イ・ジュンギ 幸せを捜して・・・
インスタイル4月号に掲載された<イ・ジュンギの幸せ日記>より・・・<イ・ジュンギ 幸せを捜して・・・>ジャカルタにいる 3兄妹と大事な思い出を作ろうと tvN <LOVE> と共にインドネシアに発った俳優イ・ジュンギ。彼が見て感じたことを直接記録し送ってきた。 胸をしっとりと濡らすリアル感動ストーリー。 初めてボランティア提案を受けてずいぶん考えた。 直接彼らと向い合って幸せを感じさせて希望を伝えなければならないから、私のちょっとした行動が彼らには傷になるかも知れないという負担のためだった.。しかしグッネイボスを通じて分かるようになった 3兄妹と彼らの写真を見た瞬間、直接会いたい心が切実になった。出発当日, 実際にもうすぐ彼らに会うと思ったら我知らず心臓がどんどんと、ときめいたし, そのように私のときめく心と特別な連れ人キム・ハヌル先輩, tvN <LOVE> 家族を乗せた飛行機はジャカルタに向けて飛んだ。 DAY1: いよいよ到着!今日は第一め、ビキ, ディマス, 末っ子オトリ. そしてお婆さんに会いに行く日。 私たちの乗った車が登場すると町内が搖れ始めた。 いよいよ 3兄妹と対面する瞬間, 朝にしきりに勉強した生半可なインドネシアの言葉で嬉しくあいさつを掛けるとほほ笑みをして見せるが、たちどころにお互いに後退りしながら恥ずかしがる。子供達家族とぎこちないあいさつを交わして、キム先輩と一緒に準備して来た計画を実行に移す事にした。一応家周辺のゴミをきれいに片付けて、湿っぽく散らかった洗い物を集めた。 キム先輩は洗濯をして, 私は水を汲んで運んで一生懸命洗濯をした私たち。洗濯を終わらせた後散らばってみたら、洗濯ものを差す長い竿が古くて腐って倒れる直前ではないか・・・。周辺にある石を拾って生半可に釘を打ち込みながら思った。 ‘帰る前に必ず洗濯乾燥台を作ってあげなくちゃね.‘ 掃除を終わらせて部屋の中に入って行って、子供達と話を交わす中ご両親と言う単語が出ると末っ子オトリが急に涙を流す。 ご両親の顔さえおぼろげな子供達がそのしみる懐かしさをどんなに我慢してきたことか、キム先輩も私も胸が痛かった。そして固く心に決めた。こちらに泊まる間、少しでもその空席を満たしてあげよう・・・午後になると子供達のために夕方食事を作る事にした。 キム先輩は焼肉, 私はやきそば。 やはり子供達の好きな食べ物は肉のようだ。 焼肉は忽ち品切れになったが, 私が作ったやきそばは哀れな姿になってしまった。(私のやきそばは、まるで現地の食べ物みたいだった!)。インドネシアでの初日がこんな風にあっという間に過ぎ去った。 DAY2: 3兄妹の日常生活の中に2月 13日、今日は家周辺あちこちに隠れている虫を、全滅させるための防疫作業に突入した。 鼻と口を阻んでかなり重い防疫機を担いで 、3兄妹の家を始まりに町内を回った。その次のスケジュールは一番固執的問題である雨が降る度にどろどろになる家の補修工事。しかし手強いのが、地主人の許しを得なければならないことと手入れする所があまりにも多かった。 補修工事を始める前に難関にぶつかった。 スタッフたちと会館に集まってきちんきちんと検討した後、両手, 頭髪捲り上げて実行に移した。 煙瓦で床と屋根の穴を阻んで、ベッドは新たに作った。また子供達の学用品も取り揃えた。大大的な補修工事を終えた後、私は写真作家に変身した。3兄妹外にも他の子供達の後援を助けるためのプロフィールに使われる写真を直接撮影するためだ。 この日決めた撮影コンセプトは、白くて清い姿で飛び回って遊ぶ子供達をカメラにそのまま盛ること。 町内隅々を捜し回って子供達の元気で清い姿を撮るために熱心にシャッターを切った。 私の手助けが触れた写真とプロフィールで子供達心に少なくとも希望を持たせることができる新しいきっかけを作ったと思ったら、胸の片隅がいっぱいに満たされるようだった。明くる日、 最後の日程でディマスと共に子供達学校を訪問した。 ファン皆さんの暖かい手助けで集まった寄付は ‘ビキ'と ‘ディマス'の名をつけたコンピューター室を作るのに使う事にした(ファンの皆さん, 本当に感謝いたします)。 DAY3: 愛のための小さな手助け 朝からキム先輩と私は手まめに動いた。 町内子供達の頭を整えてあげて, 3兄妹のジーパンを直接作る事にしたこと。キム先輩は ‘リットルイ・ジュンギ' のコンセプトでカットをして、私は素敵なスタイリングをしてあげて子供達と楽しい時間を過ごした。 しばらく後にキャンプに発つ事にした。 子供達は新たに買ってもらった服を無意識的にカバンに入れて特に浮き立っている。しかし末っ子は相変らず心を開かなかった。 心配になって関係者たちに理由を慎重に問うと、 オトリは幼い時に養子縁組された事があり、その時にひどく虐待を受けたと言う。それも知らずに、末っ子子供の声, 笑い声一度聞きたくてあまりいたずらだけしたのではないかと思って心が痛かった。<オトリ! ごめん, しかし勝ち抜かなくてはならない, 世の中には良い人がもっと多いから。>キャンプに到着して、おいしい食事もして楽しく騷いでみると、子供達といっそう親密になったのようで気持ちが良かった。特にディマスはスタッフたちのカメラを一日中胸に抱いて写真を撮ったら、結構上手になっていた。いつのまにかディマスの夢が写真作家になっていることを考えたら、子供に未来に対するまた他の夢と希望が芽生えたようで皆幸せだった。 子供達と楽しみ遊んだ後で私はディマスとビキを, キム先輩は末っ子をお風呂に入れた。 生まれて初めて子供達を洗って一緒にばた足を打って見たら気持ちが本当に不思議だった。 なんだか、お父さんになったような感じと言うか・・・。 そうしてる間にいつのまにか子供達は疲れて眠った。 DAY4: 一枚の思い出作り数日前から子供達が口をそろえて言っていた、一番したいことの中で一つは先ずスイミング、幸いキャンプサイトの中にプールがあってみんな良く暴れ狂った。 私は子供達と早くスイミングをしたくて元々起床時間より早く起きてご飯は食べるとか適当にして、子供達を呼んで水中に入って行った。 スイミングを好むというので得意なのかと思ったが、 実際に入って行ったら水を恐れる子供達がどんなに可愛いことか・・。 スイミングというのがせいぜい町内の小川のほとりでバタ足をするくらいだったから、 プールで永ぐことだけでも青い海へ来たような経験をしたわけだ。私とキム先輩は一日中永ぎ方を教えてあげたり、ばた足も打って遊んだ。 お昼の食事を終えて動物を見るためにサファリツアーをしたりした。 子供達は動物を初めて見るうえ家族たちと一緒でうれしいのか笑いが絶えなかった。私とキム先輩も普段あまり見たことがない動物を見たらとても不思議で、子供達よりもっと浮かれて歩き回った。 どの瞬間からなのかキム先輩と私も童心に帰って子供達と一心になっていた。 DAY5: 5泊6日の日程を後にして最終日、学校で子供達と一緒に運動会を開いた。 出てやっぱりその瞬間だけはゲームをして玉の汗を流しながら ‘小僧イ・ジュンギ'に帰って子供達に同化された。そして本当にありがたくも、この日インドネシア現地ファンクラブで子供達に 150人分のお弁当を直接伝えに来てくれた。 あまり感謝した手助けに付いても両腕捲り上げて子供達1人1人においしいお弁当を渡してあげた。教室の中では韓国語を教えたりした。子供達は韓国語を学びながら、不思議に思って難しがりながらもよく真似したらお互いのぎこちない姿がこっけいか教室の中は忽ち笑いの海になった。いつのまにか約束した時間が経ってお別れの瞬間が尋ねて来た。 大事な縁の後でやって来る惜しい別離の瞬間だった。別離は皆に残忍な時間であり、とても胸が痛かった。子供達との大事な縁を長い間憶えておくためにポラロイド写真を撮ってお互いに分けていると、 一人、二人、泣き崩れたら忽ち涙の海になった。別れる時間ということに気付いた子供達は胸から離れないで泣き始めたら、その間できない言葉で短い手紙を与えながら涙をぽつりぽつりと流した。 彼らと私たちがお互いの空間の中で一緒に過ごして, 感じていたということがひしひし近付く瞬間だった。後日を約束して子供達に元気に育ってくれるように頼んだ後, お婆さんに挨拶させていただくと、お婆さんも遂に泣き崩れる。 いつもそのように出会いの後でやって来るお別れは手に負えない事のようだ。子供達と一緒に過ごす中で、私たちが彼らに何かを施したとは思わない。 むしろ私が今の豊かさから本当大事なものを逃しているということを悟って学んだだけ。 いつかまた会う時その白くて清い笑い失わないでまたお互いを暖かく抱いてやることができるように願う。 そして今のように純粋な心で元気に幸せに生きて行くように... ありがとうございます. 愛しています ジュンギ~ 心温まる<幸せ日記>をありがとう今日も参加してます。ポチっと応援よろしくお願いします☆ にほんブログ村