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カテゴリ:英国から見た日本
さて、書いていて愉快な話ではないのだが、今日は、このことについて書くしかないかなーと。何だかよく分かりませんが、とにかく菅首相が自ら退任する意思を表明したそうですね。その意思表明を受け入れて、分裂必至と見られていた民主党の大多数は、一部の造反こそあれ、内閣不信任案に反対し、結果的に、菅首相は信任を得たようだ。 ただ、結果的には、これは、民主党分裂を避けるために採られた方便であって、菅首相が、首相失格の烙印を押されて失墜させらたことには違いない。しかし、ことの成り行きを見るにつけ、平たく言えば、菅総理は、リーダーに相応しくない、首相の器ではない、という理由で不信任されそうになっていたわけですよね。 それって一体何なのでしょう。 敢えて、個別の批判を並べ立てることはしません。ともかく本当の問題は、個人の資質とかよりも、こういう方が首相に選ばれてしまう仕組みにあるのではないでしょうか。 このままだと、本当に日本の政権は信用されず、国益を大きく損ない続けます。本気で、リーダーの選び方(※リーダーの育て方と表裏一体)を変えるときではないでしょうか。 例えば、イギリスであれば、キャメロンは、30代の頃から、将来の首相候補として、様々な場面での討論やスピーチを行うことで、国民全体が、彼が真に国家のリーダー足りうるかの見定めをやってきました。大統領のような直接選挙ではないにしろ、先の総選挙はTVでの党首討論なども踏まえれば、明らかに誰を首相に選ぶかの選挙であると感じました。アメリカ大統領選挙については、詳しく述べるまでもないでしょう。全人格的な能力・資質をもってしてしか、選ばれようのない仕組みとなっている。 繰り返しますが、お腹が弱くて辞めた首相、自分は可哀想なくらい頑張ってるんだと嘆いて辞めた首相、漢字が読めないと非難されて辞めた首相、それぞれ、どうかとは思いますが、そもそもリーダーの資質なし、というのは、どう考えても、選んだ人達の責任が大きいし、そんな人が選ばれてしまう仕組みの問題です。米国スタイルは無理でも、英国スタイルに近づけることくらいは、本気になればすぐに出来ると思う。 お読み頂き有難うございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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