カテゴリ:札樽病院入院記
札樽病院に私と入れ替わりに入院した女性が、昨日退院されました。 彼女も受付は去年の10月5日。私と同じ日でした。 慢性期の患者はひと月に数人しか入れないので、 受付日がたった2~3週間の違いでも、何ヶ月も待つことになります。
私はあまり待たずに入れた者の役目として、 ずっと待ち続けている方たちに、少しでも入院が有意義なものになるように、 できる限りの準備、滞在中の受け止め方、帰ってからの不安を乗り切る知恵、 などなど、色色思いつく限りのことを書いてきました。
しかし、一つだけ避けて来たことがあります。 それは札樽病院に対する要望です。
退院時にここのアドレスをばら撒いてきたので、 見て下さる方は見て下さっています。
絶対に結果を出すことを自分に誓ったので、 「見守って下さい」の意味だったんですが、
昨日退院した彼女とさっき電話で話した時にこっちまで('A`)泣きそうに。 「もうちょっと言うべきことを言わないと駄目だな…」とざわついています。
彼女は私と違い手の拘縮はなく足は問題が無いのです。 入院3日目で電話が来た時には「もう動いてる」と聞いていたので だからいい結果が出ると私は思っていたし、 その後電話が来ない(携帯を持っていない)のは 私に遠慮しているのだろうと思っていました。
それがあの落胆ぶり。 発病して長い人ではあるけれども、 結果に不満というより、 エースの出ない試合を見せ続けられた無念さと感じました。
彼女の担当になった方を私はほとんど経験していませんが、 川平法が形式を超え、 テレパシーで神経のスイッチを押すまでの域に達しているのは 霧島帰りの人達。 古い患者をうまい人でやらないでどうするのよ。
それも、一番「彼女にもあの人で」と私が願っていた人は一度も担当にならず、 しかも、 今その名前で検索したら、
大事な才能を忙殺して、何考えているんだか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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