173570 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

真の自己に出会う旅・・・気づきと感謝の日々

真の自己に出会う旅・・・気づきと感謝の日々

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Freepage List

2014年08月07日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
信じることの大切さについて。

家族や友人を信じるということは、たいていの人がしていると思います。中には自分以外の人を信じられないという人もいるかもしれません。

私が言う信じるということは、信頼以上のもの、何がなんでも信じ切っていくということです。決して疑わない。いわゆる信仰心です。これがヨグマタとの関係で最も重要なことです。

例えば合宿などで与えられた修行等は、すべて私たちの浄化と進化のために与えられたものであって、それ以外の何ものでもないわけです。なので、「えーそんなことやりたくない」とか「こんなことして何の意味があるの」と思うこと自体、無意味です。すべて私たちのために与えて下さっているに決まってますから。

「これは今の私にとって必要なことなのだ」と信じてやらせていただけばいいわけです。

疑ったり、否定したりすると非常にもったいないと思います。その疑ったりする自分の心をまず浄めなければいけませんよね。

さて、私自身の体験から、いついかなる時も何があっても「信じ切ったら救われる。疑ったら地獄に落ちる」と思っています。例え心臓が止まっても大丈夫というくらい信じ切れたら最高です。

合宿での秘法瞑想中にふと、自分の呼吸が止まってるなと気づきましたが、まったく不安も心配もなく絶対に大丈夫という信仰心でつながっているので、呼吸が止まっている状態でさえ受け入れることができるのです。

これが「えー呼吸が止まってる。どうしようどうしよう」と不安になってしまうと、それこそ大変です。浄められた内側に不安がいっぱいに広がってしまうわけですから。日常生活でのちょっとした不安とはケタ違いの不安になってしまうのです。

またある時は、瞑想が終わって目覚めても、体が動かないという状態になったこともあります。非常に深い瞑想に入ってしまい、頭はしっかりと目覚めているのに、体は依然瞑想状態から抜けていないという、アンバランスな状態になっていました。

でも、合宿中に起こっていることは、すべて必然であって無駄なことは一つもないし、必要なことが起こっているのだから、絶対に大丈夫と信じていました。その後少しずつ体の感覚も戻ってきて、少し時間はかかりましたが、ちゃんと元の状態に戻りました。

また、信じ切っていくことで大手術が無事に行われます。私たちの内側に積もりに積もった、目に見えないカルマをたくさんたくさん切り落として下さっているので、感謝してお任せし、絶対に大丈夫だと信じます。それだけでいいのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014年08月07日 23時39分51秒
コメント(0) | コメントを書く


Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

love-being

love-being

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

サドゥー@ Re:むやみにものを増やさない(10/22) 数年前にこのブログに出会い、時々お邪魔…
さとう@ Re:真の愛とは 2(08/19) 僕は愛って誤解されやすい言葉だからいつ…
さとう@ Re:真の愛とは 2(08/19) すみません。生意気な感じが出てしまいま…
さとう@ 愛すると愛されるの違い 愛は「された」時に感じ「している」時は…

© Rakuten Group, Inc.
X