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・・・という名前の山が内山峠の南にある
山容がまるで荒海を渡る船のようだから この名が付いたということだそうだが さて、海のない上州・信州人がこれを見て そんなことを思うだろうか・・・ そう、こう名付けたのは彼らである 日本海の荒海を渡り、古代日本へ渡ってきた 新羅、高句麗、加耶からの渡来人だ 海を越えてきた彼らだからこそ そういった見方ができたのだとおいらは考える そしてその荒船山の東方、上信電鉄沿線は 渡来人に縁のある地名ばかりである 山間の地なのに「原」という地名(富岡市) 鏑川という名前の川、甘楽という名の町 そしてその隣、吉井町にある辛科神社・・・ どれもこれも「韓(から)」の訛ったものだ 今、彼ら渡来人の文化がどれだけ影響したかはさておき こうした地名に残ったことを考えれば すっかり溶け込んでいったということは 想像するに難くないことは明白だ 話がちょっとずれたところで、また後日・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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