テーマ:ひきこもりの様々なカタチ(20)
カテゴリ:こわれ者の祭典
※続きものの記事です。まずは>その1からお読みください。
10分間の休憩を挟んで、木林おずさんのパフォーマンス。“福祉のテロリスト”や“卒業するまで死にません”他1曲を披露してくれた。 “福祉のテロリスト”の素晴らしいギター・テクに併せて歌われる毒を盛り込んだ歌詞は、皆判っていても口にしない現実をあからさまに唄いあげていて、これぞまさにいわゆるひとるのパンクの究極の在り方だと感じた。それだけ挑戦的かつ過激な歌詞を高らかに絶叫する当の本人は、演奏が終わると極端に自虐的な程謙虚な方で、そのミス・マッチがまたいい味を出している。 DAIGOのひとり芝居のパフォーマンス。会社をリストラされた直後にひったくりにあった事実を、当時の心情を交えて再現したシリアスなもの。 実はこのパフォーマンス、多くの関係者の前で演じたリハーサル時には爆笑を誘っていたのだが、本番での会場は水をうったかのような静けさの中で切々と演じられた。 いち時は自らを襲ったひったくりを殺したい程にまで恨むが、その恨みから解放され、今現在は生きていることに感謝を捧げながら生きている…という姿を描いたパフォーマンス。迫真の演技は、観る者を圧倒していた。 続いて、周佐さんのホットモンスターのパフォーマンス。ラジオDJ仕立てで、会場の観客を巻き込んだコーナー。DAIGO、周佐さんに続き、会場の観客の中から“心の叫び”を募って叫んでもらうというもの。『叫んでみたい人いますか?』という周佐さんの問いかけに、手を上げて立候補し声を限りに叫んだ。『そろそろ長年の彼女いない暦にピリオドを打ちたぁぁぁぁぁぁいっ!』と。やべっ、ここで恥の上塗りをしちまったい(笑)。 続いては周佐さんの詩の朗読のパフォーマンスだったのだが、DAIGOの次の衣装換えの手伝いの役がオレに振られていたので、すべてを聴くことはできなかった。以下は、前日のリハで聞いたものを基にして書く。 当日メインの司会役を務めた周佐さん “バリアフリーって言うけれど”という詩は、ハンディを背負った者の視点から、心の垣根となるバリアについて感じたことが語られていた。周佐さんのもの柔らかな声で語られる内省の言葉の連なりは、どのような痛烈で過激な文句を並べた檄文よりも、聴く耳を持った人たちの心に深く響くことだろう。こうまでして、自らの身を振り返り、心の垣根を取り除こうとしている人がここにいる。もっともっと多くの人たちに、周佐さんの言葉に耳を傾けてもらいたいと願う。もうひとつの詩は、“勘違い人生”。自らの失敗の繰り返しを交えた、数々の勘違いを語る。『でも、勘違いできるっていうのはいいことでもあるんだよ』というメッセージを込めて。間違ったって構ゃしない…っていう、至らない自分自身の受けとめかたが、しなやかな強さに変えられることを感じさせられる詩だった。転ぶことを怖れ過ぎなければ、どこまでも自分の足で歩いていける…そのことを、他ならぬ車椅子に乗った周佐さんが教えてくれたのだ。 長時間に及ぶこの日のイベントも、いよいよ最後のひとつを残すのみとなった。常連にはおなじみになった、“おサルの大ちゃん”のパフォーマンス。これについては多くを語るまい。下の写真を観てほしい。 日光猿軍団をリストラされた“おサルのダイちゃん”…という設定(笑) いよいよダンスが始まり… 激しく踊るDAIGO!ダンス・ダンス・ダーンス! 最後の最後に、出演者全員で感想を述べた。ほんとうに、笑凱の有る無しなど問題にならないほど、出演者全員がこれほどまでに違うということ。各々の個性の違いに比べれば、身体の不自由や心の不自由など、ほんの些細なものに過ぎないのだと感じた。ハンディキャップの有る無しを基準として区別するのではなく、その人がどう感じどう考えているのかに目を向ければ、他者に対する姿勢や配慮が豊かになり、それらは皆自分自身にとても暖かなかたちで必ず返ってくるのだ。そう深く確信させられたイベントだった。DAIGOと周佐さん、ゲストの皆さん、ボランティアの皆さんと観客の皆さんに、出会えたことを感謝。DAIGOには特に、この日のイベントに招いてもらったことを感謝したい。みんな、ありがとう! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/04/20 01:01:09 PM
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