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カテゴリ:徒然草を読もう
第二百三段
勅勘(ちょっかん)の所に靫(ゆぎ1)かくる作法、今はたえて知れる人もなし。主上(しゅしょう)の御悩(ごのう)、大方(おおかた)、世中(よのなか)の騒がしき時は、五条の天神に靫をかけらる。鞍馬にゆぎの明神といふも、靫かけられたりける神なり。看督長(かどのおさ)の負ひたる靫を、その家にかけられぬれば、人出(い)で入らず。この事絶えて後、今の世には、封を作る子とになりにけり。 現代風訳 勅命により謹慎処分を受けた人の所に靫(ゆぎ・矢を携帯するための筒状の容器)を懸けておく風習は、今では絶えてしまってまったく知る人もいない。天皇の御病気、大方、疫病の流行などで世の中が不安定な時は、五条の天神(五條天神社・京都市下京区)に靫が掲げられる。鞍馬の由岐の明神というのも、靫をかけられた神社である。看督長(かどのおさ:検非違使庁の下級職員)の背中にしょった靫を、その家におかけになると、その家には人が出入りしなくなる。この習慣が途絶えて以降、今の世には、門に封印をすることになったのだ。 京都の歴史の長さを実感します。色々と故事来歴があるのですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.09.06 07:00:18
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