2021/12/27(月)00:28
プレバト俳句。梅沢「痣の醒めゆく」問題っ!!
…俳句って難しいですね。
読み終へて 痣の醒めゆくごと 朝焼
この梅沢富美男の句を、
わたしはとても面白いと思っていたのですが、
他のサイトなどを見ると、批判的な意見もあるようです。
どうやら、
最大の問題は「痣が醒める」という表現にあるようです。
この是非について、もはや素人のわたしには判断ができません…。
◇
前回も書いたように、
これは「風景」を詠んでいるにもかかわらず、
同時に「心象」をも詠んでいるような印象の作品です。
そして、
その印象は「醒める」という動詞によって実現しています。
もしも、これが、
「痣が醒める」ではなく「痣が消える」だったら、
このような効果は生まれなかったはずです。
読み終へて 痣の消えゆくごと 朝焼
これでは読後の心象の比喩にならないばかりか、
そもそも朝焼の風景の比喩もなりにくいと思う。
あえて「消える」ではなく「醒める」という動詞を使って、
比喩としての効果を高めたわけですよね。
◇
しかし、考えてみると、
「痣が醒める」というのは、かなり独創的な言い方です。
けっして一般的な言い方ではない。
ふつうなら「痣が消える」「痣がひく」と言うはずです。
痣が皮膚の炎症だとすれば、
「痣を冷ます」という言い方はありえるかもしれないけど、
そうだとしても「痣が冷める」とはあまり言わないし、
まして「痣が覚める・醒める」などとは書きません。
結論から先にいえば、
この「痣が醒める」という表現自体が、
おそらく一種の比喩なのだろうと思います。
つまり「醒めるように痣が消える」という意味なのです。
だとすると、
この「痣の醒めゆくごと」という比喩の表現は、
比喩を比喩表現に用いるという、
いわば「比喩の入れ子状態」になっている。
しかも、
ここで「醒める」という動詞を用いる発想は、
むしろ朝焼の「風景」と読書後の「心象」から生まれているのです。
もとはといえば、
痣の消えていく様子が、
まるで(夜の闇から醒めていく)「朝焼」のようであり、
まるで(本の世界から醒めていく)「読後感」のようである、
という発想があったからこそ、
この「痣が醒める」という独自の表現が生まれたはずなのです。
比喩する側と比喩される側の関係が、本来は逆だった…。
そのうえで、いわば「比喩のフィードバック」が起こっている…。
比喩されたものを、逆に比喩に反転させて使っている…。
このことをどう評価すればいいのか、わたしには分かりません。