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カテゴリ:スポーツ
基本的にインターネットで氏素性を公表する人はいない。私もその1人で、何にしようか考えて、POG(ペーパーオーナーゲーム)で一番愛着のあった馬の名前に決めた。
センターライジング この馬についてのことは、私が書くより検索した方が早いし詳しいです。私にとって彼女がどうだったかを書く方がベターなので、そうします。 当時新馬デビューは3歳と表示されていました。関西馬なので、当時映像で見たのは競馬番組のハイライトでした。初陣で6馬身差の圧勝。2戦目のコスモス賞も3馬身差で快勝し、函館3歳ステークスへコマを進めました。 運良くこのレースを見に行くことができました。しかし、台風が接近していてレース当日は雨。彼女は雨が嫌いで1番人気を大きく裏切り8着。 おっと、POGの話をしてませんでしたね。昔いた会社は競馬好きがたくさんいました。そのうちの1グループがやっていたんですね。私の上司も入っていて、いろいろ話を聞かされていました。入社当時はほとんど競馬を知りませんでしたが、その人の指導もあって、毎週馬券を買い、ロスしてました。 でも時々は勝ち、関心が高まりました。そして聞いているだけじゃ面白くないので、仲間に加えてもらいました。期間は3歳馬デビューの6月から、翌年4歳馬での有馬記念まで。デビュー直前にそれぞれ10頭ずつドラフト指名します。当初は場名が決まっていない馬は取れませんでした(デビューの遅い馬はそういうことがある)。競馬雑誌などで一生懸命見て、私も10頭取りました。 1年目はオグリキャップ産駒のアラマサキャップが稼ぎ頭。でも新馬と特別での2勝と牝馬重賞2着だけで、他の馬はほとんどダメでしたから大散財でした。そうです、自分の馬から馬券を買ってたからです。 なので2年目はシビアに取りました。そのうちの1頭が、前述センターライジングです。でも実際は前年オースミギャロップという馬を取り、その妹ということが決めてでした。 この馬は良くやってくれました。期待していたので、彼女が勝った時は何か記念品を買うことにしてました。コスモス賞では旅行カバン。でも函館では・・・ その後中京3歳ステークス、4歳牝馬特別と勝ちました。でも他の馬での負け越しがひどくてこの年を最後にPOGから撤退。買い物の方も、カバンだけでした。 まあ、後付理由ですが、当時AFCセントラル所属スティーラーズファンの私にとって、中央突破の意味と地区で順位上昇という意味の同馬の名前を使わせてもらってます。その頃のスティーラーズはどん底でしたからね。もう少しでビル・カウアーが新生ブラウンズHCになりかけたり、コーデル・スチュワートがパスを投げるより受け取る役割になったりしてました。ベンチで泣いている姿なんてのもありましたね。 その後スティーラーズはスーパーボウルを勝つまでに甦りました。同馬は繁殖牝馬となりましたが、いい血統をつなげる役目はできませんでした。私は、余り変わってません。 しばらくお休みしていたこちらも、これを気に再開いたします。ネタはタイトルにふさわしいものばかりじゃないでしょう。でも何かしら、書き続けますのでよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 12, 2007 10:55:34 AM
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