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信じることの大切さについて。
家族や友人を信じるということは、たいていの人がしていると思います。中には自分以外の人を信じられないという人もいるかもしれません。 私が言う信じるということは、信頼以上のもの、何がなんでも信じ切っていくということです。決して疑わない。いわゆる信仰心です。これがヨグマタとの関係で最も重要なことです。 例えば合宿などで与えられた修行等は、すべて私たちの浄化と進化のために与えられたものであって、それ以外の何ものでもないわけです。なので、「えーそんなことやりたくない」とか「こんなことして何の意味があるの」と思うこと自体、無意味です。すべて私たちのために与えて下さっているに決まってますから。 「これは今の私にとって必要なことなのだ」と信じてやらせていただけばいいわけです。 疑ったり、否定したりすると非常にもったいないと思います。その疑ったりする自分の心をまず浄めなければいけませんよね。 さて、私自身の体験から、いついかなる時も何があっても「信じ切ったら救われる。疑ったら地獄に落ちる」と思っています。例え心臓が止まっても大丈夫というくらい信じ切れたら最高です。 合宿での秘法瞑想中にふと、自分の呼吸が止まってるなと気づきましたが、まったく不安も心配もなく絶対に大丈夫という信仰心でつながっているので、呼吸が止まっている状態でさえ受け入れることができるのです。 これが「えー呼吸が止まってる。どうしようどうしよう」と不安になってしまうと、それこそ大変です。浄められた内側に不安がいっぱいに広がってしまうわけですから。日常生活でのちょっとした不安とはケタ違いの不安になってしまうのです。 またある時は、瞑想が終わって目覚めても、体が動かないという状態になったこともあります。非常に深い瞑想に入ってしまい、頭はしっかりと目覚めているのに、体は依然瞑想状態から抜けていないという、アンバランスな状態になっていました。 でも、合宿中に起こっていることは、すべて必然であって無駄なことは一つもないし、必要なことが起こっているのだから、絶対に大丈夫と信じていました。その後少しずつ体の感覚も戻ってきて、少し時間はかかりましたが、ちゃんと元の状態に戻りました。 また、信じ切っていくことで大手術が無事に行われます。私たちの内側に積もりに積もった、目に見えないカルマをたくさんたくさん切り落として下さっているので、感謝してお任せし、絶対に大丈夫だと信じます。それだけでいいのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年08月07日 23時39分51秒
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