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2006年04月10日
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Opernball (オペラ座舞踏会)

ウィーンの2月は、冬の憂鬱な季節であるが、一方でそんな冬を少しでも楽しく過ごすために、あちこちで舞踏会(Ball)が催されるシーズンでもある。
 市内で1月から2月(灰の水曜日まで。今年は3月3日)にかけて、様々な舞踏会が催される。仮面舞踏会や女性からダンスを申し込める舞踏会、主催が大学や医師会、あるいはカフェのオーナーのものであったり、と実に様々な舞踏家がある。

opernball

 この舞踏会は、いわばウィーンにおけるカーニヴァル(ウィーンではカーニヴァルをファッシングFaschingと言うが)である。カーニヴァルは、カトリック地域で盛んであるが、ウィーンではドイツのケルン、マインツ、デュッセルドルフのような派手な仮装行列はなどは無い。その代わりウィーンには優雅な舞踏会があるわけだ。
このカーニヴァルなどの名前は、いまでこそ日本でも有名になったが、その宗教的な意味を知っている人は日本ではそれほど多くはないと思う。
 
 カーニヴァルもそして灰の水曜日も、これはこの先にある復活祭(イースター。キリストが復活したことを祝う行事)と関係がある。復活祭の前の40日間を四旬節(Quaresma)といって、この40日というのは、キリストが荒野で断食(fasten)をした40日間にちなむもので、この間本来は肉食を絶たねばならない。そしてその四旬節が始まる日(それは水曜日になるのであるが)それを「灰の水曜日」(Aschenmittwoch)という。そして「灰の水曜日」の前の数日間において謝肉祭(カーニバル)が催される。四旬節において、肉食が禁止されるため、その前にたくさん肉を食って楽しむというのが「謝肉祭」で、リオなど南米のカーニバルでは、多数の死傷者を出す騒ぎとなる。ついでに言うと、復活祭はいつなのかというと、これがちょっと面倒なのである。というのも、復活祭は、春分の日の次の最初の満月の後の最初の日曜日にあたるので(説明するだけでもかなり面倒)本来であれば、春分に日は時差の関係で国によって違うので、国によって復活祭の日取りが1ヶ月も違ってしまうことがある。そのため、カトリック教会では、世界中のキリスト教徒が一緒にお祝いできるように、春分は3月21日に固定して計算することになっている。そして今年2004年は、4月11日が復活祭である。

 だいぶ話が横道にそれたが、今日19日はいわば舞踏会の横綱であるOpernball(オペラ座舞踏会)が開催される。例年著名なゲストを呼ぶのであるが、今年は人気ソプラノ歌手びアンナ・ネトレブコと、俳優・歌手のミヒャエル・ヘルタウである。


 舞踏会(Ballfest)の起源は、宮廷歌劇場の舞踏会ではなく、劇場の舞台で活躍する芸術家たちが主催者となり、伝説となっているウィーン会議の舞踏会に参加したのが始まりとされている。そして様々な舞踏会が1920年代20年代を通じ、ウィーンの数多くの大小の高級レストランにおいて開かれた。しかし芸術家たちは舞踏会のために親密な関係を確認できる空間を求め、その答えとしてホーフブルクのサロンの利用を考えた。
 1848年の血なまぐさい革命の直後は、ウィーンにおいては誰も舞踏会に行く気にはなれなかったが、ばらくしてから再び人生の楽しみが求められるようになると、ウィーン様式による舞踏会が開かれるようになった。1862年になるとテアター・アン・デア・ウィーンTheater an der Wienが、舞踏会を開く許可を得ている。その際に、当時有名であったパルのオペラ座舞踏会をモデルにしている。そして、1869年に、宮廷オペラ座は、現在の位置に新たに作られたオペラ座に移動するが、皇帝フランツ・ヨーゼフはその宮廷オペラ座で舞踏会を開く許可をなかなか与えなかった。それゆえ、「宮廷オペラ座舞踏会」という名称は、リングに出来たオペラ座においてではなく、同時期に新たに豪華に作られた「楽友協会」の建物での舞踏会において使われたのである。その後1877年になってようやく皇帝フランツ・ヨーゼフも宮廷オペラ座で「オペラ座舞踏会」を開くことに同意した。


 オペラハウスの会場は、全体がバラやチューリップなど赤い花を主に(オーストリアのナショナルカラー)6万本ほどで飾られる。舞踏会の幕開けは、ファンファーレ、オーストリア国歌、EU賛歌が演奏され、その後ツィーラーのポロネーズに演奏に合わせて若いデビュタント(社交界にデビューする人たち)たちが登場してする。次いでヨハン・シュトラウスの「祭典ポロネーズ」でゲストが登場し舞踏会に花を添える。それからエドゥアルト・シュトラウスの「カルメン・カドリル」でバレエが舞い、ミヒャエル・ヘルタウがレハールやシュトルツを歌うなどのプログラムが組まれている。オープニングワルツはもちろんヨハン・シュトラウス2世「美しき青きドナウ」である。
 毎年話題になるのが、ルグナーという地下鉄U-6のBurggasse近くのショッピングセンターを経営している人物が、(たぶんポケットマネーで)ハリウッドから有名なゲスト呼ぶのであるが、今年はアンディ・マクドウェルである。だいたいこのゲストは、別に舞踏会とは何の関係もないのであるが、1995年にはソフィア・ローレン、1998年にはラクウェル・ウェルチ、彼女は150kgものカバンをオペラ座に持ち込みながら、舞踏会に退屈したことで話題になったが・・あと皇帝ベッケンバウアーなども顔を見せている)イメージとしては知的で美しい女優ということになるが、かつては南部訛りがひどく、長年売れなかったが、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した『セックスと嘘とビデオテープ』のヒロインとして有名になり、『グリーン・カード』や『フォー・ウェディング』など個性的な役をこなしている女優である。
 ところでこの舞踏会が並の舞踏会でないのは、ORFテレビが、夜8時から12時過ぎまで生中継するので、すごい力の入れようである。今年は7000人の客が来ているそうである。日本でいるとさしずめ大晦日の紅白だろうか?(だいたいこんな長時間生中継するものは、この国ではそれほど多くはないので・・・)

 しかし一見平和な舞踏会であるが、それとは対照的に、その外は物々しい厳戒態勢が敷かれているのである。

demo
 <警察のバリケード 劇場からの帰り午後10時頃撮影 向こう側がオペラ座>

 「階級社会のシンボル」「貧しいひとたちにもっと目を向けろ」と舞踏会反対者が例年会場の周辺でデモを行い、周辺交通もリングを中心に市電やバスも大幅な規制が行われているのである。着飾った貴族のような人たちとデモに参加する労働者、このような階級間軋轢を目の当たりにすると、まるでフランス革命前夜を思わせるものであり、何か時代を間違えたような錯覚に襲われる気がした。









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最終更新日  2006年04月16日 18時25分01秒



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