いや、そう断定する・筆者はそう確信する・・科学とか「科学的」とかいう実態もこんな感じ-姿勢にあるし、そんな感じで進んできているのである(科学は多くの成果をあげてきているが))・・・

・・・上にも下にも他のところにも書いているように、知性(知性体)とさまざまなデータsがないと、偶然によってそういったものたちが生まれることはないと思われる・・いや、「ない」と断言しよう・・この文言は科学的精神からはずれるとされるだろうが、科学なる実態はこんなもんである要素がある程度多い・・・


・・・で(年代についてはいくつか説sがあるが)・・・、
そこから進化が始まり、目を見張るようなさまざまな生物たちが生まれでてきつづけて、
B・400数十万年前に、リスに似た生物(だったと思う…ウロ覚え)が生まれ、そこから枝分かれして、いろんなサルたちが生まれ、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、が枝分かれして生まれでてきて、そこの大元の幹から、
猿人(原人よりサルに近い)、
原人(ジャワ原人、北京原人など)、
旧人(ネアンデルタール人など)、
新人(現代人と、それよりいくらか古い人類(クロマニョン人など))
と、進化してきた・
(上述「大元の幹」の中にある生物と、そこから枝分かれして進化の袋小路にはいった生物(いくらかは変化・進化する)、という観点-実態があるだろう)・

猿人は、400万年前ごろに出現
原人は、160万年前あたりに出現
C・旧人は、20万年前ごろに出現
D・新人は、35000年前あたりに出現

上述「A」の「35億年以前」から、
上述「B」の「400数十万年前」までに、膨大な時間が過ぎている
しかし、
「C」から「D」への時間は短すぎると感じる・・いや、まてよ、原初の単細胞生物が生まれるよりは、タンパク質とDNA-RNA系の特性によって、進化がはやくなるのかもしれない・・・さらに知性体が参加し操作-干渉するから、はやく(早く・速く)進化がなされるのだろう・・ここでも、偶然-ランダムによって、猿人から新人に進化する確率はゼロだと筆者は確信する・・種の進化において、突然変異-偶然-ランダムに任せていたら、不適格なものだけしか生まれてこないだろうと筆者は確信する・・・


ここでの結論として・・・、
偶然に任せていては、原初生物の発生には、無限の時間がかかる(だろう)
……よって、ほかの何かの働き(もうすでに上にもいくらか記しているが)を考えざるをえない…


・・・付記・・・

・・・付記中の付記・・・この「付記」の中に、筆者が迷っている記述がある…
そこで、さらにいくつかの文献を読んでみたが、それらもアイマイミーではなくてアイマイな記述になっていて、スッキリしなかった…
で、ムリに結論をだすとすると、
X「『超長期の停滞』というのは、大進化と小進化の両方についてのことで、大進化の方により大きな重点がありそうだ」、
というところに至った…

…そもそも、そういう説のもとになっている「化石の歴史研究」といっても、研究に必要な対象すべてが完璧に揃っているわけではないし、そこにはイイカゲンなところもありそうであることであるし…

…ということで、一応、上述「X」をここでの一時的にして暫定的な結論としておこう…

…で、いくらか離れた下に「補遺」を記すだけで、「この件における記述」には手を入れないでおこう…手を入れないでもいい記述にしておいたことでもあるし(ほかのところには手を入れるのでアールス)……
・・・以上、付記中の付記・・・



壮大なスパンとなる化石sの研究を通してわかったこと、とされている知見にこういうの(A)がある…
A「大進化が起きたあと、超長期の停滞があった」
…これ「A」は、進化における漸進説…それをオーザッパッパに言うと、大進化も漸進的な小さな変化の積み重ねで起こるという説(この記述でいいかな? )による説明が困難となる…
なぜなら…
そこにある「超長期の停滞」…つまりそこでは漸進的な変化なり進化なりも少ししか起こらない期間が超長期に及ぶのである(これは化石の歴史研究の結果にある知見であるが要確認)・
(この説明でいいかな? …「超長期の停滞」というのは、小進化についてのことなのか、大進化についてのことなのか、調べ上げることができてないのでアール…さまざまを読んだ限りでは、まずは小進化についてのことだと思えたナリス…未熟なり…これから先調べて、この項などに手を入れよう……いやまてよ、大進化についてのことかもしれない、と思いなおした……いや両方かな? …未熟なり……やはりこの先調べてこの項などに手を入れよう……しかしそこらをも包含する説がこのセクション全体の主旨なのでアール…ここでの迷い「小進化についてなのか、大進化についてなのか、両方についてなのか」という迷い(メンド草草と手間を省いた結果の迷い)はどうってことはないとも言える……)・
…つまり、そこは漸進説での説明がまったくつかない…つまり、漸進説の実態が働いていないではないか、となる(その間大進化も起こっていない)…

…ただしそこでは、超長期の間に、少しの変化・突然変異はいくらかは起こっていたのだろう(普通に起こっていたのだろうか? 要確認…上述参照)…


・・・補遺・・・
漸進説に対立する説が、断続平衡説である・・
それは、オーザッパッパに言えば、種の急激な分岐が起きたあとに、長い停滞期が存在する、という説…これは化石の歴史研究の結果にある知見である…であり、上述「A」のもとになっている・・・
ここで言う「種の急激な分岐」というのは、進化においてはかなり短い期間に大進化が起こる(このばあいは、新しい種が誕生する)、という意味に筆者は解している…


…さて、そこらの説明らしいのを物語り風になしてみよう・・・

…知性体A「よくがんばって大進化を成し遂げたぞ~ しかし疲れたぜよ 当分怠けて暮らそうぜ~」

…知性体B「ここから先の大進化には、なんと言っても、データと知見が少なすぎるのさ 今回の大進化の結果誕生した生物をよくよ~く観察して、データを集め知見を広げ、将来の大進化に備えようぞ しかしそれには膨大な時間がかかるのさ」

…知性体C「後世の学者氏たちが名づけたんだが…カンブリア爆発ってのがあってだな、カンブリア紀に新しい種たちと個体数が爆発的に増えた時代があったのさ。
あのときの知性体たちの活躍は、それはもうもの凄かったのらさ。
それは知性体たちの間で語りグサになってるのさ」
 

……すでに述べていることであるが、小進化は突然変異と知性体たちのいくらかの操作で起こるのだろう……


……種の変化・進化といった事象実態は(大進化の実態)、DNAの中にある「種を司る枠組み」の変化・進化をも含んでなされる・・しかも、それ以外にもそういった変化・進化に必要な要素sはいろいろある・・
…そういった事象は「知性体たちのもつ-あるいは集めたデータや知見」をもとに知性体たちが進化させる対象に干渉-操作をなさないと、100パーセント起こらない…偶然-突然変異では、100パーセント起こらない…そう筆者は確信する……

…で、種の大進化(ここでは、ひとつの大進化で新しいひとつの種が誕生すること)は、ひとつの個体の生殖細胞に起こり(知性体たちが起こし)、それが拡散していく、のではないだろうか…その可能性が最も高いと思われる…まずはそう思ったが、いやまてよ、それだと交配が成立しない可能性が高いし、交配が成立しても、離れた上述の「レオポン、ライガー、タイゴン」などの例のように、あとが続かない可能性が極めて大きいだろう。
よって、ここで直近上の記述をひっくり返してしまうが、その可能性「ひとつの個体のうんぬん」は非常に低い、という結論に至る。

…そこで、次なる可能性の検討にはいろう・・・
雌雄ふたつの個体たちの生殖細胞たちに、新種への変化が起こって(知性体たちが起こし)(それらが交配する確率は非常に低そうであるが・それらが離れていれば)、拡散していくのかもしれない…いやまてよ、つがいになっている雌雄ふたつの個体たちに、その変化を知性体たちが起こせば、新種へと変化(進化)する…この可能性は極めて高いだろう。

…あるいは、知性体たちが、対象になっている群(むれ)あるいは、対象になっているその種の全部(ほぼ全部)に干渉-操作を施すのは大変だろうから、対象になっている種の中の、可能な限り多くの個体たちの生殖細胞たちに干渉-操作を施すのかもしれない・その後拡散していく、と…

・・・以上、付記・・・


・・・参考・・・

『原初の生物の誕生』と、大進化(新しい種が誕生するという変化とか、新しい範疇の生物が誕生するといった変化)(たとえば、ヒトのもつ目への進化もここにはいるだろう)、も偶然に任せていては100パーセント起こらない、それは、知性体たちのもつデータと知見と知性体たちのなす干渉-操作によってしか起こらない…
そう筆者は確信する(後ろに詳述)・・・

・・・以上、参考・・・


さて、
知性体たちは、物理・化学の法則の実態を破ったりコントロールしたりできる…既述しているが、タネもシカケもないマジックがあることがそれを証明実証している…(何度も既述)
(…さて、これは単なる付け足しなんだが・・・、
本説にある「原初生物の誕生と大進化は、知性体たちがいなければ絶対に起こらない」という主張は100パーセント正しいと筆者は確信している…これをもとに論ずれば、「知性体たちは絶対に存在する」ということにもなる…)


・・・繰り返しになるが、強調しよう・・・
知性体が参加し操作-干渉すれば、生物の誕生と進化は大幅にはやまるはずである(早くなり速くなる)(既述、ネット上にも既述)(既述している、イヌの種内変化の多様性においてもそれはわかる)(下の総まとめを参照)


・・・さらにもう一回・・・
下の総まとめを参照・・その中でも、「以上を総合すると・・・この世界・宇宙は、生物をもとうとする・・で、当然なことながら、物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが生きていけるようにできている」などを参照されたい・・・



・・・さてそこで・・・、

X・『宇宙が消滅と誕生を繰り返してきていて、
「宇宙が消滅しても、知性空間は消滅せず、そこに知性体たちと、さまざまなデータsは存在する」、
と考えないと、
上述のような事象は起こらないだろう・・知性体たちの参加-干渉-操作がない偶然だけでは、そういった「原初生物の誕生と大進化」という事象においては、無限に永い時間を必要とするだろう』
(どの時点においても、無限の時間が既に流れてきているのだろう・・あるいは、そうでなくても、知性体たちは試行錯誤を為せる・・かなり下の総まとめを参照)

・・・この「X」を補強して断定調にしよう・・・X☆-「その知性空間には宇宙の誕生と消滅の繰り返しを乗り越えて、知性体たちと、さまざまなデータs(不完全ながら)が存在する(知性体たちが記憶している…あるいは、知性空間に記録されている)・
(どの時点においても、既に無限の時間がたっている・・あるいは、そうでなくても、知性体たちは試行錯誤しながら、データを得ることができるし、原初生物の発生と生物の進化を進めることができる)」(・・そう筆者は確信する…)
・・・以上これは、上述「X」の表現を変えた、結論としての記述である・・・


・・・ここで転調して、喜劇が始まる・・・

ここにおいて、アリエーヌちゃん(girl)、
と、
アリエールちゃん(girl)、
との間で戦いが始まるのは必然なのだろうか? 

…直近上の発言を聞いた二人は…
アリエーヌちゃん曰く「そんなことはアリエーヌなんだわさわさワサビ-辛っ」
アリエールちゃん曰く「それこそアリエールなんだわさッサほいサッサ…じゃなけりゃ、すべてにおいてツジツマがあわないんだわさッサ」

……ということで、ここで二人の間で激論が戦わされることになったんだとサ……

…で、ここで、アリちゃんたちが喜んでたくさん現われて、
「蟻エーヌちゃん、がんばれ! 」
「蟻エールちゃん、がんばれ! 」
と、エールとエーヌ? をおくり、応援合戦まで始まったんだとサ……

……さて、どちらの言い分が正しいのだろうか? …つまり、どっちが、
「原初の生物の誕生とそれ以降の生物の(大)進化」、
それと「宇宙の永遠性」、
について、この世界の真実を言い当てているのだろうか? 
アリエーヌちゃん、か、アリエールちゃん か、? ……

……ここに第三者と名乗り…しかも「わたくすは自分がアホかリコウかバカか知らんのじゃがじゃがジャガイモ」とのたまう人物…、そういう人物が登場してのたまうには・・・
「それはじゃなあ、ワサビを食らって涙を流したアリエーヌちゃん、の負けで、
気楽に『ほいサッサ』と余裕のあるアリエールちゃん、の勝ちにきまってるじゃんジャンジャン…しかしもっとジャンジャン論戦をしなされ…
…そういうことジャじゃがたらいもポテト…じゃがナアじゃがいも、んんん? わたくすは何を言っておるんじゃ、やはりわたくすはバカアホじゃということが判明したわけじゃがジャガタライモ、んん? あ、そうじゃ、蒸したジャガイモにバターをタップリつけて食べるとうまいんじゃじゃジャガイモ…
…アリエーヌちゃんも、アリエールちゃんも、ほれ、この蒸しジャガイモバター塗り、をたくさん食べて、その論戦に励むのじゃじゃじゃジャガタライモ…」、
だとサ…

…それでもって、この戦いは永遠に続くのであったとサ…

…で、「永遠に続く、ということは、
アリエールちゃん、の勝ちを匂わせているではないか」、
と、第四者と名乗る人物がのたまう…

…しかし不思議なことに、ここで、アリエーヌちゃん、と、アリエールちゃんが、にこにこしながら、握手を交わしたのであったとサ…

…ということは、
…その結論は闇の中に消えてしまった…ということなんだろうか? …

…で、闇の中に消えてしまったと思われたその結論を吟味しよう、と言って現われた第五者と名乗る人物が、
その結論をムシャムシャ食べながら吟味したのであったとサ…
…で、その第五者による吟味された結論は、「ああ、美味い、これこそ世界最高の美味じゃ…」
だったとサ……

…そのあと、第六者、第七者、第八者……と、そういうふうに名乗る人物たちが永久に現われ続けてきて、
ついには、「世界は無限じゃじゃじゃ~」
と感嘆する人物まで現われてきたんだとサ…

そして遂には、無限の時間がたったあとに現われた謎めいた人物が、「世界は無限じゃじゃじゃ~ジャガイモ…その証拠はジャガイモの存在じゃじゃじゃ~」、…とのたまったとサ…

…ということで、アリエー○ちゃんの勝ち、ということになったんだとサ…

…ここに謎の妖精たちが現われて……

「へっ! 」
「そんなバカな! 」
「うひひひひ~~! 」
「ぎゃはははは~~! 」
「ぷーっ」

だとサ……

……しかし、ここで謎の知性体Xと名乗る存在が現われてのたまうには…
「ほほう、妖精か…
妖精ってのはじゃな、知性体の仲間なんじゃ…我われ知性体の仲間なんじゃらほいさっさ…
…これで知性体の存在がさらに裏づけられたというもんじゃ…わはは…
…もっとも、タネもシカケもないマジックというのがあって、それは知性体たちが働いて実現しているということは周知の事実なんじゃがな…
…そういった知性体たちが、「原初の生物の誕生とそこからの大進化」、を司っているということが、これで明白になったわけじゃじゃじゃ、ジャジャジャジャ~ン…
…しかも宇宙は永遠に続いてきたし、これからも永遠に続いていく、ということも明らかになったわけじゃ…
…さらにじゃじゃじゃ、意識をもった人間のような生物は、途絶えることはあっても、必ず新たに誕生し、意識は永遠に生まれ続いていく、ということもはっきりわかったわけじゃがいも…
…ここまでのすべての論を総合すると、『意識は永遠に転生する』という事実をも論証し証拠立てているわけじゃじゃじゃ~
…で、その中で「質時間回帰」つまり「科学的カルマ」の遂行が永遠になされていくのじゃじゃじゃらほいさっさ~…それらがすべての意識たちがもつ運命なのじゃじゃじゃ~……ジャジャジャジャ~ン…運命ってのはじゃな、弁当の好きな? ベントーヴェンの交響曲第五番「破綻調(困った運命は破綻させよ)(ハ短調)」・
「シーマイナー(仕舞いなー)(困った運命は仕舞いな~)(Cマイナー))」・
が運命における変転の存在の予兆を表現しておるとおりなんじゃじゃジャガタライモ~…さてと、ポテトサラダでも食うとするぜよ、ほいさっさ……」

…ここにまた謎の妖精たちが現われて囃したてるには……

「へっ! 」
「そんなバカな! 」
「うひひひひ~~! 」
「ぎゃはははは~~! 」
「あほほほほ~ 」

だとサ……


・・・以上、転調しての、喜劇-終わり・・・



・・・以上、これがここでの結論でアール…多くを占める後半のジョーダンなんかは除いて・・・



・・・ここまでの一応のマトメと付記・・・

ここまでの結論として・・・

○どんなに永い時間が経過しようとも、偶然-ランダムでは決して生物(ここでは特に原初の生物に着目)は生まれない
新しい種の誕生についても同じくそうである

 よって、知性空間が存在し、そこには、知性体たちとさまざまなデータsが存在することが裏づけられた・・このことは、タネもシカケもないマジックがあり、知性体たちは物理-化学の法則の実態を破ったりコントロールしたりできる(既述)、という実態と重なる

しかも、生物をつくり上げ進化させるには、知性空間にさまざまなデータsがなくてはならない・・A-知性体たちがそれらのデータsを収集し知性空間に記録する…あるいは、B-自然に記録される…あるいは、C-知性体たちが記憶する…としか考えられない・
(この2つあるいは3つ「AとC」または「AとBとC」は、それぞれの内部において、「かつ」の関係にある可能性もある…たとえば、「AかつC」…「または」の関係も当然ありうる「AまたはC」と…)

・・・ということは、宇宙は誕生と消滅を繰り返しながら、永遠に続いてきている・
(無限に永い時間を経てきている、あるいは、無限に近く永い時間を経過してきている・・この前者だろうと思われる)、
という実態もある、ということになる・・そうでないと、そういったデータsは存在しないし、生物の誕生も進化も起こらないのである(生物が誕生したあとは、突然変異でちょっとした変化は起こるが)・・・

・・・このセクション全体(とそのほか)から、そういう結論に至る・・・




(加筆)



それらの謎と課題については、5年以上前から考究して筆者はネット上に載せてきている(世界哲学などの中に記している)。
その研究と、ここでの研究内容をつき合わせ、結論をだすと、
上の長々とした「転調しての喜劇の項」のずっと上にある-
…「X」「X☆」…
である・・・




・・・上にもあちこち、他のところにも何回も述べているのでこれは繰り返しになるが・・・、
知性空間(と名づける空間)・・タネもシカケもないマジックの存在が、そういった空間があり、そこに知性体たちやさまざまなデータが存在することを証明・実証している・・・(付記・・知性体たちは、対象を認識-識別できる…赤外線スペクトルその他を媒体として…)・・・



・・・以下は総まとめ的になっている・・・
・・・その前にもうひとつ、重要というか必要なことを記そう・・以下この初めの方は何度もどこかに記している・それらプラス新しい内容をも記そうということ・・そして、結局、以下は、この課題における結論としての総まとめになる・・・


○○○「この世界・宇宙に意識がないとこの世界はないに等しい」・
(どう考えても、物質より、意識の方が重要である…どう考えてもそうである…物質だけが存在して、意識が存在しないと、この世界を認識し意識する存在がないということになるので、そういう主張は成立する)
「この世界に意識は存在する」
「よって、意識の大元である意識器は存在する」
「ということは、当然、心器(知性体)も存在しなくてはならない・・なぜなら、心器がさまざまな情報を集め理活を行い、その結果の心的内容を意識器に送り込んで初めて、意識器によって意識内容が意識され味わわれるからである(詳細に既述・何度も)」
「であるから、必然的に、意識器(意識体)、心器(知性体)の存在する場があるはずである(何か所かで詳述している)」
「その場を知性空間と呼ぼう」

…参考…タネもシカケもないマジックの存在はほんとうにある。それらマジックを為すのが知性体たちであり、知性体たちは物理的-化学的法則の実態を破ったりコントロールできる、という事実も、そこからわかる……知性体たちは、一般的には目に見えない……

「さて、心と意識をもつ生物sがいないと、意識内容の増加と発展・変化がない・
(知性空間に存在する知性体たちが、物質の世界なしに新しい心的内容-意識内容をつくろうとしても、それはほとんどムリである…なぜなら、その条件のもとでは、心的内容を形成する情報が少なすぎるからである)・
(大自然がつくった人間ですら、さまざまな無数の心的内容-意識内容――意識内容となる創作物sなど――をつくり上げてきている…それは、人間の身体が物質世界に置かれ、そこで活動し、人間のもつ心器の知性が、さまざまに働くからである)」

「意識内容の増加と発展・変化がないということは、意識にとって、この世界の魅力はなくなっていく-ことに等しい(心器と意識器がこの世界に飽き飽きして倦んでしまって、心器と意識器が生存していくための魅力がゼロになる)。
 そこで当然、意識内容の増加と発展・変化をもつために、この世界・宇宙は、生物をもとうとする」

「さて、以上を総合すると・・・この世界・宇宙は、生物をもとうとする・・で、当然なことながら、元素sや物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが「生きていけるように」できている(そこにはマイナス面もあるが)・
(「当然なことながら」と直上に記したが、そこを考えてみよう・・・まず、確かに実際にそうなっている・・その実態をもたらしたのは、いったい何だろう?  知性空間のもつ演算力だろうか? 宇宙のもつ意志のような何かによるのだろうか? ・・・それについては上にも一部記している・・・それらをも含めて、こういった類いの問いsについては、さまざまに考察してあちこちに既に記している・・・上に記した『この世界・宇宙は、生物をもとうとする・・で、当然なことながら、元素sや物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが生きていけるようにできている』(さらに詳細に後述)・ここでの結論はこの「 」内の初めに記したこの『 』内の内容で満足することにしよう)」

・・・直近上の項をさらに深めた項がある…それは、いくらか下の「X」以下の「A」「B」「C」である・・ここの、近い下にも「A」があるが、その「A」は、別な内容をもつ(…読みやすくするために、符号としての、A、B、C、を多用するので、そういうことになるのでアールス…)・・・

さて、
「知性体たちは、生物についてのさまざまなデータsをもつ(上に記述)・・知性体たちは、生物を構成する原子sや分子sを、それらが放つ電磁波(赤外線など)や電磁波(赤外線など)スペクトルなどによって、認識・識別できる・・そして、
A・「知性体たちは、物理・化学的法則の実態を破ったりコントロールできる(既述)」・
・・知性体たちは、既にもつデータsをもとに、あるいは、試行錯誤しながら、原子sや分子sを認識-識別し(赤外線スペクトルなどをもってそれは可能)、(それらを集め)、その「A」の施工力・実行力でもって、まずは、単細胞生物に必要な生物部品sや小器官sや成分sを構成し、生物としてのシステムを組み上げ、単細胞生物をつくりだす(原子sや分子sを結合させるにあたって、一旦分解して結合させるケースsもある)(そういった単細胞生物をつくり上げることも恐ろしく大変だろう・・よって上述のような永い年月がかかる)・・そして、知性体たちは、データsや試行錯誤のもとに、生物を進化させていく(そこでは突然変異も起こる)・・そして極めて長い時間を経て意識が宿る生物が生まれたのである・・・」

…参考…
遥か上に記している・
「原初の人間が何かをつくり、そこから発展していく様子の項(略記)を参照されたい…
…それをオーザッパッパに言うと、人間が何かをつくるばあいも、人間の知性が必要であり、原初は原始状態にあるが、ずっと後になると、人間はさまざまなデータと知見を見いだし、明細を書き設計し設計図を描くようになっていって、より高度な何かをつくっていくようになる、ということナリス」
…そうであるから、直近上述なるこれは、「既述しているように、知性体たちの活躍がないと、原初生物の誕生もないし、そこからの進化(大進化)もない」、という確信(断定と言ってもいい)の根拠になるのでアールス…
…以上、参考…
○○○


・・・以上の論述をもとに考察すると・・・
生物が誕生し、現在の人間にまで進化(変化、劣化かもしれないが)してきたということは、
「知性体は存在する」、
「宇宙は永遠に続いてきている・・途絶えることはあっても、意識のある生物は永遠に生まれつづいていく」、
…「意識器(意識体)(人と言い換えてもいい)は永遠に転生してきたし転生していく」・(これについてはほかのチャプターと、その根拠をも参照)…、
という結論に至る・・・


・・・さて、もうここまでくると、そうとうな上に記している「遺伝子が先か蛋白質が先か問題」は考えなくてもよいことになるだろう・・しかし一応結論をだしておくと、上述の論考からいって、RNAが先だろうと思われる・・・


X・・・上述「元素sや物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが生きていけるようにできている」について、さらに考えてみよう・・・上述の「○○○」と「○○○」の間に記した記述内容もここに参加する・・・
・・・たとえば、「さまざまで多くのミネラルsを生物たちはさまざまに活用している」、という事実をもここにつけ加えておこう・・・

ここで、「加筆形式#3(途中):質・クオリアの科学(仮説)~心脳科学(仮説)~世界哲学」・
の中に記している「タトエとしての水蒸気」を持ちだそう…

『「A・タトエとしての水蒸気」は情報をもてる・・そして、「B-物質たち」は、その「タトエとしての水蒸気」が相転移して生まれた』・・・

・・・その中で、さて、
C『この世界・宇宙は、生物をもとうとする・・で、当然なことながら、元素sや物質sの性質も、生物sが構成でき、生物sが生きていけるようにできている(詳細に論じたあとの結論)』・
(ここでの「A」「B」「C」は、ここでだけの印である)・
以上の「A」と「B」は密接に関連しているはずである・・
「A」は情報をもてる・・「A」から生まれた「B」にも情報がはいっている・それが物質sのもつ性質となる・・よって、「元素sや物質sの性質も、生物sが(を)構成でき、生物sが生きていけるようにできている(マイナス面はあるが)」と考えられる・・・上述Cはこれらによって説明がつく・・・
(・・・しかし、だからといって、知性体たちの参加なしで、原初の生物の誕生や進化(大進化)が起こるというレベルにはその実態はまったくない・・・)・・・

・・・さらにかなり上に記している項の一部を再掲しよう…
「「この世界・宇宙に意識がないと、この世界はないに等しい」・
(どう考えても、物質より、意識の方が重要である)
「この世界に意識は存在する」
「よって、意識の大元である意識器は存在する」
「すると、当然、心器(知性体)も存在しなくてはならない・・なぜなら、心器がさまざまな情報を集め理活を行い、その結果の心的内容を意識器に送り込んで初めて、意識器によって意識内容が意識され味わわれるからである」
「であるから、必然的に、意識器、心器(知性体)の存在する場があるはずである(何か所かで詳述している)」
「その場を知性空間と呼ぶ」
「意識をもつ生物sがいないと、意識内容の増加と発展・変化がない」
「意識内容の増加と発展・変化をもつために、この世界・宇宙は、生物をもとうとする」、
「知性空間はなんらかの知性的な演算力をもつ」
以上、それらまでをも総合して考えると、
「元素sや物質sの性質も、生物sが(を)構成でき、生物sが生きていけるようにできている(マイナス面はあるが)」のは当然である、という結論に至る・・・



・・・さてここで、筆者にとって興味深い話しを記しておこう・・このセクションなどをもとにして・・・

さて、
筆者はあちこちで、以下に記すこういった謎sと設問sを追究しているナリス(あちこちに既述)が、それについての結論がここででてくるのでアールス(モチのロンで仮説ナリスが)・・・

その謎sと設問sという内容をカンターンにしてオーザッパッパに記すと(具体的にはあちこちに詳述しているので、参照あれかし)・・・

「精神的な実態と物質的な実態の間にはキワメテ精密な対応がある」

たとえば、

人間はさまざまなA心的内容やB物質的構成物をつくる(それらは心器が主導する)がそこにある対応(例外はある)
誰かが何かのBをつくったとして、多くの人たちは、それを見たり聞いたり用いたりすると、Bをつくった人の心的内容(このばあい意図など)を感じること(例外はある)

人間のもつさまざまな特性・・C笑顔を発する人と、Dそれを見る人のもつ心象(心的内容の一種)は多くのケースで一致すること(DがCを嫌っているとそうではないことが多いが)
このばあい、顔という物質の組織のもつ形状と変化(表情)と、心的内容が精密に対応していること
ほかの表情sにおいても、まったくもってそうであること
(表情は脳と心器がつくる)

人間の男女においてもそうである
肉体の形状やその変化(立ち居振る舞いなどをも含めて)と、それを感じる心性(心器の性質)が精密に対応していること
(このばあい、男と女の性的心性は反対になるケースがほとんどであるが、それでも男も女も異性の心的内容がわかること・・例外はあるが)(例外はある)

人間は物質の性質などを追究できること(学問の一種)(心器が行う)


哲学や形而上学を導き出す大元になる

たとえば、ギリシア哲学における、プラトンとアリストテレス、の主張の違いも、この説で理解できるだろう

非物質世界と物質世界の関係についても、結論をだせる

さまざまな哲学についても、分類できるだろうし、批判もできるだろう

さまざまな形而上学についても、分類できるだろうし、批判もできるだろう



まだまだある・・・


この世界の成り立ちと、この世界のあらゆるさまざまについて、説明をつけることができる・・・このばあい、このチャプターのさまざまを組み込んでの論となる・・・

題して・・
「この世界のすべてを理解するための一試論」

A・上述「○○○「この世界・宇宙に意識がないとこの世界はないに等しい」以下のすべてをも組み込む(このチャプター全部を、組み込むと言ってもよい・・さらには、筆者の追究成果として記してきたすべてを組み込むと言ってもよい)

それから、何度も強調して詳述している・・
情報発受信物質の発受信する起源情報スペクトル(可能性の最も高いのは、赤外線のもつ情報スペクトルだろう)をここにも入れる

そして、詳細に既述しているように、
心器のもてる心的内容と、
意識器の中で発言する意識内容に、
この世界のすべてが反映される・・文明度が低いと、その低さに応じた内容になり、文明度が高まっていくと、その内容も豊富になっていく
で、文明度がマックスになった時点で(そんな時点は来ないと思うが)、この世界・この宇宙のすべてが、心器と意識器の中に発言し理解されたことになる

・・・たとえば、詳細に既述しているように、相対性理論や量子力学も、実験結果のデータをも含めて人間たちの心器sの中に生じたのである
ほかの学問sもそうであり、学問以外の「文化・文明を構成するすべて」も、同じく人間たちの心器sの中に生じている(過去をも含めてこう記す)・・・それらをつくる過程もそうであるし、できた成果をエンジョイする-あるいは反エンジョイするのもそうである・・・

上の「A」の中にあるように、タトエとしての水蒸気の系は知性・心器・意識器をもつ
そして、そのタトエとしての水蒸気が相転移して(カンタンにいえば、凍って・・凍る程度は何段階かあるが)物質世界が生まれたのであり、物質の中にそういった知性的な情報がはいっているのである

よって、当然、物質のもつ性質や物質が発受信する「(起源)情報スペクトルにも、そういった知性的な実態がはいりこんでいるのである

さらに、
自分の意識器(自分という意識をもつ主体)は永遠に転生していく
(心器と意識器についても、ネット上に詳述している)
その中で、それぞれの意識における質時間回帰が永遠に続いていく
(これについても、ネット上に詳述している)

それから、
質の対生成、質のもつれ、(直近上述の質時間回帰)、(それらは、質の科学(仮説)の中にある)をもここに追加しておこう

さらに、筆者の追究結果であるさまざま(ネット上に載せている)をもここに追加しよう


・・・以上で、「この世界のすべてを理解するための一試論」となるのであるが、
以上にあるすべての要素sを頭(心器)の中で有機的に組み上げて理解するのでアールス
そこはそれぞれの方々の努力にかかっているナリス



(加筆)



・・・この項も書くのがキワメテむずかしい・・・


・・・このセクションにも記しているように、そういったことは、タトエとしての水蒸気が心器と意識器を構成し(それらの大元まで知性空間に存在したししている)、
そういったタトエとしての水蒸気(知性をもつ)が相転移して物質が生まれたのであるから、知性的な性質が物質に入り込んでいること
人間や人間の脳は物質の組織であるが、脳と心器が連携して、「精神的な実態と物質的な実態の間にはキワメテ精密な対応がある」という実態になること

・・・



(加筆)



・・・ここに、生命エネルギーについて記すべきであるが、それについては、詳細に既述している・・・



・・・関連ある付記・・・
・・・まずは、ほかの長々としたチャプターから引用しよう(タンパク質などの発する赤外線スペクトルについての考察その他からここまで考察が広がってきたのでアール)・・

(上略)

「さてここで、現実の工場を考えてみよう・・・
どこかの工場内で、人間が働き、自動化された機械装置などが動いている、としよう。
人間は、光や音などによって、対象を認識し、作業、操作や加工、移動、などを行う。いってみれば、人間は無線通信-交信をなしながら働いているとみなせる。そういった実態がないと基本的に人間は(も)働けない。
自動化された「非接触センサー付き」の機械なども同じである。センサーで、対象の位置を把握しながら動く-働く。そこでは、音、光、電磁波、赤外線、(後者3つはまとめて呼ぶと電磁波なり光子である)などを用いることができる。それがないとそういった自動機械は働けない(接触センサーという小さな装置もあるが)。

(…付記…昔の自動車や機械-装置類は、電子制御になっていなかったが、現在では、電子制御だらけになってしまっている…大自然と知性体たちが創った人間の知性が、ここにまで至らしめたのである…しかし、電子制御やインターネットに依存していると、そのうち、~~~2つ以上の~~~)

上述の工場の実態事例を参考にして・・・
生物における受精~発生~成体化~成長、生物の個体(成体)、生体内でのさまざまな代謝、などにおいてもそういった点-実態における事情は同じである。
よって、先に述べた内容・
(ここには載せていない…上の(上略)の上にあるのであるから略されている…そこをカンターンにしてオーザッパッパに説明すると、生物の体内や細胞内などにおいても、同じような交信がなされながら、生物生育・生体維持などの活動がなされているはずである)・
は、そうである可能性が高い、ということになるだろう(――一応、それは仮説としておこう――)。

さらに、そういった体系において、情報発受信物質が、情報を発したばあいも、受けたばあいも、その物質の状態は変化する、という事象実態もなんらかにして有効に活用できるだろう…

以上は、成体をはじめ、受精~発生~成体化~成長、などにおいても仮説として当然適用できる。
さらに当然、脳の形成~脳内での実態などにおいても、以上は仮説として適用できる。
くわえて、心脳においては、情報発受信物質の情報発受信の実態やその内容が、心脳の現実――非物質的で豊穣な「心と意識の世界とそれらの内容」――をつくりあげている(これも仮説だが――あちこちに詳述している)。

以上、そうであってこそ、成体の存在、受精~発生~成体化~成長、などの実態が成立するはずである。
さらに、そうであってこそ、「心脳の現実」――非物質的で豊穣な「心と意識の世界とそれらの内容」が現出できる(現出される)のである(これも仮説――既述――)。

(下略)」

…以上の引用にある、
「受精~発生~成長~成体化、生物の個体(成体)、生体内でのさまざまな代謝、などにおいてもそういった点~実態における事情は同じである」について説明しよう…

それはつまり、たとえば、
「tRNAは、目的のアミノ酸をどうやって探しだし捕まえ」、
「どうやってリボゾームを探しだし」、
「どうやってそのリボゾームに至り」、「どうやって目的のmRNAを探しだし」、
「どうやってそのアンチコドンをmRNAのコドンにくっつけるのか」、
といった壮大な謎の解明をするにあたっての参考考察の記述である。
そこでは、まるで、
「tRNAは、目と手と知性と脚をもっている」かのようである。
以上は、そういった追究をしている部分の最小の文章をほかのチャプターから引用したのである(略されている部分に加筆した)。
そこにおいての、仮の結論は、
「赤外線スペクトルなど」を用いているのだろう、である。
…そのチャプターは既にネット上に載せてあるので、参照されたい。


(加筆)


・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・



(加筆)



・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・




加筆用(どこかに挿入)



手を入れた13


脳においては、情報はキレギレ-バラバラな形態で扱われ、脳にはそれ(ら)を統合する機能はない・(プラスさまざま)・・・
・・・それは事実であって、このことからだけでも、心器というフィールド、意識器というフィールドが必須であることがわかる(まずは前者がそうなのであるが、そこから、後者も必須であることがわかる)
心器というフィールドと意識器というフィールドが必須であるということについては、ほかにも、さまざまな面から、いくつもの証明らしきをなして既述している・・・


・・・なんでも雑記メモ:
以下をどこかに入れたいんだが、入れる個所を探し出すのがあまりにもメンド草草の大草原なので、ここにメモ・・・これは本論における重要事項sの確認のため・・・


*心器が、心的内容と時間情報・空間情報を統合する――それらはキレギレ-バラバラな情報になっており・
(感覚器官sから脳にはいる情報もそうである)、
心器がそれらを統合する――脳においてそれらはバラバラな個所sで情報処理される――心的内容も時間情報も空間情報もキレギレ-バラバラになって(して)扱われている――
(これは再掲になるが)

・・・それはもの凄いことだ・・信じられない・・・
感覚情報も、体験(経験)情報も、時間情報も、空間情報も、キレギレ-バラバラ情報になっていて――脳にはいってくる情報はすべてそういった情報形態にある・脳内での情報・情報活動も同じくそうである――、
それらが「脳のアチコチ」で、「いくらかの時間差をもって」情報処理されている――そこでは「統一性ゼロ-総合性ゼロ」にある・・結局、脳はそれらの情報を統合できない・「それらを統合する機能-場所は脳にはない」・・・
「心器というフィールド(詳細に既述)」がそれらの統御-統合をなせる・・しかも心器が着目している内容に関する情報sを心器が選択し取り入れ、それらを統合する(理活する)・・・
つまり、それらの情報の中から心器というフィールドが着目している情報sを取り入れ理活し(心器のもつ働き)「意識器というフィールド(詳細に既述)」によって意識し味わえるような形態にまとめあげる・・・――(それでも、その段階ではキレギレ-バラバラ-デジタルつぶつぶ情報(心器においては、エネルギーのもつ粒子性の世界にある・・粒子だとさまざまに扱えるが、波動だとそういったふうには扱えない)である――
ここで重要な着目点として・・・、
心器には理活する能力はあるが意識し味わう能力はない・・そういった形態の情報は意識できないし味わえない(詳細に既述)・・しかし統合する操作はできる、という事象-機能がある・・・
そして、そこでできあがったキレギレ-バラバラ-デジタルつぶつぶ情報(エネルギーのもつ粒子性の世界にある)を意識器というフィールドに送り込む(ここでは簡略に記す・・詳しくは既述)・・
すると意識器においてその情報が波動化し混じりあい、超絶精妙にして精密な-エネルギーの波動となり、それを意識器が意識し味わう・・粒子だと意識し味わうことはできないが、波動だと意識し味わえる(詳細に既述)・・・
・・(たとえば、なんらかの機器の画面から発される映像も発される時点では、キレギレ-バラバラ-デジタルつぶつぶ情報、であるが、空間に出ると、波動化して混じりあう)・(詳細に既述)・・・
――脳にはそういった精妙な混合波動を受けて意識し味わう機能・場所はない――

・・・ひとつの着眼において言うと・・つまり、(実)時間も空間も、意識器において生じるといえる・・・
で、意識の外(そと)にはなにがあるかわからない、という論も詳細に既述している・・・
それを、カンターンにしてオーザッパッパにいえば、
意識器にはいってくる情報も、心器にはいってくる情報も、脳にはいってくる情報も、それらすべては、エネルギーのなんらかの形態にあるだけであって、それ以上のことはわからない、ということナリス・・・
脳や肉体それに外界は物質の組織または物質である、という認識は一般的であるが、実際のところ、「意識にとって」、その実証はできないのでアールス――そこには、なんらかのデータベースとデータがあるだけである、という立場も成立するのでアール、ということナリス――・・・


・・・強調付記・・・意識内容は連続している(連続体である)・・場面転換という実態はあるが・・・
脳での情報処理においてはキレギレ-バラバラ情報を扱っており、それを統括する機能も場所も脳にはない・
その上に、連続している(場面転換はある)意識内容も脳においては生じない=キレギレ-バラバラ情報を連続する情報に変換する機能も場所も脳にはない。
そこからも、「心器というフィールド」と「意識器というフィールド」の存在sが必然的に導きだされる・・・


以上は、物質の組織なる脳における情報形態とそのほかのさまざまな根拠sから導き出される結論である・・詳細に既述している・・さらにタトエをもってわかりやすくという立場で詳述もしている(食材~料理~それを食べて味わう、などのタトエをもっても説明している)・・・

・・以上につけ加えると・・・、
「タネもシカケもないマジック」が実際にあることが、「心器というフィールド」の存在を実証していると言える・・そこから必然的に「意識器というフィールド」もなくてはならない、という結論にも至る(上述のように、脳には意識し味わう機能-場所はないのであることでもあるし)・・それらについても詳述している・・・


・・・付記・・・
過去において、「心器」と「意識器」における「情報エネルギー素子(仮にこう名づけよう)」・
(たとえば電磁波のような存在・・心器においては、エネルギーのもつ粒子性を扱い、意識器においては、エネルギーのもつ波動性が発現する)・
を、超ひも理論で説明できるのではないか、と考え、ネット上に記したことがあるが、
ある時点で、それを、とりあえず「赤外線」にした・第一候補として――・・・
なぜなら、幅広い温度範囲において、物質から赤外線は出ているし、体温あたりにおいても赤外線は出る上に、
物質によって、発する赤外線スペクトル(スペクトル・・わかりやすく言うと虹のような存在)が異なるからである・・この赤外線スペクトルが正に有効-有益に働くだろうと思う・・・詳細に既述している・・・
・・・ただし、赤外線に対応するというか、赤外線が変換されるというか、赤外線よりもっと精妙にして緻密なエネルギー素子があるのかもしれない・・・既述の「タトエとしての水蒸気」がそれなのかもしれない、ということもつけ加えておこう(超ひも理論からも候補が出てくるかもしれない)・・・


・・・参考・・・

以下、これは、かなり以前に学んだ記憶内容にもとづいて記すので、まちがいがあるだろう・・いつか訂正するかもしれない・・(そうとう前にネット上に詳しく記したが、今では忘れている所sが結構多い・・今回はその内容をカンターンにしてオーザッパッパに記そう・・重要なことなので)・・・

脳にある細胞であるニューロンs(非常に多い)・
(ニューロン=神経細胞・・・ひとつのニューロンは、細胞体と多数の樹状突起(かなり多くある・・そこにシナプスがある――シナプスは刺激に応じて化学物質放出と受容をなす・・それよって細胞体(ニューロン本体)に刺激を伝える――)・
と1本(ほとんどが1本)の軸索(電線のようなもの)からなる)の働きについて・・・

――新生児はニューロンs間のつながりが非常に少なく(だったと思う・・うろ覚え・・あとで訂正する鴨)、成長するにしたがって、学習するにしたがって、ニューロンs間のつながり(軸索電線による配線というとわかりやすい)が多くなっていき、成人あたりになるとその配線の多さがさらに増えている(高齢者になっても配線は行われる)(この表現でいいかな? あとで訂正する鴨ダック)。
で、ここからは、そういった配線の多い状態の脳について記そう・・・

・・・付記・・・ニューロンはなんらかの事態に対応して軸索配線を変えることもなす(これにもタンパク質がかかわっているのかもしれない)・・・

まず、ひとつのニューロンに着目しよう。
そのニューロン(ニューロンA)には、多数のニューロンsから軸索配線を通じて電位パルスs(活動電位・・・パルス=脈)がやってくる。
そのニューロンAにおける軸索配線の接続個所――シナプス(樹状突起にある)――によって、それら電位パルスsの効果は異なる・・
そこには2種類のシナプスがある・・
興奮性シナプス(複数ある)と抑制性シナプス(複数ある)である。
1つの興奮性シナプスに電位パルスが一つやってくると、そのニューロンの本体(細胞体)は、興奮度を1ランク上げる。
1つの抑制性シナプスに電位パルスが一つやってくると、そのニューロンの本体(細胞体)は、興奮度を1ランク下げる。
そういう事象が続いていき(ごく短い時間だが)その細胞本体の興奮度が閾値を越えると、発射用電線(軸索)に電位パルスが発射され、それとつながったニュ-ロン(ほかのニューロンである)がそれを受ける。
・・その事象は肯定と否定の多数決のようなものである・・・


・・・参考・・・
最新の研究では、ニューロンは記憶をももつ、とされている・・・
本論においては、早くから、記憶はタンパク質が担うはずである、としている(既述)・・ニューロンにもタンパク質は多く存在する・・・以上、参考・・・


そういう実態にある脳であるが、
上述しているように、それら情報を統括しまとめる機能と場所は脳にはない・・「心器というフィールド」だけがそれをなせる・・・
しかも、「意識内容は超絶精妙にして精密な-エネルギーの波動であるしかない(連続している・・詳細に既述)」わけであるが、脳にはそういった精妙な混合波動を受けて意識し味わう機能・場所はない・・意識器というフィールドだけがそれをなせる・・・
上述の「・・・強調付記・・・」をも参照されたい・・・


・・・メモ・・夢、心、意識、などの項にいれる・・メンド草なので、ここにメモ・・・
眠っているときも、ニューロンsは活発に働いている(目覚めている時と、活動の分布や状態は異なっているが)(これは既述しているが、新たに、思考-追究の対象になりそうだと感じたので、ここにメモ)・・・

・・・メモ・・これは生物の進化の項に入れる・・メンド草なので、ここにメモ・・・
脳幹(動物の生命維持の中枢)・・魚類から哺乳類に至るまで、その構造にはほとんど違いがない・・・
・・・それはなんという奇跡的な実態だろう・・その仕組みとその成立経過両方において・・・
・・・物質的な試行錯誤からだけでは、そういった実態は100パーセント生まれないと筆者は確信する・・・既述の「この世界のすべてを理解するための 一試論」~「原初生物の発生(誕生) と進化」についての一考察」を参照されたい・・・


(読みにくい書き方だなあ・・で、少し手を入れた)


・・・以上についてはさまざまにして詳細に既述しているが、
これだけでも、「脳だけでは、心と意識の世界を築けないことがわかる」・・・もちろん、「心器と意識器というフィールドs」がどうしても必要なことは、その他の根拠sをもって詳細に何度も記している・・・


・・・付記・・・

既述の「この世界のすべてを理解するための 一試論」~「原初生物の発生(誕生) と進化」についての一考察」(この進化は主に大進化のこと)の内容や既述のさまざまにもとづいて考えると、
「唯物論の系統の考え方」では、どうやってもそういった内容に手をだせないでせふ・・・

・・・そこらにおいていちばんカンタンな例をひとつ挙げると、「タネもシカケモないマジックが実際に存在する(これは事実ナリス)」ということを唯物論の系統の考え方でどうやって、説明するのだろう・・・

☆仮に、唯物論の系統の考え方で、それらすべてを説明できたとしたら、
それは本論と一致するでせふ(本論は多岐にわたる膨大な内容をもっている・・それと一致するということナリス)・・・
・・・そうなったばあい、そこにおいて、人類は新しいステージに立てるのでせふ☆・・・
・・・しかし、そうは言っても、質時間回帰(詳細に既述)という実態があるので、人類にとって理想的な世界になることは決してない・・仮に理想的な世界になったとしても、それは最初期の数週間ぐらいだけであって、すぐに、それ以前の苦労や悩み苦しみ多き状態になってしまうのである・・・人類はおのおのが蓄えた質時間を消費し、新たに質時間を蓄えながら生きていくのでアールス・・・
・・・それから、通常の質時間回帰(わかりやすい)とは別に、特殊な質時間回帰(わかりにくい)という事象もある(両方とも質時間回帰である)・・その例sとして、混乱し暮らしにくくなったどこかの国(日本からは非常に遠い)を、よくしようと奮闘してきた人物が○○された、とか、アフリカのどこかで地域改善のために努力してきた人物が、現地人から、「威張るな」と言われたとか、その人物とは別の人物であるが、同じく地域改善のためにがんばってきた人物が事故にあって亡くなった(アフリカのどこか)、といったような事例も多い(ほかにもなんやかんや-いろいろサマザマある)・・・



・・・さて、このセクションにきわめて関連ある話題をほかのセクションからひいてみよう・・・


(上略)


意識器(自分という純粋意識をもつ)・・意識し味わう個人的意識のフィールド(場)・・それは他と区別され、自分という意識をもっている(これは、「医学的に意識がある」というばあいの「意識」に最も近いといえるが、それだけではない)(脳にはそういう能力-機能-場所はない)

心器・・脳においては、キレギレバラバラな情報を脳のアチコチでしかもいくらか時間を異にして扱っている・・脳にはそれら情報を統御-統括する能力-機能-場所はない(脳全体にもないし部分にもない)・・
それら脳における情報を統御-統括する場所が、心器というフィールド(場)である

(詳細に既述しているように)物質の世界は、精神的な世界に比べて、荒く非精妙な領域にある(詳細に既述)・・物質の組織である脳は、同じくそういう実態にあるので、精神的な世界を構築できない(心の世界のデジタル情報をキレギレバラバラには扱えるが)・・
既述している「タトエとしての水蒸気」の世界は、最も柔軟にして精密精妙な世界である・・そこに「意識」「心」などの世界がある・・「タトエとしての水蒸気が凍って(相転移して)できた世界が物質世界である・・(「タトエとしての水蒸気>>>水蒸気>水>氷、と記せばわかりやすいかもしれない・・このタトエでは、物質のほとんどは水や氷だといえる)

・・・以上は、心脳における情報形態から、そういえるということナリス・・・

(下略)


・・・同じくほかのセクションから・・・


(上略)


・・・その前に一言・・・
・・・こういった内容をもつ文章sを読んで、納得して自殺することは禁じられておりもうす・この世界の法則の実態によって・・・


さて、で、ほとんどの人たちはこう思ってゐるでせふ・
「自分が自分であるのは、自分の『肉体、姿かたち容姿、境遇、人種・民族、家族~家系、人々(身近~遠い)との関係、自分の属している団体・組織~国家、現在に至るまでのあらゆるさまざまな体験・経験・言動と現在までのあらゆるさまざまな記憶や身についたもの、才能・能力、身分、地位、立場、性別、心・精神・意識(この意識は普通に使う意識。心脳科学・仮説で定義している「意識」を除く。勘違いを招くので、ここでは、意識と言わず「自覚」「自覚する精神作用」などと言った方がいいが)、などなどのすべて』による。それらが自分にほかならない」――・

で、ほとんどの人はそこからさらにこう感じているでせふ・
「だから、自分が死んだ後、それらがまったく同じ人間であるところの自分がまた生まれてくるなどということは絶対にありえない、絶対にない。よって、転生なんかあるはずがない、転生はない」――・

ほとんどの人はそう考えそう感じているでせふ――漠然と、にせよ――・
だがしかしところがどっこいどっこいしょ・・
心脳科学(仮説)と質の科学(仮説)を適用して考えると、それらはすべて間違いである、という結論にいたる・・・

心脳科学(仮説)において定義される「意識・意識のフィールド・意識の主体」――それは上述の普通一般に用いる「意識」とは異なる。
心脳科学(仮説)での「意識」は上述の普通一般に使う「意識」に含まれているにはいるが、その上述の「意識」にはさまざまな意味がごっちゃに混ざっているので、それらを正確に分離して、それぞれを正確に定義して用語をあてて用いないと科学的に扱えない。
しかも、普通一般には「意識」を、心脳科学(仮説)のいう「意識」の意味には用いていない。
――それらについては既に詳細に記している――。


さてそこで、心脳科学(仮説)において定義される「意識~意識のフィールド~意識の主体」
――「意識の主体」を「自分という純粋意識」と呼べばわかりやすいかもしれない――
において、
「意識のフィールド」と「自分という純粋意識」は異なる。
「意識のフィールド」は「意識の器=意識器」であり物理的な存在であり、そこにある働き~機能~性質である「意識」が「意識の主体」=「(自分という)純粋意識」である・
――それが自分と同じ人が自分の死後生まれたら、それは自分の転生(自分という純粋意識なる主体の転生)なのである(その転生は必ず起こる、ということの説明もさまざまに既述している)。


・・・参考――「自分という純粋意識」とは、何もかも忘れて、なにかに没頭していても、やはり自分は自分であると感じる・・・そこにあると言ってもいいだろう――・・・:以上、参考・・・


さて、参考の前に戻って・・・

そこをいくつかのやり方で概算~概念計算~推測・思考すると、「自分の死後、自分――自分という純粋意識――は必ず生まれでてくる」、という結論におちつく。それ以外の結論はでてこない。

・・・その考え方や計算とは・・・


(下略)


・・・同じくほかのセクションから・・・


(上略)


「『自分という純粋意識』について、ある特定の方面から追究」


DNAが完全に同じでも、完全に同じ個体に成長することはない。
たとえば、一卵性双生児で説明すると、それら二人は完全に同じ個体になるということはない。どこか違いがでる。
――それら二人において、すべては非常にそっくりではあるが、それでもいろんな違いがでる――。


・・・そこから、そういった二人の「意識の主体(意識器にある、自分という純粋意識)」はどうなんだ、同じなのか違うのか、という謎と設問がでてくる。
ここでは、まず、「肉体ですら同じではないのに、それらが同じはずはない」、ということも言える。
つまり当然、意識器も(加えて、心器にある、心の働きも)それぞれ異なると言えるだろう(これだけではふにゃ論だが)。

それについては、既述の本論の本体などで、それとは別な論理sで論述している・
――それを手短かに言えば・・・それらふたりの意識器が同じであれば、二重の意識状態になる・大自然はそういうことを避けているはずである・・・ごくごくごくごく美味しい飲み物を飲んで、ではなく、ごくごくごくごく稀に特殊な事例があるかもしれないが・・いやこれもないだろう・・・
・・・どの意識器も自分という純粋意識をもっており、その意識器は大宇宙に存在する「意識器の種」のような存在から生まれいでたものであり、それは各々ひとつであるはずである・・・
「すべての種sや卵sから生まれいずる生体に完全に同じものはないではないか(一卵性双生児ですら異なる)」・・・詳細に既述――。

・・・で、その結論も・・・
「違う、異なる、同じではない」、である。
「心器」についても同じ結論に至る。
・・・「心器」のばあいは、「心器」が居る場所が異なるだけで違ってくる(心的情報処理の内容や状態が異なる・一卵性双生児においても、同じ人物が移動して別な所に行っても)。


まあ、とにかく、意識器(にある、自分という純粋意識)が自分であり、自分の意識器と異なる意識器は他人の意識器である・・・そういう結論になる。

しかし、そこにも謎が残る。
意識器において、なにがどう違えば自他の区別が発生するのか、という謎である(――既にどこかで詳細に論じている――)。


(下略)


・・・同じくほかのセクションから・・・


(上略)


・・・「すばらしき、完璧な映画館――大宇宙世界劇場・・・人生劇場」・・・

(――抜粋・再掲――)・・・こういうシステムを考えてみよう:
「すばらしき完璧な映画館――世界劇場――」である。それがどういうものであるかというと・・・

その映画館で映画を観る態勢にはいると、特殊な装置によって、まず、自分の記憶すべてを、映画を観ているあいだ完全に忘れてしまうのである。自分の年齢・性別や肉体などについての記憶まで忘れてしまう。
つまり、自分が何者なのか完璧にわからなくなってしまうのである(そこは暗いので自分の身体も見えない)。
思考力までなくなってしまう。
そこにあるのは自分の「純粋意識・意識の主体」――「自分という純粋意識」――だけである。

そこにおいて、映画が始まると、特殊な装置によって、自分が完璧にその映画の主人公(あるいは登場人物)になってしまう。記憶から思考力までその主人公(あるいは登場人物)になってしまう。自分の身体もその人物だと思い込んでしまう。
そういうシステムの「すばらしき完璧な映画館」である。
で、その映画は、主人公(あるいは登場人物)の一生を描いたものだとする。
その映画を観ている間は、自分はその主人公なのである。
そして、その映画が終わって、次の別な映画に移ると――転生にあたる――、今度はその映画の主人公に自分がなってしまうのである。
・・・そうやって自分の経験がずっとつづいていく。

・・・まあ、いつも主人公になるわけではなく、脇役になることの方が多いわけではあるが
――つまりこれは、劇的に素晴らしい人生をおくることになるのは稀である、という意味である――
それが、上述「――それぞれの要素の存在確率(発現確率)~存在期待値(発現期待値)(ここでは、期待値という概念を拡張して用いている)に応じて――」の意味である(そういう意味実態の中にある・そのシンボルになる)――
で、そういう意味ではそうであるが、常に自分が主人公(先の「主人公」とは意味範疇がことなる)である、というのも事実~確かである――。・・・

・・・転生という事象実態は、そう説明できる。
・・・心脳科学(仮説)(と質の科学・仮説)を基にすると、そういう結論に至るのである。・・・・・・

(――注:表題にある「すばらしき、完璧な映画館――世界劇場――」といっても、そのシステムが完璧である、といっているのである。
すべての人s【意識の主体s】において、それぞれの一回一回の人生は完璧ではまったくなく、不合理・理不尽なさまざまなできごとsが起こる。――それは質の対生成と質時間回帰による・・質時間回帰によって、前回の生とはかなり反対のような人生をおくることになる――)

(――参考のために加筆・・・心器には自由意志・意思がある――)

・・・・・・ところで、「すばらしき、完璧な映画館――世界劇場――」での上映内容を創るのは何者だろう・・・

それは、知性であり心器であり、質の対生成則・質の対消滅則・質のもつれ・質時間回帰則、である。
「質の対生成則・質の対消滅則・質のもつれ・質時間回帰則」のもとに、知性と心器が加わって、そういった上映内容が創られる。
(――既述している「外界なるデータベース」も、もちろんそれに参加している。というか、こちらの方「外界なるデータベース」が、そこにおける大きな主体だろうが――)

・・・参考・・・
質時間回帰則の許す範囲内で質時間回帰則に反するように見えるさまざまな事象・実態・事実が生じるが、結局は質時間回帰する。
(「質の対生成則・質の対消滅則・質のもつれ」もその中に納まる)。
つまり、質時間回帰則は厳密に働くが、そこにはアソビがあって、キッカリと一直線には進行せずに、行ったり戻ったりしながら質時間回帰していく、ということである――それでも厳密に質時間回帰する――。
・・・それについては、ワウフラッターその他をたとえとして、既に詳述している――そのリンクを貼りたい張りたいが、めんど草草なので、まずはめんど草取りをしてから・・・つまり、めんど草かり、をして、めんど草がり・メンドクサガリ、を克服してからリンクをはろう・・・、というつまらないジョークに落とし込んで締めておこう・・・日本語のクオリア・qualiaは豊穣なり・・・

・・・以上に関連する参考(抜粋・再掲)・・・
・・・いくらか前にもどって・・・つまり自分とは「意識し味わう主体」である自分の「意識」であり、それ以外のすべては、痴漢可能ではなく置換可能であってどうにでもかわりうる――変わりうる、替わりうる、換わりうる、代わりうる――のである。おまけに、「心~心器」も変化する上に置き換えることができるし置き換えられる(――心脳科学(仮説)における定義の「心~心器」には意識し味わう働きがない――)。
しかも、それら置換可能な要素sは、転生していくと、正反対のそれらに置き換わっていく。正反対のそれらだけではなく、どの要素sにも置き換わっていく
――それぞれの要素の存在・現実・事象実態確率(――一種の頻度である――)~存在・現実・事象実態期待値(――質時間の総量である。それは質時間回帰に至る・をもたらす――)に応じて――。
「自分という意識」以外は、そうやって、置き換わっていく。

先に述べた要素s『肉体、姿かたち容姿、境遇、人種・民族、家族~家系、人々(身近~遠い)との関係、自分の属している団体・組織~国家、現在に至るまでのあらゆるさまざまな体験・経験・言動と現在までのあらゆるさまざまな記憶や身についたもの、才能・能力、身分、地位、立場、性別、心・精神・意識(この意識は普通に使う意味での意識である・心脳科学・仮説で定義している「意識」を除く。勘違いを招くので、ここでは、意識と言わず「自覚」「自覚する精神作用」「意図」などと言った方がいいが)、などなどのすべて』がそうやって、置き換わる、あるいは変化する、そういうことになる。それが質時間回帰である。

端的にいうと、それらすべての要素sは、「体験」「経験」「記憶」「才能・能力」という範疇にはいる――肉体的要素その他すべてもそこにはいる――。
さらに端的にいうとそれらすべての要素sは「経験」という範疇にまとめていれることができる
(もっというと、その「経験」は「心的情報~心的内容→意識内容――結局は『意識内容』」――それらをまとめて「(心・)意識における情報」といえるのであるが、そう記すとかん違いされる可能性があるので、そこまでは書かないでおこう)。

つまり、多数存在する個別的な意識sのそれぞれの意識における「質時間回帰」というのは、
「どの意識も(すべての意識が)あらゆるすべてのさまざまな経験をまんべんなく経験していくことである
――経験におけるそれぞれの要素の存在確率~存在期待値に応じて――
そこには、ある体験をしたら将来必ずその正反対の体験を同じ量体験する、今の自分とは正反対に将来必ずなる、という法則も含まれてしまう――」
ということである。
とにかくすべてが質時間回帰する(――ここにはある意味というか確実にというか恐ろしい内容が含まれているが、明文化しない――)。


(加筆)


さて・・・
人生において、自分という人間について言えば、一生変わらないのは、
「自分という純粋意識と面影だけである(ケースによっては、面影すら確認できないこともある)」・・
誰でも、自分は自分だと思う――意識する――でせふ・・・
しかしそれは、
現在までの経験や育った環境によるのでもなく、
自分の姿かたちによるのでもなく、
他人との関係によるのでもなく、
自分の才能や能力によるのでもなく、
記憶によるのでもなく・
・・・記憶について言えば、思い出さないものがほとんどであり、忘れていることは膨大にある・・・「自分という純粋意識」について言えば、「記憶が自分は自分であるということを担保することはない」・・・にがく苦しい思い出をしょっちゅう思い出すとしても、そうである・・・
それから、自分が上げた業績などによるのでもなく、
そのほかさまざまな思い出によるのでもない・・・思い出を思い出して回想するのは、普通であるし、
その「思い出という記憶が自分だ、という立場はよくわかる」が、
その立場においては、その思い出の記憶がなくなったら、自分は自分でなくなるということになる(そういったケースにおいては、自分の拠り所がなくなって、さびしい、わびしい、苦しい、といったことになるケースが多そうナリスが)・・
しかしそのばあいでも、「自分という純粋意識」は変わらず、それが自分なのである・・
たとえば、記憶を入れ替えることができるようになって(プラナリアなどにおいては、学習内容を移植できるそうだ・・うろ覚えナリスが)、
自分の記憶を他人のそれに入れ替えて回想したとしたら、それ以前の回想とはまったく異なってくる――その他人を自分であるとすることになる――・・
それでも、「自分という純粋意識」だけは変わらないのである・・・
・・・どこをどうとっても、どこをどう考えても、「自分という純粋意識」が自分なのでアールス・・・

・・・「自分という純粋意識」については既に、このセクション以外において詳述している・・・

・・・上述(ほかのところにも記しているが)の、
「すばらしき、完璧な映画館――大宇宙世界劇場・・・人生劇場」
をも参照されたい・・・



(下略)



・・・つづく鴨duck・・・(と、怒鳴るどダック…JK…)・・・




加筆用(どこかに挿入)



・・・遺伝子とタンパク質の対応、そのほかにおける謎・・・



・・・以下に関する内容の一部は、何か所かに既に書いているが、非常に重要なので、さらに追究を深めていこう・・・(で、そのあとになって、さらにこのテーマについての追究が進み(正しいかどうかは知らないが)、それをネット上に載せている)・・・


DNA~遺伝子sは、「人間における性質の情報」、や、「生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報」、をまったくもっていない(――ここで意味している意味でそう言っている。以下でその意味がわかってくる――)(ここではまずは人間について述べている)。

そこにおいては、遺伝子は単にタンパク質に対応しているだけである。
つまり、遺伝子→RNA→タンパク質、というふうに対応しているだけである。
その対応関係で生体におけるタンパク質が生成(生合成)される。

・・・参考:・・・遺伝子ひとつはDNAの片鎖にある小さな1区画である、そうここでは定義する。DNAにある区画sには、遺伝子でないものもある。DNAというのはそういった区画sをたくさん持つところの1つの巨大分子である:以上、参考・・・

さて、そこにおいて・・・
そこでの塩基s(核酸塩基s)や塩基以外の素材sはどうやって選ばれたのだろうか? 
・・・それは一言で言えば、その役割において最も適切であったから、ということだろう。
しかも、それ以外に適切な素材はなかったのだろう――あるいは次善の素材はあるのかもしれないが(参考・・・RNA)――。
そうであるにしても、それらは試行錯誤で選択されたのだろうか――気が遠くなるほど長い年月をかけて選ばれたのだろう(それまでは、知性体や生物は気が遠くなって気絶していたのだろう・・・不発ジョーク・濡れた花火ジョーク)――。

そこにおいて、「試行錯誤で選択」といっても、それらの有効性をどうやって確認判断するのか? 
試行錯誤の段階においては、その判断基準はない。
それは、生物の生体全体を創りだすことにおける(ここではとりあえず人間を対象としている。それは生物全般についても同じことだろう)、ほんのほんのごく小さな初めの、しかも小さな小さな一部であって、評価判断基準はない――生体やそこに至る部分などは、どこにもない上に、それらに関するデータなどもどこにもないのだから・・・そういう可能性というかケースのもとでここではこれを論じている――。

次に、そこに評価判断基準がある可能性について論じよう。
そのばあい、その評価基準はどうやって生まれた? どこから来た? 
気の遠くなるような長年月をかけて、その評価基準がでてきた? どういう仕組みで? 
 
以上、そこにおいて、ありうる可能性は・・・
1・その双方(物質的素材の選択、評価判断基準の成立)とも、試行錯誤だけででてきた
2・それになんらかの知性がかかわってでてきた、つまりなんらかの知性がなんらかに選び取った
3・なんらかの知性だけでそれはなされた
4・それら「物質的素材の選択、評価判断基準の成立~それらが試行錯誤でなされた、それらになんらかの知性がかかわった」そこの配合の程度の異なりは無数にありうる
5・そういったことに関するなんらかのデータなどがどこかに既に存在した――そのデータなどの完全性とデータ量は、少し~たくさん~すべて(完全でありすべてのデータが揃っている)、あるいは、それらの間のどこか、というふうに考えることができる。
6・「5・」と、「4・」までのすべてを絡めると、さらなるややこしいばあい分けがでてくる
――それは・・・そこに知性とデータが関わり、データを基に知性がさらに生物発生~進化における先に進んだ・・・そのばあい、その知性はそれらを先取りできるほど高く進んでいる、ということになる――そんな知性はなにから・どこからでてくるのか? どこから来たのか? ――。


(加筆)

(――以上の論に類似の論は既に記している――)





(加筆)


さて、そこにおいて・・・
遺伝子だけではタンパク質の生成(生合成)はできない、という事実がある。



タンパク質など、情報発受信物質の起源情報スペクトル(仮説)が、「人間における性質の情報」、や、「生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報」、の、ほとんどすべてを担保しているだろう・・・
そうでないと、人間におけるあらゆるさまざまは何も成立しないように思える(これは主観だが・・まずは主観からすべてが始まる)。
それ以外では、知性体――個性をもった局所場――~知性のフィールド――主に非局所場・個性のない全体場――からの情報、それに、環境~周りからの情報などが、「人間における性質の情報」、や、「生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報」、の担保に参加しているだろう。
人や動物、生物、などとのやりとりもそれに加わる――つまりその担保に参加する――。


・・・以上によって、「DNA~遺伝子sは、『人間における性質の情報』、や、『生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報』、をまったくもっていない」という意味が説明される・・・そこから生まれるタンパク質などが、『人間における性質の情報』、や、『生体における基本的情報~本質的情報~すべての情報』をもたらす(もっている)のである・・・


(加筆)







(下略)





☆☆☆





by西山浩一(C)(春楽天・世界人)
研究者も西山浩一
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Last updated  2022.08.13 13:13:01
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