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第二百六段
徳大寺右大臣殿(とくだいじのうだいじんどの)、検非違使(けんびいし)の別当(べっとう)の時、中門(ちゅうもん)にて使庁(しちょう)の評定おこなはれける程に、官人章兼(かんにんあきかぬ)が牛はなれて、庁のうちへ入りて、大理の座のはまゆかの上にのぼりて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異(けい)なりとて、牛を陰陽師(おんようじ)のもとへつかはすべきよし、各(おのおの)申しけるを、父の相国聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いづくへかのぼらざらん。尩弱(おうじゃく)の官人(かんにん)、たまたま出仕の微牛(びぎゅう)を取らるべきやうなし」とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をば換(か)へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。 「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」といへり。 現代風訳 徳大寺の右大臣殿(藤原公孝(1253-1305)とするのが通説。しかし公孝の最終官位は太政大臣なので、「右大臣」とあるのは「故大臣」の間違いか)が、検非違使庁(けびいしちょう・治安維持や司法警察を執り行う官庁)の長官であった時のこと。中門の廊にて検非違使庁の評議が行われていた。下級役人の章兼(なかはらののりかね・鎌倉時代後期の法律家)の牛が牛車から外れて、庁舎の中に入って、長官がお座りになる大理の座の浜床に上り、食べ物を反芻して横になってしまった。重大な異常事態であるとして、牛を陰陽師のもとにつかはすべきであると、各人が言い出したが、長官の父である太政大臣(徳大寺実基(とくだいじさねもと))がそれをお聞きになって、「牛に分別は無い。足があれば、どこへでも行くだろう。力無い下級役人が、たまたま出仕した時に使った貧弱な牛を、取り上げられねばならない理由は無い」といって、牛を主人に返して、牛が臥した畳を取り換えられた。その後、まったく不吉なことはなかったという。 「怪しいものを見ても怪しまなければ、怪しいことは発生しない」ということだ。 太政大臣・徳大寺実基が出来事に対して冷静・合理的であること。 茶柱が立って喜ぶのは可愛いけれど、「今日ベッドがから降りる時、右足を先に着いたから不吉」と気にする人はめんどくさい。 とはいえ、1牛車の牛が外れる 2庁舎の中に入る 3長官の座に登る の経過の途中で牛にとってもっと居心地の良い場所に誘導できても良かったのではないか、と。 「牛の振る舞い」より「庁舎の警備」の方が問題です。問題を牛に擦りつけるのは如何なものか、です。 「怪を見て怪しまざれば、その怪自ら壊る」(宋の洪邁著『夷堅志 巳集』)。 =怪しい事を見ても、あれこれ騒ぎ立てなければ、自然とその怪しい事も消えて無くなるものである。 江戸時代の俳人・横井也有の古川柳 幽霊の 正体見たり 枯れ尾花 (怖いと思っていると、枯れ薄の穂が幽霊に見えてくる。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.09.09 07:00:18
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