Truely Madly Deeply
Forgive me, if you are not living ごめんなさい。 あなたが生きていなければIf you, beloved, my love, if you have diedあなた、もし、あなたが死んでしまったらAll the leaves will fall on my breast すべての葉は私の胸の上に落ちるでしょうIt will rain on my soul all night all day私の魂には夜も昼も雨が降るでしょうMy feet will want to march to where you are sleeping私の足はあなたが眠っている場所に向かって歩いて行きたい・・・けれどBut I shall go on livingそれでも・・・私は生きていこう(抄訳 littlevenice)今から15年も前に見た映画、Truly Madly Deeply (邦題は、愛しい人が眠るまで)は、私の見た映画の中で最も記憶に残る一本です。 この映画は、私が青春を過ごした90年前後のイギリスをこの上なく表しているに留まらず、その主題が、‘愛する人との死別の悲しみをどう乗り越えて生きていくか’に取り組んだ力作であったからです。イギリスのRSCロイヤルシェークスピアカンパニー出身の実力派俳優、アランリックマンとジュリアステーブンソンを起用し、自然ながらも迫真に迫る演技には息を呑みました。 恋人のジェイミー(アラン)と死別したニーナ(ジュリア)が友人や社会から疎遠になり悲嘆にくれているのを見かねてその恋人が家に戻ってくるという設定は、直前の90年にアメリカでリリースされたデミームーア主演のゴーストを想起させますが、エンターテインメント的ハリウッド映画とは掘り下げ方も洞察力にも雲泥の差で比較にならないほど優れたこの映画は多くのイギリス人の記憶に残っている作品です。特に上記の詩は、恋人ゴースト、ジェイミーとの生活と、現実を生きる自分自身の生活とのひずみに戸惑うニーナに、「このスペイン語の詩を翻訳してくれ」、とジェイミーが頼み、わざとニーナに朗読させるもので、ニーナに対するジェイミーの愛情と優しさが描かれている場面で唄われます。 人は人生のうちに、子、伴侶、恋人、親兄弟、友人・・・とのさまざまな死別や、離別を通じて立ち直れないほどの悲しみを経験しますが、この映画の秀逸さは、人がその悲しみを乗り越えて現実を生きる決断をする素晴らしさだけでなく、逝った人(別れた人)も残した人を愛し幸せになって欲しいと切に願っていることが描かれているところだと思います。サッチャリズムを憂える90年前後の知的で左翼思想を持つ主人公達、イギリスに住んでいて微妙に差別をされている外国人、 ノースロンドン、 日本人の気遣いとは違うイギリス人の素朴な優しさ、 スーパー(ヨーロッパフードという店)のビニール袋に書類を入れて使うイギリス人、 調律されていない古い独製ベヒスタインピアノ、 古い留守電の機械、1日に何度となく飲まれている紅茶、セントラルヒーターが利かなくて深深と冷えるフラット・・。 どのシーンも往年のロンドン生活を昨日のことのように懐かしく思い出させてくれる、私の人生の軌跡とも言える大事な映画です。