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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【11月23日・火曜日】 バイラム休暇明けの昨日、5週間ぶりにリハビリ・センターに行こうとタクシーを頼み、まさに家を出ようとしたところに小包が届いた。 福井県在住の白猫ママさんからのプレゼントで、コンテスのために暖かな毛糸のチョッキを編んでくれたのである。 そのほかにも心の篭った品がたくさんあり、これについては後日述べることにして、コンヤの飴をお土産に久々に会うリハビリのハーカン先生を訪れた。 右膝の周辺の腫れはまったくなく、熱も持っていないし、歩くときの姿勢も左右均等に足を運べるようになり、非常にいい状態であるとのことである。 いつものように電磁治療を施して貰い、次回は2ヵ月後に、エクササイズの効果を見るためにもう一度顔を出すことになった。エクササイズだけは怠らないようにね、と先生は患者の快復振りに満足そうだった。 リハビリセンターのあるフリヤからシシリーの窪田有美子さんのアトリエを訪ねたら、帰りに可愛い装飾タイルをプレゼントしてくれた。 相棒の鬼頭立子さんと以前からそうしようと話し合っていてくれたそうなので、私もありがたく頂戴した。 4時15分前、慌しくアトリエを出て、通りまで送ってくれた有美子さんと別れ、タキシム広場のマルマラ・ホテルにタクシーを飛ばした。 4時頃会う約束でロビーで待っていたのはこの人。つやのあるシルクの背広上下、洒落たラフな白いシャツ、トプサカルル(鼻下のヒゲと顎鬚が円形に繋がっている)、一種迫力のあるまなざし、映画(マフィア映画か?)の主演スターのような雰囲気を漂わせた紳士である。 それが、アマスィヤの文化観光局長アフメット・カヤさんの自慢の友人達の1人で、新進気鋭の実業家ヌルッラーフ・カラクシュさんだった。 一見コワモテのヌルッラーフさん 初対面の挨拶が済むと私はすぐに正直に言った。 「私には商業的なコーディネーターは務まりませんので、貿易や事業関係での話でしたら私では駄目だと思います」 アフメット・カヤさんが私をどう紹介したのか知らないが、私はチュクルジュマの猫おばさんであって、トレーディングでは何の実績もない。 彼は自分の事業についてかいつまんで話してくれたが、 「ヌルッラーフさん、すみません。せっかく私を訪ねてくださったのに、お役に立てなそうで・・・」 そう言ってチャイを一口すすったとき、私はむせてコンコンと咳き込んだ。 「あ、大丈夫ですか。水を取り寄せましょう」 「いえいえ、大丈夫です、コンコン。私の癖なんです、かっこいい男性と話をすると咳き込んでしまうんです、コンコン」 ヌルッラーフさんは一瞬面食らったような顔をしたが、次の瞬間愉快そうに笑い出し、 「いやあ、楽しい方ですね。今日初めて会ったような気がしません。仕事の話は抜きにして、あなたのお友達の1人に加えてくださいませんか」 「いいですとも。失礼ですがお幾つですか」 「幾つに見えますか」 「40歳くらいでしょうか?」 「お見事。今年41になりました」 「じゃあ、うちの娘と息子の間ですね。友達というよりお母さんになれそうです」 「嬉しいですねえ。加瀬ハヌム、あなたがこれから先、お困りのこと、こうしてほしいということなどあったときは、息子だと思っていつでも私に電話してください。どんなお手伝いでも私に出来ることはすべていたします!」 ヌルッラーフさんは、アマスィヤ出身。エーゲ海のアッソスにホテルとオリーブ畑を持ち、その近くでオリーブ油工場も経営し、イスタンブールを拠点に60ルートに渡る配送業もやっていて、アマスィヤのギョイニュジェック郡には、身障者専用のリハビリ施設のある学園も経営しているという。 笑えばこんなに優しい笑顔です 私達はそれから話が弾んで時の経つのも忘れてしまいそうだった。夕飯をご馳走したいと言ってくれたが、猫が待っているからと断り、再会を約束して別れた。 さあて、この華々しい多角経営の御仁と一期一会の出会いで終わるのか、今後とも例えばストゥク・ウスタと親しんだように長年の友人となれるのかは、10年たってのお楽しみ。 5時半過ぎ、ロンドンから戻った京子さんがお土産を持って猫の世話をしに来てくれたところに私も帰りついた。お茶を飲みながら久々にお喋りし、7時過ぎに彼女が家に戻ると私はまた外出の支度をした。 友人のカメラマン、メフメット・カラカヤさんとその仕事仲間の人々に出会う約束があったからである。 いつものオヤジカフェで3人の男性を待たせながら家を出た私は、タクタキ坂の階段で野良猫の面倒を見ているセルピルさんと出会った。 「あ、マダム、聞いてよ、あなた」とセルピルさんは私の袖を掴んだ。さあ、たいへん、彼女との立ち話が始まったら最後、逃げられなくなる。話に切れ目がないのだ。 10分ほど喋って彼女がようやく区切りに一息ついたとき、私は「また今度、長く長~くお喋りしましょうね。ちょっと人を待たせているので!」と逃げ出した。 メフメット・カラカヤさんは2人の友人が交互に遠大なプロジェクトを私に説明する間、静かに紙巻たばこを作りながら聴いているだけだったが、シュハンさんとケマルさんが間髪を入れず交替する弾丸話法は、プロレスのタッグマッチに1人で参加したようで、両方に相槌を打ちながら聞いている私はちょっと疲れた。 右膝がなんだか痛い。ずっきん、ずっきんと鼓動のような音が感じられる。やがてそれは絶えがたい痛みに発展してきたので彼らに続きは次回ということにして貰って席を立った。 10時半、家に帰り着くや否や、急いでズボンをめくりあげ、右膝に巻いていたサポーターを外した。 2時半にリハビリが終了した直後、急いで巻きつけたサポーターがきつかったのか、8時間もそのままにしていたのでうっ血状態を起こしたようである。 考えてみれば夕食も取りそこなっていた。いそいで干しうどんを茹でて食べた。いや~、マルマラ・ホテルでご馳走になればよかったよ~・・・ 寝る前に白猫ママさんに礼状をしたためる。今月の4日に発送してくれた荷物は、ちょうどバイラム休みの前日にイスタンブールに届き、そのままお蔵入りしていて、長い休みのあとに配達されたものである。白猫ママさんもさぞかし気を揉んでいたに違いない。 「今日は実にいろいろな人々と出会ったなあ」と思い出しながら横になったら、かえって寝付かれなくなった。 もう真夜中、窓の外の柿の葉が散っていく音すら聞こえる。明ければ日本では勤労感謝の日なので、私はやりかけの掃除の続きでもしようと考えつつ眠りに落ちた。 「チュクルジュマ猫会」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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