カテゴリ:コーチング
結論の出ない会議はイライラしますね。
昨夜、お稽古事関係のある会合でそういうシーンがあり、我慢できずに発言してしまって、「新参者のたわごと」のような反論を受けてしまいました。 新参者だからこその客観的な意見を述べたつもりだったので反論を試みたところ、思った以上に自分で動揺しているのに気づきました。 声が徐々に震えてきて、だんだん尻切れトンボになって、最後は黙ってしまいました。 コーチとのセッション中にこのシーンを見つめました。 その結果分かったことを、私なりに整理すると以下のようになりました。 私の中に間違いと正解のどちらしかない、という考えがあり、自分が間違いだった場合、その場の全員から「異端者」と見られもう仲間に戻れなくなるという恐怖がある。 まず、間違いと正解しかない、というところを変えて、どんな意見もあってもいい、と常に意識する。(頭では分かっているが、なかなか日々実践とは行かないものだ。) 間違い意見を排除しようとするのは、むしろ自分であった。 これは過去の経験に起因する、というところも分かった。 影響力を持つ人と異なる意見を言うことが即、異端者となる、という非論理的な発想を変える必要がある。 自分が異端者になることを恐れると同時に、組織から異端者を出すことも恐れていた。異端者をつくっていたのは、自分自身であった。 異なる意見を、まず自分から受け入れる。 また自分の信じる道を進むときは、たとえ異端者になり独りぼっちになろうが、恐れることはない、というITBで得た自信も思い出した。 昨夜の会議にもう一度戻って考えてみる。 この集まりにはあまり深入りしたくない、と常に思っている。 一人一人の事情もあるし、お稽古事への熱の入れようは人それぞれでいい、と思う。 これは始めた当初からずっと変わらない。 ただ昨夜はこの熱の入れようを私に強要しようとする力が働いた。 今思えば、彼の信念からすると私の発言はあまりにも幼稚で「新参者のたわごと」となるのも無理はないか、と思う。 彼にとっては人生そのものでもあるのだから。 昨夜、ここまで彼の心理を読む余裕があれば、あれほど動揺しなかったかもしれない。 私をコントロールしようとする力は、まだ小さい。今はまだやり過ごすこともできる。 だがもし今度大きな力が来た場合、私は異端者になることを恐れずに自分の生き方を貫く。 孤独を恐れるな。 孤独の先には、学びがある。 そこから得たものは、人生の次のステップへの鍵だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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