2024/06/17(月)20:24
セクシー田中さん:事前の合意形成とSNS対応の是非。
セクシー田中さん問題。
日テレと小学館から報告書が出ました。
日テレ
https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-1.pdf
https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf
小学館
https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf
1.事前の合意について
そもそも「原作に忠実に」という意向が、
小学館と日テレ双方で合意されていたとはいえない。
それを証明する文書はなく、双方の主張も食い違います。
「原作に忠実に」という条件は合意されていない。
バカな漫画ヲタクどもは、
「ドラマは原作に忠実に作るのが当然!」
などと主張してますが、
ドラマは「原作を改変するのが当然」です。
そもそも「漫画原作に忠実なドラマ化」とは何か。
・漫画の絵をそのまま映像にすることですか?
・コマ割りをそのまま絵コンテに置き換えることですか?
・生身の俳優が漫画のキャラになりきることですか?
・漫画1話分の物語をドラマ1話分に置き換えることですか?
・全話分の物語を10話分のドラマに置き換えることですか?
どの観点から考えても、
「原作に忠実なドラマ化」など不可能です。
むしろ改変こそがデフォルトだと考えねばならない。
さすがの芦原妃名子も、
そこまでバカじゃなかったので、
ドラマ化に「改変」が必要なことは理解してました。
日テレの報告書より。
◇
むしろ、それより問題だったのは、
9・10話の「脚本家交代」についてなのですが、
これについては、
合意らしきものがあったとはいえ、
【原作者→小学館 →日テレ】という伝言の過程で、
その意思が徐々に薄められて及び腰に伝えられ、
契約書にも明記されないまま、
脚本家にはまったく伝わってませんでした。
その曖昧な伝言ゲームが、
のちに双方の不満を募らせて、
ネットでの炎上騒動へと発展する結果になった。
社員Xには口頭で伝え…社員Yにはメールで伝えたものの…社員Xは十分に認識しておらず…契約書にも記載されなかった。以下は日テレ側の認識。
2.SNSの対応について
つぎに、炎上への対応について。
まずは一般的な話としてですが、
SNSで誰かに何かを言われて死ぬくらいなら、
そもそもSNSをやるべきではありません。
たとえば星野源の問題でもそうですが、
滝沢ガレノが何かを書けば、
そこに乗っかる人間が大勢いるし、
それに対して星野源や新垣結衣が何かを書けば、
そこにまた乗っかる人間が大勢います。
そのような炎上騒ぎに対して、
どちらが正しいとか間違ってるとか言っても仕方がない。
SNSとはそういうものだと考える以外にないし、
それに耐えられなければSNSをやるべきではありません。
芦原妃名子もSNSはやっていませんでした。
もともとSNSの危険性を警戒していたのかもしれません。
しかし、
脚本交代の件にかんしては、
わざわざXのアカウントをあらたに開設して、
一時的ながらSNSでの発信をしてしまったのですね。
そして、それが結果的には仇になった。
◇
SNSにかんして、
日テレと小学館では対応に違いがあります。
日テレは「表現の自由」を尊重するとして、
相沢友子のSNSにタッチしなかった。
相沢友子の情報発信への対応。日テレの報告書より。
小学館も、
当初は同様の対応だったようですが、
芦原妃名子の強い要望に応えて、
ブログとXでの情報発信に協力し、
さらに炎上騒動が拡大して以降は、
対策委員会を招集するなどして、
芦原妃名子の情報発信に対して、
何らかの干渉をしようとしたフシがあります。
芦原妃名子の情報発信への対応。
この小学館の対策委員会の設置は、
芦原妃名子の自殺のトリガーになった可能性もある。
そこで「攻撃」という言葉が使われたかもしれないからです。
◇
バカな漫画ヲタクどもは、
「日テレは相沢友子のSNSを削除させるべきだった」
などと主張してますが、それは間違った考えです。
未成年の子供ならともかく、
成人した大人で、しかも表現を生業とする人間が、
どこでどんな表現活動をしようと、
それは個人の「表現の自由」の範疇であって、
企業がいちいち干渉すべきことではありません。
むしろ問題なのは、小学館の対応のほうです。
たんに個人どうしの喧嘩なら、
わざわざ企業が口を出す必要はないはずですが、
あえて小学館が対策委員会などを設置したのは、
それにともなうSNSでの炎上騒動が、
小学館と日テレの両企業にとって不都合と考えたからでしょう。
しかし、だからといって、
企業が個人の表現活動に干渉などをすべきではない。
◇
もちろん、小学館の対応が、
芦原妃名子の「表現」を侵害したとまでは言えないし、
かりに何らかの干渉があったにしても、
それが自殺の引き金になったとまでは断定できないし、
かりに引き金になったとしても、
そのことで殺人罪に問えるわけでもありません。
そもそもSNSを使ってほしくないのなら、
別途、その旨の契約が必要なのだと思いますが、
ごく一般的な考え方として、
SNSをやるかやらないか、
そこでどんな発信をするかは、
個々人の「表現の自由」の範疇であって、
そこで誰と喧嘩をしようが、
その結果、傷ついて自殺をしようが、
それも表現者である作家個人の責任の範疇と言うべきです。
作家を孤立させないということと、
個人における「表現の自由」に干渉するということを、
けっして混同すべきではありません。
3.キャラ設定について
これは、わたしの想像だけれど、
小説であれ、漫画であれ、
原作者がもっともこだわるポイントは、
おそらく「キャラ設定」なのだろうと思う。
ドラマ化にともなうキャラ設定の変更は、
視聴者の嗜好や俳優の特性に合わせたものでしょうが、
たしかにキャラの設定を変えれば、
おのずから登場人物の行動原理が変わり、
それによってストーリーとその意味合いも変わります。
したがって、
原作者の意向と齟齬が生じやすい部分だと思う。
◇
今回のように、
原作者が脚本監修(プロットの修正)をする場合であっても、
キャラの設定にかんしては、
ストーリーにも影響する問題なので、
契約前の段階で合意に達しておくべきだと思います。
テレビ局と出版社は、
この点をいかに調整すべきかについて、
あらかじめ様々なケーススタディをしておくべきだし、
合意のためのフォーマットを作っておくべきでしょうね。