テーマ:☆エジプト☆(460)
カテゴリ:偏食旅行記
大英博物館にあるたくさんの古代エジプトミイラ室には
クレオパトラの棺と表示されたものがあるが、 有名なツタンカーメンの黄金のマスクは エジプトを出ることが許されていない。 ![]() それでも平均して60-90分はじっくり楽しませて もらえるほどの展示品がロンドンにやってきた。 小学生の時に子供の世界の「常識」として 古代エジプトと現代を舞台にしたマンガ(連載はまだ終わっていない) 「王家の紋章」 ![]() を読んだけど、それほど熱中することさえなかった私なのに、 開場では平均の倍以上である3時間半を費やすこととなった。 ツタンカーメンの生きた紀元前14世紀はいまから3200年前のこと。 メソポタミア(いまのイラクあたり)では 「目には目を」のハンムラビ法典が作られ、 インダス文明が繁栄した後のインドでは人が定住し始め、 中国は殷の時代で甲骨文字が使われ始めた頃だが、 その約100年後には モーゼがユダヤ人を率いてエジプトを脱出したことから、 多くの外国人労働者がエジプトで働いていたことがわかる。 そういえばピラミッドの建設労働者は仕事の後のビールも 給料のうちだったという。 人間って本当にあまり変わってないのね。 変わっていないといえば、ツタンカーメンの数代前に当たる王が 結婚した時に、その両親は新婚夫婦の子孫繁栄、家内円満を 祈願した家具を贈っている。 これがその家具。宝石入れか、化粧台だと思われる。 ![]() ツタンカーメンが発掘された裏には、ある意味当然だが、 イギリス人貴族の尽力がある。 エジプト研究家のカーナボン卿(1868-1923)と 元復元画家のハワード・カーターが 1909年から王家の谷に隠れるかのようにあった、 ツタンカーメンの墓を見つけて、調査したことから 伝説の「Boy King(少年王)」が実在したことを証明した。 しかし、王家の墓を公開した直後カーナボン卿が急死して ファラオの呪い説がまことしやかに囁かれるようになったという。 怖い話は苦手なので、続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/12/05 03:31:06 AM
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