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身延町専属ライターの梅津です。皆さんこんにちは!

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毎週金曜日は、町内のパワースポットへご案内しています。

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かつて身延は、武田信虎の重臣で河内(現在の南巨摩・西八代地域)の領主であった穴山信友により治められていました。

下山にある南松院は、信友の子・信君(穴山梅雪)が母・葵庵理誠尼(武田信玄の姉)を偲び、天輪寺住職の桃隠和尚を開山に迎えて建立した禅刹です。

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ここは信仰の篤かった禅尼が夫の死後に庵をむすんでいた場所で、庵の南に禅尼の愛でていた老松があったことから「南松院」と名付けられました。

禅尼は聡明かつ仙女のように美しい女性であったと伝えられています。

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本堂で迎えてくれるのは、本尊の釈迦如来と、

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手のひらに載る大きさの韋駄天像。

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檜の一木造りで、禅尼が傍に置いていた、看経仏とされるものです。釈迦如来とともに町の指定文化財。

普段は73.5センチの御心躰の中にあり、写真は二体を前後に並べたところ(手前が韋駄天像)。御心躰の背中から、すっぽり納まるようになっています。

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文武に秀でたといわれる信君も、武田家の滅亡後、歴史の渦にのまれ、ほどなくこの世を去りました。

穴山家が滅んだ後は、南松院は徳川家により手厚く外護されましたが、慶応2年の火災でほぼ全焼。

こちらは火災に遭う前の寺院を描いたものです。今とは配置が大分異なり、多くの修行僧も抱えていました。

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禅尼の肖像画(「絹本著色穴山信友夫人像」)や「絹本著色桃隠正寿和尚像」などたくさんの寺宝は、幸いにも炎を逃れました。

本堂のあった場所は、現在は白砂を敷き詰めた枯山水の禅庭で、

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奥の庭園は、夢窓国師作と伝えられるもの。

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池の中の亀石は、かつて禅尼が信友の元に嫁いでくる際に父・信虎に請い、持参したとされる武田家秘蔵の霊石です。

禅尼は亀とともに、どのような思いで嫁がれたのでしょうか。

近く訪れるであろう武田家、穴山家の不運など、知るすべもなく・・。

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本堂脇の小さな階段を登った先には、

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禅尼のお墓がありました(写真手前)。富士川を望む、気持ちのいい高台です。

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北風の中で、梅のつぼみが膨らみかけていました。

春にはしだれ桜が境内を埋め、夏は鮮やかな紫陽花が目を楽しませてくれるそう。

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いくさの絶えなかった日々も、今は遠い幻。

南松院は冬の静寂に包まれ、往時を偲び、またこの地の平安を願うかのように下山の森に佇んでいました。

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■正福寿山 南松院(臨済宗)
山梨県南巨摩郡身延町下山3221

※護寺会の神田さま、取材にご協力下さり感謝申し上げます。





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最終更新日  2012.01.27 17:04:03
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