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2005年02月28日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
暫くひき続けていた風邪がやっとヤマを越え、咳もだいぶ治まってきたようで、来週は会社を休まなくてよさそうだ。
今日の気温は上が3度、下が-3度・・・まだ外には出ていないが、食料品も買いに行かなくてはならないので、これを書いたらスーパー・マーケットに行き、さっさと買い物を済ませ、残りの時間はできるだけ暖かくして過ごしたい。

このところ音楽の話題から離れていたので、少しその線に戻らなければ、と思う。

音楽で使われる音について考える。
一般的に音階と呼ばれる音の配列は半音12音でオクターブ。
そして、代表的なドレミファソラシドを始め、多彩なスケールが存在する。
この12音の組み合わせがさまざまなコードやメロディを紡ぎ上げるわけだが、この組み合わせだけで無限の種類の音楽を作り出すというのは、考えてみれば驚異的だ。

無論、その他にも絶対に欠かせないリズムという要素があり、昨今のジャズ理論だと、音階(スケール)はどうでもこのリズムの形態がしっかりしていれば、聴いている方はその楽曲を想像できるという説を唱えるジャズメンも少なくない。(ただ、この人たちのこの理屈は実際に音楽のベースを勉強してきた故に出てきたものではあるが)
分かりやすく説明すると、例えば「さくら」という日本の曲を、リズムをそのままにして音階をめちゃくちゃに弾いても、反対にメロディをそのままでリズムをめちゃくちゃに弾くよりは「さくら」という曲だと認識しやすいということであるらしい。

このリズムという音楽の要素は、昨今、グルーヴという言い方に変化してきて現代の音楽の中では至極重要な位置を占めるようになってきた。

ここで疑問に思ったのだが、良いプレイヤーとはいったいどういう人のことを指すのだろうか?
例えばクラッシックの世界では、プレイヤーが音楽の理論と技術を駆使し、既に存在する楽曲を最高のレベルで演奏するという課題が課せられる。

それに対して例えばジャズやブルーズの世界は、コードの進行を基本的なルールとして、それぞれの楽器によるインプロバイゼーション(アドリブ)を重ねることで、もっとプレイヤー個人の自由な即興感覚に課題が課せられると言っていいのではないか。
以前、何かの本で読んだことがあるが、誰かがマイルス・ディビスの「Kind of Blue」の全パートを完全コピーしたと書いてあったが、それを読んだ私の感想は「それが何かすごいことなのか?」であった。
確かに、それをコピーすること自体はかなり高いレベルの技術や知識が必要であることは間違いなく、人間なら誰でもできるという意味ではない。
マイルス・ディビスが生きていたらまさに「So what?」と言ったであろう。

ポップスやロックの世界では尚更である。
例えばギタリストでエリック・クラプトン、エディ・ヴァン・ヘイレン、ブライアン・メイ等など(余りにも多いので割愛させてもらいます)有名ギタリストが数多く存在するが、無論彼らをコピーするにはそれなりの能力が無いとできないのは当然であるが、それ自体「わー、そんなことができるんだ~!凄いね~!」以外の意味を持たないような気がする。
かの有名なジャズギタリストの故ジョー・パスの言葉を借りると、コピーをしてもそのコピーをしたフレーズを入れようとするその瞬間に一瞬の遅れが出てしまう、だからそんなことよりも自分の頭の中に自然に浮かんだフレーズを弾くように訓練したほうが、より楽曲にあう演奏ができるのだそうだ。
ジョー・パスは以前にもインタビューで話していたことだが、ある時、彼のところに、彼の曲を一曲丸ごとコピーをしたと得意げに伝えにきたプレイヤーがいたそうである。
そのプレイヤーはジョー・パスの前で見事に一曲丸コピーを演奏したのであるが、ジョー・パスはその曲の中で自分が一カ所間違えた部分も見事に演奏していたと苦笑しながら話していた。

話が長くなってしまったのでこの辺りで締めくくってみる。
良いプレイヤーの定義として私が考えること。
どんなプレイであっても、そのプレイヤー個人のフィルターを通して出てきたプレイができ、それによって楽曲に何らかの魅力を与えられる・・・・つまり楽曲に命を吹き込むことができるプレイヤーということにつきるのではないだろうか。
自分1人でどんなに素晴らしいテクニカルなソロが弾けたり、名だたるアーティストの技術を追いかけてコピーできたりする能力があっても、それがバンドでオリジナル曲を演奏する時に、その曲の中で新しいテイスト・命を与えられるフィーリングがなければ、それはやっぱりプレイヤーとして技量はあるが、本当にオーディエンスを惹きつける魅力に欠けると言えるのではないだろうか・
曲芸のように精巧なリズムで音を散りばめたフレーズでなくても、たとえ、それが1~2音でもその音だけで楽曲に何らかの魅力を出すことができるプレイヤーなら、それは良いプレイヤーとしての資質だと思う。
これはどの業界又はジャンルにも言えることなのであろうが、これを称してその人のセンスというものなのかなと思った。

但し、そういう資質やセンスがあるだけで良いプレイヤーになれるわけではなく、日々の練習や精進があってこそ、という但し書きつきではあるが。(笑)





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最終更新日  2005年02月28日 06時06分12秒
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