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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【3月17日・火曜日】 私が去年のうちから気を揉んでいた問題は、居住許可証の更新について。法律がしばしば変わるので、知らないでいると、えっ、と驚くような厳しい条件になっていたりする。 居住許可証を取るには、国民健康保険なり、保険会社の治療費・入院費などに対応する生命保険に入らなければならなくなった。 これが国の健康保険SGK(セー・ゲー・カー)だと、毎月275トルコリラ(TL)を払い続けなければならない。ちなみに275リラを日本円に直すと、この1月には14,100円くらい、2月中旬にはドルの高騰と相まって日本円も徐々に上昇、3月半ばのレートで計算してみたら12,790円である。急に毎月こんなに払えないけど、許可証を取るには必須条件なのである。 さて、2007年に10年物のパスポートを取って以来、2017年までは有効だったのだが、今年5年物の居住許可証を取るためには少なくとも5年以上のパスポート有効期限がなくてはいけないので、あと2年残っていたパスポートを捨てて、新たに10年物を取り直しに在イスタンブール日本総領事館行ったのがこの1月16日だった。 新パスポートが1週間後に出来上がり、その写しを添えて、必要書類を居住許可証取得代行業者のベイチェットさんに1月26日に渡して、あとで連絡を入れるから、というので、おとなしく待っていたら1ヵ月過ぎても何も言ってこない。 忙しい人に催促の電話をかけても悪い、と思ってさらに3月に入ってもおとなしく待っていたが、とうとうしびれを切らし、震災記念日のこの11日、こちらから電話をかけてみた。 「ああ、あなたでしたか、心配要りませんよ、3月18日に予約を取ってありますから、ベイオール警察に行って貰います。時刻や詳しいことはまたあとで連絡します」 しかし、待てど暮らせど連絡は来ない。とうとう1週間もたってしまった。今朝11時頃、再び電話をかけてみると、「5分後にこちらからかけますから」と忙しいらしくそれだけ言ってさっと切ってしまった。 トルコの5分後はときに50分後だったり、5時間後だったり、あるいは永遠に来なかったりする。 仕方なく待っていたが、ちょうど朝昼兼用の食事を済ませ、12時半になってもう一度、と携帯を取りあげた途端、ピッピーッとメールが入って来た。開いてみたらベイチェットさんで、11:00としか書いていない。 ブランチに食べたベーコン丼皿盛り。 時刻は分かったが、私は何か用意するものはないのですか、あるいはお金は要るのですかと質問のメールを打った。すると2時頃電話がかかって来た。 「あー、加瀬ハヌム。簡単ですよ。ヴェシカルック(証明写真)4枚、銀行のあなたの口座の残高証明書、今住んでいる住所の居住証明書(住民抄本)、その家の登記簿の写しを明日持ってきてください」 わ~ッ、おじさん、そんな大事なもの、こんな時刻に言って来ないでよ~っ、第一、私が問い合わせなかったら、いつ連絡するつもりだったのさーっ!! それから私は必要なものを持ち、慌てて外出の支度をした。まずチュクルジュマ通りを少しだけ下り、今度は2つの坂を必死に駆け上るようにして、2本上の通りにあるムフタルルック(地区役場)に行き、ムフタル(地区長、村長)のスアットさんにこれこれ、と息切れしてゼーゼー言いながら事情を説明した。 「おおー、由美子ハヌム、あなたはいつチュクルジュマに住み始めたのですか」 「15年半前ですが・・・1999年の8月に。その前はジハンギルでした」 「いや~、してみると引っ越して住み始めた後、ここに届けを出していなかったんですね」 「え~っ、そんな大事なことを私はしていなかったんですか。あ、引っ越した直後、あのマルマラ大地震が起きて、大混乱だったのでそれきり忘れてしまったのかもしれません」 私も充分トルコ人になりきっているではないか。 親切なムフタルのスアットさんは、私の以前の居住許可証やパスポート、娘が家主である家の登記簿などを見せると、即刻登録し、証明書を刷り出してくれた。何度もお辞儀をして私は書類を受け取り、次にまた坂を上ってジハンギルのスラセルビレル通りに出た。 銀行に行って残高証明を頼んだ。窓口のお姉さんは使用目的を聞くと、すぐに日本円口座とトルコリラ口座の2つについて両方ともお出ししましょうね、と私がまだ頼まないうちに言ってくれたので、最大級に褒めてしまった。 「Keşke bütün bankacı sizin gibi olsa」 (銀行員のすべてがあなたのような人だったらいいのに) 銀行の目の前に有名なズュムリュット(エメラルド)写真館がある。撮影を申し込んで順番を待っていると、ハッと思い出したのが、1月にパスポート用の写真を取りに来た時、日本のパスポート用と、トルコの証明写真の大きさが僅かに違うので、両方の大きさで焼いてくれたことだった。しかも、その写真を私はバッグの後ろポケットに入れたまま忘れてしまっていたのだ。 あった~、トルコ用の大きさのが4枚。急いで撮影を取り消し、次は文房具屋に行って、家のタプ(登記簿)のコピーを取ることだ。店の人に頼んで、トートバッグからクリアーフィルムに入った娘の写真のついた登記簿の正本を、おもむろに取り出してみると、なんとその下に、いつも用意周到なうちの娘がコピーを数枚とっておいたらしいのが出てきた。コピー機にスイッチを入れた店の人には詫びて店を出た。 おーお、いつも泥縄式で焦りっきりの私に、神様が味方してくれた、と喜んで時計を見ると家を出てから1時間で幾つもの用事が済んだ。 さすがにドタバタしたので、喉が渇き近くのパン屋でチャイだけ飲んで、ジハンギルの千沙子さんに電話をかけてみた。もう何ヵ月も会えないでいたので、どうしているかな、と様子を聞くと、家にいるので出て来てくれると言う。 では20分後に、と約束し、チャイを飲みほしてお金を払おうとしたら、店長のネジャットさんが久々にお元気なあなたを見られて嬉しいので、お代は結構です、というのだった。 それも悪いので、オレンジ味のラング・ド・シャー風な薄い菓子パンを10リラほど買って、約束の場所まで行くと着くのが早過ぎたか、吹きさらしで待つことになった。 近くにあるジハンギル・タクシーの詰所に入れて貰い、ほどなく歩いてやって来た千沙子さんも呼び込んで、電話番のエユップさんに、運転手さん達のお茶の友に、と言って半分その菓子を分け、ほかに誰もいないので千沙子さんともども、そこでチャイを出して貰ってお喋りすることにした。 小一時間、日本でのことや、千沙子さん夫妻の借りている農地がこの夏の野菜を収穫したら、契約更改出来ないのでまた別な貸農園を探さなければならないなどの話になった。 トルコではいつもこの種のプロブレムが付きまとう。地主はキラ(賃借料)の値上げを目論んでいるのかもしれないが、今は簡単に外国人が個人的に土地を買い取ることも難しいようだし、逆に地獄の沙汰も金次第、というような話も耳にする。 でも最後に、この4月下旬、ワラビ採りに行きましょう、と千沙子さんが言いだした話では盛り上がった。去年は時期が遅くなってから行ったので、いい収穫はなかったが、そうだわ、自然の恵みに出会うことは素敵、楽しみにしてましょうね、と約束して別れたのだった。 途中でチキンのドネル・ケバブを買って夕食に食べようとしたら、オグリを総大将とする8匹軍団に襲われ、スープはこぼされるわ、チキンはさらわれるわ、仕方なく台所の皿の中に4分の3も入れてやって、やっとおとなしくなった。 こんなに入っていたのに、殆ど猫に分け与えてしまいました。神様、やりすぎですよね。ア―ミン 猫が次第に私の暮らしを圧迫してくる昨今である。私は今後どうなるのだろう。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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