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7月24日(土) 強いられる十字架は祝福への道
そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、 彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。 マルコの福音書15章21節 人生には、なぜ自分がこんなことをしなければいけないのか、 と思いたくなるようなことがあります。 否応なく、受け取らなければいけないことや、せざるをえなくこともあります。 クレネ人シモンはまさに、そういう状況でした。 田舎から祭りを見に都のエルサレムに登ってくると、人だかりがするので、来てみると、 ちょうど人をかき分けて前にて出た時に目の前に十字架の木が転がってきました。 そしてローマ兵に言われるのです。 それをイエスの代わりに「担いで運べ」と。 断ると殺されます。 彼はし仕方なく十字架を担ぎ運び出します。 でも、それが彼がイエス・キリストに出会い、信じ、 彼とその家族が救われる最善の方法で主の導きでした。 私たちも無理やりに強いられて背負う十字架があります。 でも、それは神の祝福を豊かに受ける近道なのです。 イエス・キリストはあなたを愛しておられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.07.24 13:16:57
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