|
カテゴリ:やってよかった/やらなきゃよかった
【12月16日・日曜日】 昨日は朝10時から、スルタンアフメットのフェルト工房イコニウムで、千絵さんと私がケチェ・シャプカス(フェルトの帽子)に挑戦した。 人間国宝メフメット・ギルギチさんは郷里のコンヤに帰っており、店はウスタの右腕テレサさんが守っていた。 フェルト工房 イコニウム(İkonium) 朝食もそうゆっくりと食べてはいられなかったが、千絵さんにはトルコでの初めての朝も私が和食しか作れないので、トルコ式朝食ではなくやっぱり日本食、でもこれからの1週間、なぜか楽しい予感がいっぱいで、私達は爽やかな朝を迎えたのだった。 帽子作りの朝の食事、牛たたき、鮭の麹漬け、ほうれん草のおひたし、 かんぴょうの煮物、漬けもの、松茸風味のお澄まし(永谷園) タクシーでアトリエまで行き、チャイとビスケットをいただいた後、テレサさんの指導で昼頃までは順調に、材料の羊毛をむしりながら型の上に置いて行く第一段階をやっていたのだが、2~3組の来客があってどうしてもテレサさんが応対しなくてはならないのでときどき待たされることになった。 美味しいビスケットはテレサさんの友人の手作り。 フェルトの材料は薄く梳いた羊毛がタオルを巻くようにして巻いてあり、 これをちぎりながら型の上に並べてゆく。(向こう側に見えているもの) 裏地になるピンクのフェルトを型に置いて行く。 オリーブ石鹸水で濡らし形を整える。 千絵さんも向こう側で奮闘中。 裏地になるグレーのフェルトを貼りつけ終わりました。 このあたりまではほぼ平穏にすすんでいたのです。ところが急に嵐が吹いたように・・・ それくらいは別に構わないのだが、テレサさん手作りのお昼をいただいた後、午後の作業に取り掛かった2時過ぎ、突然十幾人のおばさん連中がアトリエに雪崩れ込んできた。手芸教室の先生に連れられ、みんなでバザーに出す品物の材料を買いに来たとのこと。 それはいいが、千絵さんと私が作業をしている大テーブルの周囲でワイワイガヤガヤ、棚にきちんと並べて積まれているフェルトの材料を引っ張り出すわ、引きちぎって自分の欲しいだけ袋に突っ込むわ、そのやかましさと無遠慮さに呆れ果てた。 テレサさんを遠慮なく2階のショールームに呼びつけてあれを出せ、これを下ろせと店の2階にある商品を下のアトリエにまで持ってきて、片っ端から被ってみたり着てみたり。 果ては私の使っている薄紫色のフェルトを、一言の断りもなく私の作品の傍らから取り上げて、自分が欲しい長さに引きちぎってしまった人もいたので、私は静かに注意した。 「もしもし、これは私の作っている帽子に使う材料なんですけど」 「あら、だってテレサさんがどれでも自由に切り取っていいって言ったわよ」 「今帽子を拵えている人が使っているのは別でしょ。他のロールから切り取ってくれませんか。この色がなくなると困るので・・・私達は今日、ワークショップで授業としてやっているんです」 十人以上が口々に勝手なことを大声で喋っているし、私達2人の作品は、テレサ先生がこの傍若無人のグループに占領されてしまったため、手が止まったまま先に進まなかった。 歳の頃なら40代、50代のこの手芸教室のメンバーは、嵐のように吹き荒れて、それぞれが買った色とりどりのフェルトの端切れを量って貰い、5リラ6リラの金額にも高いと騒ぎ、まけろと喚き、1時間半ほどしたら潮が引くようにドドドッ、と帰ってしまった。 後に残された現場の惨憺たる有様は、まるで略奪に遭った発展途上国のデパートみたいな様相を呈していた。 「えええ、なんて人達なの? メフメット・ウスタもいないのに、どうやってこの散らかったのを片付けろと言うの、もう」とテレサさんが眉をしかめて嘆いた。 聞けばこのグループは事前に電話も何もせずにいきなり買いに来たらしく、しかもあれだけ大勢いたのに、総売り上げは帽子一つの売り上げにすら及ばない額だったそうだ。 およそ手芸をやろうというお上品な趣味とは似ても似つかぬ粗野な行動には、私も不愉快でならなかった。第一に私達の作業が大幅に遅れてしまったのである。 常の私だったら、「ちょっと皆さん、もっとお静かになさってください。何ですか、この騒ぎは!」と絶対言ってしまったに違いない。しかし、ぐっとこらえていた。明日はコンヤにシェビィ・アルースに行く人が、こんな無作法な人達と喧嘩してどうする。 (でも、やっぱり言えばよかった、と夜になってから後悔してしまった。) 「今日は遅くなってしまってごめんなさいね。どんなに遅くなっても、きっと仕上げましょうね」 テレサさんがそう言って、2人の作業を一所懸命に手伝ってくれた。 ピンク色のフェルトを貼りつけ、石鹸水で十分濡らしてその上にシルクの薄いスカーフ地を貼る。 そしてシルクの上にさらに薄く伸ばしたピンク色のフェルトを再び貼るのだ。 あんな邪魔が入らなければとっくに終了していたはずの5時近くなった頃に、ようやく私達の帽子は形が見えてきた。 石鹸水をたっぷり含ませて、繊維が絡み合うように何度も揉み上げているので、これを洗濯機で3~40分洗いに掛ける間、しばらく手が空くときがあった。千絵さんはブルーモスクまで出かけ、テレサさんには同じアメリカ出身の女性が訪ねてきていたので休憩にし、私にもチャイを入れてくれた。 チャイを飲んだあと、私はめちゃくちゃに荒らされたフェルトの材料を拾い上げ、もとの棚に色別に整頓して並べ直し始めた。 「ああ、ユミコ、あとで私がやるからいいのよ」とテレサさんが言ったが、十人以上でさんざんかっ散らかしたアトリエ内や床に落としたままの材料を、見て見ぬふりは出来なかった。 そのうちに戻ってきた千絵さんも手伝ってくれたので、材料棚はどうやら片付いた。私達はまた作業を再開し、いよいよ帽子の仕上げ段階、型作りに入った。千絵さんがブルーモスクの上のあたりに、細い三日月がかかっていて綺麗だった、と言う。 千絵さんはコーヒーブラウンの帽子のつばが折り返されたところに、猫の足跡の模様がチラリと見えるようなデザイン。 私はほっそりとした首の長い、ある友人への贈り物なので、エジプトの王妃ネフェルティティをイメージしたちょっと複雑なデザインである。 ようやくこぎつけた型作り。じんわりと額に汗がにじむようです。 ネフェルティティ帽の全容。うーむ、渾身の仕上がりです。 日本に帰った時、この帽子の持ち主となる人に被って貰い、 それを激写してブログに発表させていただきま~す。 そしてついに2人の帽子は完成し、まだ乾いていないのでコンヤから帰ったら受け取りに来ることにし、テレサさんに別れを告げてアトリエを出た。もう8時を過ぎようとしていたのでお腹もすき、帰りにカラキョイでトラムワイを下り、オリンピアット・レストランで仲良く魚料理に舌鼓を打ったのだった。 一夜は明けて、本日13時45分発のコンヤ行きトルコ航空の飛行機に乗るため、スパゲティで簡単な朝食を取り、いよいよ支度を始めたところに、留守中、猫達の世話をしてくれるウスキュダルのアフメットさんがやってきた。 あり合わせの挽き肉でミートソースを作り、卵を茹でました。 千絵さんと私は安心してアフメットさんにあとを託し、タクシーで空港に向かった。飛行機が30分ほど遅れたが無事にコンヤに到着、ハヴァシュのシャトルバスで街の中心に行き、そこからはタクシーで3泊4日お世話になる友人、メフタップさん、ムスタファさん夫妻の家のベルを鳴らしたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[やってよかった/やらなきゃよかった] カテゴリの最新記事
|