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帰宅してふとテレビをつけると、村上信夫さんが出ていた。
NHKの昔の「今日の料理」という料理番組を特集して放映していた ようで、私は今日初めて動いている村上さんを見た。 村上さんは東京の帝国ホテルの伝説の料理長で逸話も多い素晴らしい 料理人である。実は4年ほど前にJALの飛行機に乗った時に機内誌 で村上さんの記事を読んで、感動して思わず泣いてしまったことが ある。そしてその記事は今も大切にコピーをして持っている。 気になりながらその後の2005年に、84歳で亡くなられたことを 知った。帝国ホテルの伝説の人がまた一人いなくなってしまったと 思ったのを今でも思い出す。(帝国ホテルの社長だった犬丸さんの話も 大好きであった。) ここで私が読んだ記事を転載させていただきたいと思う。 ******************************* 「生涯、発展途上の現役です」村上信夫 文/宇田川悟 ~中略 そして、料理人として目が覚めるような体験をもする。 「シベリア抑留中、病気で瀕死の状態にあった同胞がいました。軍医が ”最後に何を食べたいか?”とたずねると彼は”パイナップル”と答え ました。」 しかし、当然のことながらパイナップルが手に入るはずもなく、同情した ロシア将校が持ってきてくれたものは1個のりんごだった。 村上さんはそれを缶詰のパインのような形につくり、細かな切れ目を入れて、 時間をかけて鍋で炊き、同胞に食べさせた。翌日同胞は近くの病院に送られて ゆき、村上さんがこころの中で彼に別れを告げた。 しかししばらくしたころ、水汲みをしていた村上さんはトラックに乗って 手を振りながら帰ってきた同胞を見て驚くことになる。 「どうしたんだ?! 元気になったのか、と聞くと、彼は言いました。 ”あのパイナップルが本当に美味くて、美味くて、もう一度生きてあれを 食べたい一心だった”。そのとき私は食べ物に持つ力にうたれましたし、 料理人という仕事にあらためて確信を持ったのです。 中略 ******************************* この記事を読んで思ったこと。村上さんはりんごをむいて、ただ食べさせることも できたと思う。またりんごを炊いて食べさせることもできたと思う。しかし彼は同胞の 「パイナップルを食べたい」という言葉に応えるように、りんごに細かな切れ目を 入れて時間をかけて作り食べさせた。そのココロが魔法となり、その同胞の方にとって 忘れることのできない人生で最高のパイナップルになったのであろう。 果たして人の心が入ることによって、どれだけの奇跡が起きるのであろう。 食という漢字は、よく見ると人を良くすると書いてある。 「人を良くする食を、大切にすることを忘れてはいけないよ。」テレビの画面で村上さんが 笑顔でそう言ったような気がした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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