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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【6月16日・火曜日】 朝8時30分、私を迎えに来たマイクロバスに乗り込み、ドルマバフチェ宮殿の前にある駐車場に行って待っていると、やがて沖合いに停泊中の母船から、20人程の自衛官を乗せた作業船が接岸し、上陸が始まった。 私が今日ご案内するのは、海上自衛隊練習艦「かしま」の乗組員である小野伍長と峰隊長ほか6名の、銃の管理、暗号解読、安全管理、海中からの電波探知などなど、それぞれの現場で重要な任務に携わる海上自衛隊でも古参の皆さん方。 母船「かしま」から上陸する人々を運ぶ作業船 峰さんは4年前に知り合った河野一曹の先輩で、この度の航海でイスタンブール寄港が決まったとき、河野さんと岡山のキリム・ネットショップ経営者、マミヤさんの2人が私に送ってくれた日本食の箱や包みを、海路はるばると運んできてくれたのだった。 また「かしま」の皆さんからは貴重な南高梅の高級梅干を3箱もいただいた。こんなことをして貰えるなんて、胸がいっぱい。お返しに水で割ると白濁する蒸留酒「ラク」の大瓶を用意して、1本は運んでくれた峰さんとそのお仲間に、1本は河野さんのところに再び届けて貰うことにした。 そして今日は感謝のボランティアで、イスタンブールを堪能して貰おうと決めていた。 まず最初にボスポラス大橋を通り、海峡を見下ろしながらアジア側に渡った。チャムルジャの丘に登り、ヨーロッパ側の巨大なパノラマをご披露。 はるか遠くに自分達の艦隊が小さい模型のように見えるのを、みんな、「うわ~、凄いなあ」と子供のように声を上げて喜んだ。 丘の頂上の公園で、紙コップながらトルコのサモワール式に入れられたチャイを味わってもらい、次はスルタンアフメットに直行した。 マミヤさんが取引しているキリム卸商のネディムさんの店ではトルココーヒーをご馳走になって、そのあとアヤソフィア博物館に。 このときはガイドのカーンや奥さんのツマちゃんも呼んで、カーンに博物館を案内してもらい、その間私はツマちゃんとキベレ・カフェで待ち、そのあとみんなで電車どおりのレストラン「プディング・ショップ」でお昼を一緒に食べた。カーンもボランティアで案内してくれたのである。 地下宮殿(地下貯水池)とブルーモスクを見学した後、用事のあるカーンと別れ、一行8人とツマちゃんと私はグランドバザールに入った。 店々をひやかして1時間後にはクルチェシュメに向かった。海泡石のアトリエに行ったのである。 実は前日の15日、雑誌者の取材クルーへのお土産として準備したものが、煙草を吸う記者さんにはアウズルック(巻きタバコ用の吸い口)、吸わないカメラマンさんにはペーバーナイフ(柄が海泡石)をプレゼントしたらたいそう喜ばれた。 特にパイプの鎖模様の彫刻がお気に召した記者さんは、海泡石がニコチンを吸収して健康にいい上に、使い込むにつれ白い海泡石が琥珀色に変わっていく話をしたら、もうすぐその場で使い始めたのだった。 煙草を吸う人の多い海の男達。アトリエで彼らはわいわい言いながら、それぞれに気に入ったものを選んで買い、早速巻きタバコを差し込んで吸い始めた。 タバコを吸わない人は奥さんや娘さんに小物入れを買い、皆さん大いにご満悦。 最後にタキシム広場で別れて車とツマちゃんは帰り、峰さん達8人と私は、4年前、河野さん達と知り合ったベイオールのオジャックバシュ(炉辺焼き)、ウムットに行き、お別れの夕餉となった。 屋上ビアガーデン風なところで、ビールと野菜を様々に調理した付け合わせがテーブル狭しと並べられ、トルコ語で「シェレフェ!」と言いながらみんなで乾杯した。 ジュウジュウと煙を上げるチョプシシ(さいころ肉の串焼き) 7時前から9時過ぎまで、寄港した国々の話を聞いたり、私なりのトルコ談義を聞いて貰ったりで笑いさざめきながら、楽しいひとときは瞬く間に過ぎてしまった。私の食事代は皆さんが払ってくれた。 タキシム広場でお別れするとき、「かしま」の皆さんは、 「わしらみたいにいい思いをしたモンはいないんじゃないか。帰ったら船のヤツラに大いに自慢したるで!」と誰かがいい、みんなそうだそうだと相槌を打ち、あらかじめ案内しておいたフュニキュレル(登攀用地下鉄)乗り場へぞろぞろと向かっていった。 私は心から愛して止まない日本とトルコのために、こんな奉仕が出来る自分を幸せだと思った。「かしま」は明日17日、僚艦「しまゆき」「ゆうぎり」と共に碇を揚げて、次の寄港地ルーマニアのコンスタンツァ目指して黒海に向かうという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年06月18日 18時16分06秒
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