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カテゴリ:ミュージック ライフ
本土復帰後の70年代、ベトナムの戦争景気に湧いた沖縄には
日本人離れしたパワーとテクニックで人気を博した 伝説のロックバンドが数多く登場します。 ホンモノのロックを求める基地のアメリカ兵と これといった産業のない沖縄の経済事情が背景にあり アメリカ兵が落とすドル札のお陰で 沖縄のロックミュージシャンは裕福な暮らしができたそうです。 「沖縄は、観光と基地ぐらいしか仕事がない」 私が20年ほど前に沖縄を訪れた時の タクシー運転手さんの言葉が思い出されます。 当時、日本のロックは黎明期であり 欧米(ホンモノ)のロックに追い付け追い越せが謳い文句で 英語で歌わないとロックじゃないといった風潮もありました。 ベトナム戦争終結後 沖縄のロック(オキナワンロック)は本土進出を果たしますが ディープ・パープルの影響を深く受けた『紫』と エンタメ度がずば抜けていた『コンディション・グリーン』が その代表格だったと思います。 個人的には「ロックはスポーツだ!!」と言い切る “ ヒゲのかっちゃん ”こと川満勝弘さんの率いる コンディション・グリーンに夢中でした。 ジョニー・ウインターばりのシンキ(神鬼)のギターと “ 人間タワー ”のパフォーマンスには度肝を抜かれました!! そんなジャパニーズ・ロックの素晴らしき一時代を築いた 川満勝弘さんが今年の春に永眠されました。78才でした。 かっちゃんの死を知ってから ずっとブログに書き留めたいと思っておりましたが 考えがまとまらず今日に至りました。 遅ればせながら ご冥福をお祈り申し上げます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.06.19 21:11:54
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