2015/07/07(火)03:00
カディルさん、男泣き
【7月1日・水曜日】
在りし日のコマちゃんと3匹の子猫達。
2008年3月19日に生まれたコマちゃんの可愛い3匹の子猫達。
灰色の子がポップちゃんです。(三毛ミュージック♀、黒白ロック♂)
今はみんな、虹の橋の彼方に暮らしています。
30日の晩、タマヨさんやアンさんと別れた後、家に戻った私は、遅れに遅れているブログに取り掛かった。夜12時にあと数分、と言う頃、わが家の下の玄関のチャイムが何度も鳴った。
「ジャポン・テイゼ、カディル・ベイがあんたと会いたがってるから、ちょっとベランダに顔を出してくれる?」と、インターホンからゼリハの声がした。
私がベランダに出てみると、大荷物と一緒に立っていたのは、空港から着いたばかりの向かいの骨董屋のカディルさんだった。
「悪いね、遅くに、マダム。もし迷惑でなかったら少しあの子の話を聞かせてくれないか」
「いいですよ、カディルさん。今上着を着たら降りて行きますから」と私はすぐに出て行く支度をした。カディルさんは大きなスーツケースと共に旅行先からたくさんの荷物を持ちかえって来ていた。後で聞いたのだが、フランスの骨董品フェスティバルに行っていたらしい。
ポップちゃんの死は、私がいくら黙っていても、昨日のうちにゼリハの口から亭主のオスマンに、オスマンからカディルさんの隣の骨董屋のトム・ウスタに、トム・ウスタからカディルさんの妹に伝わり、フランスで妹からの電話でそれを聞いたカディルさんは、今日の夜のフライトで戻るのももどかしく、店に駆け付けて来たのだそうだ。
「マダム、あなたが見つけてくれたんだそうだね、どんなふうだったの?」
私は28日の夜には何でもなく餌も食べに来たこと、29日の朝、いつものようにカーテンを開けたら、歩道に倒れているポップちゃんを発見したこと、飛んで行って抱き起こしてみると外傷はなく、僅かに口から出血したらしいこと、疾走して来た車にはねられた可能性が高いことなどを伝えた。
「獣医には連れて行かなかったんだね」
「もう死んでから何時間か経っていたので、手の施しようがなかったのよ、カディルさん」
普段は無口な人なのだが、カディルさんは堰を切ったように口を開いた。
「あの子は只の猫じゃなかったんだ、私の娘だったんだよ、マダム。私の言うことは何でも分かる、娘だったんだよ。あの子は断じて猫じゃない、娘だったんだよ、私の」
そう言うと、カディルさんは今までこらえていた悲しみが一気に噴き出したのか、立ったまま、おいおいと泣き出した。手放しで男泣きにおいおいと泣いた。
「お察ししますよ、カディルさん・・・」
私も泣かずにはいられなかった。私達はしばらく泣く以外何も出来なかった。ようやく涙をぬぐったカディルさんは、自分の机に座ってパソコンを開いて見せてくれた。おびただしい数のポップちゃんの写真がズラズラズラーッと出てきた。
ポップちゃんがどんなに愛されていたかわかり、胸が痛むと同時に、こんなに幸せな猫は滅多にいないだろう、となぜか一方で心が温まるのを感じた。
ポップちゃんの子猫時代 まだ名前がついていません。 こちらから
madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)
「チュクルジュマ猫会」
海泡石のパイプやアクセサリーと、「宮古島月桃」の買える店
アントニーナ・アウグスタ