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テーマ:プロ野球全般。(13263)
カテゴリ:野球全般
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オリックス・バファローズの前監督として今シーズンの指揮を執っていた仰木彬氏が、福岡の病院で肺ガンで亡くなった。70歳だった。 仰木氏は福岡・東筑高から地元西鉄ライオンズに入団し、主に2塁手として西鉄の黄金期を支えた。当時のチームメートは中西、豊田、関口、高倉、稲尾などの個性の強いナインの中でプレーしたのが現役引退後の選手育成にも一役買ったのだろうか? 現役引退後は、西本監督率いる近鉄のコーチを長年務めた後に監督に就任する。近鉄時代は伝説の10・19で西武と熾烈な首位争いを演じ、翌年にはその西武を土壇場でうっちゃり見事に優勝を果たした。近鉄の監督を退任後は1年のブランクを経て、オリックスの監督に就任した。 前任の土井正三氏からバトンを引き継いだ仰木氏は、ファームでは好成績を1年目から残すが一軍に定着出来なかった鈴木一朗外野手の登録名を【イチロー】に変更。そのイチローの潜在能力の高さを見抜き、その独特の振り子打法と呼ばれる一本足打法で一気にスターダムにのし上がった。オリックスでは巨人を破り念願の日本一にも輝いた。 オリックスの監督を退任後、昨年の近鉄の合併劇に伴ない両球団の監督を歴任した仰木氏に再び監督の座が巡ってきた。石毛、伊原の西武OB監督で苦しんだオリックスだが、仰木氏はそんなチームを4位にまで引き上げた。特にプレーオフ進出を狙い終盤まで激しい3位争いを西武と繰り広げたが、僅かに及ばなかった。だがそんな仰木氏の体調は必ずしも万全ではなかったようだった。シーズン中のコメントでも盛んに【疲れた】を連発していたのを記憶している。 仰木氏の選手起用方法はとてもユニークだった。現役時代の三原監督も「三原マジック」と称されたが、仰木氏も「仰木マジック」と呼ばれた。それは今季のオリックスの打線は、先発投手によって代わるのは当然で打撃好調の選手を見極めてスタメン出場させたりして、選手層の薄さをカバーしていた。投手陣もエース岩隈の抜けた穴を分厚い中継ぎ投手陣がカバーし、中でも広島から移籍の菊地原が見事な中継ぎ役を果たしクローザーの大久保につなぐというパターンを構築した。 仰木氏の元から多くの大リーガーが誕生したのも特徴だ。野茂、吉井、木田、長谷川、田口、イチロー、中村紀らがそうだ。中でもイチローは仰木氏死去のニュースを聞いてショックを受けているそうだ。 仰木氏の元で選手とした活躍した人たちも、やがて現役を引退する日が来る。今度はその人たちが仰木氏に受けた指導や、選手起用方法を指導者として広め個性的な選手を育成してもらいたい。 冥福を祈ります、合掌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 自己PRコーナー 去りゆく秋の明治神宮外苑の黄葉に染まった銀杏並木の写真をご覧下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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