まいかのあーだこーだ

2021/12/27(月)00:28

プレバト俳句「痣の醒めゆく」問題 その2。

プレバト俳句を添削ごと査定?!(204)

俳句って難しいです。 ◇ 前回の記事で、わたしは、 「痣の醒めゆくごと 朝焼け」は、 たんに比喩がフィードバックしているだけではないか? 比喩されたものを比喩する側に反転させているだけではないか? との疑問を呈しました。 じつは、これと似たようなことが、 前に鈴木光が詠んだ句にもありました。 例の「ギャロップのごと 牧開」です。 もともと「ギャロップ」というのは、 「馬の疾走」のことであり、 「馬の疾走を擬した音楽」のことですから、 「ギャロップのごと 牧開」というのは、 「馬の疾走のような音楽のような馬の疾走」という意味で、 たんに比喩がフィードバックして一周してるだけではないか? と疑問を感じたのです。 くわしくはこちらです→https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202006270000/ これと同じことが梅沢の句にも言える。 かりに「痣が醒める」という表現が、 「(夜の闇から)醒めるように痣が消える」ことだとすれば、 「痣の醒めゆくごと 朝焼け」というのは、 「夜の闇から醒めるように痣が消えるような朝焼」ってことで、 やっぱり比喩が一回りしてるだけじゃないかと思うのです。 これって比喩として意味をなしてるんだろうか? という疑問が湧いてくるのです。 ◇ ただ、その一方で、 わたし自身は、もうすこし肯定的に考えてもいます。 たとえば、 (ちょっと下手糞な例ですが) 「馬の翔ぶごと 宇宙船」という表現があったとします。 本来、馬というのは、 「走る/駆ける」ものであって「翔ぶ」ものではありませんが、 宇宙船のイメージのほうに寄せるために、 駆ける→翔ける→翔ぶという連想によって、 あえて「翔ぶ」という動詞を使ってみるわけです。 (ちなみに「翔ぶ」というのは司馬遼太郎による当て字です) その背後には、 「宇宙船が馬のようだ」という発想と同時に、 「馬が宇宙船のようだ」という発想があります。 その2つの発想を両側から寄せるために、 使うべき動詞を交換して互いのイメージを接近させ、 なかば強制的に比喩を成立させてしまうわけです。 比喩が近すぎてはつまらないし、 比喩が遠すぎてはピンと来ないわけですが、 その《距離感》を調節するために、 使うべき動詞や形容詞をあえて取り換えるわけですね。 こういうことは、意外によくあるのではないか? むしろ比喩を作るときのひとつの技法じゃないか? って気がしないでもありません。 ◇ …いずれにせよ、わたしには判断できませんが(笑)。

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