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2009.04.29
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カテゴリ:ちょっと哲学的
<民主>と<愛国> 戦後日本のナショナリズムと公共性


えー、すぐに第二の戦後に入るのかと思ってたのですが、先回の共産党の活動に並行するような形で「国民的歴史学運動」についての検証が続きます。国民的歴史学運動とは、1948年『歴史評論』に、「村の歴史・工場の歴史」と題する論考を石母田正が発表したところを端緒として、この論考が収められた歴史と民族の発見をバイブル的に実践した運動である。アカデミズムという権威のもとでの研究は、例えば徳川家康を研究するにしても残されている資料は結局は為政者の権力のもとにあるものであるから、上(ブルジョワ階級)からの歴史でしかないので、口伝や伝承として伝わる下(労農層)からの本当の歴史を作らなければならないという趣旨でもって、1950年当時の歴史学を専攻する学生たちを中心に、この運動に引き入れていったのである。そして実際に工場(労働組合)に行って、社史ではない会社労組(労働者)の歴史を編纂したり、あるいはどこそかの農村に行って、民話や民謡や伝説を聴取して村の歴史を編纂するというのが具体的な運動の内容であった。そうした運動による成果物はそれを担当した細胞(結局は学生共産党員によるものだった)の物とはせず、実地の労組なり村なりに還元するものとされていた。農村におけるそれは、まさに柳田國男の民俗学にも匹敵するものではあったのだが、何せ学生のする研究であったので稚拙な域を出ず、また研究そのものから共産党の活動の一部に摩り替わるような事態になっていくにつれて、六全協で共産党が方針転換するあたりで自然消滅的に終息したということだ。
この運動の崩壊過程とはちょっと異にするところはあるのだが、これと「文明論」の隙間でまた別の本を読んでて、なんとなく似たところがあったのでそちらをママ抜書きしてみる。

 薬害エイズ訴訟支援運動をめぐって小林よしのりが展開した「脱正義論」は、九〇年代以降の社会における反市民主義の興隆、ロマン主義の前景化を考えていくうえで示唆的な導き手となるものだ。市民運動へのコミットから「反市民主義」へと流れ込んでいった彼の思索と実践の痕跡からは、「反市民主義」を覆う「ロマン主義」的な精神、たんなる右傾化とは異なる九〇年代以降の「反市民主義」の論理と心理をみてとることができる。
 よく知られるように、小林よしののりは自身の連載マンガ『ゴーマニズム宣言』で精力的に薬害エイズ問題を扱い、事態の前進に大きな役割をはたした。九四年からは「HIV訴訟を支える会」の代表もつとめ、学生を中心とした支援運動の立役者となっていた。この小林が「支える会」と決別し、運動に携わった学生たちに「日常へ帰れ!」と呼びかけたのは、原告団と国とのあいだに和解が成立した九六年。ほどなく彼はかつての自らのポリシーであった「個の連帯」が幻想にすぎなかったと語り、やがて、関心のベクトルを「自虐史観」批判へと向けていくことになる。『新ゴーマニズム宣言スペシャル 脱正義論』はこうした小林の「転向」を内的に描き出した告白の書となっている。
 『脱正義論』における小林の主張は、おおまかにいって二点にまとめることができる。
 第一に、ある特定の目標をはたすべく開始されたはずの社会運動が自己目的化することに対する批判。運動に参加した学生たちは、もちろんまったき善意をもって「支える会」にコミットしたわけだが、HIV訴訟が一段落してもなかなか日常へ帰ろうとせず、いわば「無差別的」に次なる目標を探している。自分が「正義」の立場に立つことができるような「問題」を必死になって探し、自らの「正義」を再生産していく「純粋まっすぐ君」から脱却し、「支える会を解散して日常へ復帰しろ!」- そう小林は訴える。運動参加が自己実現の手段となり、ボランティアが動員の戦略として流用されていくことに対するラディカルな批判といえよう。
 - 中略 -
 しかし、こうした小林(大月)的な社会運動への批判は、市民もしくは市民主義に対する非難へと滑り込んでいく。市民主義に対する嘲笑にも似た批判、これが『脱正義論』の第二の論点である。
 小林はいう、「「この薬害エイズに限り情だけでつながる。他の社会問題をむりやりつなげてイデオロギーにしない」という態度を貫くわしを、もはや市民主義者と化した川田親子は見下していたのだろう。・・・日本では本来、どこまでいっても生活に終われる庶民のはずが「政治のことを考え始めた」だけでニセの市民と化して、しょせん薄っぺらい政治的発言をし始めるのだ。わしはこのようなやつのことを「市民主義者」もしくは「市民モドキ」あるいは「市民ごっこ隊」と名付ける」。嗤う日本の「ナショナリズム」 P211-214より

今回は(というかいつもかわからん)支離滅裂な結論にいくのだが、1950年代の共産党的運動が内包していた自爆性は1990年代の市民運動にも散見されるようだ。まだ現代の運動においては、ある事件への賠償を勝ち取るためのという限定性があるから訴訟判決が運動の終了となり日常に帰っていける。一方、国民的歴史学運動に携わった学生たちは、本来ならばエリートコースで所謂キャリア官僚にもなれるはずだった道を捨ててまで没入していたわけで、まぁ大学に戻ってはみたものの、本来的な彼らの日常を取り戻すまでにはかなりの歳月を費やさざるを得なかった。<民主>と<愛国>では、歴史学者の網野善彦について、運動から脱落してから本来の研究の成果として著書を出すまでに15年もかかったとしている。一概に国民的歴史学運動に携わったがためだけにその原因があるわけではないだろうが、運動の崩壊によるショックの大きさを感じ取れるエピソードだ。
まぁそういうわけで、現代の学生は歴史から何を学んでいるのだろうか? ということだけど、それは人類とて、ということなのか。

 グゥーーーーグッド 






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Last updated  2009.05.01 17:57:38
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