カテゴリ:魚沼一座
魚沼一座ワークショップ2日目。
1日目と同様に演劇の基礎、発声や身体を動かす練習をした。その後で、我々のグループの“泣いた赤鬼”ともうひとつのグループの“アリとキリギリス”を交互に、小ホールのステージの上で演じた。 “アリとキリギリス”のグループは大人数でかつ子供たちの参加が多く、賑やかな舞台。実際のところ“アリたちとキリギリスたち”といったところ。子供たちの提案で、ラストのシーンはアリがキリギリスを救うという風に変更されたのだそうだ。“働かざる者食うべからず”という貧しいコモン・センスは廃れつつあるということか。働かざる者食うべからず、なら、NEETやひきこもりには生きる資格が無いということ。働かざる者が食っていける世の中だったから、オレはひきももれたんだし、NEET暮らしもできた。物質的な豊かさに支えられたおかげで、オレは自分自身のメンタルな問題に対してひきこもるという手を打つことができたし、生活にまつわることに煩わされずに自己愛とか、自分でも気づくことのできなかった欲求とか不満とか不安とか諸々のものごとに向きあうことができたのだと思う。そこから学んだ数々のものごとを、手離したくないと思えることが何よりさいわいだ。 そうすることで弟たちに多大な負担をかけたことは、ここに記しておくべきだろう。ほんとうに世話になったし、申しわけなかったと思う。だが、振り返って考えるに自分のしてきたこと、ひきこもっていたことやNEETとして暮らしてきたことが、間違っていたとは思わない。ただ、自分には必要なことだった、と。そして、そうすることが許されていたこと、そうして生かされてきたことは、幸運なことだと実感する。 話が逸れてしまったが、歌あり踊りありの賑やかな舞台を楽しんだ。何かしらを表現するって、楽しいことなんだと、舞台上で楽しそうに演じる人たちの様子から深く実感することができたことをとてもうれしく思った。 さて、我々のグループの“泣いた赤鬼”。 小学生の女の子が、ボール紙で鬼の角を作ってきてくれた。輪ゴムであごに引っ掛けるようになっていて、鬼役の人たちはそれをつけて舞台に上がった。青鬼はとても“せつない”役回り。大好きな赤鬼のために自分を悪者にして、子供たちとの仲をとりもってあげるのだ。対して赤鬼は無邪気な楽観主義者。青鬼の提案がその後どういう結果をもたらすかを予見することもなく、青鬼が自分のもとを立ち去ったときに初めて、そのことに気付くのだ。失って気付く存在の大きさと、自らの不明を悔いる気持ち。赤鬼の涙はそのためのものなのだろう。 今回そういった青鬼の、“損”で“せつない”、“自己犠牲”の“役回り”を“引き受ける”ことにしたのは、オレ自身のメンタリティを象徴しているようで少し興味深く感じた。あぁなんだか、こう書くとオレがすっごくいい人のように思えるではないか(笑)。でもそうではなくて、単に習い性なんだよな。そういうふうに振る舞うことが楽だと思える人はおそらく多々いるわけで、わがままに振る舞うことよりも、利他的な行動を無意識に選択し、そうすることで安定している自分というのは人前にでるときには常に感じている。意識的に自分の情動優先で動く時もあるが、そういうときのオレはいつだってどこかぎこちない。敢えて無理してやってるんで身のこなしもままならないわけだ。それで周囲を巻き込んでのドタバタ劇になる。迷惑な話だし自分でも何をやっているのかよく判らない。ただ、身にしみない社会のルールやいわゆる常識に安易に従うことができないわけで、つまんない人にはきっとつまんないことだろうが、それが今のオレの矜持のようなものになってしまっている。見知らぬ新しい自分を試すことに、未だ飽くことを知らないのだ。また自分自身を振り返って、今現在そういう自分でなければ、あまりにも悲しいような気がする。 善意なき利他的な行動は、どっかで無理が生じてくるものだ。“都合のいい自分”を演じ続けることはかなりの負担になるわけで、そのへんのバランスの問題なんだよな。まぁ、こんなふうに臆面もなく、自分自身を自己犠牲の権化のように書くことができる図太さで、釣りあいがとれているということのなのだろうか?自分を軽んじるって、立派なことではないよなぁ…。 話が脱線してしまった。無論上に書いたようなことを、ワーク・ショップのときに考えていたわけではない。練習とは言え舞台にたって、役割を与えられて何かを演じるなんて、小学校の学芸会以来のことだ。今でも覚えているが、オレは桃太郎のおじいさん役をやったと記憶している。んw 20年以上前になるのか…はは。そんなわけで緊張してもいたし、参加しているときは楽しくて、言われたことをこなすのがたいへんで、ごちゃごちゃ何かを考えている暇など無かった。 寄せ集めの劇団の結束を深めるには、たいへん有意義な時間だったと思う。身近に豊かな才能の持ち主がたくさんいることに驚きを感じた。他ならぬ自分自身にも、同じようなうれしい発見があってほしいものだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/06/04 09:08:29 PM
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