昨日は子供のお誕生日。だから、今日一日家族で絶対泣かないと約束しました。お昼は 学校に夫も誘ってランチを持って出かけ、カフェテリアでひと時を過ごしました。担任ではありませんが、親しくしている教師が偶然カフェテリアにいらして、子供のお誕生日だから来たのよ、というと突然室内の電気を一斉に消し、学年全部の生徒に「今日は〇〇ちゃんのバースデー。みんなでハッピーバースデーを歌いましょう。最後にチャチャチャを忘れないでね!」。全員合唱のお祝いに、子供は照れたようだけれど、とてもうれしそうでした。あとで仲良しの友達に囲まれて皆口々に「私なんて3年間一度も歌ってもらったことなんてなかったのに。」とうらやましがられたそうです。偶然 彼女がいたことが、ラッキーだったのかな。
夜になり家族ぐるみで親しくしており、最後にお世話になった獣医さんを紹介してくれた友人宅を訪ねました。そこにはゴールデンリトリバーの8歳になるメーサがいます。ウィルソンが亡くなってから、ペットフードの売り場を見ることも、雑誌などでゴールデンの写真を見ることさえも辛くて避けていたのに、メーサが笑顔で現れた途端、私の中にまた温かいものがこみ上げてきました。そのメーサのしぐさひとつひとつに、表情のひとつひとつにウィルソンが見え隠れするのです。ボールを投げて遊んだり、お座りのあとおなかを上にして転がったメーサのおなかをなでたり、握手ごっこをしているその間、私の中から一瞬悲しみは消え、幸せな気持ちになっていたのがわかります。もう2度とゴールデンはいらない、犬もいらないと思っていた私ですが、ウィルソンの代わりではなく、新しいスタートのためにまた犬を飼うのも悪くないと 少しだけ思えるようになりました。
夫はウィルソンの名前を口にすることさえ辛そうです。今朝私は気づきました。ウィルソンのためのお水を入れていた大きな器に今日も新しいお水を入れ替えていたことを。そして ウィルソンがいつも好んで座っていたあのドアを開けて朝、出勤しなくなったことを。誰よりもウィルソンを大事にし、愛していた夫の悲しみの深さは計り知れないのだと気づきました。
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