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ロンドン偏食生活・偏食通信

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偏食の嬢王様

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カテゴリ:偏食の本棚・本
今日はこのブログ本来の目的だった読書感想文。

タイトル:司祭

ジミー・マクガバーン著、実川元子訳 徳間書店 1996年第一刷
ISBN4-19-860479-7

映画のノベライズ本。だからなのか、訳者が上手いのか、日本語が美しい。
まるで文学作品を読んでいるようだった。

内容はとても深い。最初は反感を感じていたマシュー神父に対して、次第に親しみを覚え、最後は自分と似たような性格だということがわかり、まるで自分の分身のように思ってしまったほど。

グレッグが主人公だからとか、映画で演じた俳優がカッコいいからというわけ(だけ)ではなく、彼が同性愛者であることと司祭であることは相反しないと私は思う。

カトリック教会は中世から子をなす司祭がいたし(チェーザレ・ボルチアの父、ロドリーゴはローマ教皇アレクサンデル6世だ!)、教会が今よりもはるかに強大な力を持っていたルネサンス時代に活躍したミケランジェロやダ・ビンチも同性愛者だったといわれている。私が知らないだけで、同性愛者であった司祭は1970年以降に始めて現れたものではないはずだ。

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 塩野七生著



なぜ、主人公のグレッグはそんなに悩むのだろうか?それほどまでに司祭に対するプレッシャーは強いのか?それとも単に彼が真面目すぎるのか?

教師に聖人、人格者であることを求めるのが的外れなように、司祭にそこまで求めるのは酷ではないだろうか?

もちろん司祭や教師を一緒くたにまとめて貶めているのでは決してない。私は職業を尊敬しているのではなく、その人間性を敬っているのだし、その人がその職業に就いていなければ、私との接点がなかったかもしれないということも承知している。

職業としての司祭や教師を選んだ人が人格者でなくてもがっかりしないし、驚かない。

しかし、人を導く立場にある人が人格者であれば、そしてそういう人と巡り逢えたら、ありがたいことだとその出会いに感謝すればいい。それだけのことではないだろうか?






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Last updated  2007/04/16 11:40:57 PM
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