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カテゴリ:メフテル軍楽隊
【3月2日・水曜日】 おととし2014年の11月、ダウン・カフェのボランティアで、買い物、下ごしらえ、本番と3日間に渡り「きりたんぽの日」を実現するために、働こうと言う前日の13日に、掃除をしようとして水フィルター掃除機のケーブルに蹴躓き、プールにでも飛び込むかのようにもんどりうってサロンの床に転倒してしまった私。 幸い、ちょうどそのとき、友人の岡崎さん夫妻がわが家で逗留していたために、彼らと縁(ゆかり)さんに手伝って貰って、予想外に評判のいい食事会となり、難所を切り抜けた後、1年3ヵ月余り転ぶこともなく過ごしてきた。2015年は転倒に関しては無事故で過ごすことが出来た。 今日、今年初の、それもゴージャスな舞台を得て、私の転倒劇は最近にない華やかなものになった。 なぁんて、気取っている場合ではなく、体中が打撲傷や筋肉痛で、折悪しく風邪も引いてしまい、咳やくしゃみが出てもあばら骨が痛んで「イテテテテ」と口走る。 さて、私はどこで転んだのかというと・・・ 今日は先週イスタンブール入りしたFacebook友達の江里子さんが、到着当日私の案内で軍事博物館に行き、メフテル・コンサートを堪能、3日にトルコを離れる前にぜひもう一度観賞したい、そしてお世話になったお礼に最後の夕食をご一緒にいかがですか、と誘ってくれていた。 メティンさんが、はるばる日本からメフテル軍楽隊のコンサート観賞を主目的に、誰もが今時のトルコは危ないから行くな、と言うのに、勇気を持って来てくれたことに感動して、お昼を自分がご馳走したい、と言ってくれたので、11時45分ちょうどに博物館の正面玄関で江里子さんと落ち合った。 メフテルの事務棟に行く通路の途中で、ムラット中佐(メフテル総大将チョルバジュバシュ)が、ジャンパー姿の背の高い男性と何か立ち話をしているところに出会った。挨拶を交わして通り過ぎたところで呼び止められ、戻って見るとその人は毎週水曜日に、軍事博物館のコンサート・サロンの階段式観覧席の真下にある戦没者追悼式典会場で、いつも司会をしているアンカラの陸軍参謀本部のエルハン・アルトゥノク大佐だった。 テレビのニュースでも、この水曜日の戦没者追悼式典のことはしばしば報道されるので、テレビでよく見る有名な軍人さんなのだった。大佐は私に軍事博物館で出会った記念に、小さなプレゼントを差し上げたいのです、と言いながら、私の差し出した名刺を見て、Yumikoと言う名を、サラサラッとハット(カリグラフィー)で書いてくれた。 そしてさらに、「午後2時のシェヒットレル・アンマ・トレニ(戦没者追悼式典)にご招待したいのですが、参加して頂けますか」と言うので、「もちろん喜んで出席させて頂きます」と答え、これを江里子さんにも説明した。 メティン総務課長は江里子さんの顔を再び見ると、上機嫌でパンやケーキなどを出して、兵卒にチャイを運ばせてくれた。12時を回ってすぐに将校会館のレストランに行くと込み合うので、少し遅く行くつもりらしく、すっかりソフベット(歓談)・モードになっていた。 イスタンブールのどこを見物したか、などと聞き、1時少し前に隣の敷地にある将校会館に行き、もう料理された品がバイキング風に並べられた厨房の前で好きなものを選び、メティンさんにご馳走になった。ありがとうございました、メティンさん。 2時少し前、将校会館から戻ってその足でメティンさんに伴われ、戦没者追悼式典の会場に行った。毎週国内のどこかでシェヒット(戦死者)となった軍人の遺族や親族が招かれ、時には第一次世界大戦や第二次世界大戦など、昔の戦争でシェヒットになった人々の子孫を招くこともある。 そして陸・海・空軍の将校や下士官、各士官学校の士官候補生や、義務兵役についている若者達などが出席して国を守るために命を落とした人々を供養しているのだった。 先ほど出会ったアルトゥノク大佐が司会で、今週も感動的な式典が挙行され、江里子さんと私もメティンさんの計らいでデニズ少佐の隣に席を貰い、特別参加させて貰ったのだった。 軍事博物館には報道撮影部があり、式典の様子を常にビデオ撮りしている。メティンさんが売り込んでくれたのかもしれないが、集合写真や記念写真を撮ったあと、いきなりインタビューを申し込まれた。 質疑応答ではなく、数分間、今日のことについて何か喋って下さい、と言うので、自分と、江里子さんのことを紹介し、こうして厳かな追悼式典に出席させて頂いたことを感謝し、いまのトルコの現状を、トルコ人の1人になったような思いで嘆かわしく思っているので、アタテュルク(トルコ共和国創始者)の言ったように、「国に平和、世界に平和」が実現することを願っています、と結んだ。 左からデニズ少佐、私、江里子さん。日本人が参加するのは初めてとのこと。 この戦没者追悼式典用に作られた特別の国旗。式の冒頭にこれを兵士が捧げ持って入場。 まるで、名優が演じているかの如く、ドラマチックに話を進めるアルトゥノク大佐 アルトゥノク大佐ほか陸軍・海軍のおエライさんとメティンさん(江里子さんの隣) 軍事博物館のアーカイブに保存され、各地の軍隊司令部に送られる番組にコメントする。 アルトゥノク大佐に頂いたハット(カリグラフィー)の私の名前。 素敵なプレゼントをありがとうございます、アルトゥノク大佐。 式場を出ると時刻は3時を回ってしまっていた。今日もコンサート観賞に来ている人の数は多い。座るところがあるかな、と心配しながらメティンさんにまた誘導されて、コンサート・サロンに入った。 まだ舞台正面の大扉をスクリーンにして、メフテルの発祥が、遠く中央アジアからのトルコ民族の祖先に端を発すること、メフテルは世界最古の軍楽隊であり、世界中の軍楽隊の先駆けとなったこと、モーツアルトやベートーヴェンなどに多大な影響を与えたことなどが映画で説明されていた。会場は当然薄暗い。 コンサートの開始まであと7~8分を残している時だった。警備の職員が、正面席の中央部分にまだ来ていない、追悼式典の出席者用に取り置かれている空席の間を通してくれたので、奥の階段の方に移動して、赤いモールを吊るしてあるポールを動かして抜けようとした途端、場内が暗いので見えなかったのか、私の左足は階段ではない、もっと深いところに落ちてしまったのだった。 あーっという間もなかった。階段に倒れ込んで無言のまま私は転がり落ちた。脳裏に浮かんだのはただ一つ、よかった~、メフテル軍楽隊の演奏中でなくて! 後ろからついて来ていた江里子さんの話では、私はかなり早いスピードで回転しながら、落下して行ったのだそうだ。江里子さんいわく「不謹慎ですけど、私はあの瞬間パニックになって、あっ、もし加瀬さんが救急車で運ばれて、万が一にもお亡くなりになるようなことがあったら、私がお願いして来て頂いたので何とお詫びをしたらいいかと、そんなことまで考えてしまいました」( ) 暗い中で私は大勢の人に助け起こされ、前から3番目の列に座ったとたん、映画が終わって場内の照明が一斉にともり、満席に近い人々の視線がこちらを見ているのが分かった。 あちこちに会釈をしながら着席したところで、チョルバジュバシュのムラット中佐が登場、コンサートは何事もなかったように進行し、デニズ少佐の指揮、シェラフェッティン・キョルオールさんの大太鼓、ベテラン・新鋭入り混じった各パート、迫力満点の演奏で無事に終わり、私は演奏中の舞台に冷凍マグロのように転がり落ちてコンサートを妨害し、満場に恥をさらす醜態をしでかさずに済んだのだった。 コンサートが始まるところ。メフテル隊もフルメンバー、観覧席もほぼ満員。 総大将チョルバジュ・バシュの挨拶。ムラット中佐。 軍楽隊長・指揮者メフテル・バシュのデニズ少佐。 大太鼓・キョスゼンのシェラフェッティン・キョルオールさん。 メティンさんは私達が席に着くまで見届けようと一番上の通路から見ていてくれたのだが、私が突然転んで下へ落ちて行くのを見て奥の階段に駆け付け、近くまで来てくれたらしいが、私が助け起こされ無事に着席したのを見て安心、警備の職員にコンサートが終わったら自分の部屋に引率するよう指示して戻ったとのこと。ああ、有難いけど恥ずかしい。 江里子さんと私は職員に導かれてエレベーターで下におり、無事にメティンさんの部屋に戻ってきた。そこでチャイをご馳走になったあと、終業時間になった彼に見送られ、雨の降り出した中を、軍事博物館に別れを告げたのだった。 そして、夕食の会場に予約したガラタ橋北詰のカラキョイにあるオリンピアット・レストランまでタクシーで向かったのである。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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