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2006.03.12
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カテゴリ:音楽
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坂本九

【世界で最も有名な日本の曲!】
この曲は日本語曲として唯一米国の権威あるビルボード紙で1位を獲得している。多くの日本人アーティストが米国進出に挑んだが、ことごとく厚い壁に跳ね返された中でこの曲は『日本語で1位』という点でも快挙である。
ビルボード・チャートで歌詞の全てを外国語で歌って1位を獲るのは至難の業だからだ。私の記憶が定かでないので申し訳無いが、10数曲ではないか?
最近では『マカレナ』が大ヒットを記録したが、アレは母国語のスペイン語ではなくて英語盤がアメリカで売れたので対象外。'80年代には当時の西ドイツ出身のネーナが『99Luftbaloons』がヒットしたが残念ながら2位で終わった。
野茂英雄がドジャース入団時に球団がテーマソングを選ぶ際に、有名な日本の歌ということで真っ先に思い浮かんだのが『Sukiyaki』だった。結局、野茂が登板する際に球場のオルガン奏者がこれを演奏していたので記憶しているファンも多いだろう。
【カバーの宝庫】
一説には世界80ヶ国以上でカバーされているとも言われているが、アメリカでも何度かリバイバル・ヒットしている。
1979年にはTaste Of Honeyという黒人女性のグループが3位、1994年には黒人コーラス・グループの4PMが8位を記録した。それ以外でも昨年には、AOR界の重鎮ボビー・コールドウェルが独自の英語詩を付けて発表した。
Taste Of Honeyのバージョンは、ことさら日本風をイメージしたアレンジで落ち着いたバラード風に仕上がっている。後者の4PMはコーラス・グループらしい出来で、R&B色の強さを感じさせるが私はこちらの方が好きだ。
【何故、スキヤキ?】
1962年、ヨーロッパでこの曲が紹介され、大ヒットした。フランスなどでは原題と同じ意味のタイトルで発売されたが、イギリスでは「SUKIYAKI」と改題された。
アメリカでは、イギリスでヒットしたケニー・ボール楽団のレコードが発売されたが、チャートの100位以内には入らなかった。しかしワシントン州パスコのラジオDJリッチ・オズボーンが偶然坂本九のレコードを入手しラジオ番組で「SUKIYAKI」として紹介すると、局に問い合わせが殺到し、1963年、「SUKIYAKA」(発売当初は「SUKIYAKI」が誤植されこのタイトルとなった。後に訂正)の題でキャピトル・レコードから発売され、ビルボード誌で5月15日付から6月29日付まで3週連続、キャッシュボックス誌で5月15日付から7月6日付まで4週連続1位のヒットとなった。ビルボード誌において、英語以外の歌では1958年のドメニコ・モドゥーニョ「ボラーレ」(イタリア語)以来2曲目の1位であり、同年のシングルレコード年間チャート4位にもランクされている。また「全米1位」の影響を受け、日本でも再ヒットした。しかし当時、「SUKIYAKI」の全米1位は日本の洋楽ファンにとっては大変な出来事だったが、日本の東芝レコードの反応は「全米1位ってそんなに凄いの?」という程度だったという。恐らく、当時はビルボード紙で1位という『価値』が理解出来なかったのだろう。

坂本九はキャピトル・レコードの招きで渡米、テレビ番組にゲスト出演し、さらに売り上げが上昇した。翌1964年5月15日には外国人としては初めて全米レコード協会のゴールドディスクを受賞した。キャピトル・レコードはビートルズの米国でのプロモーション以上に宣伝費用をかけたといわれるが、結局、米国では一発屋に終わってしまった。
このほか世界約70ヵ国で発売され、総売り上げは1300万枚を超えるといわれる。また1988年までにアメリカのラジオでのオンエア回数は100万回を超えた。
「SUKIYAKI」という曲名は、ケニー・ボールの所属したイギリスのパイ・レコードの社長ルイス・ベンジャミンが、『原題の「UE O MUITE ARUKOU(上を向いて歩こう)」では英語で発音しにくいだろう』という理由で、社長の好物の日本料理の名前を付けたものだと言われている。なお原題の英語での直訳は「I LOOK UP WHEN I WALK」である。
【何で売れたの?】
私なりにこの曲が世界中で親しまれている訳を考えてみた。
中村八大=永六輔コンビのペンによるが、この二人の歌詞と旋律の良さもさることながら坂本九の歌い方にも理由がありそうだ。
中村八大が書いたこの旋律は、とても大らかでありポップなメロディと共に東洋的なムードも漂っている。そこに坂本九の独特の歌唱方法が加わった。『上も向~いて、歩~るこうououou』と言った独特の歌い方は、従来の日本人歌手には無かったのではないだろうか?
アメリカ人からすれば無名の日本人歌手が日本語で歌ってはいるが、この東洋を感じさせるメロディと日本語らしくない聞こえかたも彼らの耳を刺激したのではないかな?

歌詞はアメリカ人には分からないだろうから、日本人だってそうだけど洋楽聴くときにはメロディから入るのと同じ理屈だろう。歌詞は後に英語詩が加えられたが、下記に記すが永六輔の歌詞とは意味が全く異なっている。
【英語歌詞】
It’s all because of you
I’m feeling sad and blue
You went away now my life is just a rainy day
I love you so how much you’ll never know
You’ve gone away and left me lonely

Untouchable memories seem to keep haunting me
Of love so true that once turned all my gray skies blue
But you’ve disappeared now my eyes are filled with tears
I’m wishin’ you were here with me

Soft with love are my thoughts of you
Now that you’re gone I don’t know what to do

If only you were here you’d wash away my tears
The sun would shine and once again you’d be mine all mine
But in reality you and I will never be
‘Cause you took your love away from me hooooh

If only you were here
You’d wash away my tears the sun would shine
Once again you’d be mine all mine
But in reality you and I will never be
‘Cause you took your love away from me, hooooh, baby
You took your love away from me

Sayonara

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2.Deardorff And Joseph/Deardorff And Joseph
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Last updated  2006.03.12 22:15:05
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