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2005.05.07
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久しぶりにキアヌ・リーブス主演の「ハート・ブルー」を見た。この作品、前にもこのBLOGで書いたが、かなりはまった作品の1つで、既に6、7回は見ていると思う。言ってみれば、この「ハート・ブルー」はアクション映画でしかないわけだけれど、かなり意識的に管理社会に対する批判を描いた作品だ。サーフィンに象徴される「自由」あるいは自らが生きるための「法」をつくり出していくという立場と「管理」社会あるいは「規律」との対比構造。そのアクションものとしての面白さを追求しながら、そうしたメッセージを明確に表現したところにこそこの映画の面白さはある。


そのあたりの詳細は以前書いた「ハートブルー:キアヌは「あちら側」か「こちら側か」」を参照してもらうとして、久しぶりに見てちょっと思ったことを。

ハートブルー:キアヌは「あちら側」か「こちら側か」


僕はサーフィンをやったことがないので、もしサーファーの人が読んでいたら感想が聞きたいのだけれど、「サーフィン」というものはこの手のスポーツの中でもある種特別なものなのだろうか。サーフィンをやっている「人間」、あるいはそれをモチーフにした「物語」の中に、傾向的にニューエイジ的な思想を反映しているものが多い気がするのだ。それは同じように自然を相手にしていても「スキー」などとは全く違う気がする。

思うに、常に変動する「波」の中を切り開く、つまり圧倒的な力を持って絶えず変化しつづける自然の下でその瞬間瞬間に「自然」との調和するポイントを移動しつづける「サーフィン」と(吹雪を別にすれば)所与の白銀の状態(静的な状態)の下で自らの力量に応じてその走路を見つけ滑走していく「スキー」では「自然」に対する態度が自ずと違ってくるのではないか。その結果が、ニューエイジ的な思想感への距離感となっているのではないだろうか。(もちろん相対的な比較のもんだいだが)

「調和」と「征服」

仮に自然との「調和」を「サーフィン」が重んじるのだとしたら、それは東洋的な感覚に近くなるのかもしれない。だからこそボディが示したように、管理社会からの解放やより大きな法則の一部として自らを見なすことへと繋がるのだろう。

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「ハート・ブルー」映画評

DVD「ハート・ブルー」
ハートブルー dtsアドバンスト・コレクターズ・エディション







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最終更新日  2005.05.08 02:57:42
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