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テーマ:相撲(1585)
カテゴリ:スポーツ・格闘技
元大関貴乃花の二子山親方が入院中の都内の病院で55歳で亡くなった。口腔低ガンに冒された体は、公の場に最後に現れた元大関貴ノ浪の断髪式でも痛々しかった。
親方は小兵ながら抜群のセンスと努力で大関在位50場所という記録を打ちたて、国民的人気を誇った。当時は横綱に北の湖や輪島が強かった時代で2度の優勝を経験しながらも、念願だった横綱には届かなかった。 親方は最多優勝回数を誇る元横綱大鵬に勝って引導を渡し、今度は元横綱千代の富士が三役になりたての頃に負けて引退を決意することになった。その千代の富士は親方の息子の貴乃花に敗れて、涙の引退を発表することになった。 親方は100キロそこそこの体格で大型力士に真っ向からぶつかって、最後まで諦めない相撲スタイルが人気だった。親方の活躍があって千代の富士、若嶋津らの力士も憧れ目標にしてきた。 引退してからは藤島親方として多くの関取を輩出し、若貴兄弟や貴ノ浪らを育てた。その育成スタイルも現役時代のスタイルである、最後まで諦めない相撲だった。その後は兄の二子山部屋を吸収し二子山親方として大所帯を率いた。 この二子山親方の精神は貴乃花親方に受け継がれて行くだろう。55歳という若いしだけに残念だ。冥福をお祈りいたします。 【私の思いで】 私は相撲はTVでは観ていたが、実際に生で観たのは旧蔵前国技館時代の1980年の1回きり。観戦したのは初場所で丁度1年後に親方は引退したので、既に晩年だったころだ。父が取引先の会社が所持していた升席の券をもらって家族で観戦した。千秋楽の中入り後だったが貴乃花の成績は7勝7敗のタイ。大関の千秋楽の相手は通常、もう一人の大関か横綱だ。そしてこの日は横綱北の湖が相手では分が悪かった。負けて7勝8敗で負け越しとなる。 この一度きりの相撲観戦で記憶に残っているのは、貴乃花の負けとこの日観戦に訪れた皇太子さま(今の天皇陛下)のことだけだ。他の取り組みは全く記憶にない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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「あの体でよくやるもんだ」と
いつも貴乃花の相撲を感心して見てました。 大関なのに、なぜか判官贔屓を喚起する、不思議な力士。 息子達よ、いい加減喧嘩やめろよ! 親父は悲しんでるぞ!! (2005.06.01 03:28:51)
現役の時の二子山親方は知らないのですが、調べてみて分かったんですがこの45年間の相撲界と言うのは花田家、納谷家(旧大鵬親方)と千代の富士を中心に回っていたと思いました。
50年代後半から60年代前半に掛けて頂点に君臨したのは兄で先代二子山親方で元横綱初代若乃花の勝治氏で60年代中盤勝治氏から主役の座を交代したのが大鵬、その大鵬が71年勝治氏の弟の二子山親方に敗れて土俵を去り、二子山親方は10年後の初場所、当時関脇だった千代の富士(現九重親方)に敗れ引退、千代の富士は場所後大関、夏場所後に横綱昇進その後千代の富士は10年の長期政権を築く、そして91年その長期政権を終焉させたのは息子の貴花田(貴乃花親方)で、千代の富士の現役最後の相手は現在大嶽親方となって大鵬部屋を継承している貴闘力。 この2家と1人によって相撲界の主役は入れ替わってきたのです。 (2005.06.01 22:19:05)
>総務部長 辰則さん、こんばんは。
正に判官びいき、そのとおりだと思います。最後まで勝負を諦めない姿勢が評価されていました。それに無敵の北の湖にも真っ向勝負を挑んでいたのも、ファンの支持を集めた理由かも? 兄弟げんかは今回も、喪主を誰にするかで表面化しましたね。 >諸Qさん、こんばんは。 そういう指摘は興味深いですな。二子山親方は継承した部屋の指導で、親方から受けた指導を発揮してもらいたいです。 名横綱は必ずしも名指導者とは限らないけど、貴乃花親方頑張れ! P.S.兄弟げんか、相続の行方が心配です。 (2005.06.01 23:41:26) |