皆さん、ダンスを楽しんでいますか?
いよいよ、一年の締め括りの競技会である道新スポーツ杯があります。
というか、これが載る頃には終わっているでしょうが、私共もこの競技会で17年前に選手を引退しました。
あと一年経つと、プロ現役選手時代の年数と、引退してからの年数が同じになってしまいます。
本当に月日が経つのが早いものですね。
今現在は、北海道連盟の採点管理部で長く業務をこなしていますが、回数に目を向けると第37回なのですね。
前にも書きましたが、競技会の第1回目は、私が大学3年生の時。
この時は自分はパートナーがいない時期だったので、普通に観戦していたような覚えがあります。
大会時期も今の時期は逆に毎日杯があって、現在の毎日杯の4月の時期に開催されていたのです。
大会プログラムも、今は立派な冊子になっていますが、この時はA4の簡単な二つ折のプログラムでした。
しかも表紙の写真は北大の2個上の先輩カップルだったのですよ。
キャッチフレーズもあって、「妖精のように舞え」だったと記憶しています。
会場は、今は無い、古い時代の中島スポーツセンター。
私自身はこの会場では何回か、良い思いをさせていただきました。
第1回目からジャッジスタッフに、道外からの審査員が混ざっていて、見どころだったと思います。
ゲストデモーターもいて、私の記憶では毛塚鉄雄先生、山本千恵子先生カップルでした。
学生ながら、そこで見たワルツは衝撃的な感じを受けました。
ジャッジスタッフは今現在までずっと、道外より招聘されていますが、
デモーターもその後数年に渡り、招聘されていた記憶があります。
ある意味、その当時の選手にとっては道外から複数ジャッジが来るという事で、
チャンスを掴みやすい競技会だったのではないでしょうか。
この頃の競技会は、プロもアマもクラスはA級からD級までで、その下にノービス級があったと思います。
アマチュアに関してはどんなオープン戦でも大体、アマチュアD級戦が開催されていました。
当時は学生ダンスは学生服を着用していたのです。
もちろんダンス用です。そのアマチュアD級戦は当時は学生服での出場がOKでしたが、
C級戦以上になると燕尾服の着用となり正装となる時代でした。
私は学生時代、前半はパートナーがいないことからも、燕尾服は一回しか着用した事が無いのです。
たしか、第10回大会から今の時期になったと思います。
会場も旧中島スポーツセンターから始まり、
真駒内アイスアリーナ、ガトーキングダム、グリーンホテル(現在のアパホテル川沿)、
パークホテルのパークプラザでも開催され、私が引退試合のアクセスサッポロ、
そしてコンベンションセンター、と記憶が抜けているかもですが.....。
現在のコンベンションセンターは私が引退してからの会場なので、ここでは踊った事がありません。
又、今はプロとアマの本戦は、最終予選から単科戦になっているのですね。
準決勝から残るカップルが種目によって変わってくるのです。
採点管理の立場としてはめちゃくちゃ大変な作業になるのですが、
選手ファーストとしては本当にチャンスな競技会ですね。
私自身はこの競技会はいろいろな経験をしました。
引退前年の大会は決勝に行くにあたり、同点決勝に引っかかったこともあります。
結局は残らなかったのですが、曲数は決勝に行くのと同じになりますので、必死でしたね。
当時は決勝まで行くと計5ラウンドでしたからね。
採点管理の立場として、いろいろな競技会が近づくにつれ、データ作りとか事前に作業するのですが、
この道新杯は当然いつもより大変になります。
先人の先生方の御苦労も思いながら、道新スポーツ杯争奪北海道ダンス選手権の事を書いてみました。
お付き合いありがとうございました。
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