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元ロンドン新(米)所長→現ハノイ所長日記

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2010.08.15
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カテゴリ:ポーランド

昨日は、システム点検でブログ更新が出来ませんでした。 

さて週末は、お気楽バージョンにすることにしていましたし、プレミアリーグも開幕しましたが、何といっても今日は終戦記念日ですから、それにちなんで、ポーランドの苦難の歴史の話をもう少しだけ書きます。

ポーランドの歴史を一言で言えば、大国に翻弄され続けた歴史、そして彼らと戦い続けた歴史、と言えるでしょう。近代史においても、隣接する3つの大国ロシア、プロイセン、オーストリアによって1772年、1793年、1795年の三度に渡って国土を分割されている。
1918年に独立を果たすまで、世界地図からポーランドという国は消えていたのだ(詳しく言えば、ナポレオンが、ワルシャワ公国を打ち立てたり、更に翻弄された歴史もある)。
国を失うというのは果たしてどういう感覚であろうか。簡単には想像できない。

そして有名なのが、第2次大戦下のレジスタンス運動。これは、ナチス率いるドイツの占領に対する抵抗運動のことだが、何と言っても1944年のワルシャワ蜂起が広く知られている。簡単に言えば(※かなり端折る)、ソ連の呼びかけに応じててナチスに抵抗して兵を上げたが、反撃され戦況が不利になったらソ連の援軍は撤退。残されたワルシャワ軍は、徹底的に抗戦し最終的には壊滅的な打撃を受けた。22万人の戦死者・処刑者を出して敗北したワルシャワの街は、ナチスによってこれ以上ないくらいに徹底的に破壊し尽された。

そして話はこれで終わらず、結果的には、ワルシャワ陥落を傍観していたソ連が、大戦の戦況が変わるや、そのワルシャワに進駐し占拠した(米この流れの中に「カチンの森事件」
も存在する)。レジスタンス軍の残党の一部は、これを良しとせずに地下水道に逃げこみ、共産主義政府と対峙した。これが、レジスタンスの歴史だ。

だから、ワルシャワには、至るところに、レジスタンスにおける英雄たちの銅像や記念碑が建っている。無名戦士の墓も(マイナス20度以下の冬も含めて)24時間体制で衛兵が守っている。自分たちの国・民族を守るために戦った先人を讃えることは、彼らにとって当然のことであり、日々、アイデンティティを確認することで彼らは団結し、国家を建て直してきたのだろう。

よくよく考えれば、日本だって、(北方領土だけでなく)列強に分割されていたかもしれない。全く位置づけが違うことを承知で言うが、日本も、政治的・信条的に評価の難しい昭和史のリーダーはともかくも、国を守るために命を賭して戦った人や私利私欲なく国家建設(再建)のためにに奔走した人などへの感謝の気持ちを再確認できるような場所が、ポーランドのように普通にあちこちにあればいいのにな、と、終戦記念日に、日本で繰り広げられる相変わらずの論争を見ながら考えた。
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Last updated  2010.08.15 16:00:31
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