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カテゴリ:スピリチュアル生活
先日、福井県の永平寺に行って着ました! お寺や神社が好きな私。でも好きってだけで、知識はまったくない。 永平寺は名前を聞いたことあるくらいで、どんなお寺か全然知らなかった。 永平寺は曹洞宗の大本山で、禅宗のお寺だ。 今から760年前、道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である。 現在も修行僧が200人もいる。 座禅は道元禅師が中国から仏の教えを受け継がれて、日本に持ってきたものだ。 初めて知った。 月曜日だというのに、結構な参拝客がいた。 お寺の中は、廊下で全部つながっていて、スリッパで歩いて見て回れる。 雲水さん(修行僧)が、説明をしてくれる。 最初の説明で、ちょっとびっくりしたのが、お風呂に入るのもお手洗いも修行だということ。 もちろん、ごはんを食べる時もだ。 ひょえ~ 私なんてそんなこと考えたこともないよ。 そんな雲水さんたちの立ち振る舞いはほんとに美しい。 まだ20代前半くらいの若い人達だ。尊敬する。 世間では、どんどんハイテクなものができたり、殺伐なことが起こっている中、ここでは、ず~っと昔から、同じことが行われてきた。こんな素敵な習慣が続いていることに、私はなんだか嬉しくなった。 日本も捨てたもんじゃない。 そして、これが同じ時間なんだろうか?時間とはいったいなんだ?と思ってしまった。 参拝途中の部屋に、ビデオが流れていた。 皆、そのビデオには、目もくれず、次へ行く。 でも私と彼は、そのビデオの前に座り、最後まで見た。 その中で、彼が感銘を受けたと言っていたところが、 道元禅師が、中国で修行中でのこと。 ある暑い夏の日、道元禅師が外を歩いていると、お年の僧侶がしいたけを干していた。 道元禅師は聞いた。 「なぜそのようなことをあなたがしているんですか?下の者にやらせればいいのに」 僧侶「これも私の修行なのです。」 道元禅師「なぜ、わざわざこの暑い時にやるんですか?」 僧侶「今やらなくて、いつやるというのですか」 私は「修行」という言葉が、好きではなかった。 悟りなんて、生きている限り無理だと思うから。 だから、悟りたくて、修行をすることなんて無意味だと思っていた。 でもここにきて、「修行」への考えが少し変わった。 修行が手段、悟りが目的ではないのだ。 修行すなわち、悟り。 ここでは、毎日毎日同じことが規則正しく行われている。 朝起きて、座禅をし、朝ごはんを食べ、掃除をする。 そう、雲水さんたちにとっては、日常なのだ。 日常の中にすべてがあるんだと思った。 私が常日ごろ思っていたことだった。 日常が修行なのだ。 ということは、生きているということがもう修行なのだ。 何か特別なことをすることが必要なんじゃない。 まずは日常のことから、一つ一つ心を込めて、感謝してしっかりとやること。 毎日同じことを繰り返す中で、新たに気付き、学ぶことがある。 人間は学習する動物だ。 私と彼は永平寺にいたく感銘を受けた。 背筋がピンとした。 数日後、自宅に帰って、朝テレビをつけたらNHKで永平寺の座禅体験をやっていた。 なんてタイムリー! 実際に雲水さんたちと同じことを泊まりで体験できるのだ。 テレビで初めて知った。 かなりきつそうだけど、今年中に体験しようと思う。 何事も経験だ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月25日 13時37分26秒
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